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和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』(文藝春秋)


 多摩美術大学を卒業した若き日の和田誠さんが、銀座の広告デザイン会社・ライトパブリシティに入社したのは1959年。それから10年間銀座で働き、1968年に退社し独立するまでを回想しているのが本書です。登場する人々は、篠山紀信、田中一光、亀倉雄策、横尾忠則、杉浦康平、伊丹十三、谷川俊太郎、武満徹、矢崎泰久、土屋耕一、高橋睦郎、植草甚一、高橋悠治、寺山修司……などなど多士済々の顔ぶれ。デザインの世界の人に限らず、様々なジャンルで活躍する才能の持ち主がお互いの重力に引き寄せられるように和田さんと接近遭遇するのです。

 単行本で刊行された時には、表紙のカバーを取り外すと和田さんの手描き地図で当時の銀座が描かれていました。私は文庫版は持っていないのですが、たしか文庫版はその地図がカバーになっていたと思います。本文に登場する、ライトパブリシティの先輩に連れられて行ったというレストランやバーがどこにあったかが、地図の上でもたどることができるという仕掛けです。

 60年代の日本は64年の東京オリンピックを軸にして、高度経済成長の大きな波に乗っていった変化の激しい時代です。広告やデザインの世界も、それぞれが先頭打者のように、ぴかぴかのユニフォームを着て、汚れのついていない白球を後顧の憂いなくフルスウィングで打ち返す、といった姿勢で自分たちの仕事をどんどん実現させていきます。和田さんの先輩たちが、「ここはバントで行け」と安全策を指示してくることがほとんどなかったのも、思う存分フルスウィングできた理由でしょう。厳しいところももちろんある諸先輩は、才能を管理するのではなく、伸ばすことに心を砕いていたのか、あるいは自分たちのやりたいことをやるのにかまけていて、そんな暇もなかったのか。

 和田さんは会社に属するデザイナーとしての仕事に取り組みながら、人づてにやってくる新しい仕事、たとえばNHKのアニメーションの仕事、日本社会党のシンボルマーク、映画やジャズのポスターの制作、といった飛び込みの仕事もこなしていきます。これらの仕事が独立後の和田さんの仕事の大きな輪郭を形成していったのだ、という成り立ちもよく見えてきます。雑誌「話の特集」のアート・ディレクションのように、自分の好きなようにやらせてもらうが、しかしノーギャラ、という仕事が少なくないのも、時代ばかりではなく和田さんのキャラクターをも象徴するようでちょっと可笑しい。

 しかし何から何まで順風満帆かといえば、そればかりでもなく、苦い思いもあったのだ、というエピソードが、ひとつならず描かれているところも本書の面白さです。先頭バッターでフルスウィングしていれば良かったのが、試合が進むに連れて、バントの指示を出すコーチも出てくる、というわけです。本書の半分を過ぎたあたりでこんなくだりが出てきます。

「デザイナーとクライアントの関係が少しずつ変わり、広告代理店の存在が目立つようになってきた。デザインや広告の専門誌には、アメリカの広告デザイン事務所の紹介記事が多くなり、記事の中には「戦略」、「マーケティング」、「リサーチ」などの言葉が登場しはじめた。
『プレゼンテーション』という言葉も使われるようになる。こいつは言葉だけでなく、実際の行動をともなうから厄介だ。つまり、こんなことをやろうと思うがどうですか、とクライアントにおうかがいを立てるのである。口で言うだけでなくスケッチを見せる。スケッチも丁寧なほうがシロウトにはわかりやすい。だんだん本番と同じようなものを作ることになる。そのうちクライアントは一案だけでなくA案B案出せ、こっちで選ぶから、と言い出すようになった」

 そんなのは当たり前じゃないか、と思うような時代に今の私たちはいるのですが、果たしてほんとうに「当たり前」なのでしょうか。広告の洗練された面白さ、という点で、当時のライトパブリシティが世の中に送り出した仕事には、今もなお瞠目させられるものがあります。おそらくそのなかには、A案B案の方法でやっていたのでは消えてなくなっていたかもしれない仕事も含まれているはずなのです。次に引用する、和田さんがライトパブリシティを退社する間際の出来事と、それについての和田さんの思いは、今の私たちの仕事にそのまま繋がる問題を孕んでいます(このくだりの手前で、ライトパブリシティの作ったカメラの広告に、反戦(=反米)のイメージがあることで没になったものがある、と描かれています)。

「ライトのカメラマン吉田さんが、赤ちゃんの可愛らしい後ろ姿を撮った。桃のようなお尻で見ていると頬がゆるんでくるような写真である。父親が初めて撮った写真というテーマでこの写真を大きく扱い、新聞広告にした。このときも営業部員が持ち帰った。『お客さんにお尻を向けるのは失礼だと言われたんだ』と言う。反戦のときキャンセルされたのは企業の都合としてわからないこともない。しかし今度の理由はおかしい。赤ちゃんのお尻を見て、失礼だと怒る読者がいるだろうか。ぼくは『子どもの使いじゃねえだろ! 何でこの写真のよさを説明してこないんだ!』と怒鳴った。営業部員はむっとした顔をする。ぼくも怒鳴ったあといやーな気分になる。両者の間に立った彼のつらい立場も本当はわかるのだ。
 キヤノンだけではなく、クライアント全体がこんなふうになってきた。デザインは専門家にまかせましょうという気風はなくなりつつあった。各企業の宣伝部員も『広告戦略』などを勉強する。したがって意見を言う。立派なことを言う人もいる代わり、つまらぬことを平気で言う人も出てくる。『昭和元禄』と言われた時代である。大量消費を広告があおる。広告の量が増える。広告が儲かる商売になったため、競争相手のデザイン会社、広告会社も増え、企業に売り込む。儲け主義の広告会社は営業上、つまらぬことを言う人の意見にも従ってしまう。クライアントもそちらのほうが使いやすい。ぼくのようにナマイキを言うデザイナーには頼みたくなくなる。
 商品写真をもっと大きく、とか、商品名をもっと大きく目立つようにしろ、と言われるようになってきた。時代が進んでスマートなものがもっと受け入れられるようになるのかと思っていたが、実際は逆である」

 本書は単なる回想録に留まりません。デザインとは何か、広告とは何か、表現とは何かをあらためて問い直してくる現在形の本なのです。たった今の私たちが生きている時代を、少し苦い思いで振り返らずにはいられない何ものかが、和田さんの率直、軽妙な言葉のはしばしには、しっかりとこめられています。
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