Webマガジン「考える人」

シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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雑貨の終わり

 マックスというドイツ人留学生の知り合いから、片言の日本語で「たぶん、これきっと、好きだと思う。移転のお祝い、どうぞ」と『フォン・イエーデム・アインス』という三百ページ、オールカラーのぶ厚い写真集をもらったことがある。英語版のタイトルだと『ワン・オブ・イーチ』。フランクフルト出身のカールステン・ボットという現代美術家が収集した、場末のリサイクルショップにならんでいそうな中途半端に古い物たちが、独特な沈んだトーンの写真でおさめられている。見開きで十六点、ぜんぶで二千点以上。これらはただ並んでいるのではなく、じつにこまかくジャンルが分けられていて、ページのはしっこにゴチック体で分類名が書いてある。
 「間取り図、建築模型」からはじまり、「食器」「靴」「食品包装」「有名人」「キッチン」「写真」「宝飾品」「化学」「女性下着」「バスルーム」「広告」「廃棄物」「お金」「ホテル」「若者」「礼服」「おもちゃ」「学校」「トイレ」「工具」「医者」「戦争」「コンピュータ」「庭」「地図」「石」……などとえんえんつづき、最後は「宇宙」で終わる。ひとつの分類につき少なくて一ページ八点、多いと四ページ三十二点ほど選ばれ、さらにそれぞれの写真の下に物の名前とサイズが記されている。たとえば「音楽」であれば、「子供用のチター、縦十五センチ、横三十一センチ、高さ四センチ」「マイケル・ジャクソンのハンチング帽、直径二十八センチ、高さ五センチ」「ピアノ弾き、写真、縦十三センチ、横十八センチ」「バッハ、LP、縦三十五センチ、横二十七センチ」といった具合。「政治」であれば、「ホーチミンの皿、直径十八センチ」「レーガンとゴルバチョフ、雑誌の切り抜き、縦二十八センチ、横二十一センチ」「ソ連占領地域の手帳、縦二十一センチ、横十センチ、厚さ四センチ」「ウサーマ・ビン・ラーディンの人形、縦二十五センチ、横十三センチ、奥行き十四センチ」……もうじゅうぶんだろう。
 また本書には「人々はなにを必要とし、なにをしようとしているのだろう?」という一文ではじまる、短い前書きがついている。それによれば、ボットは一九八八年から日常生活をとりまく物を集めてはアーカイブしつづけているようだ。本人は「現代史のために」という大義をもっているらしく、美術館や博物館がやらないんだったらおれがやる、ということで、いままでに五十万個の物を集めてきた。そして日用品を考古学的な目録のように分類整理することで、人々はそれらの物をどうつかって、物同士がどのように関連しているのかを調べたいのだ、と語る。既存のすべての物を均等に蒐集するというルールを課し、みずからのアナログな分類法の説明に、インターネット空間のハイパーリンクのアナロジーを好んでつかうことからも、どうやらグーグルのページランクのようなものを意識しているのだろう。ボットはその人力のアルゴリズムで物と物、物と人との、見えない関係性や欲望などを炙りだしたいのかもしれないが、本書を読むかぎり、彼の目論見が成功しているかははなはだ疑問である。
 一方、ホームページによれば、ボットは集めにあつめた異常な数の物をつかって、九〇年代の終わりからドイツやアメリカのさまざまな都市で展覧会を積極的に開いているみたいなので、現代美術家としてはそれなりの評価をえてきたように思われる。では、この『フォン・イエーデム・アインス』という作品集をどう読むべきなのか。市場がどうやって万物を雑貨に変え、カタログ化していくのかを反語的にえがいたコンセプチュアルアートとしてとらえるべきなのだろうか。しかしページをめくればめくるほど、私の脳みそはボットの壮大なコンセプトをぜんぶすっとばして、よくできた厚手の雑貨カタログとしてしかとらえられなくなっていった。そういえば、頭の回転のはやいマックスは帰りぎわ、たどたどしく私にこう告げたのだった。
 「あなたの店みたいですよ。この本は。あなたの店から、商品、私物、机、棚、みんなスタジオに運ぶ。パシャ、パシャパシャ。カメラで、アートみたいな雰囲気、撮影したら、この本、できます。がらくた。便利な物。かっこいいやつ。なんのためにあるか、よくわからない物。でも好き。なんでだろう。この国のひと、みんな雑貨が好きだ。だから、あなた、雑貨を売る。そうでしょう? そして、もうかってる」
 「もうけてないよ」と笑ってマックスの肩をたたきながら、その撫でつけられた金髪と、左右で微妙に色のちがう目を見た。動揺をかくすように視線を落とすと、なぜか左は深緑、右には山吹色の靴下をはいていた。
 私は美術に明るくないので、これがレディメイドの一種に入るのかどうかわからない。だけど仮に作者のこの滑稽な収集行為が芸術活動として世間に認められていて、はるか遠くにデュシャンやマン・レイの営為があるのだとしたら、ポスト・レディメイドの地平は、物が雑貨化した荒れ野で既製品を選ぶところからはじめないといけないのだ、といらぬ心配をしてしまう。いまを生きる芸術家たちは、鑑賞者の、既製品から美術品にいたるあらゆる物を雑貨としてとらえる雑貨感覚からどうやって逃れることができるのだろうか、と。

 東日本大震災のあと、マックスはベルリンにいったん帰り、母親に顔を見せるとすぐに東京へもどってきた。この街のなにがマックスの心をとらえているのかさだかではないが、日本の魅力をこんなふうに語ったことがある。ちょうど地震の一年まえ、マックスは大学の冬休みを利用して観光バスに乗り東北にむかっていた。途中でいくつものサービスエリアに降り立ったが、どこもおなじような平べったい建物で、屋根からのぼる湯気が風にさらわれていくさまに惹きつけられた。彼が日本の美と出会ったのは、とあるサービスエリアのトイレらしい。小便器でゆったりと用をたしながら、それが消臭剤であることなど知らずに、排水口のうえで蛍光色に輝く玉を夢中で転がしていた。そしてふと上方の窓に目を転じると、たそがれの濃い光のなかでアルミホイルにつつまれたワンカップのビンが輝いていて、なかに日焼けで脱色してガーベラかカーネーションかわからなくなった造花が数本生けてあった。マックスはそこで、おぼえたての侘び寂びという言葉を理解したのだという。
 「いや、それ侘び寂びじゃないでしょう」
 「じゃあ、見立て、ですか?」
 「いや見立てでもない、と思う」
 「じゃあ、なにですか、あれは?」
 「知らない」
 「ドイツのトイレに、あれ、ないです。ぼく、見たことない。じぶんで光る玉と、偽物の花が飾ってる。とても好き。枯、山、水。あってます? 嘘の、自然。美しいと思う」
 美大の大学院にかようマックスは、あらゆる公共施設のトイレにおかれた造花の生け花をあつめて写真集をつくりたいのだと構想を語った。タイトルはもちろん「イケバナ」。そんな安直なコンセプトでいいのか心配になりつつも、マックスはその後、旅行雑誌の編集部のバイトにのめりこんでぱたりと見かけなくなり、作品の進捗も聞けずじまいになってしまった。ぶじ卒業できたのかも、わからない。


 「美学的な過去、あるいは未来さえ呼び起こすようなものを避けるために、ですよ。それが重要な点でした。あなたを喜ばすものを選ぶのは容易ですから。この「喜ばす」というものは、あなたの趣味の伝統、あなたの趣味の才に根拠があります。趣味のない、無味な何かを選ばなければなりませんでした。それは難しいですよ、もちろん。瓶掛けは見ると美しいと思えても、それはまず無味です。断固そうです。それには趣味はありません」(ジョルジュ・シャルボニエ『デュシャンとの対話』北山研二訳、みすず書房)

 デュシャンは、あるインタビューでレディメイドについてこんなふうに語った。彼のいう「趣味」とは、近代や現代といった歴史の枠組みにとらわれた眼をたよりに作品とむかいあい、美しい、うれしい、官能的だ、なつかしい、といった感情的な反応ばかりしてしまう人間の(さが)をさしている。だからデュシャンにとって聞き手のシャルボニエのような美に耽溺する趣味人は、悪趣味なひとよりも警戒すべき存在だったのかもしれない。また、デュシャンはときに趣味を「網膜的」といいかえたり、頭脳を「灰白質(かいはくしつ)」というへんな名前で呼んだりもしている。網膜的であってはならない、もっと灰白質を、と。感情より知性を、内容より形式を、美学より論理を、事物よりも行為を……。こういったデュシャンの徹底した反芸術のそぶりと、秘して死ぬまでつづけられた、あまりに芸術的な物づくりの実践、という矛盾のなかに、現代におけるひとつの崇高な倫理を見いだした者はあとを絶たなかった。そして彼らこそが、デュシャンを現代美術の父とあおぎ、創世の神話をつくってきたのだった。
 一九一四年以降、「折れた腕の前に」と名づけられた雪かき用のシャベル、「旅行者用折り畳み品」というタイプライターのカバーなど、つぎつぎと無個性な商品が芸術作品として発表されていき、二〇年ごろからは「オーステルリッツの喧嘩」という木とガラスに油彩したミニチュアの窓のように、だれかにつくらせた複雑な物もレディメイドのシリーズにくわえられていった。当時、それらを目撃した選ばれし鑑賞者たちの多くは、このちぐはぐな経験のなかで、不穏な気持ちをいだいて腹をたてたり、阿呆らしくなって素通りしたであろうが、のちのひとびとは、なんのへんてつもない物と芸術のアイロニカルな一致に、芸術という制度だけではなく、近代という時空に閉じこめられた私たちの眼を救いだすための魔法の力を汲みとっていった。そしてみな、語りはじめる。メキシコの詩人、オクタビオ・パスが、まるで未来を見越したかのごときデュシャンの創作原理を「メタ・アイロニー」と呼んでみごとに分析してみせたのは、いまから半世紀以上もまえのことだが、その後も無数のデュシャンピアンたちが間断なく言葉をつむいでは創造主に捧げつづけてきた。きっといまもどこかで、あの美術評論家にむけたIQテストのような「大ガラス」やエロティックな遺作の謎解きがおこなわれているだろう。
 というわけで、芸術村から遠くとおくはなれた雑貨村で暮らす門外漢の私は、そろそろ口を閉ざさなければならない。もうデュシャンを語る余地など、ほとんど残されていないのだから。じゃあなぜ私は、ここまで駄弁を弄してきたのか。それは前述のような、彼をとりまいてきた晦渋な美術界の神話こそが、雑貨界がもとめつづけてきたエネルギー源に他ならないからである。まるで永久機関のように言葉が再生産されつづける芸術の神秘を、浮き世の雑貨はずっと夢見てきたのだ。高潔な芸術の残り香をかき集めてはパフュームをつくり、物品にふり撒いてできたキッチュな物をふたたび市場に送りこむ。そうやって雑貨世界は、領土を大きく広げるための新たな錬金術を手にいれたのだった。
 ずいぶんまえだが、「泉」と題した便器にデュシャンが殴り書いた「R・マット」というサインがシール化されて、それを嬉々として仕入れていた時期があった。これさえあればだれでもレディメイドが生みだせる、という馬鹿な謳い文句だったけれど、ここでいう雑貨の錬金術とはそういう牧歌的な詐術じゃない。もう売り手も買い手もキッチュであることに気づかないくらい、もっともっと狡猾でいりくんだやりかたで、物の価値を変えてきたのだ。たとえば、こんなふうに。


 私が店をつくって数年経ったころ、とある田舎町に移住して店をはじめた夫婦がいた。彼らは九〇年代、カフェブームに沸いた目黒通りで、ミッドセンチュリーや北欧のヴィンテージ家具、ファッションとして再解釈された軍物の古着や道具類、なかでも水と油の原理で、光る球が筒のなかを上下する奇妙なランプを何百個と売ってひと財産をきずいた。そしてブームの潮目をしっかりと読んで店をたたみ、自然豊かな避暑地に家を買ってスローライフに転じた。ずいぶんとお金があまっていたのか、夏に南仏のワイナリーに隣接した邸宅で何か月か滞在し、そのあいだに農家の納屋や骨董市をまわって買いあつめた古道具をもとでに、ふたたび店をひらいた。
 私の店のお客に趣味で古楽器をつくっている男がいて、彼を介して、私はその夫婦と歌舞伎町の広東料理店で飲んだことがある。ふたりとも袖が膨らんでギャザーがはいった白い立ち襟のシャツ、黒いパンツ、そしてぶつぶつした豚革の靴をはいていた。黒髪のおかっぱ頭も似ていて、ちがいは男が丸眼鏡をかけ、女が裸眼でサスペンダーをしていることだった。ひととおり自己紹介もすんで、いつもの癖で自虐的におどけながら、まだ軌道に乗らずスタッフもいないんですよ、店もなにがやりたいのかわからなくなってむちゃくちゃなんです、などとつらつら話をしていると、丸眼鏡の男は遠い眼をしながら「うらやましいな。ひとりがいいですよ、気楽で。若いうちは、じぶんだけの趣味の世界が一番です。うちみたいにたくさん雇っちゃうとなにかと大変ですから」といった。すこしして女が、あなたにはまだわからないと思うけど、と前置きしてから「お金を借りて、ひとを雇って……つまり趣味の店からぬけだしたら、もうもとにはもどれないのよ」と旦那のほうへ目線を送りながら言葉をつぐ。旦那は「ほんとに。お金は力だから」と思わせぶりな顔で深くうなずき、しばらく会話がとぎれて静かになると、道楽で古楽器をつくる男が得意満面で「あっ、天使が通った」などと口走り、私以外の三人が笑った。一刻もはやく帰りたくなった。帰り道、酔っぱらった古楽器の男に、お金や力がどうのこうのってあの夫婦が話してたけど、と問いかけると「彼らは、そんなへんなこといわないですよ」とかたくなに覚えてないふりをした。ふたりから趣味だ趣味だといわれたことによほど憤っていたのか、家に着くとベッドのうえで、つかつかと中華屋の暖簾をくぐって席にもどっていき、金もうけしたり、だれかを雇ったりする以前に、ひととひとが出会えばどんな場所にだって力関係は生まれるでしょう、目には見えないけれどほら、いまここにだって……とよくわからない理屈で赤いテーブルを中指でこつこつと叩き反論しているじぶんを、なんどもシミュレーションしてみたが気分は晴れなかった。あれから十年以上経った現在でも、私の状況はさほど変わらない。スタッフもいない。そのせいでときどき、あの夫婦が語った、力をもつことの真意をいまもつかみきれていないのかもしれない、という不安に囚われることがある。

 翌年の雨の季節、私は彼らの店にむかっていた。単線の駅からさらにタクシーで十分くらい行くと、霧雨が烟る草地の丘に、白いコンクリートでつくられた大きな円柱形の建物とレンガの煙突が見えた。車からおりて近づくと建物のまわりをさらにぐるっと、漆喰の低い壁が囲っていることがわかる。入口で出迎えてくれたのは丸眼鏡の男で、やはりスタンドカラーの白シャツを着ていた。はじめに案内された円形の広間は、予想に反して古道具屋ではなくパン屋とカフェであった。客はまばらだったが、三角巾とコックコートを着たスタッフがせわしなく行き交っている。状況が飲みこめず、あたりを見回していると男がきて「つきあたりの裏口から中庭にでて、屋根がなくてもうしわけないですが小径にそって歩いていただき、その先の離れに、今度はちいさな四角い建物があります。以前、東京で話したアンティークショップはそこです。今日の雨は夜まで降るみたいですね……あいにく。ゆっくりしてってください」といって、そそくさと奥に去ってしまった。説明の途中ではじめて、私は同店のメイン事業が飲食で、古道具商はあくまでサブであったことを理解した。厨房からでてきたスタッフが聞きなれないパンの名前を告げたあと、焼きあがりましたーと威勢のいい声をはりあげたが、円柱の構造のせいだろうか、声は反響するまえに天井に吸いこまれていった。
 中庭をくねる、レンガ敷きの道はまだ濡れていない部分が残っている。微風にこまかく震えるゼラニウムがそこかしこに植わっていた。傘をささず急ぎ足で歩いたので、すぐに木造の離れに着き、さっきの建物よりも四分の一くらいの明るさと広さの部屋に、フランスの骨董品やオリジナルの雑貨がところせましと置いてあった。中央の虫食い穴がたくさん空いた机には、ナイフやフォークで無数の傷がはいった白いパン皿がごっそり積んであって、そのとなりのガラスのショーケースに錆びたボトル・ラックがある。どっかで見たことがある気がしてのぞいていると、後ろから「ごぶさたしてます」と声がした。それは丸眼鏡の男の奥さん、つまり裸眼でサスペンダーの女の声であったが、ふりかえると詰襟のシャツであることに変わりはないものの、サスペンダーはしていなかった。
 「洗ったコップなんかをひっかけて乾かすやつです。先週、フランスから入荷したばかりの、二十世紀初頭のボトル・ラック。ごぞんじないかもしれませんが、デュシャンがパリ郊外のオテル・ドゥ・ヴィルの百貨店で買って、レディメイドとして発表したやつとおなじ型番の可能性があります。もちろんサインはないですけど。この形、じつに美しいレディメイドだと思いません?」
 私はてきとうに相槌を打ちながら、手もとにあった紙の小箱をいじって頭のざわめきが去るのを待った。美しいレディメイド? たしかに眼前で、デュシャンがもっとも忌避した網膜的な美しさが、百年後の古道具屋にならんだレディメイドに亡霊のようにとり憑いていた。その因果について思いをめぐらせているあいだも、「デュシャンを知ってるひとでしたらぜったい、唸りますよね」と話しつづけた。そんなことないだろう、と心でつぶやきながら、なるべく女からは距離をとるように計算して店内をうろつく。ぽつねんとディスプレイされた十七世紀や十八世紀のめずらしい品々を壊さぬよう、蟹歩きしながらまわっていると、一か所、壁がへこんで暗がりになった場所にチターやリュートなどが吊るされ売られていた。どれもみょうに新しく、もしかしたら趣味で古楽器をつくっているあの男が商売をはじめたのではないか勘ぐったが、めんどうなので聞くのはやめておいた。レジのまえまできて、頭上にマン・レイの「障害物」みたいに、大量の古びたハンガーがモビール状にぶらさがっているのが目にはいる。すると「ごぞんじないかもしれませんが」という女の口癖が聞こえ、「デュシャンの有名なあれもありますよ」と店の奥の机を指さし、そこへむかって歩きはじめた。てっきり便器があるのかと思って笑う準備をしてついていくと、スツールに黒い車輪を逆さにさした「自転車の車輪」が、窓辺の机のうえに飾ってあった。
 「なんであるんですか?」
 「まさか。旦那がつくったんですよ。ちょっともったいなかったですけど、十九世紀のスツールを白く塗って。でもうえのタイヤはいいのがなかったので、現行品でなるべく似たやつを探しました。アメリカ製なの。ほんと、バランスが美しいというか……だからかな、骨董仲間でレディメイド好きは多くって。あとジョセフ・コーネルとかね。主人も好きで、最近よくコーネルっぽい箱詰めセットをつくってるんですよ」とくすくす笑った。
 「箱詰め、ですか」
 「そう。すぐ売れちゃって、いまはないの」
 女は車輪がささったスツールの足をにぎり、「でもこの作品のかっこよさは、作家を知らなくたって伝わる気がするわ。先日きた大学の先生もデュシャンをよくごぞんじなかったみたいですけど、日本の古美術の精神に通ずるっていってましたし……」と話はえんえんとつづく。うなずくのをやめた私はタイヤをゆっくりと回してみた。これはたしか、暖炉の火の動きをべつの物におきかえた人生最初のレディメイドだったはずだ。

 「美的な感動を何にも受けないような無関心の境地に達しなければいけません。レディ・メイドの選択は常に視覚的な無関心、そしてそれと同時に好悪をとわずあらゆる趣味の欠如に基づいています」(マルセル・デュシャン、ピエール・カバンヌ『デュシャンは語る』岩佐鉄男、小林康夫訳、ちくま学芸文庫)

 デュシャンは死の二年まえのインタビューのなかでそう答えた。だとすれば彼がレディメイドにこめた無味へのこだわりを、あるいは、外見の美しさにとらわれた趣味を駆逐しなくてはならないというくわだてを、われわれは歴史の伝言ゲームのどのあたりで聞き落としてしまったのだろうか。こんな人里はなれた消費の現場にさえ、レディメイドという概念が伏流水のように浸みこみ、しかも都合よく百八十度、価値が反転している。美しい、レディメイド。この撞着した言葉を雑貨化といわずしてなんといおうか。私は車輪のスポークのあいだから、窓の外の濡れた敷地を見た。急ぎ足で合羽を着た少年が横切っていく。短く刈りそろえられた芝が、音のない雨をうけとめている。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

三品輝起

みしな・てるおき 1979年京都府生まれ。愛媛県にて育つ。2005年より東京の西荻窪で雑貨店「FALL」を経営。著書に『すべての雑貨』(夏葉社)がある。
Photo © 本多康司

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