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リアルRPG 草原の国キルギスで勇者になった男の冒険

2019年11月1日 リアルRPG 草原の国キルギスで勇者になった男の冒険

とうとう全クリ! そして、動物たちは……(最終回)

著者: 春間豪太郎

 サリチェレク湖への冒険も、とうとう今日で終わりだ。

 朝、7時45分。日の出とともにアカシュ、サナ、シロを連れて出発する。

 レストランからサリチェレク湖までの約20kmの間はなだらかな下り坂になっていて雪や砂利なども無くとても歩きやすかったので、いつも以上に速いペースで歩くことができた。

 そして昼過ぎ頃、道中何事もなくあっさりと、湖に到着した。

 サリチェレク湖は周りを背の高い草が覆っている湖で、トクトグルという小さな町に隣接していた。家畜たちがのんびり歩き回るソンクル湖や家々が建ち並ぶイシククル湖とも違う、人々が釣りをしに時々訪れるような、のどかな雰囲気を持つ湖だった。

 到着後はこれまでの冒険の思いを胸に感動に浸る……はずだったが、実際はそうはならなかった。

 まず第一に、サリチェレク湖はぬかるんだ泥道を進んで行かないと見えず、湖の付近は水たまりが多くどこからが湖なのか境界が不鮮明だったし、ようやく辿り着いた湖のほとりには釣り人の先客がいて雰囲気も何もあったものではなかった。更にシロや羊たちは泥道が嫌らしくあまり歩きたがらなかったので、動物たちに対し申し訳ない気持ちもあり、感動とは程遠い気分だと言わざるを得なかった。

 まあ、現実なんてそんなものだろう。

 セキルに乗って駆け回ったソンクル湖や数日前の雪山など、今回の冒険では数え切れないほど美しい景色に出会えたので良しとしよう。

 さて、ゴールしたのでゆっくりと休みたいところだが、そうはいかない。

 この辺りは治安が悪いため、一刻も早く立ち去るべきだからだ。羊たちの安全を考えても、トクトグルやその周辺の村には滞在しない方が良いだろう。

 10分だけ休憩をしてから、すぐにバスターミナルへ向かう。

 何にせよ、「羊たちを連れて野宿旅をする」というおれの望みは満たされた。これまでにアカシュ、サナと歩いた距離は505kmであり、遊牧民に思いを馳せながらの羊旅を存分に堪能することができた。

 ここからは、おれがアカシュ、サナ、シロを幸せにしてやる番だ。

 少なくともアカシュとサナはチョルポンおばさんの所に行けば安全が保証されるので、まずはトロク村を目指すべきだ。シロについては一旦保留し、羊たちをおばさんに託してからじっくり検討することにした。


 バスターミナルに到着し、トロク村かコチコル行きのバスがないかと運転手たちに声をかけたが、コチコル行きはおろか長距離バス自体が基本的に無いということが分かった。

 運転手に直接声をかけて交渉するしか無いらしい。

 周りの運転手の中で長距離移動できるという男は1人だけだったので、その男に声をかけることにした。うまくいけば男のワゴン車で動物たちを運ぶことができるだろう。

 「羊と犬を連れて、コチコルの辺りまで行きたいんだ。相場より少し多めに払うから、お願いできる?」

 「ダメダメ、コチコルまでだと道が悪いから時間がかかるし疲れる。条件付きでビシュケクまでなら連れてってやるが、どうする?」

 「条件って?」

 尋ねると、男はとんでもないことを口にした。

 「羊たちは置いていけ。車が糞で汚れるから」

 アカシュとサナを連れていけないんじゃ、意味がない。

 「羊は絶対に連れて行かないといけないんだ。何とか頼むよ」

 「いや、連れて行けない。掃除に手間がかかりすぎる」

 男は段々と乗り気で無くなってきているようだった。これはまずい流れだ。

 「なら、羊たちが車を汚さないなら連れて行ってくれるんだな? ブルーシートを敷くのはどうだ? 使った後のブルーシートはおれが引き取るよ」

 「無理だな。この辺じゃ今すぐには手に入らない」

 「何か、いいアイデアがあればぜひ教えて欲しい。あなただって、車が汚れず運賃が貰えるなら満足だろ?」

 「それはそうだが、車が汚くなるのは絶対にごめんだ」

 男だけでなく周りの運転手たちも巻き込んで、いい案は無いかと尋ねていく。

 しばらく問答を繰り返していると、男は分かったよ、と羊たちの乗り込みを許可してくれた。

 「ただし、条件はオムツを付けることだ。俺が今からスーパーまで買いに行ってくるから、絶対に糞が落ちないようにしっかり付けろよ」

 「ありがとう!」

 かくして、特大サイズのオムツを装着したアカシュ、サナ、そしておれとシロは男の車へ乗り込み、その日のうちにビシュケクへと移動することができた。

 ビシュケクに到着したのは深夜だったので、バスターミナルに併設されている24時間営業のカフェで朝まで待ってからコチコルへ向かうことになった。

 動物たちは、店員に許可を得た上でカフェの敷地内に繋ぐことにした。

 店の外の通路からは全く見えないが、ガラス張りの店内からは動物たちが丸見えだ。

 とはいえ、夜なのと動物たちの周りに背の高い草が生い茂っているおかげで、幸い店内で食事をしている人々は誰も気付いていないようだった。こんな町中に羊が2匹いるのはキルギスであっても異様な光景なので、もし誰かが気付いていたら騒ぎになっていたかもしれない。 周りに人が多く、テントを張れるような場所も無かったので寝るわけにいかず、動物たちのようすを観察しながら朝まで過ごした。


 そして朝になり、コチコルへ向かう。

 ただし、コチコル行きの安いミニバスはトランクが狭いため羊たちの負担が大きいと考え利用しないことにした。

 動物たちが少しでも快適になるよう、冒険後の最後くらいは奮発しようと考えたので、バスの運転手に交渉し、およそ3000円でバスを1台貸し切ってコチコルへ向かうことにした。

 貸し切りならタクシー感覚で利用できるので、コチコルのクバンの家の前へ行くよう運転手に頼み、出発する。

 バス後部の荷物用の広々としたスペースにアカシュ、サナを乗せ、乗客はおれともう1匹だ。

 そしてクバンの家に到着し、バスを降りる。

 トロク村まで行っても良かったが、久しぶりにセキルと会っておきたかったし、コチコルから歩いてトロク村へ行った方が良い気がしたのでここで下車することにした。

 コチコルとトロク村の間の道は、セキルに乗って2度通っている思い出深い道なので、今回の締めくくりに相応しい気がした。治安面でも問題が無いので、これまでの事をじっくりと思い出しながら歩けるだろう。

 クバンの家に寄ってセキルに会いたいと言うと、長男のアルセンが「付いて来て」と言って家の外へ向けて歩き出した。

 今までセキルはクバンの家の敷地内で飼われていたはずだが、今は違うのだろうか。

 少し心配になりながらもアルセンと共に家の前に広がる放牧地へ入っていくと、見覚えのある綺麗なたてがみの馬が見えてきた。

 セキルだ!

 セキルは、放牧地の端の方で仲間の馬たちと食事をしているところだった。

 唯一前に見た時と違っていたのは、背中の毛が一部剥げていたことだ。剥げている部分は白く歯型のようになっている。

 「アルセン、セキルは何かに噛まれたのか?」

 「野良犬に噛まれたみたい。それ以来鞍がうまく合わなくなったから、もう乗れないかもって父さんが言ってた」

 どうやらセキルは野犬に噛まれ、怪我を負ってしまったらしい。それで鞍が合わなくなるというのは少しおかしい気がするが、命に別状は無いようだし、人に乗られて使役されるよりは余程自由で幸せに生きられているのかもしれない。今のところ放置されているということは売る予定もなさそうなので、セキルはしばらくは安泰だろう。


 クバンの家で一泊し、翌朝トロク村へ向けて出発する。

 セキルに乗って、最初に歩いた道だ。

 当時は熱がありうまく指示が出せず、何とかまっすぐ歩いてもらうのが精一杯だった。セキルはキルギスの馬としてはかなり臆病だったので、車が来る度にセキルが跳ね回るんじゃないかと心配でセキルと一緒にビクビクしていた。

 今はもう乗りこなせるようになってしまったから、あの時の緊張や興奮は二度と味わえないだろう。

 アカシュとサナは最近自分たちの名前を覚えたようで、名前を呼ぶと……逃げる。

 少し傷付くが、そんなものだと考えるしかない。2匹とも、無事にここまで来られて本当に良かった。

 そしてシロは、最近ますます元気におれにじゃれつくようになった。

 出会った頃はガリガリでほとんど動かなかったものだが、今やその面影は全く無い。

 あの秘密基地で餓死せず、よくぞここまで生き延びてくれた。特にシロにはこれからは幸せに暮らして欲しい。

 昼過ぎ頃、セキルとの冒険の初日にテント泊をしたカフェ「キルギスタン」に到着した。

 店には店主はいなかったが奥さんがいて、3度も来てくれたんだからと肉と野菜が入った辛いラーメンを無料で振る舞ってくださった。

 さらに、今はもう寒い時期だからと、テント泊では無く屋内に泊まるよう勧めてくださったので、お言葉に甘えることにした。

 そして深夜、屋外のトイレで用を足そうと外へ出ると、凍てつくような寒さの中に満天の星空が広がっていた。

 これまでもそうだったが、安全が保証されておらず日々新しい体験をする冒険中の星空は、いつもと少し違って見える。

 少し冷たい感じがするが、その分とても綺麗だ。次にこの星空が見られるのはいつだろうか。


 翌日、トロク村に到着し、アカシュとサナはコイチュビット家の羊となった。

 羊たちは、毎朝コイチュビットおじさんに連れられて放牧地へ行って食事をし、夜は土の塀に囲まれた安全な寝床で眠る生活を送るようになった。群れの中でもやはり2匹は一緒にいることが多いが、それでも少しずつ新しい群れに馴染めてきているようだった。

 元々食用として育てられていたアカシュとサナは、繁殖用としておじさんに飼われるようになったので、おそらく天寿を全うできるだろう。

 また、子羊が産まれたらチョルポンおばさんのスマホから写真を送ってくれるらしい。

 帰国後の連絡が楽しみだ。

 そしてシロについては、なんとチョルポンおばさんが育てると言ってくれた。コイチュビット家では羊の他に1頭の牛を飼っているので、シロが牧羊犬になれば活躍の場は多そうだ。

 「おばさん、でもいいの? もし無理してシロを引き取るって言ってくれてるのなら……」

 「大丈夫よ! この子は良い犬になるから。チョルポンおばさんに任せなさい!!」

 自分の胸をドンと叩き、チョルポンおばさんはいつもと変わらない笑顔でそう言った。

 更に、シロが冬の寒さを凌げるようにと、コイチュビットおじさんはしっかりした犬小屋を作ってくれた。これはキルギスでの犬の扱いを考えると間違いなく破格の待遇だ。シロもこのトロク村でのびのびと快適に暮らせるに違いない。

 犬小屋の床には草が敷いてあったが、羊や牛が食べてしまうのでは無いかと心配になったので、シロが気に入っていたおれのブランケットを使ってクッションを作り犬小屋に入れることにした。すぐドロドロにはなってしまいそうだが、これがあれば冷たく硬い地面で寝ずに済むだろう。

(写真すべて©Gotaro Haruma)

 そういえば、シロは最近寂しそうに鳴かなくなった。

 秘密基地へシロを迎えに行ってからしばらくは、おれと離ればなれになる時は短時間であっても寂しそうに鳴いていたものだが、この頃はその鳴き声を聞かなくなった。

 もしかすると、いま自分は安全で、もう飢えや孤独を感じなくて良いと確信できるようになってきたのかもしれない。秘密基地にいた頃は野良犬同然だったので、当然ながら満足に食べることができず飢えに苦しみ動けずにいたに違いない。さぞかし辛かっただろう。

 これからは、以前よりも遥かに恵まれた環境で安心して生きていけるはずだ。


 そしてとうとう、トロク村から日本へ帰る日がやってきた。

 シロに最後のお別れを告げ、ハグをしてシロの前から去ると、シロは大きな声で寂しそうに鳴き、必死で扉を隔てたこちらへ来ようともがいているようだった。

 人間社会のことを何も知らなくても、これがお別れだということが分かったようだ。

 たまらなくなり一度戻ってもう一度シロをしっかりと抱き締め、それから振り返らずに首都への車へ乗り込む。チョルポンおばさんやコイチュビットおじさんが見送ってくれた。

 「Go、チョルポンおばさんの料理が食べたくなったら、すぐに来なさいよ! シロの写真も送るからね」

 「ありがとう! チョルポンおばさんのご飯は本当に美味しいから、また来るよ!」

 こうして、おれのキルギスでの冒険は幕を閉じた。

 帰りの車窓からは、はるか遠くに氷に覆われたキルギスの山々が見えた。

 あの山々の頂上付近にはソンクル湖があり、夏には草原が広がりたくさんの家畜たちがのんびりと行き来するだろう。あれほど美しく平和な世界を体験できただけでも、今回の冒険には価値があったのかもしれない。

 冒険の中で価値観が変化したり、スキルが習得できたりすることはもちろん喜ばしいが、おれにとってより大切なのは、動物や人、そして未知の新しい世界との出会いだ。

 キルギスでは、馬に乗って野宿をしながら夕陽や星空を眺めて過ごし、イヌワシやオオカミが暮らす廃倉庫に居候をしながら動物たちの世話をして、羊を連れてオオカミを警戒しながら雪山を越えた。

 そんな奇妙な道中の数多くの出会いはおれの心に深く刻まれた。

 まさにRPGの世界のように各地で情報を集め、乗馬スキルや羊の誘導スキルを習得して、たくさんの人々から無理だと言われた冒険を成功させることができた。「未知」を攻略して自分の中にある世界を広げることができた。

 絶対にまたいつか、シロたちに会いにキルギスへ行こう。

 今までであれば冒険後は次の冒険のことだけを考えていたが、今回は少し違った。コイチュビット家という一家と深く関わったからだろうか。はたまた、死を待つばかりの状態だったシロを保護し、何とかしようと奔走した経験が強く心に残ったからだろうか。

 いずれにせよ、今回の冒険でおれの心がより大きく揺さぶられたことは間違いなさそうだ。

 標高3000mに位置するアクアブルーの美しいソンクル湖と、その周りで縄に繋がれず自由に行き来する馬の群れ。そして搾りたての牛乳を使った甘く癖になる味の紅茶を1日に何度も飲む文化や、異邦人のおれを何度も何度も助けてくれた、トロク村の人々を始めとする心優しい人々。

 それら全てがおれにとって心地の良いものであり、かけがえの無いおれの人生の一部となった。

 まだキルギスから出国すらしていないが、できることなら是非ともまたいつかこの国を訪れ、日本とはかけ離れたこのキルギスの世界を堪能したいと思えた。

 キルギスを再訪すると心に誓い、おれは次の冒険の計画について考え始めたが、キルギスのあの美しい山々や人々との食事の光景が度々頭をよぎるのだった。

(おわり)

※ご愛読ありがとうございました。本連載をまとめた本を、新潮社から刊行予定です。

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何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

春間豪太郎

はるま ごうたろう 1990年生まれ。冒険家。行方不明になった友達を探しにフィリピンへ行ったことで、冒険に目覚める。自身の冒険譚を綴った5chのスレッドなどが話題となり、2018年に『-リアルRPG譚-行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』を上梓。国内外の様々な場所へ赴き、これからも動物たちと世界を冒険していく予定。

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