Webマガジン「考える人」

シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

雑貨の終わり

 ディズニーランドのトゥーンタウン地区にあるミッキーの家に来園者がつめかけ、最大十一時間待ちとなった、というニュースがラジオから流れている。二〇一八年十一月、ちょうど世界はミッキー暦九十年をむかえていた。オリエンタルランドも、これほどの待ち時間は聞いたことがないと取材に答えている。そんな混むことがわかりきった日に行くのだから彼らは長蛇の列にならぶことにこそ深い意味をみいだしているのだろう、などと考えながら朝食をとっていたとき、脳裏にかつて、不幸の手紙のようにやってきたミッキーと格闘したなつかしい日々がよみがえってきた。ラジオの音量をしぼる。しばらく躊躇したあと、私はいそいでノートパソコンをたちあげると、三度めの来訪にむけてチケットの購入手続き画面へと進んでいった。

 人生で二回めのディズニーランドは、高校の修学旅行のときだ。その前日は東京を班ごとにわかれて自由行動したのだが、学ラン着用が義務づけられていたせいで、愛媛の田舎からはるばるでてきた思春期の男子たちには気の重い一日だった。どうやっても街に溶けこむことはできず、終始、往来から聞こえる笑い声がじぶんたちにむけられているような錯覚がついてまわった。陽もかたむき、乾いた木枯らしの吹く表参道のベンチでクレープにかぶりつきながら、さっき原宿の裏通りで買ったトミーヒルフィガーのハットをかぶったひとりが「東京って、いがいと買うもんないなあ」とうそぶいていたが、だれも返事をしなかった。田舎では目にしたこともない数のひととひとが、たくみな動きで触れあわないように行き交っている。しばらくして、べつのだれかが「おまえ買った帽子、学ランとぜんぜん似合ってないで」と口をひらくも、やはりだれの反応もなかった。(けやき)の葉が静かに舞い落ちるなか、みなだまったままクレープを食べた。宿にもどるまえ、東京見学で身も心も困憊したわれわれは自動販売機で缶ビールをしこたま買った。
 真夜中、酩酊した私がホテルの廊下をふらふらとトイレにむかっている。そのあとの記憶はあまりない。どこかで捕まり、せまい部屋で数人の男性教師にかこまれながら小一時間ほどきびしい尋問をうけた。いまにも倒れそうな真っ赤な顔で、かたくなに「一滴も飲んでません」といいはっていると、さっきまでどなり散らしていた坊主頭の英語教師が、ほとほとあきれたようすで「わかった。この際、おまえが飲んだ飲まんはもうええわ。体じゅう酒臭いし、めちゃくちゃ赤いけどな。先生らはな、おまえが急性アルコール中毒で死なれたらこまるだけやけんの。ほんとに、いまにも死にそうな顔しとるで」といって軽く頰をぶったが、私は視線をそらしたままだまっていた。「おまえは酒飲んだら、いかんタイプや。だいじょうぶか? よっしゃ、わかった。おまえだけは寝てきてもええわ。特別や。そのかわり、だれと飲んだかちゃんというてみ」とわざとらしい笑顔で肩をたたく。なんとなく状況がうまく転がりそうな予感がわいてくると、不思議なもので、みるみるうちに頭がさえわたってきて、私は喜びを押し殺した深刻な表情で「ほんとですか」と答えながら、いっしょにバンドを組んでいた親しいふたりだけをのぞいて、あとの仲間たちの名前をすらすらとあげた。「もう死にそうです。寝させてもらっていいですか」といいつつ、芝居がかった動きでずうずうしく冷たいお茶を飲ませてもらい、さらに顔まで洗ってそとにでた。すると緑の非常灯だけがともった暗い通路に、いつもの面々が正座でならばされていて思わず笑ってしまう。はよ寝ろって先生にいわれとるけん、すまんけど先に休ませてもらうわ、と告げて部屋に帰ろうとすると、手前のやつが私にむけてビニールのスリッパを投げてきた。あとで聞いた話では、われわれは四国に強制送還される予定であったが、担任のはからいで翌日のディズニーランドの自由時間を大幅に削るという処分にとどまったらしい。
 どんよりと曇った秋の正午。私は駐車場にとめおかれたバスのなかから、他の生徒たちが団体窓口へ消えていくのを見送っている。「学ランなんか着せて一日じゅう東京歩かせたら、そりゃつらくて酒飲むやろ」と、まだ文句をいっているやつがいた。しばらくすると「バスから降りて」と女の担任が、いかにも金輪際あなたたちとは口もききたくないといった面もちで入ってきて、私たちを正面玄関の手前にある煉瓦づくりの小さな円形公園に連れていき、あきらかにホテルの朝食の残り物がつめられた折箱を手渡した。公園は季節外れのパラソルがならんでいて、まわりをかこむ深い木立のむこうで、ひっきりなしにバスが到着と出立をくりかえしている。「かならず、夕方までここでおとなしくしているように」というと、ひと睨みして先生はゲートのなかに吸いこまれていった。公園にはときおり喫煙所にやってくるひとのほかに利用者はだれもおらず、おのおのがまだ見ぬディズニーランドを想像して静かな午後を過ごした。私は植込みのへりに座りながら、パラソルの露先のひらひらした飾りが風で揺れているのを見ていた。それから、ここはほんとうにランドの一部なのだろうかと考えた。遠くで黒く雲集した椋鳥が低い空を飛んでいく。修学旅行で一番印象に残っている思い出は、このキャラクターもアトラクションも存在せず、夢の国の内なのか外なのかさえよくわからない煉瓦づくりのさびしい公園である。時間をもてあました私は、ときおり持参した「写ルンです」で軟禁されている仲間たちの顔を撮った。
 かんじんな入場を果たしたあとのことをほとんどおぼえていない。一時間ぐらいしか遊ばせてもらえなかったせいもあろう。そのあいだに、たしか一枚の記念写真とプーさんの蜂蜜を買った。だが、土産物のうすっぺらい写真に私は写っていない。ランドには人工の大河が流れていて、そのほとりにスプラッシュ・マウンテンという急流下りのような乗り物があったのだが、このアトラクションでは、お客をのせた小舟が滝を落下するクライマックスの瞬間をランド側がこっそりと撮影しており、ほしいひとはあとで写真を購入できるという、ずいぶん狡猾なサービスがついていた。出口付近のモニターに映しだされた盗撮画像をさがすと、ボートで前後に座った友人たちは、ちゃんと白目をむいて万歳している姿がとらえられていたけれど、私だけがいなかった。おそらく絶叫マシンというものにはじめて乗った恐怖で、股間を押さえながらかがんでいたせいだと思われるが、そうであるにもかかわらず、私の座席部分だけが心霊写真のように消えて影と化したモニターを見ながら「おまえだけおらんやん」と笑われ、「ほんじゃあ、買おかな」となぜなったのか。わからない。こうやってときどき、あのころのじぶんが理解できなくなることがある。
 ぜんぶが修学旅行のせいとはいわないが、東京にでてきてからの私は、絶叫マシンからも酒からも距離をとった人生を歩んだ。もちろんミッキーからも。酒は飲めるようになりたかったが、いつまでも強くならなかった。


 「展示おめでとう。電報送っておいたから。知ってる? 最近の電報、とってもかわいらしいのよ。よかったら飾ってね。あなたがいるときにうかがいたかったんだけど……残念、木曜か金曜に行くわね。じゃ、明日からがんばって」。展示前日の夜、陶芸家の女のもとに義理の母から電話があったらしい。彼女はもうしわけなさそうに「そんなわけで電報とどいたらよろしくお願いします。今日はお母さん来ないはずですけど、明日と明後日だけはかならず見えるところに」といって私に頭をさげた。しばらくすると、水色のタキシードを着て筒状の手紙を抱きかかえたミッキーが配達された。彼女はずいぶん土味のある器をつくる作家であったが、ミッキーを展示机のうえに座らせた瞬間、あれよあれよというまに、彼がまとった強力なファンタジーの世界が器のもつべつの世界を支配していくのがわかった。質朴であることに徹した粉引の茶碗や皿をじっくり味わおうにも、視界のはしに、彼の本繻子(ほんしゅす)の服から乱反射する光がちらつき集中をそいでいく。私も彼女も当惑した。初日は電報を机の下に隠すことができたが、義母がくることが予告された木曜と金曜は目につく場所に飾らざるをえず、するとやはり高周波を放つ害獣除けの機械のように、お客の鑑賞に見えない力をおよぼしているのが伝わってきた。陶芸というジャンルが自然と背負っている歴史や伝統、手仕事といった価値はみるみるうちに弱まり、作家物の器とミッキーのあいだに広がる大きな違和感が、ひとびとの購買意欲をうばっていく。
 そしてなにより、古今東西、聖も俗もこえ、あらゆる雑貨をあつかうことこそ雑貨屋たるレゾンデートルであろうなどと豪語していた私の店が、たった一匹の鼠が紛れこむだけで、いとも簡単に調和が崩れ去っていくさまを目の当たりにしてしまった。そのショックは店の歩みをぴたりととめた。あなたが想像しうる多様性などたかが知れているのだ、とミッキーにいわれているみたいだった。ひとはなにがしかの安定した世界や文脈に入りこむことで、より深い消費の喜びをえる。しかし一方で、その消費世界は競合する他の消費世界につねにおびやかされていて、だから世の店々は、安定した売場を保つために異物をなるべく排することで成り立っている。たとえばディズニーランドのように。そんなあたりまえのことも私は知らなかったのだ。
 すべてのリンクから切りはなされ、だれにも知られることなくネット空間を漂う開店当初のブログをおとずれるため、アドレスバーにアドレスを手打ちすると「サーバが見つかりません」とだけ表示された。一縷の望みにかけて、今度はミクシーに十年ぶりくらいにログインした。その荒れた惑星にひっそりと建ったじぶんの小屋で、ミッキーがやってきたころの日記を探しだす。よほど店がひまだったのだろう、おおまじめに私はミッキーをどう排除するかではなく、どうすれば店にミッキーを置けるようになるのかを考えていたみたいだった。文にはこうある。「ドナルド・マクドナルド、ミュータント・タートルズ、アルフ、テレタビーズといった人形をかつて店に置いたことがある。じゃあなぜ、ミッキーはだめなのか」。店内にいるキャラクターたちを箇条書きしたあと、そこからサンリオはどうだ、アンパンマンはどうだ、とよくわからない思案がつづく。そして最後は尻すぼみとなって、こんなふうに記事は終わっている。「ともかく想像の余地もないほどメジャー化した人気者を、私の店に置くことができないらしい。逆にいえば想像の余白が広ければひろいほど、そのキャラがもつ文脈を店の文脈に組みいれることができる。国産のキャラに私の店の門戸が開かれていない大問題は後日考えるとして……まず、ミッキーを店に置かねばならない。そのためには、物が古びてくたくたになっていくにつれ、現在の文脈からすこしずつ切りはなされていく性質をつかうしかないのではないか」。
 まるで、できそこないの頓知話みたいだが、この文章を書き終えてすぐに、私は海外のアンティーク業者から足が異常に長くて左右の目がはなれ、笑った口元から歯をのぞかせている半世紀以上まえのミッキーを買いもとめた。なぜ当時の私は、そこまでしてミッキーを招きいれねばならなかったのか。なぜミッキーを棚にならべることがミッキーに屈しないことになるのか。のちの日記にも説明はない。この大義なき戦いは、店がだんだんと忙しくなっていくにつれ忘れてしまったのだろう……。そこまで考えた私は、日記を火にくべる。小屋に燃え移るのを確認すると、もうほとんどひとがいなくなった惑星からそっと脱出した。


 ちょうどハロウィンが終わってクリスマスがはじまるあいだなら空いているはず、とディズニーランドの年間パスポートを所有する友人から聞いた私は、去年の十一月某日、舞浜駅に降り立った。ひとの流れに乗って右折し、遊歩道を進む。この道を知らないのは、修学旅行できた二十年まえの来園がバスだったからだとすぐに気づいた。バスターミナルを越えたあたりで、遠くに朝日に照らされた宮殿のようなホテルが見えた。巨大な書き割りの壁におおわれていて、地元にやたらとあった西洋の古城風のラブホテルを思い出す。そして以前、フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのまわりに群生する、夢の国を劣化コピーしたようなモーテルが舞台のハリウッド映画を見たことがあったが、まさかこの部分ぶぶんが書き割りの窓になっている建屋も、そういう模倣されたホテルの一種なのだろうかとながめながら近づいていくと、かの有名なオフィシャルホテルであることがわかった。たしか映画では、月日が経って廃れスラム化した街で、主人公の母親が盗品や体を売って糊口(ここう)をしのいでいた。
 道なりに進んでいき、エントランスを拍子ぬけするほどすんなりとくぐる。だがワールドバザールというガレリア空間にでると、そこから先、シンデレラ城にいたる道程すべてに人頭がひしめいていた。季節はおなじころだったが、高校二年の来園時は夜だったせいか印象がまったく異なり、ひといきれのなかで一瞬ここがどこだかわからなくなる。なにもかもが思っていたより小さかった。なぜかじぶんだけがまちがった目的をもっているような、やましい気持ちにとらわれた。ひとまず地図を手にいれようと探したが、やっと見つけたラックに残っていたのは簡体字で書かれた物だけであった。そのちかくにあったベンチでは、ブロンズでできた長身の男がミニーと手をとりあって座っていて、人間の狂気について研究したフランスの哲学者にどことなく似ているのだが、スキンヘッドだと思いこんでいた彼をまじまじと見ているとオールバックであることがわかる。いったいこの男はだれなのか。ミニーのとなりに腰をおろし地図をひろげたとき、突然、大音量でエレクトロニック・ダンス・ミュージックがかかった。四つ打ちにあわせて、ガレリアの交差点にそびえたモニュメントが輝きはじめ、みないっせいにスマホをかざす。軸のまわりを螺旋状にリボンがからみ、さらにそこにミッキーやドナルドがへばりつく極彩色の塔。まわりをかこむひとびとのなかにユニフォームみたいな同じコスプレをした集団がいくつもあって、私は目がはなせなくなる。黒い服を全身にまといミッキーの耳をつけた男たちの一団もいる。おそろいの学ランがいやでいやでしかたなかった私たちとは隔世の感があった。
 二十年まえ、飲酒のかどで園内に一時間ほどしか滞在させてもらえなかったような人間にとやかくいう権利はないだろうが、なにかまちがった場所にいる感じがした。と同時に、この少しだけずれた可能世界にほっぽりだされたような感覚を私は知っている、と思う。眼前の光景はつい先月、モニターのむこうがわに広がっていたハロウィンのかまびすしさと通じあっていたのだ。でも、その順序は逆であることにすぐに気づく。ハロウィンという習俗を日本に根づかせた最大の功労者は、九七年に「ディズニー・ハロウィーン」という大規模なイベントをスタートして啓蒙しつづけてきたディズニーランドなのだから。よってディズニーがハロウィン化したのではない。ハロウィンに染まりゆく社会がディズニー化したのだ。都市はやっと、ディズニー的な自由へと開放されたといえるかもしれない。
 その後、私が園をさまよいゆく先々に二匹の女豹がついてきた。真っ赤な口紅、白い肌、いわくつきのフランス人形のようなカラーコンタクト、豹柄の全身タイツにミニーの耳をつけている。生まれてはじめてディズニーランドをおとずれた小学校のときの記憶をたよりに、ファンタジーランド地区のイッツ・ア・スモールワールドというアトラクションにならんでいると「めっちゃ花が、(ばたけ)ってるやん」と騒ぎながら、生垣を背に自撮りをしている彼女たちにでくわした。ふだんは大阪の会社で働く同僚らしいが、女豹は終始、シャッターボタンを押す手をゆるめない。マークトウェイン号という蒸気船にもいた。熊の一族郎党が歌う劇場にもあらわれた。そして夕刻のパレードでは、はげしいダンスミュージックにあわせて踊りながら、たがいを撮りあう二匹を見た。

「ディズニーランドとは、《実在する》国、《実在する》アメリカすべてが、ディズニーランドなんだということを隠すために、そこにあるのだ(それはまさに平凡で言いふるされたことだが、社会体こそ束縛だ、ということを隠すために監獄がある、と言うのと少々似ている)。ディズニーランドは、それ以外の場こそすべて実在だと思わせるために空想として設置された」(ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』竹原あき子訳、法政大学出版局)

 一九七八年、まだ日本にディズニーランドの影もかたちもなかったころ、ボードリヤールという哲学者がポンピドゥー・センターの機関誌に「シミュラークルの先行」という文章を寄稿した。そのなかに上記の一節がでてくる。ぎりぎりまで噛み砕いていえば、社会が現実で、ディズニーランドはつくりもの、という構図自体がまちがいで、社会はすでにディズニーランドがそう思われているような虚構となっていて、当のディズニーランドはその事実をかくすためにこそ存在しているのだという、おどろくほどへんな仮説なのだが、この四十年ちかくまえの奇妙な見立てが、その後の、すくなくともディズニーランドを分析したあらゆる言説をつなぎとめてきたように思う。さらに、オリジナルという実態を失ったまま、その複製たちのちょっとしたちがいだけを私たちは追いもとめ消費しつづけている、といった彼のシミュラークル論ともなれば、私が弄してきた雑貨論をふくめ消費文化を語る際の大きな雛形となっている。私も大学の教養科目で習ったせいか、この人文科学の世界においてノスタルジックともいうべき認識の檻からなかなかそとにでられない。でもいま、すっかり暗くなった園のなかを、そんなものはないとボードリヤールがいった現実へむけて歩きながら、必死に、もっとべつの言葉をさがしていた。出口をでて暗い遊歩道がはじまると、靴底と地面の接しかたが急によそよそしくなった。行きに見上げた書き割りのホテルは夜気のなかで光につつまれ、ほんとうの宮殿のように絢爛(けんらん)としてそびえていた。


 日常がまたはじまり冬がやってきた。夢の余韻をかかえたまま、書店にたちよれば、どれほど世のトレンドが移り変わろうとも成長をつづけるディズニーランドを、哲学でも経営学でもない言葉でつづった本はないものかと棚をながめるようになった。ところが、いまさら国民的な楽園を批評することじたいがやぼなのか、そんな本はなかなか見つからず、年の暮れの忙しさにかまけているうちに徐々になにかを知りたいという熱意もさめていった。新井克弥『ディズニーランドの社会学』(青弓社)との出会いは街の本屋ではなく、アマゾンのビッグデータによって突如もたらされた。かたっぱしから「ディズニーランド」と検索していた過去の私の足あとから演算され、目のまえにさしだされた商品の副題には「脱ディズニー化するTDR」とあり、まさに大きな力によって導かれるまま黄色い「カートに入れる」ボタンを押したのだった。ともかく、ちょうど年をまたぎながら読んだ同書は、今世紀にはいってからの東京ディズニーリゾートがウォルト主義をつらぬく本国のそれといかに乖離してきているかを、ことこまかく分析した労作であった。歌舞伎、宝塚、各種アイドルのファンなどにも共通した、物語の全体より、その細部の設定を愛でるような、わが国らしい消費がランドの変化をうながしてきたのだと書く。著者がそれを「微分的消費」と名づけているのを見て、雑貨化とはまさに、ひとびとのあらゆる物への関心が大きな全体より小さな部分へと移っていく過程でもあるのだと思い当たった。
 しかし私がもっとも得心がいったのは、テーマパークの王たるディズニーランドの本質を「一定環境を統一テーマに基づいて構成し、膨大な情報を統辞的かつ範列的に配置させ、さらにそれらを入れ子構造にして、客にイリンクスを発生させるレジャー施設」と定義した部分である。イリンクスとは社会学者、ロジェ・カイヨワが「遊び」を四つにわけたときの一分類で、ジェットコースターなどに乗って目眩(めまい)におそわれたときのような忘我の状態をさす。ただランドは絶叫マシンなどではなく、破綻のない細やかな設定の物語が網の目のようにすべてを覆い、どうやっても抜けでられない圧倒的な情報の海のなかでひとびとをおぼれさせ、我を忘れる手助けをしてくれている。彼らのいう終わらない夢とは、我を忘れつづけることなのだ。
 私はこれを読んでいて、ある同業の男を思い出した。彼がのちのち雑貨界で成功をおさめることなどだれも知りえなかった十年以上まえ、ときおり私の店に「商売のやりかた教えてくださいよ」などと顔をのぞかせては、実のないおしゃべりをしていた時期があった。私と男は創業した年がちかく、それなりに親しかったのだが、あるときぽろっと「ぼくは雑貨界のディズニーランドになりたい」と口走ったときは唖然として、どんな顔をすればいいのかわからなかった。「なんですか、それ」と笑ってうけながしながらも、週末になると神奈川の海でゴミ拾いのボランティアにいそしむような彼は、きっと純粋にランドをまねたホスピタリティでもって、笑顔と夢にあふれた店づくりを目指したいのだろうと理解した。就職もろくにできず、社会からこぼれ落ちかけた人間がしかたなくはじめた店とはちがって、男はひとを幸せにするという雲をつかむような理想をかかげて雑貨屋をはじめたのだ、と。その後、彼は関西に移住し、銀行からの出資でもあったのか大勢のスタッフにかこまれ多店舗経営にいそしんでいるらしいと聞いたとき、私に足りないものがなんなのかをつきつけられた思いがした。
 しかし二十年ぶりに園をおとずれ帰還したいま、雑貨界のディズニーランドになりたいという男の宣言は、まったくちがう響きを奏ではじめていた。ホームページをひらくと、近年の彼は店の運営はほどほどに、斬新な雑貨イベントをつぎつぎと手がける気鋭のしかけ人として活躍しているようだった。工芸、骨董、アクセサリー、菓子、文具など、まさに雑貨界の手中におちた、ありとあらゆる領域のフェスを企画しているが、どれもほぼおなじやり方でつくられていた。つまりできるだけ大きな屋内施設をおさえ、そこにブースをならべられるだけならべる。それぞれのジャンルごとに、名の売れた作家があれこれ載ったリストでもあるのだろうか、有名どころに、有名だからという理由でもって声をかけたような豪華なラインナップ。人気の作り手を何十人とそろえたあとは、もう玉石混交で、とにかく百人ちかくまで出店者を集めて、しあげにライブやワークショップといった賑やかしをたくさん用意することでイリンクスの精度を高めていく。SNSなどで作家たちがそれぞれどれくらいの顧客をもっているのかを加算していくと、集客人数がまえもって予測できるようなリスクマネジメントでもあり、まるで毛沢東の好んだ人海戦術のような、その野蛮なまでの数の論理はひとびとを惹きつけてはなさないみたいだった。もちろんディズニーランドの芸術的ともいえる、幻想と消費のつじつまがぴたりとあった世界はまねられていないが、錯乱するほどの情報量のなかで、ひとびとにイリンクスをあたえる空間をどうつくるかという点においては遠く手をとりあっているだろう。だから、彼がそういう試みのことを「雑貨界のディズニーランド」と呼んでいたのだとしても、なんら不思議はないのだった。

 午後五時。空は雲におおわれたままだった。体の芯まで冷えきった私たちは、獅子舞のように頭から学ランをかぶり、顔だけだした姿で鼠男だのジャミラだのといって走り回っていると、「へんな格好やめろ、こら」とどなり声が聞こえた。生徒のあいだでハリーと呼ばれ、もっとも恐れられていた体育教師が腰に手をあてて立っていた。「おまえらか、夜に酒飲んどった阿呆どもは」。顎の割れたハリーはあきれはてたようすでため息をつき、煉瓦づくりの公園をでて団体入口のまえで待つよう指示をした。もう家帰りたいわ、といいながら、コンクリートにおおわれた殺風景な場所に連れだされ、まだ王国に足を踏みいれられないことに一同落胆した。日がかたむいてきてもなお、どんどんとひとがランド入口へ消えていく。みな楽しそうだった。ハリーもじきにいなくなった。ときおり数の足りない七人の小人たちや、だれも知らない端役の獣たちが低木の茂みの先にいて、顔の角度によってはわれわれに微笑みかけているように映った。いつのまにか地面が青く染まり、街灯がやわらかな光を投げかける。もうバスは見えない。まるで夢と現実のはざまのような広場で生ぬるい風にふかれながら、ふと、先生たちは遊びに没頭して、こんなできそこないの生徒たちのことをすっかり忘れたのかもしれないと思った。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

三品輝起

みしな・てるおき 1979年京都府生まれ。愛媛県にて育つ。2005年より東京の西荻窪で雑貨店「FALL」を経営。著書に『すべての雑貨』(夏葉社)がある。
Photo © 本多康司

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