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デモクラシーと芸術

2019年10月30日 デモクラシーと芸術

第10回 マーラーが追求した「1000人超の大音響」

著者: 猪木武徳

※文中の曲名をクリックすると、曲の一部を試聴できます。
※ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)非会員の方は冒頭30秒ですが、会員の方は、全曲を試聴できます。

体制(regime)と芸術における「規模」

 経済社会における生産活動や消費者の行動、あるいは市場交換の機能の仕方を考える場合、規模(大きさ)という要素を無視することはできない。生産や市場取引を組織化するにあたって、企業規模、市場の大きさは重要なファクターとなる。
 演奏芸術の場合、例えば数百人のアーティストたちの協力によって上演されるような大曲の場合、どのようにして優れた演奏者を集め、リハーサルを重ね、コンサートとして実現させるのか。大規模の作品を頻繁に演奏することには、人件費だけでなく、会場の費用を含めた莫大なコストが必要なはずだ。会場の規模や入場料の設定の問題もあろう。超大作の演奏会はどのような条件が整えば可能なのか(この点に関しては別途検討したい)。
 政治の世界でも同じ問題がある。人口の比較的少ない社会、あるいは小さな集団でデモクラシーを運営する場合と、人口の多い巨大な国をデモクラシーで統治するのとでは、直面する問題や困難の性質は異なってくる。アメリカ合衆国が独立国家として誕生する直前に激しく論争された国制をめぐる問題(連邦派と反連邦派の対立)も、古代アテネの民主制やローマの共和制を、アメリカのような広大な国家でそのまま実施することの困難を、いかに克服するかがひとつの争点となった。「直接民主制」が大きな国家で健全に機能しないとすれば、どのように代議制をデザインすればよいのか。ここでも費用と便益の問題が生まれてくる。これは現代のデモクラシーにとっても最重要課題のひとつなのである。
 音楽芸術の分野では、規模の問題は、同じ製品をいかに効率よく沢山生産するかという点にではなく、製品そのもの(芸術作品)の本質や特性の問題としてあらわれる。イメージする音楽はどのような楽器編成で演奏されるのが望ましいのか。演奏にダイナミックスを持ち込むため、あるいは望ましい音色を出すには、どの管楽器をどれほどの数必要とするのかに、作曲家は考えをめぐらすはずだ。

オーケストラ(ロンドン交響楽団)

 絵画でも同様な問題は存在する。ある風景や人物を描く場合、キャンバスの大きさや縦横の比率はどれほどが適当なのか。具象画でなくても、何かを表現するには、適切なサイズというものがある。サイズや規模は一定の効果をもち、聴く者、観る者の受け止め方を強く規定する。
 ハイドンの小編成の交響曲を演奏するオーケストラは、その約100年後に作曲されたマーラーの交響曲のために演奏されるオーケストラとは大きく異なる。こうしたオーケストラの規模と編成の変化を、社会集団や組織における統治の問題と重ね合わせながら考えてみたい。音楽の演奏の世界にも、経済や政治の世界と類比的に、規模と秩序、個と全体の調和、あるいはリーダーシップの問題が反映されている。こうした問題を交響曲の歴史から読み取ってみたい。

ジャンルや形式の分類は難しい

 交響曲はオーケストラのためのソナタだと言われる。ではそのソナタとは何なのか。音楽用語はときに定義があいまいなものがある。作品がまず先にあり、それを一定の基準で分類し名前を付けて行くわけであるから、どうしても例外や変種(variety)あるいは亜種(subspecies)が生まれる。加えて、芸術における創造は、伝統的な形式を多少とも「破る」ことによって生まれるから、近代音楽の長い歴史を通して妥当するような分類が難しいのは当然であろう。
 器楽曲のジャンルとしての「ソナタ」、あるいは楽曲の形式(form)としての「ソナタ形式」とは何かと問われても、水も漏らさぬ定義を与えることは難しい。モーツァルトのやさしいピアノ・ソナタ(K.545)を例として、第1章の「ソナタ形式」はどのような構造なのか、あるいは楽曲としての「ソナタ」がどのような複数の楽章から成り立っているのかを説明されたことがある人もいるだろう。しかしひとりの発明者が生み出した形式ではなく、徐々に発展してきたわけであるから、歴史的変化を論ずるだけで、優に一巻の書物となる(C・ローゼン『ソナタ諸形式』)。次の二つのパラグラフで、どうしても教室口調になるが、簡単な用語解説を加えておこう。
 ウィーン古典派のハイドンやモーツァルトの「ソナタ形式」は、概略次のような構成になっている。まず提示部(A)では二つの主題が示される。第1主題はドラマティックで、第2主題はリリックなメロディーが多い。第1主題が長調であれば、第2主題は属調、短調の場合は平行調になる。続く展開部(B)では、一般に主題をダイナミックに変形させて転調を重ねつつ緊張感を高め、再現部(A')で二つの主題が再び現れ(第2主題は第1主題と同じ主調になり調性の解決を見て)緊張を緩和した形で、終結部(コーダ)で締めくくられる。
 この(序奏)・A・B・A'・(終結部)という形を基本とする「ソナタ形式」は、さまざまな変種を見せる。一般に「ソナタ」と称される楽曲は、第1楽章がこの「ソナタ形式」で書かれ、アレグロなどの速さで演奏され、続いてゆっくりとしたテンポの楽章、そして舞曲(メヌエット、あるいはベートーヴェンではスケルツォ)、最後の楽章は速いテンポのロンド形式などで締めくくられることになっていた。
 鍵盤楽器用に書かれた「ソナタ」でも、ホロヴィッツ(そしてわたしの好きなクララ・ハスキル)の演奏で知られるD・スカルラッティ(1685~1757)のソナタ(550曲あまり作曲している)は、二つのテーマを組み合わせた二部形式の単一楽章の小品である。このスカルラッティのソナタと、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、例えば最後の32番(c minor Op.111)とに、形式上の共通性はどの程度なのか。「ソナタ形式」という点に限っても、共通要素を取り出すことは難しい。その最大の理由は、「ソナタ」と一言で言っても、そもそも歴史的にいくつかの発生源(出自)があり、時代とともにかなり変化を遂げてきたからだ。

ドメニコ・スカルラッティ

 戦前の日本では、ピアノ・ソナタは「洋琴奏鳴曲」と訳されていた。洋琴はピアノのこと(バイオリンは提琴)だ。ソナタの日本語訳、「奏鳴曲」がいみじくも示すように、元来ソナタはsound-pieceという程度の意味であった。17-18世紀によく演奏された声楽曲「カンタータ」が、アリアとレシタティーヴォが交互に「歌う」形式の曲を指したのに対し、「ソナタ」は楽器のみで「奏する」器楽曲を指す言葉として用いられた。バッハやヘンデルもソナタと題する器楽曲をいろいろ書いているが、その形式に完全な一致が見られるわけではない。包括的な説明は楽典や音楽史のテキストに譲りたい。

小編成オーケストラ— ハイドンのミニマリズム

 では、オーケストラによって演奏されるソナタ、ともいうべき交響曲はどのようにして生まれたのか。ハイドンが、交響曲のある種の理想形を目指しつつ、試行錯誤を重ねながら作曲していたのは弦楽四重奏曲であった。器楽曲としてのソナタが一定の完成形に到達したのはハイドンやモーツァルトの「ウィーン古典派」の時代だ。教会で活躍した「人の声」はオペラという形で劇場へと移動し、演奏会の舞台では器楽曲が優位を占め、ピアノとバイオリンだけでなく、合奏曲としての三重奏、四重奏、五重奏、序曲、交響曲、と「ソナタ」が全盛の時代に入るのである。
 ハイドンは1760年前後から1790年代末までの40年間に、108もの交響曲を作曲している。これらの作品中、弦楽5部に加えて使用された管楽器は、はじめの頃はほとんど、オーボエ2本、ホルン2本であった。やがてバズーン2本、トランペット2本が加わり、「交響曲」第70番以降はフルートが必ず入るまでに膨らむ。基本は、2管編成と弦楽5部という小さなオーケストラのソナタとして演奏された。そして、歌う「カンタータ」ではなく、楽器が鳴り響くのが「ソナタ」であるから人間の声は入っていなかった。この編成の拡張から見ると、ハイドンの交響曲は、弦楽四重奏曲を宮廷や家庭から、公開の大きなコンサート・ホールへと解き放つ音楽であったと見ることもできる。人々は聖堂の外で、ハイドンの交響曲を聴いて、その純朴さと温かさ、深みのある透明感に心を洗われるような気持ちで自己の「信仰」を再確認していたのかもしれない。
 ハイドンの交響曲はほとんどすべて、「急・緩・舞曲(メヌエット)・急」という4楽章の構成をとり、弦楽合奏に多彩な表現力を持つ管楽器を加えたため、弦楽四重奏曲より多くの楽器と演奏者を必要とする音楽となった。特に「ザーロモン交響曲」と呼ばれる93番から104番の後期の作品は、ハイドンが1794年から95年にかけてロンドンでドイツ人バイオリニストであり、音楽興行師でもあったJ・P・ザーロモン(1745~1815)の求めに応じて作曲し初演されたものである。甘美に過ぎず、大袈裟でもなく、堂々とした作品だ。理路整然としていながらも、いくつかの仕掛けや機智を忍び込ませた独創的な傑作がそろっている。

ヨハン・ペーター・ザーロモン

 わたしの個人的な思い出だが、ブルーノ・ワルター(1876~1962)が1954年秋にニューヨーク・フィルと演奏した『96番』(「奇跡」)をLP版で聴いたのが印象に残っている。悠揚迫らぬ自然な流れ、真率さ、そしてメヌエットにおけるオーボエとトランペットの響きは、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲の編成では表現できない色彩豊かな世界だった。
 ちなみにこの「奇跡」という副題はハイドンが付けたものではない。この作品がロンドンで初演されたとき、演奏が終了した直後に会場の天井のシャンデリアが落下するという事故が起きた。確かに音波の衝撃は予想以上に大きいことがある。旧約聖書の「ヨシュア記」(第6章)にも、イスラエルがヨルダンの谷のエリコの町を攻略したとき、祭司たちの角笛(ラッパ)の音と人々の鬨の声がなりひびくと城壁が崩れ落ちたという記述がある。ロンドンの演奏会場では、エリコの町のような大混乱は起こらなかったため、『交響曲』96番に「奇跡」という名が付けられたと伝えられてきた。演奏が終了した直後に、聴衆が、感激して舞台周辺に集まっていたため難を逃れたからだ(もっとも、近年は、このシャンデリア落下事故は1795年2月の『102番』の初演の際の出来事だと言われている)。
 いつのことであれ、この作品が「奇跡」と呼ばれるにふさわしい傑作であることに変わりはない。この作品を聴くと、曲の内部に秘められた美しさを、ワルターが憧れの「美」のイデアを聴く者に示してくれているように感じる。最小限の数の木管、金管、打楽器、弦楽5部の小編成で生み出すハイドンの「ミニマリズム」の技は見事というより他はない。
 ハイドンの膨大な数の交響曲は、その後、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ベルリオーズ、リスト、ブラームス、ブルックナーを経て、大編成のオーケストラがソロと合唱の人声と共演するG・マーラー(1860~1911)の巨大な規模の交響曲へと膨張を遂げていく。同じジャンルの音楽とはみなしがたいような作品へと「進化」して行くのだ。ハイドン死して約100年後に作曲され、楽器の編成と演奏者の数、合唱やソリスト、総計1000人を要するマーラーの『交響曲』第8番を、ハイドンが聴いたらどう反応するであろうか。

マーラー『交響曲』第8番(「千人」)のスペクタクル

 筆者自身、ながく、マーラーの8番を内外のコンサート・ホールで聴くことはなかった。が、ついにその機会はやってきた。2017年3月25日、京都市交響楽団の定期演奏会で、広上淳一氏の指揮で演奏されたときのことだ。昔の職場の同僚が第一コーラスのバスで出演したのがきっかけとなった。熱心に努力をすれば、もっと早くそのチャンスは訪れたはずだが、その機会をつかもうとはしていなかったのだろう。

グスタフ・マーラー

 この作品は、音楽芸術における「規模」の問題を考えるためのヒントを与えてくれる。マーラー本人は、この音楽は、「大宇宙が響き始める様子」であり、自分のこれまでの作品は、この「8番」への「序曲」に過ぎなかったと語っている。筆者は、マーラーのいくつかの交響曲の緩徐楽章や歌曲(例えば、『リュッケルトによる5つの歌曲』の第3番「私はこの世に捨てられて」など)には心に沁みるものを感じてきた。しかし「8番」に対するマーラー自身のコメントには、何か過剰なものを感じてしまう。ハイドンの「ミニマリズム」の対極にあるような、過剰さと建付けの不統一感が気になるのだ。
 スペクタクルとも呼ぶべき「8番」は二部構成になっている。楽器編成は弦だけでも第1、第2バイオリンそれぞれ25、ヴィオラ20、チェロ20、コントラバス18で、すでに100名を超えている。(詳細は省くが)木管・金管を合わせると約170名。独唱者8名、合唱は児童合唱団を含めて850名。初演時の出演者は総計1000名を優に超えている。演奏時間は約90分。
 内容(楽曲構成)がまた複雑で、とにかく盛りだくさんだ。第一部はソナタ形式。二つの主題は主音からの4度の下降や7度のジャンプなどを含む不安定なものだ。展開部には重たいフーガが含まれる。テキストの中世の賛歌「来たれ、創造主なる聖霊よ」はラテン語である。第二部ではゲーテ『ファウスト 第二部』の最終場面(Schluss-Szene)がドイツ語で歌われる(筆者が聴いたコンサートでは、「マリア崇敬の博士」を歌うドイツ人テノールが体調不良で来日できず、急遽日本人歌手が代役を務めた。いくつかの重要なソロを歌うこの大役の代役を務めた日本人歌手の力量にも驚いた)。
 終結部(コーダ)で、悔悛して心穏やかなすべての者に、「乙女よ、母よ、女王よ、女神よ、ずっと慈悲深くいらして下さい」と祈った後、「すべて移ろいゆくものはあくまで比喩のようなものに過ぎない。(中略)永遠に女性的なるものが、私たちを高みへと引き上げるのだ(das Ewig-Weibliche zieht uns hinan)」(三ヶ尻正訳)と『ファウスト 第二部』最後の「神秘の合唱」で締めくくられる。
 この時点で、聴く者すべて、音楽が信仰へと収斂した「信・望・愛」の世界へと吸い込まれてしまう。音楽を聴きに来たものが、信仰の神秘的世界へと投げ込まれるのだ。その力は、この恐ろしいほど大掛かりな楽器編成のなせる技なのだろう。聴く者は音楽に酔いつつ、「生」への強い肯定を図らずも受け入れるのだ。
 規模からいって、この大曲に匹敵する作品と言えば、同時代のA・シェーンベルク(1874~1951)の『グレの歌』であろうか。しかしこのシェーンベルクの大作を演奏するには、マーラー『交響曲』第8番以上の演奏者を動員しなければならない。スコア(総楽譜)はときに53段必要だというから、聴く者は(指揮者も?)、もはやすべての音を聴き分けることは不可能に近い。

アルノルト・シェーンベルク ©Florence Homolka

 こうした巨大なスケールの音楽は、いずれも第1次世界大戦直前のヨーロッパに現れた。そしてオーケストラの「規模」の最大値を記録した後、今度は規模縮小へと方向転換を遂げる。いわば、第1次世界大戦直前のヨーロッパ社会における人間精神の痛々しい「爆発」でもあるかのようだ。シェーンベルクも『グレの歌』の後、小振りの「室内交響曲」の作曲へと向かう。パウル・ベッカーは名著『オーケストラの音楽史  大作曲家が追い求めた理想の音楽』(松村哲哉訳)で、シェーンベルクがこうしたオーケストラの巨大化に批判的反省を加え、

「手始めによけいだと思われる声部、すなわち、音と音の隙間を埋めてハーモニーをかたちづくり、デュナーミクと音色の変化をもたらすためだけに存在している声部を取り除いた。冷徹な知性を駆使して音の「洗濯」と「掃除」を繰り返すうちに、オーケストラのサイズはどんどん小さくなり、新しいタイプの室内楽が姿を現した。」(邦訳 254頁)

としている。
 もちろん大交響曲の大音響は、第1次世界大戦前に突如現れたわけではない。ベッカーも指摘するように、H・ベルリオーズ(1803~1869)が思い描いている理想のオーケストラは、「500人ほどの奏者に400人ほどの歌手が合唱団として加わり、総勢900人にものぼるものだった」(邦訳126~127頁)。実際、ベルリオーズの『レクイエム』は、メイン・オーケストラと4つのバンダ(金管別動隊、計38人)を東西南北に配意し、ティンパニも8対(計10人)を必要とした。メイン・オーケストラはマーラーの「8番」での楽器編成とほぼ同じ規模であった。
 マーラーの音楽は、交響曲の理想的な姿を追い求めたロマン派から後期ロマン派までの滔々たる音楽芸術の流れが辿り着いた先であり、それを演奏するオーケストラの可能性を探り尽した最終的「飽和」の姿を示しているかのようである。その後、J・シベリウス(1865~1957)、S・プロコフィエフ(1891~1953)、D・ショスタコーヴィッチ(1906~1975)など、交響曲のジャンルで傑作を残した作曲家はいる。しかし、規模の拡大、楽器編成の革新において、新たな「進化」が生み出されることは――良きにつけ悪しきにつけ――なかったのではなかろうか。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

猪木武徳

いのきたけのり 1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』『自由と秩序』『戦後世界経済史』『経済学に何ができるか』『自由の思想史』など。

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