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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

人間には「嘴」と「牙」がある

 言葉は変化するものである。

 現代中国語の“嘴巴”は「口」の意味。「嘴(くちばし)」が口の意味に転じている。「歯」は現代中国語では“”。「牙」の字は本来前歯で、「歯」の字は臼歯を表していたが、今では歯を全体的に“”という。

 同様に、 “闻”は「聞く」ではなく「におう」、“”は「歩く」になっている(「走る」は“”と言う)。 “”は「喫」の字の簡体字だが、「食べる」の意味である。「飲む」は「飲」ではなく“”。つまり、中国では喫茶とは言わずに茶と言う。また、“”は「うつす」ではなく「書く」の意味になっている。

 このように、日本語で知っている漢字の意味とずれているのは、中国語を学べばすぐに気がつくものであろう。これらは、日本語の方が本来の用法で、中国語が時代と共に変化したために、ずれが生じていることが多い。

 だが、このようなずれは現代中国語になって突然生まれたわけではない。“闻”に「におう」の意味が生じるのは唐代のころ、“”に「書く」の意味が生じるのは唐代以降、“”が「飲む」にとってかわるのはおそらく明代以降ということだ。

 実は千数百年から五百年ほどは使われていることになる。ぜんぜん新しくはない。中国語の書き言葉は、二千年以上前の時代の用法を規範とする傾向があるために、千年前に生じた変化であっても、「新しい」ものであるかのように扱われているのだ。

一音節から二音節へ

 さて、古典と比べると、現代中国語は二音節の単語が多くなっていることに気がつくだろう。例えば、次のような例はどうか。

 知道(知る)、名字(名前)、凉快(涼しい)

「知る」の意味は“”だけで表せるが、現代中国語では“知道”になっている。この場合の“道”は、どういう位置づけなのかよくわからない。“”には「言う、述べる、~と思う」の意味があるが、「知る」とはうまく組み合わない。単なる接尾辞である。

 “名字”も、日本語では「みょうじ」であるが、現代中国語では単に「名前」の意味である。あえて言えば「名の字」で、「名」が「字」を修飾している構造のようにも見えるが、実質的に一文字目の「名」だけが意味を担っており、「字」は単に添えられているだけだ。“凉快”も、文字の構成からすれば「涼しくて快適」の意味になりそうだが、「涼しい」のみを表す。二文字目は意味がない。

 これらは、単語を二音節にするために、特に意味のない二つ目の文字が追加されているのである。

 名詞の場合はさらに、意味のない“”をつけている語もある。

  桌子(テーブル)、(帽子)、椅子(椅子)

 “”はこの字だけで「テーブル」の意味を表せるが、“”をつけて二音節で言うのが現代語である。“帽子”“椅子”も同様で、意味としては一文字目だけで十分であるが、“”をつけているのがわかる。

 また、頭に「老」をつけて二音節にする場合もある。たとえば、鼠のことは“老鼠”と呼ぶ。これも二音節にしているだけで、「年老いた鼠」ではない。

 現代中国語は二文字になると安定性が高くなる。一文字だとさすがに同音異義語が多くなりすぎるから、二文字にするのだ。三文字だとやや長く、四文字だと長すぎる感じになる。

 では、二文字からなる語の語構成を見てみよう。下記に挙げる単語は、そのまま日本語の熟語になっているものも多い。普段わたしたちが何気なく使っている熟語の成り立ちを改めて考えるきっかけにもなるはずだ。

(1)主語+述語からなるもの

地震”(地が震える)、头疼(頭が痛い)

 このパターンでは、二つの字の関係が、主語+述語になっている。「地震」は「地が震える」の意味である。とすると、「地+震」という「単語+単語」なのではないか、という疑問が出てくる。このように、中国語では「単語+単語」の組み合わせなのか、「一つの単語」なのか、よくわからない場合がある。

 もっとも、現代中国語では“地震”は一つの単語と見ていい。“地”と“震”を切り離して、“地非常震(地がとても震える)”のようにいうことはできないからだ(“非常”は「とても」の意味)。切り離せない以上は一つの単語と考えられる。

 では“头疼(頭が痛い)”はどうだろうか。“头(頭)”が主語で+“(痛い)”が述語なのだろうか。それとも、これでひとつの単語なのだろうか。この場合、“地震”の場合とは異なり、副詞をはさんで“头很疼(頭がとても痛い)”のようにも言える。切り離せるということは、「単語+単語」のようだ。

 しかしそう単純にはいかない。やっかいなことに、“很头疼(とても頭痛)”とも言えてしまう。とすると、“头疼”はもはや、これでひとつの単語になっているとも言えるのだ。一方、“肚子疼(おなかが痛い)”は、“肚子很疼”とは言えても“很肚子疼”とは言えない。とするなら、まだ一語にはなっていないことになる。“头疼”は二文字で安定性が高いので、一つの単語になりやすいのに対し、“肚子疼”の場合、三文字の中でも“肚子”の二文字の安定性が高いためであろう。

 では腰痛はどうだろう。中国語では“腰疼”というが、頭痛とは異なり、“很腰疼(とても腰痛)”とは言わないようだ。頭痛に比べると使用頻度が少ないのだろうか? とも思ったが、“不腰疼”と言う表現は使うらしい。理屈から言えば“腰不疼”となるはずだから、中国人の中でも「腰痛」が一つの単語と意識されてはいるのだろう。

 ところで先日、二年ぶり三回目のぎっくり腰に見舞われた。身動きが取れなくなったのだが、いかにもあやしい「腰痛センター」なるところに駆け込んだところ、針を刺され、灸をすえられた。針と灸など信じていなかったのだが、動けるようになった。中国医学、なめてはいけないようだ。

 他の語構成パターンもまとめて見てみよう。

(2)修飾語+被修飾語

 车站(駅)、铅笔(鉛筆)、好吃(おいしい)

 これらは、「修飾語+被修飾語」のパターンになっているものである。中国語では、原則として前から後ろを修飾する。“车站”の“车”は「車」、“”は「駅」なので「車の駅」となるが、広く駅を表す語になっている。“铅笔”は日本語と同じく「鉛の筆」で「鉛筆」の意味となる(じつは鉛筆に鉛は入っていないのだが)。“好吃”は文字だけ見ると、「よく食べる」であるが、「おいしい」の意味になっている。 

(3)似た意味の漢字、もしくは反対の意味の漢字を組み合わせたもの

朋友(友達)、破坏(破壊)、买卖(売買)、高低(高さ)、大小(大きさ)

 このように、中国語では、似たような意味の漢字を二つ並べたり、反対の意味の漢字を二つ並べたりして一つの単語のようになっていることがよくある。“朋友”はどちらも「とも」なので、意味からすればどちらか一文字でも理解できるが、話し言葉としては短すぎて同音異義語が多く発生してしまう。二文字にすれば、使用できる音の組み合わせを爆発的に増やすことができる。

  破坏(破壊)”は「破って壊す」だから、似た意味の単語を並べたもの。 “买卖(売買)”は、売ったり買ったりすること。 “高低”、 “大小”はそれぞれ、「高い、低い」「大きい、小さい」と並べて、「高さ」「大きさ」を表す。

(4)訳すと「動詞+主語」の形になるもの

 立春陨石(隕石)、有名下雨

立春”は「春が立つ」、“陨石”は「石が落ちる」だから、意味的に主語に思える字が二番目に来ていて、動詞が先に来ているパターンである。自然現象などに多く使われる語順だ。なぜこのようなパターンを取るのかについては、改めて別の回で詳しく述べることにする。

(5)動詞+目的語

 读书(本を読む)、结婚(結婚する)、毕业(卒業する)

 中国語は「動詞+目的語」の語順であり、その点は英語などと同じである。中国語の単語を見ると、「動詞+目的語」で一つの単語として扱えるものが多数ある。“读书”は、“读(読)”が動詞で「読む」、“书(書)”が目的語で「本」の意味なので、「本を読む」。これは「動詞+目的語」と、二つの単語の組み合わせでもあるが、「勉強する」の意味でも使う。「勉強する」の意味の場合、二文字で一つの概念を表しているから、一語であろう。

 また、“结婚(結婚する)” “毕业(卒業する)”も、語の構成をみると「婚を結ぶ」「業を卒える」と「動詞+目的語」の形で、この二文字で一つの単語とみなされている。これらの語は、一般に「離合詞」と呼ばれている。いったい「離合詞」とは何なのか。次回お話しすることにしよう。 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


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