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やりなおし世界文学

2019年11月26日 やりなおし世界文学

(12)ハードな旅リヒテンシュタイン行き――ライアル 『深夜プラス1』

著者: 津村記久子 100%ORANGE

 夜のニュース番組のタイトルじゃなかった、と読了した今も思う。完璧なタイトルのようでいて、そこから外して勘違いさせるようなところがあるのがものすごくおしゃれな気もする。それを一九六五年にやっているということにはもう感心するしかない。内容は、ハードボイルドに一切詳しくないわたしが、「こういうのがハードボイルドっていうんやろう!」と保証するわかりやすいハードボイルドだと思う。ジャンルは冒険小説に入るらしい。
 語り手であり主人公のルイス・ケインは、戦争中にレジスタンスの仲間だった弁護士のメルランから、マガンハルトという男をブルターニュからリヒテンシュタインまで送り届ける、という仕事を依頼される。富豪のマガンハルトは殺し屋のような連中に追われている上、レイプ犯の濡れ衣を着せられているため警察にも保護を求められない身であり、ケインが護衛を請け負うことになった。撃ち合いがありそうなため、ケインはボディガードとしてヨーロッパのトップ3の拳銃使いを指名する。上位のベルナールとアランには接触できないとメルランに退けられ、ケインの仕事にはハーヴィー・ラヴェルという三番目の候補である元シークレット・サーヴィスのアメリカ人が同行することになる。ラヴェルはケインよりちょっと若く、なんか繊細そうでやだなと思っていたら、マガンハルトを送り届けるために手配されてきたシトロエンを運んできた男が車の中でいきなり死んでいたり、どうもラヴェルがアル中のようだということが判明したり、もはやマガンハルトに会う前から道中の困難は想像に難くないことなのであった。
 ものすごくおもしろかった。先に言っておくと、レイプを親告罪であるとしてでっち上げ放題のように呼ばわったり、この先この人たちはどうするんだこんなに死んでというぐらい人が死んだりもするのだが、それでもおもしろかった。フランスの沿岸部からリヒテンシュタインへの車の旅、という、ともすれば楽しそうなぐらいの縦糸のプロットに、なぜマガンハルトがリヒテンシュタインで行われるという会議に出なければならないのか、そしてその道中で襲撃を受けるのか、という横糸が交差する。マガンハルトを狙っているのは、他の大株主の死に乗じて株券と会議での発言権を手に入れ、会社の株を売却しようとしているギャレロンという謎のベルギー人らしい。それを阻止するためにどうしても〇時一分の会議に間に合わないといけないのだが、マガンハルトは罪に陥れられているため警察には頼れない、という障壁の設置が絶妙だと思う。
 ただ話がおもしろいというだけではない。わたしはアル中でもボディガードでもない平穏な暮らしをしている人間だけれども、それでも何回も「そうよな」と知った顔でうなずいていた。それほど本書には、仕事をして生きていく上で覚えのある苦しみが反映されている。ラヴェルは人を撃つ職業だからこそ呑まないではやってられず、呑んだらぐだぐだになるのに呑まないと手が震えて撃てないので呑まないといけない。そしてケインの態度は一貫してうんざりしている。ラヴェルの顔付きについてケインは、「かつては苦悩にさいなまれていたのだとしても、いまはもう慣れっこになった顔だ」と評するのだが、それはそのままケイン自身の心持ちにも当てはまるのではないか。
 フランスのレジスタンスの補給係として戦争に関わったイギリス人のケインは、キャントンと呼ばれていたその頃の体験の影から抜けることができず、戦争が終わっても暴力から完全に距離を置くことができないでいる。わたしは戦争に行ったわけでもないが、それでもケインの気持ちがわかるとところどころで思える理由は、おそらくそのうんざりについての記述の的確さによる。夜明け前にブルターニュ半島を出るために車を走らせながら、ケインはその時間を「新たな一日を前に充分な力が湧いてこないのに気づく時間」と表現する。そしてカフェでマール(葡萄の絞り滓のブランデーらしい)を呑んで自分は捕まらないという気分になりながら、同時にそれがせいぜい二時間しか続かないということもわかっている。これまで手を汚してきたにも関わらず、ケインは義を通したいとも思っている。マガンハルトが無実であることにこだわるし、ラヴェルがアル中の拳銃使いという人生を生きていくことについて最後の最後まで問題にしている。ラヴェルがアル中であることと拳銃使いであることが切っても切り離せないことについて、「他人より余計に酒を飲むだけだ」と矮小化して「(人殺しを)やめればいいんだ」と言いつつ、「だけど、あしたまではだめなんだよな――だろ?」と言い返される場面はとても切ない。
 一行はやがて、リヒテンシュタインに入るために自ら罠に向かってゆくという作戦を取る局面を迎える。ケインがその尖兵として、待ちかまえるものを始末しにいく要塞の場面は圧巻と言っていい。敵はかつて戦争で一緒に戦った仲間の一人であり、自分と同等かそれ以上の手練れであることは予めわかっている。「どこで待ちかまえてるんだ」と彼に語りかけるケインの独白には、心をねじり上げるような緊張と悲痛さがみなぎっている。そしてそこにはどこか、読者それぞれが仕事や暮らしの中で経験する緊張と悲痛さと地続きであるような感触がある。それはおそらく、ケインの感じる苦しみと諦めが、読者のそれと通底しているからだろう。
 良い冒険小説は、読者が一切経験したことのない出来事を描いていても、それが日常の困難と遠い延長上でつながっているものとして人生を仮託させる。ストルガツキー兄弟の『ストーカー』も、スティーヴンソンの『宝島』もそうだった(偶然だけれども、この欄で読んだ『宝島』の訳は同じ鈴木恵さんだ)。脆さと強さを同時に持ち合わせたラヴェルを始め、マガンハルトの秘書として一癖ある立ち回りを演じながら、自分の生き方を見つける若いミス・ジャーマン、スイスで暗躍する年老いたフェイ将軍とそのアシスタントのモーガン軍曹のどこか間抜けなやりとりなど、登場人物もとてもおもしろい。
 ラストはただただハードボイルドだ。こういう筋の通し方もあるのかと静かに感嘆した。

深夜プラス1

ライアル/ 鈴木恵  訳 

2016/4/22発売

とにかくうちに帰ります

とにかくうちに帰ります

津村記久子

2019/12/08発売

うちに帰りたい。切ないぐらいに、恋をするように。豪雨による帰宅困難者の心模様を描く表題作ほか、それぞれの瞬間がはらむ悲哀と矜持、小さなぶつかり合いと結びつきを丹念に綴って、働き・悩み・歩き続ける人の共感を呼びさます六篇。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

津村記久子
津村記久子

1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』など。

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100%ORANGE

イラストレーター。及川賢治と竹内繭子の2人組。東京都在住。イラストレーション、絵本、漫画、アニメーションなどを制作している。イラストレーションに「新潮文庫 Yonda?」「よりみちパン!セ」、絵本に『ぶぅさんのブー』『思いつき大百科辞典』『ひとりごと絵本』、漫画に『SUNAO SUNAO』などがある。『よしおくんが ぎゅうにゅうを こぼしてしまった おはなし』で第13回日本絵本賞大賞を受賞。

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