考える人

シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

デモクラシーと芸術

2019年11月27日 デモクラシーと芸術

第11回 「弦楽四重奏曲」と共存の精神

著者: 猪木武徳

※文中の曲名をクリックすると、曲の一部を試聴できます。
※ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)非会員の方は冒頭30秒ですが、会員の方は、全曲を試聴できます。

正しい音があるはずだ!――クレンペラーの対話から

 マーラー『交響曲』第8番は、作曲者自身の指揮によって、1910年9月、ミュンヘン博覧会の開幕行事として初演された。この作品の演奏にどれほど多くの人間が関わったのか。1790年代初頭にロンドンでハイドン晩年の「交響曲」の初演を聴いた音楽愛好家が想像しうるような数ではなかった。総計1000人を超す演奏者と歌い手による初演時は、聴衆は3000名を超えたという。多くのお歴々の音楽家、文学者(ツヴァイク、ホーフマンスタール、トーマス・マンなど)が列席している。
 25歳の指揮者オットー・クレンペラー(1885~1973)は、ハンブルクで『ローエングリン』を振るため8番の初演には臨めなかったが、リハーサルには立ち会っている。クレンペラーが語る、8番へのコメント、マーラーの音楽への評価を簡単に記しておく。

オットー・クレンペラー

 クレンペラーは、ハンブルクの少年時代、すでにマーラーに会っており、彼が指揮者として22歳でデビューできたのもマーラーの推輓によったといわれる。マーラーの音楽へのクレンペラーの歯に衣着せぬコメントは、英国『オブザーバー』紙の音楽担当批評家ピーター・ヘイワースによるインタビュー『クレンペラーとの対話』(以下、『対話』。邦訳も出ているが、ここではPeter Heyworth, Conversations with Klemperer, (revised edition Faber and Faber 1985)を参照)で知ることができる。
 ミュンヘンでの8番の初演リハーサルには、合唱団はまだ加わってはおらず、ソリストとオーケストラだけのものであった。ソリストの選定と音合わせはブルーノ・ワルターが担当した(Bruno Walter, Gustav Mahler)。完全主義者のマーラーはリハーサル途中でも、スコアを書き換え、絶えず不満足な様子だったという。更なる明晰さ、より多くの音、より幅のあるダイナミックス(強弱)を常に要求した。そしてある時には指揮台から、リハーサルを見ている関係者の方を向いて、「わたしが死んだ後、もしどこか音がおかしかったら変えなさい。あなたたちはそうする権利があるだけでなく、義務がある」と言った。
 先人の曲の音符を一つたりとも変えてはならない、「原作への忠実さ(Werktreue)」という姿勢をマーラーは採らなかった。クレンペラーも、基本的には「変えてもいい」という立場であったが、程度問題であることを認めており、ワーグナーがべートーヴェンの『第9』に手を入れたこと(第二楽章スケルツォの第二主題は木管だけであったところにホルンを加えた)は「やり過ぎ」と見ていた。マーラー自身も、C.M.v.ウェーバー(1786~1826)のコミック・オペラ『3人のピント(Die drei Pintos)』を補筆完成し初演しており、ベートーヴェンの交響曲のオーケストレーションにも手を加えている。しかしマーラーがベートーヴェンの『交響曲』第7番(Op.92)に加筆してウィーンで演奏した時に、聴衆が激しく怒るという「事件」もあった。聴衆は、『聖書』に加筆や削除をされたかの如く、自分たちのべートーヴェンへの「瀆聖」だと感じたのだろう。ベートーヴェンという作曲家が、聖なる崇拝の対象となっていることを示すエピソードである。
 マーラーには「正しい音」というものがあった。「正しい音」が「ある」という信念は、絶対信仰のようなものだ。詩人にとって、ある事柄や気持ちを表現する言葉はただひとつしかないのと同様、音にも同じように唯一の適正な音があると考える。マーラーは試行錯誤を重ねながらその音(音程、音量、音色、強弱などを含め)を模索し続けたのだ。
 このようなマーラーの作品をクレンペラーはどう評価していたのだろうか。マーラーの交響曲の中では、「8番」ではなく、「9番」が一番偉大だ(the greatest)と『対話』の中で明言している。聞き手のヘイワースの「マーラーは宗教的であったのか、宗教的であろうと熱望していたのか」という問いに対して、クレンペラーははっきり「極めて宗教的だった(Absolutely religious)」と答えている。
 ユダヤ人家庭に生まれ、ハンブルク時代にはプロテスタントの洗礼を受け、ウィーンの宮廷オペラの総監督になる時にカトリックへと改宗したマーラーの信仰は、ひとつのドグマに拘泥する類のものではなかった。しかし必ず「正しい音」があるという思いは、絶対的存在への確信、その「存在」が自分の音楽の「本質」と一致するはずだという堅い信念から出ていたに違いない。

ウィーン宮廷歌劇場(1898年)

 『交響曲』第8番で、スペクタクルのような巨大なオーケストラと合唱が生み出す音楽を創り出した後、マーラーはわずか1年足らずでこの世を去っている。「8番」は、『大地の歌」と比べても、必ずしもマーラーの最高傑作とはみなされなかったようだ。マーラーに私淑したワルターも、「8番」が寺院のような構造(temple-like structure)を持つ熱情溢れる「生の肯定」の大曲であることを認めてはいるが、『大地の歌』や「9番」の方を評価する口ぶりだ。
 音楽にとって「規模」は内容と様式の決定要素のひとつである。しかし「過大さ」や「音符の多さ」は、ときに内容を深めるための阻害要因となる。図らずもそのことを示したマーラーの「8番」は、ひとつの象徴的な「事件」であったと言える。何かを表現するためには「沈黙」も重要な意味を持つ。静かなささやきも強い感情の表出ともなりうる。マーラーはこの点を、数々の美しい歌曲の中ですでに証明しているのだが。

 演奏家集団としてのオーケストラ

 ウィーン古典派の時代から20世紀の初頭までの百年間で、オーケストラの「規模」、楽器の種類と数、演奏者の数が膨れ上がって行った点を、ハイドンとマーラーの交響曲を例に挙げて比較した。
 こうした量的な膨張は、単なる比例的な拡大という形で進行したわけではない。オーケストラ全体の中で、楽器の編成に変化が起こり、消えて行った楽器もあれば、新たな地位を獲得した楽器もあり、それぞれの役割や位置づけにも変化が起こった。この問題は「指揮者」という専門職の登場とも深く関わっている。その点を考えるには、オーケストラの歴史についての知識が必要になる。だが、筆者が聴いてきたオーケストラ作品が、18世紀後半から19世紀の作品がほとんどであるため、全体を手際よく見通すことはできない。さしあたり、いま筆者が重要だと感じる点を二つ挙げるにとどめたい。
 第一は、歌唱から器楽演奏へと演奏の優位性がシフトしたことである。ミサ曲にしろ、カンタータにしろ、教会音楽では器楽演奏は原則として歌唱の伴奏であり、器楽合奏が独立の作品として教会や修道院内の聖堂で演奏されるということはまれであった。あくまで歌が主役であり、器楽は伴奏(従)の地位に甘んじていた。この「主」・「従」の関係が、オーケストラの形成と膨張の過程で逆転して行くのだ。
 「カンタータ」(歌う)と「ソナタ」(奏でる)が、音楽の基本的な二つの表現形態であることについてはすでに触れた。教会や宮廷から音楽が飛び出し、次第に大きなコンサート・ホールでの有料演奏会へと活動の場を移して行く過程で、同時に進行したことは、多声音楽から単声音楽への移行があったが、この移行が完遂したというわけではない。「主役」が交替したというべきだろう。
 ハイドンやモーツァルトの交響曲には歌や合唱は現れないが、ベートーヴェンの『交響曲』第9番ニ短調(Op.125)では、最後の第4楽章で4人のソリスト歌手と合唱が登場する。シューベルト、シューマン、ブラームスなど、ロマン派の作曲家たちは「歌曲(Lieder)」ないし「合唱」という形で、詩と歌を結合させながら声楽の沃野を(教会とは離れたところで)切り拓いて行く。こうした声楽曲は通常ピアノとともに、シューベルト、シューマン、ブラームスの歌曲のように、「伴奏」というより声とピアノのデュオのように演奏された。オーケストラとの協演という形で書かれた作品は多くない。ソナタとしての交響曲が、歌とオーケストラの協演という形に定着するのはマーラーの交響曲であったと見てよい。言い換えれば、19世紀の歌曲は一つの独立した分野としての地位を確立する一方、オーケストラは「ソナタ」としての交響曲を演奏するための、器楽合奏の主役として演奏世界の中心的な位置を占めていたのだ。

「通奏低音」(basso continuo)の役割とその後退

 第二に注目すべき点は、宮廷や教会で演奏される歌唱や器楽合奏における「通奏低音」の果たした役割とその後退である。「通奏低音」は、字義としては、ひとつの楽曲を「通して奏する低音楽器」という意味だが、どの楽器を使用するのかという指定はほとんどの場合なかった。低い音域の楽器であることは確かだが、鍵盤楽器であればチェンバロ、オルガン、和声を奏でることのできるハープやリュート、そして弦楽器のチェロ、コントラバス、管楽器のファゴットなどが加わることがあった。

バロック時代の音楽家たち

 この「通奏低音」が楽曲の構造と演奏上重要な役割を占めるのは、17世紀から18世紀半ばまでのバロック期であった。バロック時代、合奏が大掛かりになるにつれて、次のような理由で、「通奏低音」を担当する演奏者が、和声の知識や即興演奏の技量を発揮するようになってゆく。
 バロック時代の楽譜を見ると、バス・パートは低音の音符だけが1つ記され、(通常)その下に数字が1つから3つぐらい(時に臨時記号と共に)列記されている。通奏低音は、figured bass(数字付き低音)とも呼ばれ、これらの数字がその低音に対する和音を指定している。音符に付された数字・記号の意味を読み取るには一定の熟練が必要になる。低音から何度上に音があるか指定されてはいるが、それをどのオクターブで演奏するのかの自由が与えられている。もちろん和声的に適切でなければならないが、多声音楽であれば、どの音を選ぶか、いかなる装飾音符を施すのかの「自由の余白」があるのだ。したがって「通奏低音」を担当する楽器は和声と対位法に関する力量のある者が担当した。
 このような演奏時の慣習は、バロック音楽の場合、「通奏低音」を担当する楽器(例えばチェンバロ)の奏者が、古典派時代以降の音楽演奏における「指揮者」的な役割を一部担っていたことを示す。実際、ハイドンは、交響曲98番(変ロ長調)の終楽章のコーダにチェンバロのパートを加え、彼がチェンバロに座って指揮をして聴衆を喜ばせたという。現代でも、バロック音楽やバッハを中心に演奏活動をして、多くの録音を残したK・リヒター(1926~1981)、G・レオンハルト(1928~2012)といった指揮者が、優れたオルガニスト、チェンバリストであったことはバロック時代の演奏形態の名残りとも言える。
 先に、クァルテット(弦楽四重奏曲)が、オーケストラのソナタとしての「交響曲」の発展の、ある種「パイロット・スタディー」ともなったと書いた。ハイドンはクァルテットを、2本のバイオリン、ヴィオラ、チェロという形に確定させた重要人物だ。ハイドンの作品履歴が示すように、弦楽四重奏曲における彼の実験の精神が、交響曲を生み出す道をほぼ同時に準備していた点は注目に値する。
 ハイドン以前にも、2本のソロ楽器をチェロなどの低音楽器と鍵盤楽器と共に演奏するという形態(バロック・トリオ・ソナタ)はあった。しかし18世紀に入ってから3番目のソリストが加わり、鍵盤楽器(チェンバロ)を削除し、チェロがベース・ラインを支えるという形の演奏が多くなった。この変化の持つ意味は大きい。
 18世紀の初頭に、A・スカルラッティ(先に言及したドメニコ・スカルラッティの父)は “Sonata a Quattro per due Violini, Violetta, e Violoncello senza Cembalo,”(2本のバイオリン、ヴィオラ、チェロの四重奏のソナタ)と題して6曲の作品セットを書いている。重要なのは、通奏低音楽器としての「チェンバロ無しの(senza Cembalo)」と断っている点だ。ここに、4本の弦楽器が、通奏低音を担当してきたチェンバロのコントロールから独立して奏でる「ソナタ」が生まれたと言える。弦楽四重奏曲の萌芽的な姿である。その最初の形を実験的に示したのはA・スカルラッティであり、それを試行錯誤を重ねて進化させ、深めたのがハイドンであった(The Cambridge Companion to the String QuartetのWyn Jonesの論考)。

アレッサンドロ・スカルラッティ

演奏者の自律性と対等な立場

 「4本の弦楽器によるソナタの合奏が、鍵盤楽器からの独立でもあった」ということは、4つの弦楽器がほとんど対等にひとつのソナタを演奏するということを意味する。楽器だけでなく、同時に演奏者の間の「対等な関係」を示す局面が生まれたのである。
 もちろん合奏において各楽器が完全に平等であることはまれである。有機的な構造を持つ音楽においては、部分は部分としての役割を担当し、それぞれが全体へ奉仕し貢献するわけであるから、「完全な平等」ということはその有機性を壊すことになる。人体の各部位がそれぞれの構造と機能を持ち、ひとつの統一体としての人間の活動を可能にしているのと似たような関係である。
 バロック期の合奏では通奏低音の楽器として用いられていたチェロは、ハイドンやモーツァルトの弦楽四重奏曲おいても、それほど活躍しているという印象はない。チェロが目立つのは、モーツァルトの『弦楽四重奏曲』(プロシア王セット)(K.575K.589K.590)と呼ばれる3曲であろう。このモーツァルト最後の弦楽四重奏曲のセットは、彼がプロシア王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世からの依頼で作曲されたと言われる(明らかな証拠はないが)。特にK.590の第1楽章のチェロの美しさ! チェロが「動き回る」のは、チェロを嗜んだプロシア王へのモーツァルトのサービスではなかったかという説もある。いずれにしろチェロがバイオリンやヴィオラと対等な会話をしているのだ(ちなみに最後の曲(K.590)についてオーディオ・マニアだった剣豪作家・五味康祐が書いた「西方の音」という素晴らしい文章がある)。

プロシア王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世

 もっとも、モーツァルトで、チェロが存在感を示すのはこの「プロシア王」セットに限らない。最晩年の『クラリネット協奏曲』イ長調(K.622)は、基本的にはクラリネットの独壇場と言える。しかし要所要所でチェロ(とコントラバス)が低音で全体を美しく支えているのが聴き取れる。音楽評論家の吉田秀和氏はこのモーツァルト最後の協奏曲を、「なんの企みも全くない音楽、およそ一切の目的意識から解放された音楽」と呼び、「心はたしかに踊っている。しかしそれは、よろこびのためではない」というシェイクスピアの台詞を引用して、この曲の不思議な調和の静謐さを表現している(『私の時間』)。
 クラリネットの音色の奥深さだけでなく、チェロの楽器としての表情の豊かさを晩年のモーツァルトは実感したのだろう。チェロが通奏低音楽器としてのポジションから解き放たれて、弦楽四重奏の中で自律的な役割を果たすようになったのは、モーツァルトの「プロシア王」セットを聴けば明らかだ。
 「通奏低音」のコントロールから離れ、4本の弦楽器がそれぞれ自律性を保ちつつ、対等な立場から「合わせる」という仕事を、最もシンプルに示したのが、「弦楽四重奏曲」というジャンルなのだ。弦楽四重奏が、「器楽の弁証法的な形態」(the dialectical form of instrumental music)と呼ばれるのも、演奏者の間の対話(dialogue)という性格に注目するからである(Stowell)。対話をしようとしない、自己主張の強すぎる演奏者が弦楽四重奏の中に入ると、全体の調和が失われる。その点で器楽合奏は、音楽という芸術の形とその時代的変化を、社会思想的背景から読み取るために重要なヒントを与えてくれる。

自律的な演奏家が「全体に合わせる」

 オーケストラ演奏の全体のテンポは指揮者が選ぶとしても、リズム、フレージング(楽句の区切り方)、音色、ダイナミックスや旋律にどのような表情を付けていくのかを決めなければならない。この仕事に責任をもって当たるのは指揮者である。交響曲という「オーケストラのソナタ」を演奏する場合、指揮者はそれぞれの楽団員が全体に「合わせる」ように仕向け、そのように教育する必要が生まれる。楽団員が、全体のために「合わせる」という気持を持つことはよき演奏にとって不可欠だ。
 独奏楽器の優れた演奏者ばかりを集めて、よい演奏が生まれるわけではない。素晴らしいアンサンブルの演奏家集団(例えば弦楽四重奏団)のメンバーが、ソロ活動で活躍するというケースはあまりない。かつて、コルトー(ピアノ)、チボー(バイオリン)、カザルス(チェロ)のピアノ・トリオが高い評価を受けた時代があった。しかしこうしたケースはまれと言ってもいい。ソロの演奏者としての経験を積んだ「名人」が集まっても、優れた室内楽の演奏が生まれるわけではないのだ。
 「東京クヮルテット」は1969年秋に創設された。メンバーが4、5度交替したと記憶する。どの時期のメンバーの演奏も素晴らしいが、第3期(ピーター・ウンジャン、池田菊衛、磯村和英、原田禎夫)のメンバーが演奏したドボルザーク『弦楽四重奏曲』 第12番 ヘ長調(作品96)は、「もうこれ以上望むものはない」と思いたくなるような演奏だ。それぞれのプレーヤーは、みなソリストとしての演奏を聴きたいような名手であった。しかし、各々の奏者の間の「やり取り」の微妙さ、巧みさ、そして自然な対話の流れは、この弦楽四重奏団が一体感を保ちながら、それでいて各々の演奏者が自己を品よく主張するという自律性に満ちた姿勢を示していたように思う。

2011年の「東京クヮルテット」(左からマーティン・ビーヴァー、池田菊衛、クライヴ・グリーンスミス、磯村和英)

 性格や考えの少し異なった者たちが、さらなる高みと調和を求めて「共存」しようとする精神の結晶の如き演奏であった。音色と音域が異なった楽器が、自分の職分を守りつつ全体としてひとつの芸術美を生み出す。これこそ、リベラル・デモクラシーが理想とするような、秩序と美の形成を可能にする「個と全体」の理想的な関係ではなかろうか。

この記事をシェアする

MAIL MAGAZINE

9

20

(Fri)

今週のメルマガ

初公開! 天童荒太さんの創作の舞台裏(No.785)

  2018.9.20配信 HTMLメールを表示出来ない方は こちら 9月20日更新第2回 徴兵令に […]

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 仕事
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹