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おんなのじかん

2019年12月18日 おんなのじかん

7.家族という名のプレッシャー

著者: 吉川トリコ

 物議を醸しまくったあいちトリエンナーレが、ざわつきを収めるどころか拡大させたまま2019年10月14日をもって終了した。地元で開催されていたこともあり、一部を除いてほぼすべての展示に足を運んだが、性差別をテーマにしたモニカ・メイヤーさんの作品や、生命や生殖をそれぞれテーマにした碓井ゆいさんと青木美紅さんの作品が展示された名古屋市美術館はとりわけ印象に残った。
 十八歳のときに人工授精で産まれたことを母親から告げられた青木さんは、「選択された生」をテーマに制作を続けているのだという。彼女自身はまだ子どもが欲しいかどうかもわからないが、切実な思いで人工授精を選択した両親は、いずれ彼女にも妊娠・出産を望むかもしれない――といったようなことが解説パネルに書かれていた。
 アートに疎い私は、巨大だったり気が遠くなるほどの作業量を思わせたりする作品を観ると、それを形にせずにいられなかった作家の鬼気迫るような欲望や情熱に圧倒されてしまうのだが、青木さんの作品もまさにそういった類のものであった。日本のどこにでもあるような一般家庭の居間をビーズ刺繍で模した空間には、テレビが置かれ、家族団らんのテーブルが置かれ、食パンや食器や人形やもろもろの生活雑貨がぐるりを取り囲んでいた。
 その中に身を置いていると、家族の愛や絆、生命への祝福といった明るい要素だけでなく、血縁の呪いや親から子に与えられるさまざまなプレッシャー、逃れたくてもかんたんには逃れられない家族という共同体の強固さについてまで考えさせられ、息が詰まるようだった。陰と陽、二つの側面がマーブル模様のように混じりあい、まさしく「家族」そのものをあらわしたような作品であった。

 ちょうど一年ほど前、胚盤胞移殖の順番を待っていたときのことだ。
 私の通うクリニックの手術室の前には、うすい壁とカーテンだけで仕切られた部屋が八つほどあり、それぞれ簡易ベッドが置かれている。採卵手術や移殖の際、患者はそこで待機させられるのだが、隣の部屋が急に騒がしくなりはじめた。どうやら患者が過呼吸を起こしてしまったらしい。鮨にしようかピザにしようかそれとも中華にしようかな、とウーバーイーツのアプリを見ながら夕飯の出前のことで頭をいっぱいにしていた私のところにまで、にわかに緊張が伝わってきた。いやいやいやいや過呼吸ってあんた、卵子を解凍しちゃってるんだから今日移殖できなかったらまずいでしょ! 落ち着いて! ねえ落ち着いて!!!(まずおまえが落ち着け!)
 すっかりウーバーイーツどころではなくなり、息をつめて隣の様子をうかがっていると、付き添いで母親がきているようだから待合室から呼んできたほうがいいかもしれない、と話す看護師の声が聞こえてきた。ごくまれに夫が付き添っている患者を見かけることがあるが、母親が付き添っているというパターンはそれがはじめてだった。すぐに私の順番がまわってきたため、その後どうなったのかはわからずじまいだが、その日のうちに無事に移殖できていたらいいんだけど……。
 「大丈夫かな、あんなに弱くて。子どもが生まれたらもっと大変だろうに」
 その夜、夫に話をしながら、もしかしたら子どもさえ生まれれば、彼女があんなふうな状態に陥ることはないのかもしれない、とふと思った。
 前回にも書いたが、移殖手術自体は採卵に比べたらさほど大変なものではない。個人差はあるだろうけど痛みはほとんどないし、麻酔の必要もない。終わったら一人で歩いて帰れるようなごくかんたんな手術である。採卵前は卵子が採れるか不安だし、痛みへの恐怖で憂鬱にもなるが、移殖前は余裕ぶっかましてウーバーイーツをガン見できるぐらいの精神状態ではある――ってこれはあくまで私個人の感覚であって、手術に臨む心境は人それぞれだとは思う。決死の覚悟の人もいるだろうし、多額の借金を抱えてでもという人もいるだろう。私のように楽観的でがさつな人間もいれば、小さなことにもくよくよ悩んでしまうタイプの人だっているだろう。
 それでもやっぱりどうしても、母親に付き添ってもらうのはいくらなんでも過保護では? と思ってしまうのだ。実際に過呼吸を起こしていたわけだし、よっぽど繊細な女性で、だから親も心配してついてきちゃったんだろうとも思うんだけど、一時期「毒親本」を読みあさっていたこともあって、ついつい母親と娘をつなぐねっとりした飴状の鎖を想起せずにいられなかった。「なかよし母娘」を見かけると、瞬時に共依存関係なのではないかと疑ってしまう私の悪い癖である。

 あれからずっと、折にふれ考えてしまう。
 いったいなにが、彼女をあそこまで追い詰めたんだろう。
 さいわいなことに、私はこれまで親から出産プレッシャーをかけられたことはない。むしろこっちから「出産プレッシャーをかけでもしたらタダじゃおかんプレッシャー」をかけているので、とても恐ろしくて言い出せないのだろう。ものすごく遠まわしに孫が欲しいだの、子どもを産めば生理痛が楽になるだのと、実母&義母の双方から言われたことはあるけれど鮮やかにスルーした。
 岐阜の老人ホームにいる祖母は会いに行くたびに、「おまえ、子どもは? まだ産んどらんのか?」と訊いてくるが、さすがにそれを出産プレッシャーにカウントするほど狭量ではないので、「ぼんやりしてるうちに産みどきを逃しちゃったんだ」とわははと笑いながら答える。認知症の祖母は五分ごとに同じ質問をくりかえすので、何度でも同じように答える。
 五人の子どもを産み育てた祖母にとっては、おそらくそれが生涯でいちばんの大仕事だったんだろう。理解はできるので腹も立たないし、なんだかちょっとせつなくもなる。五分ごとに訊いてしまうぐらい祖母にとっては大事なことなんだなあって。
 そうかと思えば、「これ、だれんとこの子? 名前は?」と部屋に飾ってある曾孫の写真を指さしながら私が訊ねても、「知らん!」の一点ばりなんだからまいってしまう。産んだところでおばあちゃん覚えてくれないじゃーん、って次は言い返してやろうかな。
 と、こんなふうに自分の祖母には激甘なくせに、二十代のころ、アルバイト先の常連だった初老の男性に「早く結婚して子ども産まんとかんわ」と説教されそうになった際には、「は? いま平成ですよ? まさかとは思いますが、女の仕事は結婚して子どもを産むことだけだとでも思ってらっしゃる?」と口から火を噴く勢いで言い返してやった。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、鬼の子のようなこの気の強さ&フェミ的な話題にむきになるところは若い時分から変わっていないらしい。
 それから二十年近くが経ち、平成を飛び越えてすでに令和だっていうのに、実親&義親の双方(だけにかかわらず職場や友人、親戚、知人、メディア等)から出産プレッシャーをかけられたという女性の話はいまだに後を絶たない。周囲でもよく耳にするし、ネットなどでもよく見かける。
 彼らにとって、子を産み育てることは一ミリの疑いもなく「善きこと」で「正しきこと」なんだろう。善意の押し付けほどたちの悪いものはない。撥ねつければこちらが悪者にされてしまうし、放っておいたらおいたでつけあがる。通りすがりの他人にはいくらでも強く出られる私でさえ、認知症の祖母相手にはあの体たらくなんだから、身内からのプレッシャーをふりきるのがどれほど困難なことであるかは想像にかたくない。
 たとえ本人が心から子どもを望んでいたとしても、周囲の声に追い詰められてしまうことだってあるだろう。不妊治療をしているような場合ならなおさらである。親への愛情が深ければ深いほど、望みをかなえてやれない罪悪感で押しつぶされそうにもなるだろう。
 隣の患者が過呼吸を起こした本当の理由など知りようもないが、愛という名のプレッシャーの被害者でなければいいと思う。あのときに移殖した子が産まれていたらもっといい。その子を含めたすべての新しい子どもたちが、家族の鎖から解き放たれて自由に生きられることを願うばかりである。

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「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹