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おんなのじかん

 母と会うのは一年に一度、大晦日の夜、三姉妹それぞれ夫同伴で実家に集まるときだけだ。この十月に下の妹(ゆ)が出産したので、今年はそこに乳児(初孫!)が一人加わる予定である。
 正直なところ、大晦日は夫と二人で鍋でもつつきながら家で紅白を見ていたい。母に会うのなんて四年に一度でじゅうぶんだとも思う。しかし、「お母さんにもっとやさしくしてやりなさい」という夫や真ん中の妹(ま)からの圧力もあり、しぶしぶサミットに参加しているというわけである。その機会を逃すと家族で集まることなんてほとんどないし、一対一の会談よりは大勢のほうが圧が分散されるからまだましか、という苦渋の選択でそうしているようなところがある。
 とはいえ、これからしばらくのあいだは母の関心のほとんどが乳児に流れるだろうから、でかした、よくぞ生まれてきたと褒めてやりたい気持ちでいっぱいでいる。ようし、おばさんお年玉はずんじゃうぞぉ。

 いつのころからか、母との国交はほぼ断絶している。母から電話がかかってきても出ないでいたら、そのうちかけてこなくなった。最近はごくまれにLINEがくるぐらいで、家族の集まりや行事などにどうしても私を引っぱりだしたいときは、夫や妹(ま)を経由して外圧をかけてきたりする。
 夫と妹(ま)は、私にとっては言わば弁慶の泣きどころ、そこを突かれたら痛いのである。世界中から嫌われたとしてもこの二人にだけは見捨てられたくない。要するに、推しを人質に取られているようなものなのである。二人は、いろいろと思うところはあっても、血のつながった親なんだからだましだましつきあっていくしかないよね、という「常識的な大人」の考えを持った人たちでもある。
 名作『ベルサイユのばら』の序盤で、国王の愛人であるデュ・バリー夫人を公然と無視することが国際的な大問題となり、フランス・オーストリア両国から圧をかけられたマリー・アントワネットが、「きょうはベルサイユはたいへんな人ですこと」と夫人に声をかけるシーンがある。何度読んでもあそこで私はべちょべちょに泣いてしまう。トワネットちゃん、その悔しさ私も知ってる、知ってるよ! きょうは……ベルサイユは、たいへんな、人ですこと……!(号泣)
 たった一言のことじゃないか、と周囲の人はマリー・アントワネットに言い、たった一時間やそこら同席して食事するだけじゃないか、と周囲の人は私に言う。彼らからすればたったそれだけのことでも、私たちにとってはこれ以上ない苦痛だということを理解しようともしない。それがよけいに私たちを追い詰める。
 私だってなにも好きこのんでこんな子どもっぽい態度を取っているわけではない。四十二歳にもなって情けない話だが、母に会うと、精神的なダメージを食らってその後何日か落ち込んでしまう。母から言われたことがフラッシュバックしてなにも手につかなくなるのだ。
 娘を自分の思いどおりにしたいという欲求から、母は娘の外見や着ているもの、言動のいちいちになにかとケチをつけ、息するようにマウンティングをしかけてくる。そうかと思ったら、急に猫撫で声で媚びるようなことを言ったりもする。この人は娘を、自分とは別の一個の人間だということをどうあっても認めようとしないのだな、とそのたびに悲しい気持ちになる。
 ねえ、お母さん、いま私に言ったのと同じことを友人に言える? 仕事の同僚に言えますか? 私はあなたの娘でもあるけれど、一人の成人した人間でもあるんです。どうか尊重してください。
 そんなふうに滑らかに言い返せたらどんなにいいだろうと思うけれど、母の前に出ると、悔しさに喉が詰まったようになって、なにも言い返すことができなくなってしまう。母の支配下に置かれていた十四歳のころにたちどころに戻ってしまうのだ。電話に出るつもりなどまったくないのに、母から着信があると動悸がして手足が震えることすらある(一時期、母からの着信音を「ダース・ベイダーのテーマ」にしていたせいかもしれない)。
 放っておくとうちの母は、私や妹たちだけでなく娘の夫たちにまでマウンティングをしかけているから、だれに対しても自分が優位に立ちたくてたまらない人なのだろう。マリー・アントワネットの母親で、世界中に圧をかけまくったオーストリアの女帝マリア・テレジアもかくやである。
 マリア・テレジアから鬼のような抑圧を受けていたマリー・アントワネットは、十四歳でフランスに嫁ぎ、世界中から鬼のような出産プレッシャーを受けながら第一子を出産する。生まれてきた子は女児だったため、さらなるバッシングを食らうはめになるのだが、そのとき生まれた子はマリア・テレジアから名前をもらい、マリー・テレーズと名付けられた。
 ここ数年、マリー・アントワネットとその周辺人物にまつわる小説を書いていたのだけれど、マリア・テレジアとマリー・アントワネットもさることながら、マリー・アントワネットとマリー・テレーズもなかなかに相性の悪そうな母娘だなあ、とさまざまな資料を読み進めていくうちに感じるようになった。軟と硬、陽と陰、相反する要素がそれぞれに割りふられたような母娘である。実際にマリー・テレーズは母親に対し、非常に冷淡だったというエピソードもいくつか残っている。
 なんだかとってもほっこりする話ではないか。え、もしかして、そんなふうに思うのは私だけ……?

 「血はきたない」
 血ほど汚いものはないという言葉があるが、おそらくはそこから派生したものだろう。身内に不幸があったり、トラブルが起きたりするたびに母はよくそう言っていた。いざとなったら頼りになるのは血のつながった身内だけ、と刷り込むかのようにくりかえし何度も。そう言っている母だってどこかうんざりしているように見えたけど、それをよすがにもしているのが私には不思議に思えてならなかった。
 血はきたない。
 なんておぞましい言葉だろう。人を血縁に縛りつける呪いの言葉だ。
 私にとっては呪いでも、母にとっては縋りつかずにいられない希望だったんだろうか。
 この国では家族についてネガティブなことを言うにはまだまだ勇気がいる。「家族の絆はどんなものよりも強い」「親は大切にしなければならない」「血は水よりも濃い」という思想を、幼いころから太陽の光のようにさんさんと浴びせられてきたのだから、そうなってしまうのは避けられないことだろう。
 「毒親」という言葉が使われるようになって久しいが、はじめてその言葉を知ったとき、自分の親を好きになれなくてもいいんだと目が覚めるような思いがした。この言葉に救われた人がどれだけいたかは、テレビや雑誌で特集が組まれ、次々に関連本が出版されたことからもあきらかである。なにより言葉の浸透力がすさまじかった。世紀の発明と言っていいだろう。
 だけどいまだに、毒という言葉の強さにちょっとたじろいでしまう自分もいる。毒親本で紹介されている親たちはいずれ劣らぬ悪魔の毒々モンスターばかりだが、うちの母なんてそれにくらべたらぜんぜんかわいいもの、中ボスにすらなれない雑魚中の雑魚である。いやいやいやいや、毒親ってほどでもないし、悪いところのほうが目立つけどいいところだってないわけでもないし……とついかばってしまいそうにもなる。どうしようもない人だと呆れながら、それでも母親だと思うと捨てきれない。好きでも嫌いでもないけれど、かろうじて情だけは残っている。
 私だって子どものころからどっぷりこの国の「家族信仰」に浸りきっていたわけだから、後ろめたさをまったく感じないわけではないのだ。外圧に屈するような形をとりながら、サミットや会談に応じるのはそのせいでもある。なにより、妹たちに母を押しつけているという罪悪感が大きい。母の抑圧から逃げてほしいと思うのと同じぐらい、妹たちが母のそばにいてくれることに安堵してもいる。
 まったく、家族というのはなんとやっかいで割り切れないものなんだろう。血はきたない。ほんとうに、うんざりするほどそう思う。
 いまさら母に変わってほしいとは思わないし、変われるとも思えない。私の望みは、母を嫌いになりたくない、というただそれだけである。
 だからこれからも、母からの電話には出ない。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

連載一覧

  • 津野海太郎「最後の読書」読売文学賞受賞


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