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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

2021年10月18日 ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

第8回 キューバで「幽默大師」に出会ったはなし

著者: 橋本陽介

ハバナで出会った「幽默大師」

「キューバ最大」の書店(著者提供)

 

 私はラテン・アメリカ文学を愛好している。とりわけガブリエル・ガルシア=マルケスと、レイナルド・アレナスが好きである。ガルシア=マルケスはコロンビア出身、アレナスはキューバ出身の作家で、どちらの国にも縁もゆかりもなかったが、なぜか惹かれた。とくにキューバの文学は、アレナス以外の作品も、私には面白く感じられるものが多かった。

 そこで、2008年、アレナスの軌跡をたどりにキューバへ旅行に行った。ところが、食中毒にはなるし、ハリケーンには襲われるし、食事もゆですぎパスタやゲロみたいなソースのかかったピザ、炭酸水なのに炭酸の抜けている水などばかりで、ろくなことがなかった。二週間の行程の最後のほうは、アレナスの小説『夏の色』のラストのように、「島もろとも沈んでしまえばいいのに」と思うぐらいイライラしてしまった。

 首都ハバナで気休めにブックハンティングをしようと、ガイドブックで「キューバで最も大きい書店」と書いてある店に行ってみた。確かに売り場面積はむやみに広く、従業員もやたらと多い(が、働いているようには見えない)。しかし肝心の本はほんの少ししか置いていない。営業時間もほんのわずかで、さすが現役社会主義国家、店を開ける前からもう閉めようとしていると思った。すっかり気落ちして、ヘミングウェイが長期滞在していた高級ホテル「アンボス・ムンドス」を訪ねると、最上階の五階にある「ヘミングウェイの部屋」の窓から、広場にたくさんの本が並んでいるのが見えた。青空古書市である。

 たくさん本が並んでいると興奮する。すっかり精気を取り戻し、嬉々として古い本のラインナップを見ていると、老人が私に一冊の本を渡してきた。林語堂の『嵐の中の木の葉』スペイン語版であった(たぶん、店主は私を中国人だと思ったのだろう)。林語堂は今でこそ誰も読まなくなっているが、かつては人気作家で、日本語訳も多数出ていたし、中南米でも読まれていたのだ。たしか、ガルシア=マルケスの自伝の中にも林語堂の名前が出てきた。もちろん、私はそれを購入した。アルゼンチンのsudamericana社で刷られたもので、このころはアルゼンチンが出版業界をリードしていたと聞いたことがあるから、ガルシア=マルケスが読んだ林語堂もきっとこれと似た版であろう。

林語堂「嵐の中の木の葉」(著者提供)

 

 林語堂は「ユーモア大師」と呼ばれている。私自身はぜんぜんユーモラスだと思わないのだが、「ユーモア大師」ではある。なぜなら、「ユーモア」の中国語訳“幽默”を作ったのが、彼だとされているからである。「幽かに黙る」と書いて、「ヨーモー」と読む。幽かに黙るのでは、ほとんど笑いになっていない気もするが、音訳だ。

「離合詞」とは何か

 というわけで、随分とマクラが長くなってしまったが、前回、「中国語の単語は一つの単語なのか、それとも単語+単語なのかよくわからないものがある」という話をした。今回取り上げるのは、その中でも特徴的な「離合詞」の話である。

结婚(結婚する)” や“毕业(卒業する)”などは、語の構成上は「婚を結ぶ」「業を畢(お)える」と「動詞+目的語」の形をしているが、通常は一つの単語とみなされている。だとすれば、「結婚したことがある」という場合、“结婚”に「~したことがある」の意味の“过(過)”をつけて、“结婚过”というはずである。ところが、実際には “结过婚”という。“过(過)”は動詞につく助詞であるから、“结婚”全体で動詞としているのではなく、“结”のみを動詞としていることがわかる。「一つの単語」に見えるが、実は「動詞+目的語」の構成をしていて、分離するものが「離合詞」と呼ばれている。

 これだけでもややこしいのに、さらに初学者を悩ませるのが、「動詞+目的語」ではないのに離合詞になってしまうものがあることだ例えば次のような例である。

 游泳(泳ぐ)、散步(散歩する)、洗澡(お風呂に入る)、跳舞(ダンスする)

 初級の教材でも必ず出てくる単語だが、なぜこれが離合詞になっているのか説明してあるのは見たことがない。“”“”はどちらも「泳ぐ」の意味だ。離合詞になっているということは、あたかも「泳を遊ず」のような語構成と勘違いされているということだろう。“”にも「ぶらぶら歩く」の意味があるから、“”と合わせて、どちらも似たような意味だ。かつて私は自分を納得させるため「歩を散ず」だと無理やり思うようにしていた。しかし、“”“”はどちらも「洗う」の意味だし、 “跳舞”も「舞を跳ぶ」ではなく、「跳んで舞う」からダンスの意味になっていると思われる。つまり、いずれも似た意味の「動詞+動詞」で一語化しているものであって、「動詞+目的語」ではない。

 極めつけは、冒頭で話題に出した“幽默”である。これは「ユーモア」の音訳なのだから、どう考えてもこれで一つの単語である。ところが、どう言うわけか、“幽了一次默(一回冗談を言った)”のような、創発的な言い方がときとしてなされるらしい。無理やり日本語に置き換えれば、「ユー一回モア」みたいなことになっている。“幽默”はもともと名詞だと思うが、この場合「ユーモアを言う」の意味の動詞として使われており、なおかつ前半の“”だけを動詞扱いしているわけだ(ちなみに形容詞としても使う)。

「謎の離合詞」の正体

 なぜ「動詞+目的語」でもないものを、「動詞+目的語」であるかのように使ってしまうのだろうか。

 前回述べた通り、中国語は二文字になると安定性が高まる。このため、名詞は“”→“老鼠”のように、特に意味のない接辞をつけるなどして、二音節化が進んでいる。

 一方、基本動詞を見てみると、現在でも“(見る)”“(聞く)”“(書く)”“卖(売る)”“买(買う)”などのように、一音節のものが多いことがわかる。動詞は目的語をともなうことが多いし、たいていは助詞や補語などがつくから、動詞本体は一音節にとどまっているほうが、長くなりすぎず都合がいいのである。 

 ここで、“游泳(泳ぐ)”“散步(散歩する)”“洗澡(お風呂に入る)”“跳舞(ダンスする)”など、「謎の離合詞」に注目してみよう。どれも自動詞である。ということは、これらの後ろに目的語が来ることはない

 後ろ側に目的語が付かないとなると、これらだけで単独で使用されることが多くなる。すると一音節だけでは不安定になるから、二音節化したくなり、“游泳”のように、同じ意味の字を二つ並べて一つの単語が作られることになる。

 ところが中国語の動詞は、「一音節の動詞+目的語」の形を取ることが多い。そこで「一文字目だけが動詞、二文字目は目的語だ」と勘違いされやすいのだろう。このリズムがさらにスライドすると、“幽默”の”“だけが動詞と勘違いされた表現すら誕生するのである。

 ちなみに、同じように似た意味の“動詞+動詞”で一つの単語になっているものでも、“研究日语(日本語を研究する)”の“研究”のように、目的語を取れる動詞の場合には、単独で使われても離合詞にはならない。“”が目的語だと勘違いされる可能性がなくなるからである。

 つまり、意味というよりはリズムが文法を支配している。このように、中国語はリズムが文法に影響を及ぼす例がしばしばみられるのである。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


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