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デモクラシーと芸術

2019年12月25日 デモクラシーと芸術

第12回 「指揮者」に必要とされる能力は何か

著者: 猪木武徳

※文中の曲名をクリックすると、曲の一部を試聴できます。
※ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)非会員の方は冒頭30秒ですが、会員の方は、全曲を試聴できます。

指揮者は専制君主か調整役か

 これまで述べてきたところを、政治体制としてのデモクラシーとの類比で考えるとどうなるであろうか。共同体とそのリーダーという図式で捉えると、合奏あるいはオーケストラの演奏は、集団とリーダーシップの枠組みで考えることができる。誰かが演奏を全体として方向付け、各プレーヤーはその方向(理想)に共鳴しつつ、その理想に自分の音楽を「合わせる」という姿である。
 一口にリーダーと言っても、さまざまなタイプがあろう。必ずしも、エジプトで奴隷となったイスラエルの民を救い出した旧約聖書のモーゼのような、神に突き動かされる強いリーダーを想定する必要はない。軍隊という厳しい目的を持った組織の指揮官だけがリーダーというわけではない。組織の目的や性格はいろいろあるから、「俺について来い」と叫ぶことだけがリーダーシップではない。いつの間にか知らないうちに付き従っているケースもあろう。そのためにはリーダーが、皆の憧れるような何か(理念? 理想?)を体現していなければならない。
 リーダーの出現の問題を、まず器楽合奏の「楽団」のケースで見てみよう。そのために、フランス国王のルイ14世(太陽王)(在位 1643-1715)の治世に宮廷楽長としてフランス貴族社会で活躍したフィレンツェ出身の作曲家、ジャン=バティスト・リュリ(1632~1687)の活動を振り返る(The New Grove Dictionary of Opera)。

ジャン=バティスト・リュリ

 リュリは、作曲はもちろん、宮廷楽団長・音楽監督として太陽王に仕え、フランス・オペラを独自の分野として開拓した奇才である。自ら舞台に立つバレエ好きのルイ14世のために、リュリはバレエ楽を作曲し、台本作家のP・キノー(1635~1688)やモリエール(1622~1673)とのコラボレーションで多くのコメディ・バレエ(Comedie ballet)を創作して上演した(そのひとつ「町人貴族」の音楽LWV43(1670)はG・レオンハルトが古楽器の楽団「ラ・プティット・バンド」を指揮したCDで聴くことができる)。
 音楽、バレエ、演劇という舞台芸術を総合化するために、リュリは、弦楽合奏に声楽と合唱を加えて効果を上げ、木管楽器を加えて管弦楽団として音の色彩を豊かにした。それに留まらず、楽団における「指揮者」の役割を明確に示した点でも、音楽史上、重要な貢献をした人物とされる。
 18世紀初めのヨーロッパのほとんどの国では、イタリア・オペラが受容されていた。フランスはそのなかではほとんど唯一の例外国であったと言われる。フランスが16世紀から豪華で色彩豊かなバレエの宮廷文化(もとはと言えばバレエもイタリア産なのだが)の伝統を持っていたこと、加えてP・コルネイユ(1606~1684)、J・ラシーヌ(1639~1699)などのフランス古典悲劇への誇りがあったため、イタリア・オペラを受け入れるような土壌がなかったと音楽史家は指摘する(D. J. Grout)。リュリはこうした伝統を打ち破るべく、バレエと演劇の両要素を融合させながら、フランス・オペラの原型となるような音楽作品を生み出したのである。
 ルイ14世は宗教戦争が一応の終焉を見た頃に、二つの野望を抱いて玉座に就いた。ひとつは絶対的な王権を打ち立てること、いまひとつはダンサーとしての輝かしい芸術的才能を誇示し、それを権力の礎の一角とすることであった。リュリは、ルイ14世の寵臣となり、芸術を権力のベースにしようとする王の野望を実現すべく王に取り入り、「フランス音楽の独裁者」と言われるような力を宮中で発揮する。彼のいささか奇矯な人物像、「太陽王」の姿、枢機卿マザランやモリエールとの関係は、映画『王は踊る』(ジェラール・コルビオ監督、2001年)に巧みに描かれている。

『王は踊る』

 バレエだけでなく、劇のセリフをも融合させたリュリの音楽作品を模倣する者がその後少なからず現れたということは、彼の芸術の影響力を示している。こうしたフランス・オペラの独自の発展は、フランス語の持つ音韻上の特質、発声法と抑揚の特徴に関係していると指摘される。イタリア語の母音の簡明さ、音節(syllable)の分割可能性を考えると、イタリアでオペラ音楽が花開いたのは納得できよう。リュリは、そうした特性に欠けるフランス語に合ったオペラ、抒情悲劇(tragédie lyrique)、音楽悲劇(tragédie en musique)と呼ばれるジャンルを開拓した。
 注目すべきは、リュリが楽団の「指揮者」という役を務めた最初の音楽家だと言われる点だ。彼はどのように楽団を指揮していたのか。それは彼の「死因」から読み取れる。リュリは自作の「日曜・祝日の朝課の最後に歌われる聖歌」(Te Deum)をリハーサル中(演奏中という説もあるが)に、夢中になり金属の笏で自分の足をドンと突いてしまい大けがをするのだ。指揮は重い杖で床をたたくという方法だったという。その時の傷が化膿し、壊疽で数か月後に亡くなるのだ。

オーケストラと指揮者という関係の成立

 このエピソードからも彼が自分の率いる楽団をどう「指揮」していたかがわかる。リュリはバイオリンを弾いたが、鍵盤楽器で通奏低音を担当することはなかった。先に述べたように、チェンバロやオルガンを受け持つ者が、「指揮者」のように様々なサインを他のプレーヤーに送るということはバロック期にあったはずだが、チェンバロやオルガン以外のプレーヤーが、「指揮者」として演奏全体を統括するというのは17、18世紀半ばごろまでは珍しかったようだ。
 教会で神への賛歌を奉げてきた声楽が、オペラとして劇場へと移動し、教会の外の演奏会場では主役の座を譲り、宮廷で通奏低音を担当していた鍵盤楽器も合奏の舞台の前面から後退する。そして弦楽器と管楽器による器楽合奏(オーケストラ)が演奏の主流になると、首席バイオリン奏者が弓で、あるいはリュート奏者が楽器のネックを動かすなどして、テンポ、リズム、音量、表情などについてサインを送るというスタイルが見られるようになった。
 通奏低音楽器が主役の座を降りて合奏集団としての「オーケストラ」が大きくなっていくと、全体を統括する指揮者が不可欠となる。そして演奏がより高度の技術を必要とし、音楽が複雑さを高めるにつれて、指揮者の役割が重要になり、専門化し、指揮者なしに大きなオーケストラの演奏が秩序と美しいハーモニーをもたらすことが難しくなる。それは社会が大きくなれば統治(government)が問題となり、国家が大きくなればなるほど、統治のルールが明確化される必要が生じるように、演奏者の集団も大きくなれば全体を統御する主体が必要になり、その適切な(過度でも過少でもない)コントロールによってメンバーたちから自発的な調和の音楽を引き出す仕事が不可欠になる。いかにこの自由と秩序を両立させるかが指揮者に問われるわけである。
 その点では、オーケストラによる演奏は、一つのコミュニティーがいかなる自律性と調和を生み出すのかという問題と類比的に見ることができる。学生時代、LPレコードを聴きながら、オイストラフ、リヒテル、ロストロポービッチなど、ソ連には伝説的な傑出したソロ奏者はいても、目立って優れたオーケストラの話をあまり聞かないのはなぜだろうと思ったことがあった。それは自律性を保持しながら全体の調和を生み出すという「オーケストラ」のスピリットが、ソヴィエトの政治体制と合わないからだろうか、などと勝手に想像していた。

指揮者の仕事は何なのか

  多数の人間が存在する共同体には必ず「統治」が必要になるように、合奏や合唱も、グループの人数が大きくなると、全体を統括する人間が不可欠になる。そう考えると、指揮者は、はるか昔から、多数の人々が演奏する際に必要とされた存在だったはずである。しかし問題は、どの程度専門化した仕事であったのか、そして一体何を期待される職分だったのかということだ。
 「国家」という、共同体のもっとも発達した形式は、特定の段階にあらわれた。例えば土地の私有制度が確立し、複雑な生産過程が職業を分化させ、職業間にある種の依存関係を生み、対立関係が激しくなると恒常的な保護的権力が求められるようになる。そのために複雑な法秩序が形成される段階になって、国家統治(government)があらわれる。ここで注目したいのは、「複雑な生産過程が職業を分化させ、相互依存の関係を生」むという現象である。
 たとえばデモクラシーの下では、統治をする主体としての国民、その国民の代表としての議員、政策の決定に責任をもつ政治家と、それを実施する行政機構が発達してくる。そのおのおのの機関には主従と依存の関係が存在する。音楽演奏においても、作品の規模が大きくなり、演奏の技術が高度化してくると、演奏という「生産過程」は次第に複雑になり、主従関係や依存関係が生じ、秩序ある統治が求められるようになるのだ。
 何かを「音楽」で表現する場合、音程やテンポはもちろん、ダイナミックス(強弱)、音色、声や楽器の間の音量バランスなどに関する配慮によって、聴く者の心を動かすか否かが決まる。19世紀に入っていわゆる「主張やメッセージを含む大曲」が作られ出すと、その解釈を専らにする指揮者という「専門職」が誕生する。それまでは、作曲家が指揮をする、あるいは「通奏低音」の担当者が指揮者的な役割を担うことが多かった。
 19世紀のロマン派の時代になると、C.M. v.ウェーバー、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、ワーグナー、リストなど、作曲家が指揮をすることは珍しくなくなった。しかし19世紀も後半に入ると、作曲家と指揮者の仕事は分離し始める。その分化を示す代表的人物が、リストとワーグナーを師と仰いだ優れたピアニスト、ハンス・フォン・ビューロー(1830~1894)である(ちなみにビューローの妻はリストの娘、コジマであったが、のちにワーグナーと結ばれる。この3人の関係は、Letters of Hans von Bulow (1972))で一部読むことができる)。

ハンス・フォン・ビューロー

 ビューローの指揮は単に拍子を数えるというものではなく、(恐らくワーグナーの影響であろう)曲を解釈し、表現を重視する、というダイナミックなものであった。そのビューローの指揮を観て、すでにピアニストとしてデビューを飾っていたブルーノ・ワルターは、指揮者への転換(転職)を決意している。それほど熱のこもった指揮であったようだ。ビューローが何を指揮したのかは、「古典音楽のプログラム」であったこと以外は残念ながらわからないが、ワルターの決心はあたかも天からの啓示を受けたかのようであった。そのことを彼自身次のように述べている(『主題と変奏 ブルーノ・ワルター回想録』)。

  「大ピアニストとしての未来を思い描いた私の夢は、ハンス・フォン・ビューローを聞いたその日から、すっかり色あせてしまった。私はフィルハーモニー・ホールの舞台後方にしつらえられた席に座り、ティンパニのうしろの高い所から、彼が古典音楽のプログラムによってフィルハーモニー管弦楽団を指揮するのを、聞きかつ見たのであった。(中略)この日の私は、ビューローの顔に精神の充実と意志の緊張を見た。その動作には圧倒的な力を、そしてそのオーケストラ演奏には、入念と献身、表現のエネルギーと厳密さを感じとった。同時にまた、演奏しているのはこのひとりの男なのだ、彼はピアニストがピアノで演奏するように、百人の奏者を一つの楽器に仕立て、その楽器で演奏しているのだ、ということをはっきりと悟った。——この演奏会の夕べが、私の将来を決定したのである。いまや私は自分の定めを知った。私にとっては、もう指揮以外のどんな音楽活動も問題にならなかった。交響的な音楽以外のなにものも、私を真に幸福にすることはできなかった。
(中略)さいはきょう投げられた、きょう私は自分の人生の目的をはっきり知った
 ― 私は指揮者になろうと決心したのだ、-と」(内垣啓一・渡辺健訳)

伝統と合理性を体現するカリスマか

 このワルターの堅い決意の言葉には、指揮者の理想的な姿が要約的に描かれており、「支配」を内的に正当化する根拠を論じたマックス・ウェーバーの言説を想起させる。政治学や社会学で解説されるように、ウェーバーは支配の内的な正当化の根拠と外的手段とを次の三つに分けて論じた(以下はM・ウェーバー『職業としての政治』の脇圭平訳を用いる)。

マックス・ウェーバー

 ひとつは、「永遠の過去」が持っている権威で、古い型の家父長や家産領主のおこなった「伝統的支配」がこれに当たる。西欧のクラシック音楽自体が過去の伝統の継続として生き続けた芸術であるから、選ばれてその作品を指揮する者には伝統的支配の用件は基本的に備わっていると言えよう。
 もうひとつは、ある個人に備わった非日常的な天与の資質(カリスマ)が持っている権威で、その個人の啓示や英雄的行為その他の指導的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼に基づく支配である。ウェーバーは、偉大な政党指導者やデマゴーグの支配を念頭に置いている。恐らく指揮台に立った指揮者が放つある種の「オーラ」に惹きつけられて、プレーヤーたちは手や体の動き、タクトの動きに「魔法にかかったよう」につられて演奏してしまうということもあろう。2019年10月10日、NHKホールで上演されたトン・コープマン指揮のモーツァルト『レクイエム』(K.626)がその後テレビ放映されたのを観た。NHK交響楽団のプレーヤーはもちろん、ソリストも合唱団も、みな「魔法にかかったよう」な熱演であった。この作品の神々しいまでの迫力を最高レベルにまで引き出し得たのは、指揮者の「カリスマ性」ゆえだと強く感じた。
 最後の「合理的支配」は、制定法規の妥当性に対する信念と、合理的につくられた規則に依拠した客観的な「権限」とに基づいた支配を指す。西欧音楽という数理的な形式と理論を背景に持つ芸術の形の基本を守る、楽譜に忠実に、そして作曲家が指定する楽器によって演奏されることなどの基本事項はそのまま守られねばならないという信念が生まれる。もし指揮者の恣意性の幅が大きくなり出すと、彼はこの「合理的支配」の正当性を失うのだ。
 指揮者がオーケストラ楽団員やソリストと、曲の解釈をめぐってトラブルを起こす事件を耳にすることがある。そのほとんどは、これらの支配の正当性の根拠を失い、逸脱してしまうことから起こるようだ。
 もちろん対立はありうる。例えばグレン・グールドとバーンスタインは1962年4月6日のカーネーギー・ホールでのブラームス『ピアノ協奏曲』第1番(Op.15)の演奏の際、テンポや強弱をめぐる解釈の違いで「トラブル」を起こした。しかしバーンスタインは実に説得力のあるやり方で、大人の歩み寄りを示した。演奏が始まる前に、バーンスタインが聴衆の前で行った、「コンチェルトでは、指揮者とソリストのどちらがボスなのか」、「グールドのunorthodoxな解釈を自分はなぜ受け入れて指揮をするのか」を語る「前口上」は、いまもYouTubeで聴くことができる。これは言葉豊かな素晴らしいスピーチだ。

教育する力を持ったリーダー

  A・トスカニーニ(1867~1957)が専制君主的な指揮者だと言われたのに対して、ワルターは、自分は「教育的指揮者」だと『自伝』の中で述べている。その「教育的指揮者」という表現は、指揮という仕事の中核部分をついているように思う。「ワルターは道徳家だ」とクレンペラーが皮肉混じりに述べたように、ワルターは奏者を怒らせたり、不快感を与えるような言葉を決して発することはなかった。他方クレンペラーは、自分の望む音を意のままに引き出せなかったとき、瞬間湯沸かし器のように怒りを爆発させた。クレンペラーの短気さを示す逸話は少なくない。その点では、ワルターは(もちろん熱することはあるのだが)、余計なものを取り去った純正さ、中庸から外れない均整感を持つ芸術家であった。それは先に引用した彼の『回想録』の著述(それは口述筆記であったかもしれないが)からもうかがい知れる。ワルターの教養の深さがにじみ出ている。

ブルーノ・ワルター

 ワルターの言う「教育的指揮者」という言葉は、P・ベッカーが『オーケストラの音楽史』で述べた「教育的能力を持った第一人者」としての指揮者のイメージと重なる。ベッカーの所論を要約すると次のようになる。
 合唱団もオーケストラも共通の目的を達成するために集まった個人の集団であるという点では同じだ。しかしそこには大きな違いがある。合唱団のメンバーが発する音(つまり人間の声)にはそれぞれ違いはあるもののその差は小さい。しかし器楽アンサンブルにおいて各々の楽器の奏者の出す音は、異質であり、人声にくらべるとその違いの幅は大きい。そのため、ベッカーは「多彩な個性を持つ集団を一つにくくり、各個人をオルガンのストップ(音栓)やチェンバロのキーボードのキーのような存在、つまり歯車の一つに変えてしまわなければならない」と言う。ワルターの言葉を借りれば、「ピアニストがピアノで演奏するように、百人の奏者を一つの楽器に仕立て、その楽器で演奏」するオーケストラという「個を超越した新たな楽器を創造するためには、構成員一人一人の個性を犠牲にする必要」が生まれるのだ。
 この重要な作業を行うためには、「教育的能力を持った第一人者が必要なのだ」とベッカーは言う。そして最初にこの点に気づき、その解決策を提示したのが、先に挙げたルイ14世の宮廷指揮者で、パリ王立オペラの監督のジャン=バティスト・リュリであったと指摘する。リュリはこうした視点から、絶対的な権力を手にして、王室オーケストラを教育し、訓練したのだ。

自由と秩序をどう両立させるか — 朝比奈隆の感慨

 大阪フィルハーモニー管弦楽団を長く指揮した朝比奈隆にわたしは長く敬意と親近感を抱いてきた。高校時代の友人で京都大学交響楽団のチェロを弾いていたM君からOBの朝比奈隆についての逸話を聞く機会がたびたびあったことにもよるが、その指揮ぶりから「自分の好みを静かに語る」熱っぽさになんとなく憧れるようになっていた。深い教養と品の良さ、適度のスター性のある人間的魅力が生み出す彼の音楽は暖かい。日本だけでなくドイツや米国の著名なオーケストラを指揮してきた経験から、朝比奈が、晩年語ったオーケストラについての感想は、実に滋味に満ちており、結局、豊かな音楽世界を切り拓くのは、人格とセンスと努力以外の何物でもないという当たり前のことを教えられる。

朝比奈隆

 朝比奈は言う。百人近い人間の仕事だから、心の通い合いがなければならない。棒を見てその通り弾いているだけでは大して面白いものが出来るわけではない。大きなきれいな音を出せるかという点が重要、そのためにはいい呼吸をすること。そうすれば次に非常に柔らかい、暗い影の部分があると、そこも美しく聴こえる。その例としてマーラー『交響曲』第3番の最終楽章を挙げている。
 体力と技術も関係してくるので、オーケストラの能力は決まっているから、その能力を引き出して、プレーヤーたちが伸び伸びと自分の思う通りに演奏できるようにするのが指揮者の役目だと語る。その「伸び伸びと自分の思う通りに」ということを、朝比奈は若い頃経験した乗馬に喩える。オーケストラは生き物だから、無理な手綱を弾かない。乗馬では「拍車」の使い方が一つのポイントになる。「拍車」とは、馬に乗る時に靴のかかとに着ける金具だが、ひとつの端に歯車があり、それで馬の腹部を刺激しながら馬をコントロールするのである。朝比奈は、非常の時以外は「拍車」を使うなと言う。使うにしても合図だけであって、馬の腹を傷つけるような奴がいるが、あれはいかん、というわけだ。いい姿勢でバランスよく乗っていれば馬も乗せ心地がいいはずだと言うのだ。
 朝比奈の文章を読んでいると、彼のよく指揮したブルックナーを聴いてみたくなる。要領が悪く「長い」という理由からブルックナーを敬遠してきたが、気持ちを改めてブルックナーの『9番』を聴いてみた。死の病に侵されたブルックナーの未完に終わった遺作だ。第1楽章の表情指定は、Feierlich(厳かに) misterioso(神秘的に)とある。厚い和音の進行、長いメロディー、金管楽器の華やかな響き、それらが一体となって、マーラーとはまた別の形で、ブルックナーの熱い宗教的感情が音楽に導かれ、音楽を超え、そして音楽に別れを告げているように聴こえる。少なくとも交響曲が交響曲に最後の挨拶を送っている時代の音楽だと感じてしまうのだ。

アントン・ブルックナー

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹