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おんなのじかん

2020年3月18日 おんなのじかん

13.不謹慎なんて言わないで

著者: 吉川トリコ

 三代目J SOUL BROTHERSのツアーチケットの抽選にはずれ、失意のどん底にいる。しかも、待ちわびていたEXILE THE SECONDのツアーはまさかの名古屋飛ばしときた。
 ひどい。ひどすぎる。神はいないのか。子を授けてくれなかっただけでなく、三代目のチケット(あとEXILE THE SECOND)まで授けてくれないなんて……。
 こういうことをリアルで私が言うと、みな困惑顔で黙り込んでしまうのだが、いや笑っていいよ? 渾身の不妊ギャグなんだからどうか笑ってくれよと思う。
 まあ、そうは言っても笑えないですよね。そんなかんたんな話じゃないことぐらい、私だってさすがにわかっている。
 NHK Eテレの『バリバラ』に出演する障害者の多くは、障害者ギャグを嬉々として連発し、「感動するな! 笑ってくれ!」をモットーにしている。そうすることで古くから障害者に付加されてきた「不幸でかわいそう」というイメージを払拭し、心理的なバリアフリーを実現しようとしているのだろう。
 障害者が健気にがんばる姿を「感動ポルノ」として消費するコンテンツには私も胸糞の悪いものをおぼえるが、だからといって『バリバラ』を見てげらげら笑えるかといったらそうでもない。どうしても、「この番組、すげえな?!」という賞賛の気持ちが先に立ってしまうのだ。それだって「感動」だし「消費」じゃないかと言われてしまったら、もうなにも言い返せない。心のバリアフリーにはまだまだ遠い。
 2012年に日本で公開されたフランス映画『最強のふたり』(※2019年にハリウッドでもリメイクされた)は、事故で首から下が麻痺してしまった富豪フィリップとその介護を請け負うことになった失業中の青年ドリスが少しずつ心を通わせていく姿を描いた作品である。
 ――と書くと、いかにも感動的なヒューマンドラマを想起させるが、このドリスという青年の障害者を障害者とも思わない言動がとにかくひどい。フィリップの脚に熱湯をかけて、「ほんとになんにも感じないんだな」と面白がったり、チョコレイトをくれと言うフィリップに「これは健常者専用チョコだからだめだ。すげえブラックジョーク、笑えるだろ?」とげらげら爆笑する。車椅子用のステップのついたワゴン車を「こんなのやだ。馬みたいに荷台に乗せるなんて」といやがり、マセラティに車椅子を積み込んでパリの街をぶっ飛ばす。スピード違反で警察に捕まった際には、フィリップに発作のふりをさせて難を逃れるばかりか、垂れてきた涎を拭ってやりながら、「きったねえなあ」などと暴言を吐いたりもする。
 そんなドリスに対し、フィリップは怒るどころか、とてもうれしそうだ。「彼は私に同情しない。そこがいい」のだとフィリップは言う。
 一方でドリスは、フィリップの秘書マガリーにセクハラまがいのアプローチをしかける。その度にマガリーは怒りを表明するのだが、彼はそれも含めてにやにや笑って楽しんでいる。ホモソーシャルな男性同士の関係を描いた作品にはありがちな女性の扱い方ではあるが、ドリスはだれに対してもがさつでデリカシーのないコミュニケーションを取るのだということ、それを受け入れる人もいれば、そうではない人もいるということが、とてもフェアに描かれている(その後、マガリーはドリスに同性の恋人を紹介し、「3Pならいいわよ」とからかって意趣返しをする。最高!)。
 劇中、私がいちばん好きなのは、アース・ウィンド&ファイヤーの「Boogie Wonderland」に合わせ、若く健康な肉体を見せつけるようにドリスが踊るシーンだ。その姿を見つめるフィリップの表情からは、あこがれとあきらめが入り混じったような複雑な感情が読み取れる。ドリスを演じるオマール・シーがしびれるほどかっこよくて、残酷だけれど何度でもくりかえし観たくなる。
「あんなふうに軽やかに、私も健常者ギャグを言えるようになりたい」
 当時書いたとおぼしき感想メモが残っているが、まだその境地には到達できていないし、到達することがほんとうに良いことなのかも、いまとなってはよくわからなくなっている。少なくとも私はドリスのようながさつなやり方で他人とコミュニケーションを取りたいとは思わないし、健常者だろうと障害者だろうと相手に不快な思いをさせたくない、失礼なことをしたくないという恐れがつねにある。
 その一方で、配慮のバリアで弾かれてしまう当事者の寂しさもよくわかる。こちらが「ふつう」に接しなければと気負えば気負うほど、「ふつう」からはどんどん遠ざかり隔たりが生まれてしまうものだが、ドリスにはそれがない。フィリップが喜ぶのも当然である。だからといって、中にはそっとしておいてほしい当事者だっているだろうし、同じ行為でもセンシティブに受け取る相手もいれば、げらげら笑って受け入れてくれる相手もいるだろう。

 とまあ、こんなふうにあれこれ考えはじめると身動きが取れなくなってしまいそうなんだけど、当事者から放たれる不謹慎(とされがちな)ギャグのうちで、私が気がねなく笑えるものといえば、「老い」に関するものだろうか。
「ええんだわ、俺なんてどうせもうすぐ死ぬでさ」
 おちょけた老人(おもにうちの祖母)がなにかあるごとに口にする「死」ネタには、ぷっと素直に噴き出してしまう。だれもがいずれ行く道だからだろう。いずれ私も、「死」ネタを口にする日がくるだろうとたやすく想像できる。そこで、「いやいや、まだまだ長生きしてもらわないと」なんてマジレスするのは粋じゃないとすら思う(中にはそう言われたくて言っている老人もいるだろうが)。
 昔から葬式をネタにしたコメディ(『やっぱり猫が好き』や『前略おふくろ様』のお葬式の回など)が大好きだったというのもあるけれど、私にとって「死」ネタは鉄板中の鉄板なのである。先日も義父の葬儀の最中に、一人だけずれたタイミングで噴き出して弔問客に奇異の目で見られてしまった。まさか自分が、『やっぱり猫が好き』のレイちゃんのような大人になるとは……。
「死」ネタ以外では、昨年のМ-1グランプリでの上沼恵美子さんの更年期ギャグが最高だった。声をあげて爆笑する私に、あ、ここ笑っていいところなんだ? とつられるように夫も笑っていた。更年期・閉経ギャグ、もっといろんな人の口から聞きたいものである。
「加齢」ネタといえば、忘れてならないのが阿佐ヶ谷姉妹である。「おばさん」をあんなにも肯定的に表現した人たちがかつていただろうか。日常の些細な「おばさん」あるあるを、かわいらしくおかしく、時にダイナミックに描く阿佐ヶ谷姉妹のコントに笑いながら泣き、泣きながら笑い、救われたような気持ちになった「おばさん」は私だけではないと思う。
 幼少期から、「おばさん」を笑いものにするような作品にばかり接してきた私は、「おばさん」になることをとても恐れていた。だからといって美魔女になれるだけの美意識もなければ根性も知識も財力もないし、どうしようどうしようとおろおろしているうちに押しも押されもせぬ立派なおばさんになっていた。たっぷりと肉のついた背中を丸め、駅の改札やスーパーのレジでもたもたし、ふたまわり近く年の離れた若い人に年齢を訊ね「よゆうで産んでる/ギリ産んでない」とげらげら笑って相手を困惑させる、どこにでもいるふつうのおばさん。
 そう考えてみると、笑える/笑えないの線引きは、当事者性に大きくかかわるものなんだろうか。不妊にしろ障害にしろ加齢にしろ、第三者がその属性に勝手にネガティブな意味づけをしていることがそもそもの問題で、レッテルを払拭しようと当事者のほうが躍起になるのはおかしな話ではないかと思う。それでもいざ自分が当事者側になると、どうにかせずにはいられなくて気が急いてしまうのだ。
 なにがなんでも笑いにしなければならないわけでもないと思うけれど、それにはやはり笑いが――嘲笑ではない笑いが、いちばん有効だという気がする。上沼さんや阿佐ヶ谷姉妹はお笑い芸人だから当然として、『バリバラ』も『最強のふたり』も「死」ネタを飛ばす老人も冒頭で「不妊」ギャグをかました私も、笑いにすることで目に見えない壁を弾き飛ばそうとしている。笑いこそがなによりも強く素早く、多くのものを載せて相手に届けることができる手段だと信じているのだ。
 ――なんてもっともらしいことを言いながら、私の場合、単にどうしようもなく根がふざけているだけな気がしないでもない。義父の葬儀の最中にも、なにか面白いことはないかと目をぎらつかせ、見つけたそばからすぐに夫にシェアしてげらげら笑っていたし。不謹慎ギャグ、思いついたらすぐ言いたいすごく言いたい私のような不真面目で軽薄な堪え性のない人間に、がさつだとかデリカシーがないだとかドリスも言われたくないだろうな……。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

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  • 津野海太郎「最後の読書」読売文学賞受賞


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