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村井さんちの生活

2021年10月28日 村井さんちの生活

税込みと税抜き、どちらになさいますか?

著者: 村井理子

 義理の両親の介護がはじまって、はや三年。私も夫も、義父の体調の悪化と、義母の認知症の進行に全く気づくことができず、一体なにが起きているのかと首をひねるばかりだった日々を懐かしく思い出したりしている。特に、義母の変化には驚きの連続というしかなく、私も夫も、そして子どもたちも、非常に混乱し、右往左往した。そんなことをしみじみと思い出す。とても大変な時期を一応超えて、安定した日々が訪れたからだろう。これから先、まだなにがあるか分からない。いや、分かっている。これから先が大変になるだろう。でも今しばらくの間は、しみじみと、そして少しだけ懐かしい、温かい気持ちで過去を振り返っていたい。

 私が何か重大なことが起きているのではと気づいたのは、義母の消費税へのこだわりだった。義父は倒れる前、数年にわたって和食料理店を開いていた。自宅の一部を改築し、一日に一組だけ予約を受け、和食のコース料理を提供していた。田舎で、他にあまり店もないうえに、一組だけという静かな環境を気に入ってもらえたのか、おおかたの予想以上に繁盛し、店は連日予約が入って、義理の両親は週休一日というハードスケジュールで忙しく働いていた。年末年始の宴会、お食い初め、誕生会といった、アットホームな集まりに義父の店を選んでもらえたのは、とてもうれしいことだった。

 こんな状況に大変喜んだのは、実は私だった。彼らが人生の目標というか、夢というか、やりがいのある仕事を見つけてくれたのがうれしかった。もっとストレートに書くと、わが家に突如としてやってくる二人に辟易していたために、店が忙しくなってくれるのはうれしい以上の、何か強烈な喜びだったのだ。解放された! 自由だ! キャッホー! という気持ちだった。

 そもそも、私は「家族」というくくりがあまり理解できない。実父は私が十代の頃に亡くなっているし、実母とは長い間すれ違いが続く関係だった。その原因は実兄が作ることが多く、私は兄とも距離を置いて暮らしていた。今となっては実母も兄も亡くなってしまい、余計に私のなかの「家族」は曖昧なものなのだ。そして私が何より避けたいのが、「過剰な愛」だ。義理の両親は、私が何より苦手な過剰な愛を、注ぐだけ注ぐ人たちだった。一応、褒めているつもりだ。

 二人は、とにかくわが家にやってきたい人たちだった。私が仕事をしていようが、寝ていようが、大量の食べものとともに突然やってきては、孫たちに会おうとする。まだ学校だしとか、塾でいねえしとか、そういう理由は通用しない。思考と行動が直結の二人は、会いたいと思えばそのままやってくる。とにかく真っ直ぐ突撃だ。中学生の恋愛かよと、正直、辟易していた。

 しかし! 店が大繁盛することで二人は突如として多忙な高齢者となり、そして、驚くべきことに、大変いきいきと仕事をするようになった。義父はその道六十年以上の調理師、義母は元クラブママ。これ以上、商売に向いている二人がいるだろうか。義父はあまり饒舌ではないが、義母たるや、立て板に水の如くしゃべりまくる。きれいな人で、びしっと着物を着た姿はとても華やかだった。まさに水を得た魚。いやあ、最高だねえ~! やっぱり人生っていうのは、いくつになってもやりがいだよなあと、私と夫は大変喜んだのだった。

 毎月いくばくかの収入があることは、彼らにとってもうれしいことだったと思う。店には常に三人の女性アルバイトが働いていて、その三人とは親戚のように付き合っていたから、二人の寂しい生活が賑やかにもなっただろう。みんなでランチを持ち寄り、おやつを食べ、とても楽しそうだった。孫に会うことだけを求める日々が、彼女らとの交流で、暮らしにめりはりができた。とても気のいい人たちで、嫁だというのに一切手伝わない、頑固なまでになにもやらない私にも、とても良くしてくれて、私たちはまるで昔から知っている友達のグループのようにキャッキャウフフと会話するまでになった。

 その中のひとり、ミキたん(そう呼ばれていた)が私に電話をくれたのは、私自身も、じわじわと「何かおかしいぞ…?」と思いはじめたタイミングだった。

「ちょっと理子ちゃん、あんた、気づいてる?」

「え、なにがです?」

「奥さんやんか! 最近な、消費税のことでもめてはるねん、お客さんと」

「エエッ!」

 ミキたんによると、予約の電話を受ける義母が、お客さんとの会話の最後に、必ず、消費税のことを尋ねるのだそうだ。

「しょ、消費税?」

「そうやねん、内税にするか、外税にするか、お客さんに聞くんよ」

「エエッ!」

「それでお客さんが困っていると、お会計のときに文句を言わないようにって確認しはるねん」

「ヒィィ!」

 とまあ、こんな感じのことが頻発するようになった。その直後、もう一人のアルバイト、モヨたん(そう呼ばれていた)が、私を隅っこに引っ張って行って、こう言うのだ。

「ちょっと理子さん、報告したいことがありますのや」

「え、なんですか?」

「奥さんのことですねん。ちょっと最近、なんていうのか、少し、ねえ…」

「はい…」

「あたしたちも心配しておりますねん…」

「なるほど…」

と、こんな具合だ。

 確かに私も、思い当たることはあった。義母に「あなた、消費税込みと消費税抜きとどっちが好き?」と聞かれたのだ。どういう質問? なにごと!? と思ったのだが、戸惑いながらも、「消費税込み、かな…」と答えた。すると義母は猛然と怒りながら、「でも消費税を入れたら3850円になりますやんか! 値段は3500円でしょう? それでもええの!?」と言うではないか。どどど、どうしたらいいんや? 意味がわからない? と焦る私にかまわず、義母は怒り続けた。

 決定的な事件が起きたのは、その年の大晦日のことだった。夫と義母が、消費税込みか消費税抜きかを巡る、大げんかをしてしまったのだ。

つづく

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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