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おんなのじかん

 コロナウイルスの影響で『テラスハウス』の撮影が休止になってしまった。
 なんでじゃ! テラスハウスの中でみんなで自粛してればええやんけ! 撮影スタッフが入るのが問題なら固定カメラで二十四時間撮りっぱなしにしとけや! 江の島デートしてるところなんかよりそっちのほうがよっぽど見たいぞ! この際スタジオトークもいらんから! と強欲な視聴者としてはつい思ってしまうのだが(『テラスハウス』には視聴者をモンスターにさせてしまうなにかがある。ほんとうに恐ろしい番組である。こんなことをして法に触れないのかと、ときどき不安になるほどだ。違法とわかっていながら視聴したらそれも犯罪になるんじゃなかったっけ?)、緊急事態宣言下の半軟禁状態で撮影を続行したりなんかしたら、住人たちのストレスが溜まりに溜まって殺し合いが起こりかねないから休止はやむをえないのかもしれない。この先、いつ復活できるのかまったく先が読めないけれど、このまま卒業してしまうメンバーもいるんだろうな、と思うと胸に空いた穴から少しずつ空気が抜けていくみたいな喪失感を覚え、「コレガ、サビシサ……」と感情の芽生えはじめたロボットのようにつぶやいてしまいそうになる。
 というのも、だれとも会わずに引きこもり生活をするようになって二ヶ月になるが、まったくこれっぽっちもさびしくないし、そうなる気配すらないのである。『テラスハウス』を見ながらのLINE飲みが開催されなくなってもなんの問題もなく、"さびしさを知らないさびしい人間"みたいなことになっている。ゆうても夫がいるしなとは思うんだが、あいかわらず毎晩遅くにしか帰ってこないので日中はずっと一人でいる。ジムにも行かなければ買い物にも週に二回しか行かないから、だれともしゃべらないけどぜんぜん平気。むしろ快適だと思っているぐらいだ。
 THE RAMPAGEの岩谷翔吾さんが、ひさしぶりにメンバーとスカイプで話した日の夜、気が昂って眠れなかったとインスタライブで話していたけれど、その感覚は私にも身に覚えがある。
 最近はそうでもなくなったが、若いころ――特に小説家デビューしてしばらくのあいだは、人に会った日の夜はなかなか寝付けなかった。それどころか数日ぐらい頭の中がざわざわして平常運転に戻らないことがよくあった。夫以外のだれとも顔を合わせず、ほとんど隠遁生活のような暮らしをしている人間にとって、ごくたまに接触する「外部」は刺激が強すぎるのだ。声帯も衰えているので翌日は喉がつぶれ、下手するとそこから一週間近く寝込むことさえあった。
 十年前、機関銃のようにしゃべりたおす作家の友人(ゆ)と新宿で焼肉を食べたその夜は、翌日に新刊の書店まわりが控えていたというのに一睡もできなかった。いまだに友人(ゆ)とさしで話していると、情報量が多すぎてふっと意識が飛びそうになる瞬間がちょくちょくある。
 以来、東京に行くときには、大事な用事を先に済ませてから友だちに会うようにしている。二月の半ばに上京したときは、初日の昼に雑誌の取材を受け、夜は漫画家の友人(い)と編集者数名とで食事した。
 当時はまだクルーズ船の乗客が下船できないまま船内に閉じ込められている状態で、もちろん彼らの身を案じながらも、その場にいた全員がおうちの達人みたいな人たちだったから、Wi-Fiとタブレットさえあればいくらでもこもっていられるよね、Kindleの積読を片っぱしから崩し、ビンジに次ぐビンジで海外ドラマを制覇してれば二週間ぐらい余裕っしょ、なんて冗談で話していたけれど、まさかその一ヶ月後に日本中の人たちが半強制的にそんな生活を送るはめになるとは思っていなかった(いざそうなってみると、読書もビンジもそこまで捗らないものですね……)。
 ふだん、友人(い)はアシスタントさんと推しの話やオタク話をし、編集者は同僚と日々のニュースや身のまわりのトピックについておしゃべりをして、自分の中に溜まっていく澱のようなものを発散していると言っていた。もしリモートワークになってそれがなくなったらつらいだろう、家族以外のだれかに向けてのアウトプットが必要なのだ、とも。
 それから一ヶ月もしないうちにほとんどの出版社がリモートワークに切り替えたようで、四月の終わりに差しかかった現在、担当編集者たちの様子がおかしくなっているのがメールからありありと伝わってくるようになった。文芸編集者なんてインドア&文化系の代表みたいな職種ではあるが、なんだかんだいって人に会うことが多い仕事でもあるから調子がくるっているんだろう。マジでご自愛してマジでと遠方から声をかけることしかできないのがつらい。まあ、なんだったらあれだ、流行りのZOOM飲み会でもそのうちしましょう。
 東京二日目には友人の結婚祝いをするため、女ばかり十人ほど集まって四谷三丁目の中華料理店でごはんを食べた。夏に神楽坂でいっしょにシャンパンを飲んだデカ長もきていて、新婚生活についてねほりはほり聞きまくっていた。けっこうなボリュームの料理をすでに何品も頼んでいるのに、メインの肉はどうするだの、〆にチャーハンでも食うかだの、もっと食え食えと田舎のばあちゃんみたいなことをしきりに若い店員さんが言ってくるので、「いや、うちら中年なんでそんなに食えないから」とそのたびに断った。もしかしたらコロナの影響で客足が遠のいてるから、無理にでも中年女のグループにたくさん食べさせようとしたんだろうか。その分、お酒をいっぱい飲んだので許してほしい。
 まだこのころはみんな危機感も薄くて、だれかが「濃厚接触」という言葉をエロワードみたいに使ったら競うようにわっとみんなでかぶせて、けらけら笑ったりしていた。なんの話をしていたのかもうほとんど忘れてしまったけど、このときも『テラスハウス』の話をしていた気がする。べろべろに酔っぱらってきゃあきゃあ騒いですごく楽しかったけど、終電が近づくにつれて少しずつみんなちりぢりになっていった。こんなに楽しいのに帰ってしまえるなんてすごい、とお開きの時間が近づいてくるといつも思ってしまう。「お・と・な・じゃーん」とノリオみたいに指さして言いたくなる(※中年ゆえ引用が古い)。たいてい私はずるずるとその場に居残って、終電を逃してタクシーで帰るはめになる。この日もそうだった。なにがさびしいって、だれかといっしょにいたときの別れ際が私はいちばんさびしい。

 いまから思えばこの二月は、私にしては活動的な一ヶ月だった。
 二月の頭には大須にある喫茶アミーゴというお店で、まさに絵に描いたような三密状態の中、少女漫画について語るイベントを開催した。二月の終わりには、同じく喫茶アミーゴで村上開新堂のクッキーをお迎えし、『ミッドサマー』風のテーブルセッティングでお茶会をした。自粛前にぞんぶんに人に会っておいたから、いまもそこまでさびしさを感じずに済んでいるというのもあるかもしれない。おかげで三月に書き終わる予定だった連載小説がずるずると後ろ倒しになり、四月の後半に差しかかってようやく書き終えたところである。
 人と会うのが嫌いなわけではなく、むしろ好きなんだけど、あっというまにキャパシティを超えてしまうから制限をかけている、といったほうが正しいかもしれない。私の場合、はっきりと仕事の進捗に影響があらわれるので困りものである。いったん集中力が途切れると、もとに戻るまでにかなりの時間を要してしまう。
 二十歳で実家を出てから二十年以上になるが、地域コミュニティに属することもなく、社会から切り離されたはぐれ者のように暮らしてきて、たぶん一生このままなんだろうなという予感がある。子どもがいればまたちがったのかもしれないが、流動性のない閉じた人間関係の中に置かれると、「密です! 密です、密です、密です!」と叫んですぐさま逃げ出したくなる私のような人間にはこの生活が向いているのだと思う。SNSやLINEで遠隔でつながってるぐらいがちょうどいい。インターネット万歳。静かで平穏な「人里離れた」この暮らしを私は気に入っている。
 おそらくこれから――完全に元の世界に戻るまでにどれだけの時間がかかるかわからないけど――そもそも元の世界になんて戻れるのか? という気もするけれど――人と人との関わり方は大きく変わっていくんだろう。韓国政府が発表した"新しい日常"のためのソーシャル・ディスタンス指針を和訳したものがネットにあげられていたが、人が好きで、人と触れ合うことが好きで、人と密接につながりたい人にとってはしばらくつらい日々が続くだろう。恋愛や結婚の形はいやおうなく変わっていくだろうし、家族や友だちという概念も揺らいでいくかもしれない。『テラスハウス』なんて存続させるのも難しいんじゃないだろうか。さすがの私でも、あまりの人恋しさに「コレガ、サビシサ……」とつぶやく日がやってくるかもしれない。
 それでも、孤独に慣れきってからだれかと飲む酒はこの世のものとは思えないほど甘露だよ。副作用で眠れぬ夜を連れてくるのがたまに瑕ではあるけれど。

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何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

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