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おんなのじかん

 昨日(編集部註・2020年4月10日金曜日)、愛知県にも県独自の緊急事態宣言が出された。
 この二か月ぐらいずっとざわざわした気持ちで暮らしていた。東京のタクシー会社で運転手が全員解雇されたというニュースを見た。やっと念願だった店が出せたのにと嘆く飲食店の店主や月収が五万円にまで減ってこのままでは生活がたちゆかなくなるという女性の街頭インタビューを見た。様々なイベントや公演が中止・延期を余儀なくされていて、このままでは文化とそれに関わる人たちが死んでしまうとあちこちから悲鳴が聞こえてくる。私も談春の独演会とTHE RAMPAGEのコンサートのチケットが泡になった。
 近所のクリーニング店に冬物を取りにいったら、「みんな家で仕事しとるもんだから、ワイシャツとかそういうのがぜんぜんこなくなって困っとる」とお店のおばさんが話していた。家に帰ってからなにかクリーニングに出せるものはないか探したけど見つからなかった。スーパーに行くと、いまだにトイレットペーパーが店頭に並んでいなかったりする。ハンドソープまで品薄。緊急事態宣言が出されてもまだ営業を続けようとしているお店はたくさんあって、そこで働く人たちの感染を恐れる声をSNSで目にした。
 三日続けて夜中に救急車のサイレンが聞こえた。どこかで事故でもあったのかな、なんて最初のうちは夫と話していたけれど、もしかしたら自宅療養中に病状が悪化した感染者かもしれない、と昨晩ベッドの中でふと思った。焦燥感と不安感、罪悪感が日々つのっていく。
 テレビでニュースを流しながら何時間もえんえんとスマホを見続けていて、あるときバケツの水があふれるみたいに涙が止まらなくなった。花粉症みたいなものだろうか。許容範囲を超えてしまった。人の命よりも経済や利権、そしてなによりオリンピック開催を優先する政府の対応に怒りの声をあげる人々を、非難し冷笑する声がこのところ目立ちはじめている。「こんなときに非難してる場合じゃない」とかなんとか訳知り顔で。それを知り合いが「いいね」したりリツイートしたりしているとよけいに食らう。政治家が毎日のようにとんちんかんなことを言ったりやったりしているのに、いま批判しないでいつするんだろう。金曜日の夜、歌舞伎町を巡回する警察官の手には警棒が握られていた。「みんなでひとつになろう」と言われても、ひとつになんてなれるかよ。"美しい物語"で目くらまし。とんだディストピア。
 これはまずいな、と思ってスマホを見ないようにするアプリをダウンロードした。スマホを見ないようにするスマホのアプリってどういうこっちゃねんと思いながら、魚を育てるアプリと木を育てるアプリ、どちらかで迷って木を育てるアプリのほうにした。コインを集めたら世界のどこかに本物の木を植えられるらしい。最初の何回か、木の種類が選べることを知らなくてスギばかり植えていた。ぎゃー! 見ているだけで目がかゆくなる。
 今週に入ってから日中はずいぶん暖かくなって上着がいらないぐらいの陽気になった。近所の児童公園では、散りぎわの桜の下、子どもたちが甲高い声をあげながら毎日飛びまわっている。例年どおりなら、ああ、春だな、春がきた、とはちきれそうな喜びを感じるところなのに、心の中はしんと静まりかえっている。
 2011年の春もこんなふうだった。ある一定のラインを超えたら、奇妙な静けさがやってきた。あのときも感受性をにぶくして、できるだけなんにも感じないようにして酒ばかり飲んでいた。うちにはいま箱ワインと角瓶がある。昨日も飲みすぎてNetflixで映画を観ながら寝落ちしてしまった。

 普段からずっと家にいるので、私の生活はさほど変わっていない。もともと家族以外の人に会うのは月に一、二度ぐらいが限界でそれ以上だとノイズになってしまうので、いまのところそんなにさびしくもない。
 月曜日(日付が変わっていたから火曜日か)の夜には『テラスハウス』を観ながら友だちとLINEのビデオ通話で話した。また来週もやろうねと言っている。毎週これがあるならさびしくなることもないだろうけれど、『テラスハウス』の収録が現在どうなっているのか、それが気がかりなところではある。進んでまわし飲みをしたがる男性がちょうどいま出演しているんだけど、そんなの一発アウトじゃんね。
 ジムに行けないかわりになるべくたくさん歩くようにしている。わざわざ遠くのスーパーまで行って、腕がちぎれそうになりながら荷物を抱えて帰ってくる。花を飾り、コーヒーを淹れてお菓子を食べ、サウナに行くかわりに家で温冷浴をする。日曜日には夫と外食をしてレイトショーで映画を観るのが長年のルーティンになっていたのだけど、最近は配信で観そびれていた古い映画を観ている。『復讐するは我にあり』が面白かったので、次は緒形拳つながりで『火宅の人』を観るつもり。大林宣彦監督の映画をこの機会に観返すのもいいかもしれない。
 変わったのはそれぐらいで、あとはほんとうに平常どおりだ。夫は介護職なので、よほどのことがないかぎり仕事を休めない。夫は喫煙者で、ふだんからよく咳をしているので感染したら重症化するかもしれない。私は毎日家にいて原稿を書いている。平常どおり日常が進んでいくことに罪悪感をおぼえてるあたり、ほんとうに東日本大震災のときと似ているんだけど、この先どうなるかわからないという不安はあのとき以上にある。なにかが大きく変わってしまうという恐怖。どう変わるのかがまったくわからないからよけいに怖い。
 去年から連載している小説の最終回をちょうどいま書いているのだけど、令和元年を生きる女性芸人と女性アナウンサーの話で、最終回は令和二年の春にまで時間が差しかかる。去年はお笑い業界に激震が走った年だった。元号が変わったのを記念してというわけでもないけれど、令和元年がどんな年だったか記録しておく意味で、私にしては時事ネタをもりもり盛り込んだ小説になった。コロナのことを無視して最初に予定していたとおりの展開にするのがどうにも躊躇われ、このところずっと書きあぐねている。テレビが大好きで、テレビに憧れ、テレビの世界に飛び込んだ主人公が、志村けんの訃報を知る前に物語を閉じられたらよかったのに、もうそういうわけにはいかない。
 それでも小説を書いているあいだはその世界に没頭していて、ほんのいっときでも現実を忘れていられる。仕事で小説を書き、あとの時間のほとんどは本を読んだり映画を観たりしている私はつねに現実逃避をしていることになるので、多少は現実を見ておかないと、という妙な義務感があり、テレビのニュースを流し、えんえんとスマホを見て、これはまずいと思ってスマホの森に木を植える(以下くりかえし)。
 そういえば不妊治療の現場はどうなっているんだろうと気になって通っていたクリニックのサイトを見たら、4月1日に出された日本生殖医学会の声明を受けて、不妊治療の延期を検討するよう呼びかけていた。妊娠中はそれでなくともなにかと不安がつきまとうのに、いま妊娠中の人たちはどれだけ心細い毎日を過ごしていることだろう。里帰り出産は控えるように、とテレビのニュースでも呼びかけていた。現在、産院では立ち会い出産も面会も禁止されているという。それを考えたら不妊治療の延期も致しかたないのかもしれないが、リミットの迫った夫婦にとっていかに酷な選択であるか、やるせなくなってそっとサイトを閉じた。

 毎年五月には、鶴舞(つるま)公園のばらを見ながらロゼワインを飲む"マリー・アントワネット会"をしている。花見のシーズンはまだうす寒いし混雑しているし花粉症もあるしで、ちょっと時期をずらしてばら見にしようよ、と友人(わ)が言い出して、作家仲間やなかよしの編集者数人のあいだで恒例になっている会だ。
「なんて優雅なの。私たち、マリー・アントワネットみたい」
 作家の先輩(お)さんがそう言っていたので、いつのまにか"マリー・アントワネット会"という名前になっていた。鶴舞公園にはフェルゼン、オスカル、王妃アントワネット、アンドレという名前のばらが順に並んで咲いている。推しのルイ16世がいないのがなんでやねん! というかんじではあるが、はじめてばら見をしたその翌年にまさかマリー・アントワネットの小説を書くことになるとは思っていなかった。「呪いだね、ばらの呪いだよ」と連載が終わるまでことあるごとに先輩(お)さんが笑って言っていた。
 『マリー・アントワネットの日記』のスピンオフとして書いた『ベルサイユのゆり』にヴィジェ=ルブランという王妃の肖像画家だった女性の章がある。甘やかでロマンティックな美しい絵を描く画家で、革命が起こってからはフランスを逃げ出し、ヨーロッパの国々を渡り歩きながら王侯貴族の肖像画を描いて食いつないでいたのだが、彼女もまた、拭いたくても拭いきれない罪悪感を抱えていたんじゃないかと思う。
 亡命中にヴィジェ=ルブランは、おそらくは贖罪のつもりで、ルイ16世の処刑前夜の、国王一家の別れの様子を描こうと試みたが、途中で筆を折っている。このエピソードを知ったとき、作家としての誠実さのようなものを感じた。甘く乙女チックな作風だった画家が、革命が起こったからといって急に社会派を気取り、深刻な顔をしだしたらそっちのほうが要注意だし、信用ならない気がする。

 私は美しいものを愛していました。美しいものを美しく描くことこそが私の天分でした。美しいものがただ美しくいられた古き良き時代が心からなつかしい。

『ベルサイユのゆり』で書いた彼女の心情は、そのまま私の心情に重なる。甘くふわふわした少女趣味な小説ばかり書いていた私が、2011年の春に感じていたことだ。いまだってまったく不甲斐なさを感じないわけじゃないけれど、甘いお菓子やキャンディの効能をなめんじゃねーよとも思っている。不要不急の、なんの栄養にもならない、そういうものでしか癒せない傷があることを知っている。
 五月の日本がどうなっているか、現時点ではまったくわからないけれど、おそらく今年は"マリー・アントワネット会"を開くのは無理だろう。この原稿を書いている途中で、友人(わ)から鶴舞公園に宴会禁止の立て看板が出ていたと写真が送られてきた。すべての楽しい飲み会がそうであるように、いい年した大人たちが集まってくだらないことばかり言ってけらけら笑っている、こんな日があるからまた一年がんばれる、私にとってはご褒美のような一日。次にいつそんな日がやってくるのかわからないけれど、いまはその日を待ちわびながらひたすらパンを食べている。お菓子がないならパンを食べるしかないじゃない。
 五月になったら、ばらを見にいこうと思う。鶴舞公園までうちから歩いて30分ぐらい。いい運動になるだろう。よく晴れた日にひとりでばらを見にいく。それは、おやつに入りますか?

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

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