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おんなのじかん

 すぐに人を好きになるけれど、すぐに失望もする。
 ほんとにうかつに人を好きになる。よく知りもしないくせに好きになる。
 そのくせ、ちょっとでも思ってたのとちがう面が見えてきたりするとすぐに離れたくなる。顔も見たくないほど嫌いになることさえある。
 この頃は、その人のことを、あんまり知らないでいたほうがずっと好きでいられる気がする。

 岩井勇気さんのことを考えながらいまこれを書いている。
 岩井さんのことは以前からぼんやりとは知っていたけど、とくべつ好きでも嫌いでもなかった。好きになったり嫌いになったりするほど、よく知らなかったとも言える。
 去年、新潮社からエッセイを刊行されたようで、そのパブリシティのためにあちこちの媒体で岩井さんを見かける機会が増え(テレビより紙やラジオのほうがなじみがあるのでこういう認識になってしまうのが申し訳ない)、あ、たぶん、この人のこと好きだなって予感があったんだけど、いまこのタイミングで岩井さんのことを好きになるってすげえダサいよなと端的に思って、見ないふりをしていた。ミーハーのくせにあまのじゃくなので、ときどきこういうことになってしまう。好きになったら負け、好きになるのがしゃくだとさえ思っていた。
 そこへ、塩の魔人が舞い降りてしまったのである。
 四月に放送された『ザ・ドリームマッチ2020』という番組で岩井さんが渡辺直美さんと組んで披露したネタが「塩の魔人・醤油の魔人」だった。EDMトラックに乗せて、塩の魔人・醤油の魔人に扮した二人がくりひろげるミュージカル調コントである。
 『ザ・ドリームマッチ』は、いまをときめくお笑い芸人総勢二十名がツッコミとボケに分かれ、フィーリングカップル形式でカップリングを成立させ、ネタを披露するという主旨の番組である。一人の芸人に数人から指名が集まったり、一途に思いを寄せられ続ける芸人もいたりして、そんな状態を「モテモテ」とか「いい女」などと表現し、たがいにたがいを褒めあってホモソしぐさでいちゃいちゃしてるのをにやにやしながら見守っていたけれど、古い油で揚げた糖衣たっぷりのドーナツみたいで、途中から胃がもたれてしまった。
 二十名の中で女性の芸人は渡辺直美さんただ一人というのもびっくりだったけど、彼女がほとんど画面に映らないことにはもっと驚いた。だって渡辺直美だよ!? 私なんて直美ちゃんが見たくて見てたようなもんなのに!? 日本を代表するポップ&ファッションアイコンである渡辺直美がホモソ芸をくりひろげるドメスティックな男芸人の中に入っていけず端に追いやられている様子が見ているだけでしんどくて、『ドキュメンタル』のシーズン4で「男社会だなって……」と泣き出した黒沢かずこさんをいやでも思い出してしまった。ジェーン・スーさんの対談本『私がオバサンになったよ』で、「男の芸人たちのパスワークの中になかなか入れない」と語っていた光浦靖子さんのことも。
 そんな中、岩井さんだけが最初からずっと直美さんを指名していたことが後になってから判明し、すっかり白けきった目で番組を見ていた私は、感激のあまり噴き出てきた涙をパジャマの袖で何度も拭わなければならなかった。好きになったら負けとか言ってる場合じゃなかった。好き。もう完全に好き。もはや好きが止まらない。
 しかも、それで披露したネタが「塩の魔人・醤油の魔人」なんだから最&高が限界突破である。惜しくも優勝は逃してしまったけれど、当初のもくろみどおりSNSでバズったから、試合に負けて勝負に勝った感ありありで、『幽☆遊☆白書』における暗黒武術会での蔵馬vs鴉戦に匹敵するムネアツ展開であった。
 それから岩井さんのTwitterアカウントをフォローしたりラジオを聞いたりするようになったんだけど、いまのところ嫌いになる要素が見つからなくてどうしようかと思っている。これ以上好きになってから幻滅するより、手っ取り早く嫌いになったほうが傷つかなくて済むし、ずっと好きでいたいならこれ以上知らないでいたほうがいいのかもしれないとも思う。

 元来、私は度過ぎたミーハーなので、芸能界やそれに準ずるものが大好きで、これまでにもたくさんの芸能人やそれに準ずる人をうかつに好きになり、その人の情報を集めたり作品を視聴したりライブに通ったりしてきた。中にはもうそれほど熱心に追いかけなくなってしまった人もいるし、好きが転じて嫌いになってしまった人もいる。ほんの一瞬すれちがった程度で、一時期関心を寄せていたことすら忘れてしまったような人もいる。
 もちろん向こうは私の存在など知るわけもないから、一方的に思いを寄せたり離れたりするだけだ。でもなんだかときどき、とても無責任でいけないことをしている気分になる。芸能人に対する好きとか嫌いをこんな形で表明するなんてほとんど暴力みたいなものなんじゃないかって。
 十代のころに大好きだったミュージシャンが、時代からはぐれたような発言をしているのをSNSで見かけたりすると、変わってしまったのはむしろこっちのほうで、あのころのまま彼はなんにも変わっていないのに、恥ずかしいからやめてくれとか、そんな姿見たくなかったとか傲慢なことを思ってしまう。いっそ嫌いになれたら楽なのに、なんせ十代のころに夢中だった人だから、彼を好きだったころの幸福な記憶が細胞ぜんぶに刻まれている。あんなふうに人を好きになることはたぶんもう二度とないんだろうなと思うと、いつまでも未練がましくぐずぐずと"捨てられないもの"の箱に入れておきたくなる。
 外出自粛が"要請"されるようになってから(どう考えてもおかしい日本語だけど、はたして新潮社校閲部のチェックは通るんだろうか)、さまざまな有名人がインスタライブを行ったり無料動画を公開したりするようになって、ミーハーな私と妹(ま)は以前より忙しい毎日を送っている(編注・緊急事態宣言中に執筆された原稿です)。推しはもちろんよく知らない芸能人まで、毎日だれかしらのインスタライブを見ながら、カート・コバーンのポスターを部屋に貼ってる! だの、家にいるのにしかも夜なのに帽子にサングラス……? だの、家電がぜんぶバルミューダ! だの、ぎゃーぎゃーLINEで実況するのがなによりのエンターテイメントになっているのだ。おかげで妹(ま)はいまバルミューダのトースターのことで頭がいっぱいらしい。
 KokiとCocomiの姉妹二人が、「結婚相手はとと(木村拓哉)よりかっこいい人と決めている」と発言したインスタライブは残念ながら見逃してしまったのだが、あとから細切れの動画をあちこちからかき集めてきて、「なんなのこの子たち、『りぼん』マンガの主人公を地でいってる」「吉住渉クンの世界みたい」「髪きれいすぎん?」「このまま『りぼん』コミックスの表紙になれる」とひとしきり悶えた。デビューグラビアを見た瞬間からKokiのことなんかもちろん当たり前のように大好きになってしまったけど、Cocomiにいたっては生まれたときからすでに大好きだった。キムタクと工藤静香の娘、心美ちゃんっていうんだー! かわいー! って十八年前から大騒ぎしていたからね。あの一家とは今後も家族ぐるみのおつきあいをしていきたいものである。
 ――とまあこんな具合に、容姿やトーク力や受け答えのセンスやファンへの気配りやインテリアやファッションだけに留まらずしまいには家族関係まで持ち出して、画面に映るだれかを褒めたりけなしたりほかのだれかと比較したりして、毎日ものすごい勢いで人間を消費している有様である。彼らの自宅からパッケージングされていない素のままの(ように見える)状態で、スマホの小さな画面で自分に向かって直接話しかけられる(ように見える)から、脳がバグってしまっているのかもしれない。

「あなたって、〇〇だよね」
 と人から規定されることが私はとにかく嫌いで、そんなことをだれかに言われようものなら、たとえそのとおりであっても、たとえ〇〇の中にあてはまる言葉が称賛であったとしても全力で否定したくなる。
 なのに、芸能人やそれに準ずる人には勝手にレッテルを貼り、好きになったり嫌いになったりしてるんだから我ながら驚いてしまう。同じ人間だと思ってないから気安く扱えるのかもしれない。画面の裏側でその人がどんな苦悩を抱えているかも知らずに、画面に映ったその人の一部にうかつに心を奪われ、妹(ま)ときゃーきゃー言ったりこうして文章に書いたりする。その暴力性には自覚的でありたいと思っているが、それで罪が軽くなるわけでもない。
 私が見ている月の輝きは、太陽の光をあてられたほんの一面にすぎないということを、忘れないようにしなければと思う今日この頃である。

 ひとまず、ずっと見ないふりをしてきた岩井さんのエッセイを読んでみようかと思う。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

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  • 津野海太郎「最後の読書」読売文学賞受賞


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