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おんなのじかん

2020年8月5日 おんなのじかん

21. リトルブラックドレスはもういらない

著者: 吉川トリコ

 運命のリトルブラックドレスを見つけなきゃ。
 シックな大人の女のクロゼットに不可欠なのがリトルブラックドレス。
 フランス人は10着しか服を持たないが、そのうちの一着は当然LBDである。
 旅先に持っていくのに、ちょっとしたパーティーに、夫婦の記念日に、LBDさえあれば他になにもいらない。

 そんなふうに思っていた時期が私にもあった。いい年していまだ運命のリトルブラックドレスに出会えていないなんて、私ったらぜんぜんシックじゃないわ! と海外ドラマの吹替調子で叫びそうになるぐらいにはLBDの呪いにかかっていた。
 リトルブラックドレスと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ココ・シャネルのあまりにも有名なあのポートレイトだ。黒いシンプルなドレスに煙草をくわえ、ハットを斜にかぶり、コスチュームジュエリーとパールのネックレスをじゃらじゃら重ねづけしたあのスタイルはいま見てもなお新鮮で真似したくなる。
 それから、リトルブラックドレスの代名詞ともいえるヘップバーン×ジバンシィの鉄板コンビによる「ティファニーで朝食を」のスタイリング。マリリン・モンローやダイアナ妃のセクシーなLBD姿もファッション誌などで何度となく目にしてきたし、最近ではミシェル・オバマのゴージャスなLBD姿も印象に残っている。
 意匠を凝らした色とりどりのドレスを着たセレブリティたちが、メットガラやオスカーのレッドカーペットに降り立つ姿を見るのも好きだけれど、やっぱり私がいちばんうっとりしてしまうのはLBD姿の女たちだ。けれどそれは、私個人の好みというよりは、「シャネルは女たちの永遠のあこがれ」「黒こそシック」「ヘップバーンはエバーグリーンなファッションアイコン」等々、ファッション誌による刷り込みのせいではないかという気がしないでもない。

 これまでさんざん母による圧政について書いてきたが、うちの母がとくにその圧を強くするのが服飾に関することだった。文化服装学院を卒業後、名古屋のオリエンタル中村百貨店(現・三越)でアパレル販売員をしていた母は、服飾にひとかたならぬこだわりがある人だった。
 結婚した当初のころはまだ父の会社もうまくいっていたようで、なんでも好きなものを買ってやると百貨店に連れていかれた母は、ずらりと並んだハイブランドには見向きもせず、45rpm(現・45R)に直行し、Tシャツやジーンズを何枚も買ってもらってうはうはだったという(※45Rはカジュアルブランドにしてはかなり値が張るほうだが、当時はお手頃価格だったようだ)。
「なんであのとき、バッグを買ってもらわなかったんだろう。いまだったらヴィトンに直行するのに……」
 だいぶ後になってから母はしみじみつぶやいていたが、DCブランド全盛期だったことを考えれば、ファッショニスタとしてはハイブランドではなく45rpmが「正解」だったんじゃないかと思う。
 いまでこそ海外に行くと、目の色変えてブランド品を買いあさる遅れてきたバブル爆買い女と化している私も、二十代のころはハイブランドよりも個性的なドメスティックブランドやUS古着などに夢中だったから、その気持ちはわからなくもない。そういえば二十代前半に百貨店の靴売り場に連れていかれ、なんでも好きなものを買ってやると母に言われて、「ケッ! おれは不良だよ…! こんな女子供の履くような靴なんてチャンチャラおかしくて…」とジョジョ第四部の名作回「イタリア料理を食べに行こう」の虹村億泰ばりに鼻で笑って見向きもしなかったことがある。いまだったらあれやこれや、百貨店イツメンの靴ブランドの名前がいくつも浮かぶのに。大嫌いな言葉だけど敢えて言う。血~~~!
 45rpmにはじまりドゥファミリィやホームズアンダーウェア、アニエスべーのスナップカーディガンやエルベシャプリエのリュック、デュラレックスのタンブラーなど、家にあった数々のアイテムを思い出すだに、どうやらうちの母はオリーブ少女ならぬオリーブおばさんだったようだ。洋服たんすの一段を占めるほどのボーダーTシャツ愛好家でもあった。母の日に奮発して、あるブランドのボーダーTシャツを贈ったら、「なんだ〇〇か。アニエスとまではいわないけどせめて××がよかった」と言われたことをいまだに覚えている。
 その程度の圧ならまだかわいいもので(ぜんぜんかわいくないけどな!)、娘たちが自分で買ってきた服飾品にケチをつけるなんて母にとっては息をするようにあたりまえのことだった。たまに褒めてくれることがあっても値段を聞いたとたん、「高っ。せいぜい千円ぐらいかと思った。こんなものにそんなに出したの?」と目を剥いたりする。生まれてはじめて買ったヒールの靴を「キャバスケみたいな靴」と吐き捨てるように罵られたことも忘れられない。お気に入りのダメージジーンズがいつのまにかなくなっていたのも、おそらく母が勝手に捨てたのだろう。
 母が好んで身につけていたアイテムは、どれもいまの私にはなじみがあって好ましいものだけど、十代の私にとってはそうじゃなかった。ヴィヴィッドカラーのピタTや大きな花の形のイヤリング、厚底のコンバース、甘いフリルのティアードスカート、鋲のついたチョーカー(嗚呼、90年代CUTiE少女!)。十代の少女の胸を騒がせるような、キッチュで個性的で刺激的なアイテムがそこらじゅうに目移りするほどたくさん売っていて、お小遣いをやりくりしてその一部をやっと持って帰ったら、大きな手のひらで頭からぺしゃんこに押しつぶされる。さっきまでキラキラしていたものがそのたった一言で汚され、喜びではちきれそうだった胸は見るも無残にしぼんでしまう。
 たしかに母はセンスのいい人だった。そうして、自分にとって"センスのいい"ものしか認めようとしない人でもあった。多かれ少なかれ、親というのは自分の望むとおりの服装を子どもにさせたがるものなのかもしれないけれど、それに加えて、自分の美学に反するものは頭ごなしにけなしてもかまわないというファッショニスタ特有の傲慢さが、母にはあった気がする。

 ここでココ・シャネルを引き合いに出すのはさすがにおこがましい気がしないでもないが、「香水をつけない女に未来はない」という彼女が残したとされる有名なフレーズを知ったのはいまから六、七年ほど前のことだ。あまりにも圧が鬼すぎて、すぐさま私はシャネルに駆け込み、ココマドモアゼルのオードゥパルファムを買った。同じくその名言を耳にした妹(ま)も涙目になって速攻でジミーチュウの香水を買っていたから、この言葉がどれだけ女――「ある種の」としておいたほうがいいかもしれない――に圧を与えるものかおわかりいただけるだろう。万が一、これを読んで香水を買いに行こうと思った人がいるといけないので念のため書いておくと、六、七年経つのにまだ一本使いきっていません。なんならタイガーバームのにおいのほうが好きなぐらいだから、私たぶん未来ないわ、わはははは。
 シャネルの作り出したスタイルは大好きだし、経済的にも精神的にも自立した女性像を確立し、さまざまな抑圧から女たちを解放してきた功績を尊敬しているし、その恩恵にあずかってもいるけれど、シャネルとは友だちになれそうにないな、とつくづく思ったものである。ココちゃんってさ、悪い子じゃないとは思うんだけど、たしかにおしゃれだしセンスの鬼だと思うよ? でも美意識高すぎていっしょにいるとなんか疲れるっていうか、容赦なくファッションチェックしてきそうでしんどいから飲み会に呼ぶのはやめとこ? ってなるのは私だけじゃないと思う。まあ、私のような意識の低い女、向こうもお呼びじゃないだろうけど、頼むからアナ・ウィンター(※アメリカ版『VOGUE』の編集長。『プラダを着た悪魔』に出てきた鬼圧編集長のモデルとしても有名)あたりを相手にファッション天下一武道会で戦っていてくれというかんじである。俺たち一般人にはあんたらの拳、速すぎて見えないよ……。

 話をリトルブラックドレスに戻そう。本稿を書いているうちに、時代や流行や趣味嗜好を超えた「正解」感が広く女たちを惹きつけていたのかな、なんて身も蓋もないことに思いいたってしまった。なにせ提唱者はセンスの鬼軍曹ココ・シャネル様である。間違いのなさでいったらぶっちぎりだ。
 ファッションに個性や刺激を求めていた若かりしころを過ぎ、次に私がファッションに求めたのは「正解」だった。年齢的なこともあるのだろうが、長引く不況によって時代がそういうムードになっていたことも関係している気がする。00年代後半に出版されたスタイルブックやおしゃれの指南書は、「上質な定番アイテムを着回して、センスのいい人に見られる」ことをコンセプトにしたものが多かった。
 大人の女のクロゼットに必要なのは黒か紺のジャケット、仕立てのいいトレンチコートと白いシャツ、フェミニンなワンピース、ボーダーTシャツとグラフィックTシャツ(10年代だとこれが白Tシャツになる)、ストレートジーンズ、センタープレスのスラックス、ヒールのパンプスとパールのネックレス、そして忘れちゃいけないのがリトルブラックドレス。
 ファッションには圧倒的かつ絶対的な「正解」があるという時代のムードの中で、それを象徴するのがリトルブラックドレスだったのだ。結婚式の会場にリトルブラックドレスの女が爆増したのもちょうどこの時期に重なる。その後、黒のオールインワンに取って代わられた観があるが、最近の結婚式ファッション事情はどうなってるんだろう。
 10年代後半になるとそれが、「ファストファッションでいかにおしゃれに見せるか」という方向にシフトしていくのだから、「デ、デフレーション……!」とつぶやいて空を仰がずにはいられない。さらにはそこにパーソナルカラーや骨格診断が加わって「正解」が多種多様になり、万人に通用するものではなくなっていった。
 改めて考えてみれば、そもそもファッションってそういうものなんじゃないだろうか。その人に合ったものをその人が着たいように着る、というのが唯一の「正解」で、センスがあろうとなかろうと、安物だろうとハイブランドだろうと、流行アイテムだろうと流行遅れだろうとなんだってかまわない。ついでに言うと、パーソナルカラーも骨格診断も気にする人はすりゃいいし、気にしない人はしなくていいと思う。同じようにおしゃれしたい人はすればいいし、したくない人はしなきゃいい。
 社会に属する人間としては、ある程度の清潔感とTPOは守っておきたいところではあるけれど、ルールや美意識を他人に押しつけるなんてもってのほか、ファッションで他人をジャッジするような人間は、来世ではひたすら絹糸を吐き続ける虫にでも生まれ変わればいい。あ、でもその手の人間は虫になったところで「俺の吐き出す糸、シルクの原料だし」といらぬマウントを取りそうだから、衣類を食うことでファッショニスタたちに忌み嫌われているヒメカツオブシムシにでも生まれ変わってくれ。

 いつのまにかLBDは「女の定番」から姿を消していた。これさえあれば安心だったはずの、シックな大人の女の必須アイテムだったはずの、女たちが憧れてやまなかったはずのリトルブラックドレス。
 だけど私は、もういらない。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

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