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名ぜりふで読み解く日本史

2020年9月24日 名ぜりふで読み解く日本史

第2回 「成り上がり」秀吉の劣等感と自負心

豊臣秀吉「秀吉若輩之時、孤と成て、信長公の幕下に属す」(『伊達家文書』など)

著者: 呉座勇一

豊臣秀吉像 狩野光信筆 高台寺蔵(Wikimedia Commons)

謎に包まれた出自

 日本一のサクセスストーリーと言えば、豊臣秀吉の天下統一を思い浮かべる人が多いだろう。足軽から天下人になったのは、日本史上、秀吉しかいない。伊藤博文や田中角栄が「今太閤」と呼ばれたように、秀吉は大出世の代名詞的存在である。
 ところで秀吉はもともと、どのような身分に属していたのだろうか。実は、秀吉の出自を語る多数の史料のうち、信頼できるものはほとんど存在しない。このため農民説、土木技術者説、行商人説、芸能民説など諸説が乱立している。最近では、インターネット上で「実は秀吉はそれなりの身分の武士出身ではないか」という説が流布するほどである。
 秀吉の父親に関する一般的なイメージは次のようなものであろう。秀吉の父は木下弥右衛門である。弥右衛門は織田信秀(信長の父)の鉄砲足軽だったが戦場で負傷し、尾張国愛知郡中中村(現在の愛知県名古屋市中村区)で百姓となった。弥右衛門は「なか」(秀吉の母、のちの天瑞院)と結婚し、「とも」(秀吉の姉、のちの瑞龍院)と秀吉の2子をなしたが、秀吉が8歳の時に亡くなった。そして弥右衛門死後、なかは信秀の同朋衆(貴人に近侍する芸能民)である筑阿弥(竹阿弥)と再婚し、秀吉の弟の秀長と妹の朝日(のちの南明院)を産んだという。
 以上の記述は、江戸時代の延宝4年(1676)以前に成立した『太閤素生記』に基づく。同書の著者である土屋知貞は尾張中村出身の養母から秀吉の逸話を聞いたというから、それなりの信憑性はあると考えられている。 
 『太閤素生記』に従えば、秀吉の父である弥右衛門は「木下」という名字を持っていたことになるので、弥右衛門は武士、あるいは上層農民ということになる。しかし『太閤素生記』は秀吉の生年など重要な情報を間違えており、弥右衛門が「木下」という名字を持っていたと説く同書の主張を軽々に採用できない。なお学界では、木下姓は秀吉の妻である「ねね」(のちの高台院)の母方の姓とする説もある。
 さて『太閤素生記』に先行して寛永年間に刊行された小瀬甫庵の『太閤記』は、秀吉の実父を筑阿弥とし、筑阿弥は織田大和守(信秀の主君)に仕えていたと語る。『太閤素生記』が説く秀吉の生い立ちは、『太閤記』の記述を基に脚色したものと思われる。『太閤記』の書きぶりでは秀吉は百姓の出ではなかったようだが、さりとて立派な身分とは言えない。加えて、『太閤記』の記述は他の史料で裏付けることができない。
 以上のように、弥右衛門や筑阿弥の実在を史料によって確定することはできない。秀吉は天下人なのに、父親の名前すらはっきりしないのである。
 この事実は、秀吉の出自が非常に低いことを示唆する。実際、秀吉が織田家の武将として名を成す以前に、秀吉の親族で一定の地位を得ていたのは、秀吉と同じく織田信長に仕えた秀長だけである。寛永8年(1631)以前に成立したとされる『豊鑑』(秀吉に仕えた竹中半兵衛重治の子である竹中重門が著した秀吉の伝記)は「郷のあやしの民の子なれば、父母の名も誰かは知らむ。一族などもしかなり」と記している。的確な評価だろう。

「乞食」と言われ「御落胤」と自称

 同時代史料を見る限り、当時の人々は豊臣秀吉を下賤の身とみなしていた。毛利氏の外交僧である安国寺恵瓊は、秀吉との領土画定交渉を担当し、経過を本国に報告しているが、天正12年(1584)の書状で「少事の儀は、小者一ヶにても、また乞食をも仕り候て存ぜられ候仁」と秀吉を評している(『毛利家文書』)。秀吉は若い頃には取るに足らない下働きで、乞食もしていたというのである。
 また天正14年、秀吉は関白としての立場から大友宗麟への攻撃を続ける島津義久に停戦を命じた。対大友戦を優勢に進めている島津は停戦命令に反発するが、拒否すれば秀吉を敵に回すことになる。島津家中で侃々諤々の議論になり、島津氏家老の上井覚兼は「羽柴の事は、寔々由来なき仁と世上沙汰し候」と日記に記している。秀吉はどこの馬の骨かも分からない人物だと見下しているのである。
 イエズス会宣教師のルイス・フロイスも著書『日本史』に、秀吉は「貧しい百姓の倅として生まれた」と記している。むろん以上3つの記述は伝聞情報だろう。けれども逆に言えば、秀吉は身分の低い成り上がり者であるという評判が世間に広く浸透していたのである。
 秀吉は自分の出自をどう認識していたのだろうか。コンプレックスを持っていたことは間違いない。秀吉の母親孝行は良く知られているが、秀吉が父親について語った史料は残っていない。父親の身分を隠したかったのだろう。
 秀吉の御伽衆(貴人の話相手)である大村由己が記した秀吉の伝記『天正記』の一部をなすものとして、『関白任官記』という史料がある。『関白任官記』の奥書には「天正十三年八月吉日」とあり、同年7月の関白任官直後に執筆されたことが分かる。この史料によると、秀吉の祖父は萩の中納言という人物で、讒言によって、尾州飛保村雲に流された。その後、中納言の娘(秀吉の母)が上洛して宮中に仕え、程なく子供が産まれた。それが秀吉だというのである。明記はされていないが、秀吉が天皇の御落胤であることがほのめかされている。
 萩の中納言という公家は当時の史料では確認できないので、この御落胤話は創作だろう。秀吉が関白に就任するにあたって、関白にふさわしい高貴な身分の人間であるという宣伝を行ったものと考えられる。
 戦国時代というと下剋上のイメージが強いが、依然として身分の壁は厚かった。出自の卑しい秀吉は劣等感に苛まれ、それを打ち消そうと荒唐無稽な皇胤説を吹聴したのである。

劣等感と自負心のあいだ

 だが一方で、豊臣秀吉が己の力のみを頼りにのし上がったことを誇りに思っていたことも事実である。秀吉は天下統一の総仕上げとして小田原北条氏討伐を決意する。秀吉は天正17年11月24日付の朱印状で北条氏直に宣戦布告する。この朱印状は氏直だけでなく諸大名にも送られた。その中に「秀吉若輩之時、孤と成て、信長公の幕下に属す」という一節がある。秀吉は若き日に故郷を飛び出し、親類縁者の助けを借りずに徒手空拳から成り上がったと公言しているのだ。10代で家を出て、各地を放浪したという『太閤記』などの記述は、一定の史実を反映していると考えられる。
 中世社会で最も重要な人脈は一族郎等である。親類も家臣もいない状態からスタートした秀吉の労苦は並大抵のものではなかったはずだ。上の一節からは、そうした秀吉の自負がうかがえる。
 こんな逸話がある。小田原征伐後、秀吉は鎌倉に寄り、鶴岡八幡宮境内にある白旗神社を参拝した。社殿の中に鎮座する源頼朝像に対して「日本の歴史上、裸一貫から天下を取ったのは、あなたと私だけだ。しかしあなたと違って私には家柄もなかったのだから、私の方が上だろう。とはいえ、あなたと私は天下友達だ」と語ったという。
 これは江戸時代の享保11年(1726)に成立した軍記物『関八州古戦録』に出てくる話で(巻之二十「秀吉公奥州表動座付鎌倉一見事」)、おそらく創作であろう。だが案外、本質を衝いた逸話ではないだろうか。劣等感の裏返しとしての自負心という秀吉の複雑な心情を上手く伝えていると思う。

※本連載は、2019年に共同通信社で配信された同タイトルの連載とは別に、著者が新たに当サイトに書き下ろしたものです。

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著者プロフィール

呉座勇一

ござ・ゆういち 1980年、東京都生まれ。歴史学者。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。主な著書に、『応仁の乱』(中公新書)、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)、『日本中世への招待』(朝日新書)など。

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