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デモクラシーと芸術

2020年10月28日 デモクラシーと芸術

第22回 言葉が先か、音楽が先か――音楽の二面性

著者: 猪木武徳

※文中の曲名をクリックすると、曲の一部を試聴できます。
※ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)非会員の方は冒頭30秒ですが、会員の方は、全曲を試聴できます。

言葉と音楽

 これまで、18世紀から20世紀半ばまでの西洋音楽と政治経済体制との関連について、いくつかの論点を取り挙げてきた。対象となった200年は、貴族制からデモクラシーへの転換、教会から劇場・コンサートホールへの音楽の移動だけでなく、社会の中に埋もれていた「個人」の発見、民族意識の覚醒など、人々の意識や行動に顕著な変容が生まれた時代でもあった。さらに20世紀に入ると、複製技術の飛躍的進歩、ほどほどに豊かになった大衆の登場、音楽関連産業の市場の興隆をはじめ、音楽芸術を取り巻く環境にも様々な技術革新が生まれた。そして個人の生活における音楽の位置も社会的役割にも変化が見られるようになった。
 こうした「クラシック音楽」をめぐる近代以降の歴史を、本連載ではその社会的意味を中心に、やや自己流の視点から振り返ってみた。取り挙げた論点を、筋道を立て整理するために、問題関心の出発点に戻って暫定的な総括を試みておきたい。
 政治経済体制としてのデモクラシーは、どのようにわれわれの感性を刺激し、芸術への渇望を満たそうとしてきたのか。この問いを考えるためのひとつの糸口は、音楽と言葉の関係を探ることにあると言ってもよい。政治と社会生活に不可欠な「言葉」と、人間の感情だけでなく理性とも関わる機能と構造を持つ「音楽」との関係についてまず考える必要がありそうだ。

 音楽が秘める二面性

 音楽の起源のひとつが、「聖なるもの」「超越的なるもの」への賛美と感謝の気持ちと結びついていたという点は、音楽史や民族学の専門家も指摘するとおりだ。民衆の生活の中での歌舞音曲や吟遊詩人たちの歌も音楽の重要な系譜のひとつではあるが、精緻な理論と厳格な形式を生み出した西洋音楽の歴史は、「聖」に向かおうとする祈りの精神が、時代と共に「俗」の領域へとその重点を移してきた過程と捉えることができよう。
 キリスト教音楽の基点は創造の神を讃える歌にあった。歌い手は天使たちであり、彼らの歌によって、魂は天上界へと導かれると考えられた。教皇を頂点とする教会という信仰の共同体の力が、皇帝権力との緊張関係が高まる中で次第に弱まり、それにつれ、音楽に携わる者たちの間でも、「聖なるもの」への憧憬よりも、感情や理性に訴える「芸術の美」を希求する精神が次第に強まるようになる。
 しかしことをあまり単純化はできない。実際、音楽は「聖なるもの」への賛美から始まったという見方にはいくつか例外もあり、音楽の人間精神への影響には二面性があることは古くから指摘されてきた。
 例えば、「神的なる(divine)もの」と「魔的なる(demonic)もの」はどのように区別できるのだろうか。ホメーロス『オデュッセイア』(第12巻)で、「蜜のように甘い声」で航行中の人を惑わして遭難・難破させる怪鳥セイレーン(上半身は人間の女性)が、オデュッセウスを誘惑する話が歌われる。魔女キルケー(尊い女神?)に忠告されたオデュッセウスは、神のごとき美しい歌で誘惑するセイレーンから身を護るために、自分の体を帆柱に縛り付け、辛うじて難を逃れている。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作『オデュッセウスとセイレーンたち』(ヴィクトリア国立美術館所蔵)

 またアウグスティヌスは、『告白』(第10巻第33章)で、「耳の快楽に対していかなる態度を取るか」について次のように論じている。聖なる言葉がうたわれるとき、うたわれない場合にくらべ、聖なる言葉により、自分たちの心がより以上に信心深く、より以上に熱烈に敬虔の炎のうちに揺り動かされるのを感じる。他方、『詩篇』の朗読者に、できるだけ声の調子の変化を少なくさせ、うたうというより朗読する方がむしろ安全だ、とも言っている。音楽の感覚的な喜びと、快楽へ浸ることの危険とのあいだを自分は揺れ動いていると告白する。そして「もちろんいまここで確定的な判決を宣言する気はありませんが、どちらかというと、教会における歌唱の習慣を是認する方向にかたむいています」(山田晶訳)と述べている。
 つまり音楽は、聖なるものへの言語化された賛美や感謝の感情をさらに強める力があることを認める一方、高められた感情が強い快楽に浸る危険を招く可能性があると言うのだ。歌がこうした「二面性」を持つことを古代の賢者たちははっきり見抜いていた。
 このような二面性を考えると、音楽と言葉の関係はそれほど単純ではないことが窺える。
 音楽が言葉を「揺り動かす」こともあれば、音楽は言葉の力を奪うこともある。この点は、古代中世だけではなく、近現代においても時に激しくぶつかり合う論議を呼ぶことになる。
 言葉(歌詞)は政治に不可欠な強力な支配の道具である。音楽にこうした二面性があるとすれば、音楽は政治性を持ちうる。音楽は人を刺激し、時に激しい行動へと駆り立てる力を持つ。音楽が、言葉の意味から自由ではありえても、言葉の内容にふさわしい音楽というものがあることも事実だ。20世紀のショスタコーヴィチの音楽をめぐって、何かにつけその政治的意味が問われ続けたのは、その典型的かつ代表的事例と言えよう。

音楽は言葉の「しもべ」だった?

 言葉と音楽に関する「(てい)談」記事を、学生時代から合唱団で音楽活動に携わってきたS氏に教えてもらった(『合唱サークル』1968年12月号)。半世紀以上も前のこの「鼎談」の出席者は(当時)エリザべート音楽大学作曲科主任のホセ・イグナチオ・テホン神父、指揮者の前田幸市郎氏、そして司会役も担当した音楽学者の皆川達夫氏のお三方である。「宗教曲の美はいかにして作られるか」と題された、4段組7ページの長くはない記事である。典礼音楽と宗教音楽の区別、グレゴリオ聖歌の特質、中世・ルネッサンスのポリフォニー、そしてバロック、古典派、ロマン派から現代の12音音楽(ドデカフォニー)までの宗教音楽の性格の変容を、実に要領よく分かりやすく語り合っている。
 テホン氏は、「言葉があって、次に音楽が来る」という立場から、典礼音楽においては、音楽は歌詞の「しもべ」であることを強調する。それに対して前田氏は「作曲家が書いたもの、楽譜というものを通して、自然にミサ曲に到達していくという態度しかとれないという気がする」、それは「すでに作曲家が典礼文から曲をつくっているものですから、音のほうから扉を開けて行く。それが一番いいように思う」と返している。前田氏の考えがテホン氏と逆方向だとは思えないし、両者の考えに大きな隔たりがあるとも思えない。「しもべ」という言葉が考えの一致を妨げているだけのようにも見える。
 言葉が先なのか、音楽が先かというテーマは、作曲家と詩人の間で常にそれとなく意識されてきた問題であったようだ。実際、この問いは古典派の時代から20世紀まで、いくつかの音楽劇で取り挙げられている。A・サリエリ(1750-1825)の劇場用ディヴェルティメント『まずは音楽、おつぎが言葉(Prima la Musica, Poi le Parole)』(初演1786年)もそのひとつだ(この作品と競作したのがモーツァルトの劇音楽『劇場支配人』(Komödie mit Musik K.486、1786)である)。
 サリエリの作品では、タイトルが示すように、作曲家と詩人が作品の主導権はどちらにあるのかを張り合っている。フィナーレでは最後に詩人が「……音楽が用意されていて、脚本がどうでもよくて、衣装も大道具も、役者も演奏家も、つまり、万事が整っていて、お金を払う主宰の方が……」と歌い、作曲家に譲歩の姿勢を示す。それに対して作曲家が「神様有難う、道理がいつしか頑固な詩人を改心させてくれた」と宣言し、最後に音楽が優先権を獲得してこの歌芝居は終わる(この音楽劇の粗筋も歌詞も筆者にはいまひとつ意味不明なところが多いのだが)。 
 シューベルトのあの美しいリートは詩そのものの力によって生まれたとも思えない。現代の歌曲や歌謡曲の場合でも似たような問題はあるだろう。詩が作曲家のところに持ち込まれるのか、先にメロディーが生まれそれに載せるように詩が生まれるのか。あるいは両者が一緒に語り合いながら曲が生まれ出るのか。北原白秋と山田耕筰が二人で生み出した「この道」や「からたちの花」などの場合はどうだったのだろうか。
 言葉と音楽の問題をさらに洗練された形で20世紀に蘇らせたのが、1942年10月28日、連合軍空襲下のミュンヘンで初演されたR・シュトラウスの最後のオペラ(音楽についての1幕の対話劇)『カプリッチオ』(Op.85)である。この作品では、フランス革命直前(第1次世界大戦後とする演出もある)のパリ郊外のシャトーで、伯爵令嬢への愛を競う詩人と作曲家が、パトロンの伯爵令嬢とその弟を巻き込みながら、当世のオペラにとって音楽と言葉のどちらが主役なのかを論争する。そして答えが出ないままで幕が下りる。作品のベースにあるのは、イタリアと競いつつ、近代ヨーロッパのオペラ文化を担ってきたドイツ・オペラの衰弱への嘆きであろうか。同時に、ワーグナーが目指したような、音楽を他の芸術と同じように宗教や形而上学に代わるものとして祭り上げることへの、シュトラウスの懐疑のようにも聴こえる。

R・シュトラウス

ワーグナーの目指したもの

 音楽と言葉の問題に対して、言葉を上位に位置付けたのはワーグナーであった。彼は音楽と言葉が演劇の中で統合される総合芸術としての「楽劇(Musikdrama)」(『パルジファル』では「舞台神聖祝典劇」(Buehnenweihfestspiel)と呼んだ)を構想した。楽劇の概念は、彼がチューリヒの亡命生活中に書いた論文「芸術と革命」、「未来の芸術作品」、「歌劇と戯曲」で展開されているが、その最も簡明かつ結論的な主張は彼自身の次のようなメモに要約されるだろう。曰く、
 「キリスト教的表現『言葉がもはや前進することができないところに音楽がはじまる。』これと反対にベートーヴェン、第九交響楽が証明するのは『音楽がもはや前進することができないところに言葉がはじまる。』— 言葉は音調より上位に位する。」(「芸術と革命」の草稿の扉/北村義男訳)
 この短いメモから、自分をベートーヴェンの正統な後継者と位置付けようとするワーグナーの野望と、文学にくらべて最も直接的かつパワフルに人々の感覚に訴える音楽と言語を統合しようとする強い意欲が読み取れる。これは言葉で人々を動かすデモクラシーに潜む力への、彼の強い信念を示すものと読むことができる。
 実際、彼の王侯貴族層への経済的依存体質は措くとしても、思想的にはワーグナーは徹底したデモクラットであった。貴族政治を敵視し、その絶滅を望み、すべての人間に絶対的な政治的自由としての選挙権と被選挙権を与えるべきだと主張している。ただし市場や経済の力、産業界による芸術の支配を断固排すべきだとも考えていた。彼にとっての理想的な人間とは、「神的なもの」「聖なるもの」とは断ち切られ、権力や金銭によっても支配されない、人間以外に尊重されるべきものは何もないという自由で平等な存在を意味した。 

音楽は宗教と袂を分かったのか

 ワーグナーのように、人間に最高の価値を置くための格別の理論武装をすることなく、人間のドラマとしての音楽表現を、ワーグナーよりはるか前に実践していたのはロッシーニ(1792-1868)であろう。彼は、宗教音楽における言葉とは重なり合わないような旋律と和声を用いることによって、宗教に出自を持つ音楽をコンサートホールへと持ち込んだ。本連載第4回でも述べたように、ロッシーニの数少ない宗教曲のひとつ『スターバト・マーテル』(1842)は、十字架にかけられたイエスの傍に立つ、悲しみに沈む聖母マリアを描いた悲歌であるのに、教会でオペラを歌いあげるような蠱惑的な作品であった。

ロッシーニ(1850年)

 バロック期の名曲、B・ペルゴレージ(1710-1736)の『スターバト・マーテル』では言葉と音楽が絶妙に調和しているのに対して、ロッシーニにおいては、言葉は軽く、すでに形骸化しており、美しいメロディーばかりが聴く者を魅了する作品となっている。「言葉が軽くなっている」という点でも、デモクラシーの政治と重なるところがある。音楽と言葉が相補い合うことはなく、音楽は軽くなった言葉から全く独立した、美しさそのものを誇示しているのだ。
 ワーグナーは、こうした音楽と言葉の分裂を総合芸術の名のもとに統合しようとした。ロッシーニが、『ウィリアム・テル』(1829)を最後に、40歳を待たずにオペラの作曲から身を引き、その後40年近い余生を美食と遊びに費やしたのは、ワーグナーやヴェルディといった新しい世代の歌劇(楽劇)の革新者の登場をなんとなく予想したためだという推測があるが、これは案外、事実なのかもしれない。実際、ヴェルディは1840年代にはV・ユーゴ(『エルナーニ』)、F・シラー(『ジョヴァンナ・ダルコ』)、シェイクスピア(『マクベス』)などを原作とするオペラを矢継ぎ早に作曲し、音楽が原作に決して負けてはいない傑作を発表している。こうした文学と音楽がオペラとして統合されて行く過程は、他方では音楽とキリスト教が袂を分かって行く姿と見ることができる。
 グレゴリオ聖歌のように、祈りの言葉があって、そこに「そっと」音楽を付けるという時代、メロディーの高低幅が最小限にとどめられ、音価(音の長さ)やリズムもなかった時代には、「まずは言葉、おつぎが音楽」が本流であった。しかし次第に音楽自体にメロディー、リズム、そして和声やポリフォニーの理論と技法が整って来ると、音楽は独立した論理と独自の力を持ち始めるのだ。
 19世紀も後半に至ると、音楽(特に歌曲やオペラ)はそれ自体独立した「総合芸術」に祭り上げられる。しかしその位置は決して普遍的で安定性を持つものではなかった。すでに述べたように、ロシアの「五人組」や東欧のスメタナ、ヤナーチェク、バルトーク、コダーイなどが、民族音楽を熱心に採集したのは、宗教的なものから切り離されて行く人間の魂の「根っこ」を、土着の音楽の中に探し求めて行く作業であったと言える。

音楽は政治を動かすことがある

 音楽が言葉の「しもべ」とされた祈りと信仰の世界では、合唱は人々が心をひとつにして共同体意識を確認する力を持っていた。音楽は人々のこころをひとつにし、激しく動かす力を持つ。と同時に、18世紀も後半になると、歌によって政治権力を批判することも珍しくなくなり始める。顕著な例をひとつ挙げておこう。
 モーツァルト『フィガロの結婚』(K492)は、貴族権力を批判した劇作家ボーマルシェ(1732-1799)の舞台劇『狂おしき一日、またはフィガロの結婚』(1780)をベースにL・ダ・ポンテ(1749-1838)がリブレットを書いたオペラである。モーツァルトのオペラから「この一点」ということになると、この作品を挙げる人は多い。確かに「傑作中の傑作」だ(筆者は『コジ・ファン・トゥッテ』を挙げるのだが)。

ボーマルシェ

 ボーマルシェの戯曲『フィガロの結婚』には、思想言論の統制、領主の初夜権(の復活?)など、封建制度への批判が込められている。当然、ルイ16世(在位1774-1792)はこの作品の上演を禁止した。しかしボーマルシェは上流階級の人々の好奇心を掻き立てながら、1784年4月、この劇のパリでの公開初演に成功し、好評を博する(小場瀬卓三の『マリヴォー・ボーマルシェ名作集』(白水社)の「解説」)。モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』の方は、1786年のウィーン・ブルク劇場の初演で一応の成功は収めているが、爆発的な人気を呼ぶ前に、別の演目に差し替えられた。その後、このオペラが大当たりを取るのはボヘミアのプラハにおいてであった。
 舞台劇の方がすぐさま上演禁止になったのに対し、厳しい検閲の時代であったにもかかわらず、オペラの方は国王側からそれほど恐れられなかったのはなぜか。どのような危険な思想であっても、美しいメロディーで歌えば、それほど危ないとはみなされない。人々は歌の美しさに気を取られて、その諷刺を含んだ内容にまで思いを致さないからだろう。
 音楽は民衆を刺激して団結を強め、改革への意欲を燃え上がらせるだけでなく、時にはそうした権力への抵抗の精神をカモフラージュし、政治への影響力を隠すという面もある。ここでも、その技法は異なるものの、すでに述べたショスタコーヴィチの「曖昧さ」と皮肉(sarcasm)の精神が思い出される。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

猪木武徳

いのきたけのり 1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』『自由と秩序』『戦後世界経済史』『経済学に何ができるか』『自由の思想史』など。

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