シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

2022年1月17日 ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

第14回 『パソコンがフリーズした』から「存現文」を考える

著者: 橋本陽介

「パソコンが壊れた」は“死机

 大学生のころ、北京大学に留学した。寮に入ってほどなくして、パソコンが突然動かなくなった。ウイルスにやられてしまったのである。なくなく初期化をするはめになった。当時の北京はコンピュータウイルスがはびこっており、ちゃんとアンチウイルスソフトを入れていないと、あっというまにやられてしまうのであった。

 当時は、様々な偽物もはびこっていた。というか、どこにいけば本物が買えるのかよくわからなかった。北京大学も南門から出てすぐのところで各種の偽証明書を売っていたくらいだ。北京大学から徒歩ですぐのところにある中関村は、ガイドブックなどでは「中国のシリコンバレー」などと書かれていたが、怪しいものばかり売っていた。

 アンチウイルスソフトを買いに行くと、「普通のがいいか、正規版がいいか?」と聞かれた。「偽物」ではなく、あくまで「普通の」なのである(では正規版を、というと、売っていなかった)。

 パソコンがフリーズすることを、“死机”と呼ぶ(“”は「機」の字)。「機械が死ぬ」とはいいえて妙な気がするが、それにしてもこの語順は気になるところだ。「機械が死ぬ」なら、「機械」が主語なはずだ。中国語はSVOの語順だから、主語は動詞の前に置く。とすれば“机死”になりそうな気がする。“死机”だと、「機械(コンピュータ)」が目的語になっているように思われる。

 このように、中国語では主語になりそうなものが、動詞のあとに来る場合がある。

 たとえば、火事が発生した時に、中国語では“着火”と言う。「火が着く」なのだから、「火」が主語になりそうだが、動詞の後の目的語の位置に置かれている。なぜこのような語順になるのだろうか。

 前回書いたように、中国語は動詞が二番目にくる言語である。その前後を□V□と書くとする。第一項の□は典型的には主語、第二項は典型的には目的語である。第一項の□、つまり主語は、典型的には動作の主体、それも意思をもって能動的にその動作を行う主体である。

 火事が発生している場合、誰かが火をつけたかもしれない。その場合、その誰かはわからないわけだから、第一項が空欄となり、“□着火”となる。「火」は能動的な主体というより、何らかの結果として発生させられるものだから、意味的には目的語に近いことがわかる。

 中国語では、自然現象の場合に日本語では主語になるものが動詞の後に来ることが知られている。日本語になっている語彙で確認してみよう。

 出血(血が出る) 降雨(雨が降る) 隕石(石が落ちる) 立春(春が立つ) 有名(名がある)

「出血」の「血」は、「血」の意思で噴出しているわけではない。むしろ、手を切ってしまったとか、事故にあったとか、そういった理由で出るものである。「雨」も自分で降るわけではないし、隕石の「石」も自分で落ちるわけではない。自然の力によって落とされるものである。こうした、意思に拠らずに発生させられるものは、主語とするか目的語とするか、微妙なところなので、言語によって判断が分かれる。日本語は主語にして、中国語は目的語にしているのである。

主語が最初に来ない「存現文」

 また、中国語では「存現文」と呼ばれる特殊な構造がある。これも、同様に考えることができる。

 このように、どこかに何かが存在する、あるいは何かが出現することを表す時、「場所+動詞+存在・出現する物・人」の語順が使われる。「私の家にたくさんの客が来た。」なら、日本語の感覚で言えば主語は「たくさんの客が」なのだから、“很多客人来了”となりそうなのに、主語らしきものが動詞の後ろに位置する。

 存現文における□V□の第二項は、自然発生(もしくは自然消滅)した何かであると考えられる。「たくさんの客」なるものは、主体的に来るものというよりも、発話者からすれば自然発生的にその場にやってくるものだ。だから第二項の位置を占めるのだろう。

 ちなみに、中国語が誇る謎の構文として、次のものが有名である。

 王冕死了父亲。(王冕は父が死んだ。)

「死ぬ」は自動詞であるから、「父が死んだ」なら、“父亲死了”になる。しかし、「王冕は父が死んだ。」を表すのに、なぜか“”の後ろ側に“父亲”が来ることがあるのである。

 この構文は、存現文に近いと思う。自動詞の「死ぬ」は、自殺でもなければ、自然発生的に「起こされる」出来事である。この場合の第一項“王冕”は、その出来事が発生する場所なのであろう。“我家里来了很多客人。”の“我家里”に相当する。その場所において、「死ぬ」が発生し、その目的語が「父親」なのである。

勝手に壊れる、だから“机死”ではない

 パソコンが壊れる現象も、少なくとも使用者には自然発生的に見える。何もしていないのに勝手に壊れるように感じるのである。だから、“机死”ではなく、“死机”となるのだ。

 そういえば、北京大学構内でも留学生が居住する寮の裏あたりで、「週末文化市」が毎週立っていた。古本の類が多く、たくさん購入したが、一般の書店で見かけないようなものも少なからずあった。

 私は北京で英語も勉強をし始めていたので、そのスタートアップにとハリー・ポッターの英語版を購入した。英語版なのだが、裏表紙をよく見ると小さく漢字でタイトルと値段が記されている。臭いも明らかに中国の本である。一頁だけ印刷に失敗しており、鏡文字になっている逸品であった。

 なお、同じ市でJ.K.ローリング作ではなく、(ちょう)(ひん)さんの書いた『ハリー・ポッターと陶器の人形』なる本も購入した。確か、ハリーが中国雑技団とともに中国にやってきて、泰山の頂上で魔法合戦をやる話だったように思う。二次創作みたいなものだが、ISBNがついているから、普通に出版されたものだと思われる。

この記事をシェアする

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら