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名ぜりふで読み解く日本史

2020年12月24日 名ぜりふで読み解く日本史

第5回 黒田長政は本当に「啖呵」を切ったのか

黒田長政「今になりて、我等が分別、槍先にあり」(『関原軍記大成』)

著者: 呉座勇一

黒田長政騎馬像(福岡市博物館蔵)

司馬遼太郎が描いた名場面

 良く知られているように、関ヶ原合戦の勝敗を決したのは、西軍(石田三成方)の小早川秀秋の裏切りである。そして一般には、秀秋は東軍(徳川家康方)への裏切りを事前に約束していたにもかかわらず、松尾山の上に陣取って戦況を傍観していたと思われている。
 司馬遼太郎の名作歴史小説『関ヶ原』から引用しよう。

(金吾(秀秋)がもし変心すれば)
 東軍はほろびる。
 家康の顔から血の気がひき、呼吸がみじかくなった。
「金吾にたばかられた」
 家康は、われにもなく大声を発し、狂ったようにつぶやきはじめた。…(中略)…この間の家康の様子を、「黒田家家(原文ママ)譜」の古格な表現を借りると、
「家康公は、弱冠のころより味方危きときは指を()ませ給ふ癖ありしが、このときもしきりに指を()み給ひ、(せがれ)めに計られて口惜し口惜し、と言はれけるが」
 ということになる。

 小早川秀秋の寝返り工作を担当していた東軍の武将は、黒田長政(黒田官兵衛の嫡男)である。そこで家康は長政の陣に、詰問の使者として山上郷右衛門を送る。郷右衛門は「甲州(長政)、秀秋は本当に裏切るのか」と長政に念押しするが、長政は「おれが知るか」と怒る。さらに長政は「秀秋がたとえ約束を違えようとも、恐るるに足りぬ。正面の石田を突き崩した後で秀秋を討つだけだ。今となっては、この長政の働きは(敵を寝返らせることではなく)敵と戦うことだ」と言い放った。
 この返事を聞いた徳川家康はどうふるまったか。再び司馬遼太郎の『関ヶ原』から引用しよう。

「甲州の申すとおりだ」
 と笑い、大きくうなずき、

 甲州ハモトモト、ソノ気分ノアル者也

 とほめて余裕を示したため、床几まわりを押しかためている旗本の表情がほぐれ、生色がよみがえった。

出典をめぐる謎

 さて、司馬遼太郎は上記の逸話の出典を『黒田家譜』としている。前回紹介したように、『黒田家譜』は、儒学者の貝原益軒が編纂した福岡藩黒田家の歴史書で、元禄元年(1688)に成立した。徳川家康の使者を一喝する藩祖長政の豪胆さを『黒田家譜』が記録していても不思議ではない。
 ところが『黒田家譜』を確認すると、「(秀秋に)裏切の気色も見えざれば、家康公御こころもとなくおぼしめし」とのみ記されており、徳川家康が指を噛んだとの記述はない。
 実は、先ほどの逸話の出典を『黒田家譜』としたのは、司馬遼太郎が最初ではない。日本陸軍の参謀本部が明治26年(1893)に刊行した『日本戦史 関原役』も、在野の歴史家である徳富蘇峰が大正12年(1923)に発表した『近世日本国民史 家康時代 上巻 関原役』も、『黒田家譜』出典と記した上で史料を長文引用している。家康が指を噛む場面の記述は、両書とも司馬遼太郎『関ヶ原』の史料引用文と全く同じである。
 もう一か所例示しておこう。『日本戦史 関原役』は「五の字の指物指したる武者一騎、長政が陣所に馳近付き、甲州々々、筑前中納言が裏切に相違なきかと高声に云て馳せ近づく。是は家康公の使番、山上郷右衛門也」と史料引用している。『近世日本国民史』も全く同文である。しかし『黒田家譜』には、家康の使者が黒田長政の陣に赴く記載は見えない。徳富蘇峰は『黒田家譜』を直接確認せず、『日本戦史 関原役』から孫引きしたものと思われる。
 さて司馬遼太郎の『関ヶ原』では、「(山上郷右衛門が)「五」の字の指物をひるがえして黒田家の陣に駈け入るや、「甲州々々、筑前中納言(秀秋)の裏切り、相違なきや」と、敬語もつかわず、馬上のまま長政を目の下に見おろしていきなりわめいた」となっている。司馬は『黒田家譜』を直接見ずに、『日本戦史 関原役』か『近世日本国民史』のどちらかを参照したと考えられる。
 では上の逸話の出典は何か。白峰旬氏が指摘するように、正徳3年(1713)に成立した宮川忍斎の『関原軍記大成』だろう。本書は江戸時代の関ヶ原軍記の決定版とも言える大著である。近代に国史研究会が刊行した『国史叢書』シリーズ所収の『関原軍記大成』と、『日本戦史 関原役』の史料引用文を比較すると、多少文言に異同はあるが、ほぼ同文である。参謀本部は出典名を『関原軍記大成』とすべきところを、誤って『黒田家譜』としてしまい、その間違いが司馬遼太郎にまで踏襲されたと私は考える。
 兵学者の宮川忍斎は晩年、福岡藩黒田家に仕えた。長政のいかにも武士らしい啖呵は、藩祖顕彰のための創作に思える。

「問鉄砲」伝説はなぜ生まれたのか

 さて一般には、徳川家康が小早川秀秋の陣に鉄砲を撃ちかけるという奇策を用いたことで、恐怖した秀秋が裏切りを決意した、と考えられている。いわゆる「問鉄砲」の逸話である。もしこれが事実であるなら、怒った秀秋が東軍に攻めかかるという藪蛇になりかねない危険な賭けと言わざるを得ない。
 ところが近年、白峰旬氏らの研究により、「問鉄砲」の逸話は後世の創作であることが判明している。現在確認されている史料のうち、「問鉄砲」について記した最も早い史料は、植木悦が著した軍記物『慶長軍記』である。前回も紹介したように、同書は寛文3年(1663)に成立しているので、関ヶ原合戦から半世紀以上を経ている。
 それどころか、白峰氏が指摘するように、同時代史料によれば、小早川秀秋は開戦直後に裏切っている。関ヶ原合戦の2日後の慶長5年(1600)9月17日に徳川家臣の石川康通・彦坂元正が三河にいる徳川一門の松平家乗に連署書状を送り、関ヶ原合戦の結果を報告している(「堀文書」)。それによると、小早川秀秋隊は、東軍が西軍に攻めかかると同時に裏切っており、西軍はすぐに総崩れになったという。
 また9月20日に公家の近衛前久が息子の信尹に書状を送り、関ヶ原合戦についての情報を伝えている(「陽明文庫所蔵文書」)。この書状にも、東軍は最初から一貫して優勢であり、小早川秀秋は早い段階で裏切った、と書かれている。
 西軍の攻勢を受けて東軍が苦境に陥ったという話そのものが、後世の脚色なのである。実際には、小早川秀秋がどちらにつくか迷うという局面はなかった。したがって、徳川家康が黒田長政に使者を送ることも、長政が家康の使者と口論することもなかっただろう。
 ちなみに『慶長軍記』では、関ヶ原合戦の前日、徳川家康は黒田長政に「小早川秀秋を内応させたのは貴殿の功績だ」と声をかける。長政が「まだ本当に裏切るかどうか分かりません」と不安を口にすると、家康は「秀秋は大軍を率いているが若輩者。約束を破った時は討つだけのこと」と語ったという。あるいは宮川忍斎は、この逸話を改変して、今回の黒田長政の名ぜりふを作ったのかもしれない。
 ところで『慶長軍記』は、なぜ「問鉄砲」の逸話を盛り込んだのか。拙著『陰謀の日本中世史』(KADOKAWA)では「家康の大胆な決断が東軍の勝利を決定づけたという関ヶ原合戦像は、家康を神格化する「徳川史観」に基づくもの」と書いてしまった。
 しかし調べてみると、江戸幕府が編纂した『武徳大成記』や『徳川実紀』は問鉄砲に言及していない(『徳川実紀』は本編ではなく「附録」に問鉄砲の逸話を載せる)。幕府の公式見解では、東軍は終始優勢だったことになっているのだ。幕府から見れば、「問鉄砲」は民間の俗説にすぎなかった。
 要するに「問鉄砲」の逸話は民間で生み出され、普及した。とすると、家康の神格化が目的というより、単に話を盛り上げるために創作されたと考えるべきだろう。この場を借りて訂正したい。

※本連載は、2019年に共同通信社で配信された同タイトルの連載とは別に、著者が新たに当サイトに書き下ろしたものです。

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「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

呉座勇一

ござ・ゆういち 1980年、東京都生まれ。歴史学者。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。主な著書に、『応仁の乱』(中公新書)、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)、『日本中世への招待』(朝日新書)など。

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