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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

2022年3月7日 ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

第17回 小説文における「た」と“了”の微妙な関係

著者: 橋本陽介

「故郷へ帰っていった」時、私はどこにいる?

 今回は、魯迅の小説「故郷」の冒頭を取り上げてみよう。まず、中学の国語教科書にも長年収録されていた竹内好訳である。

 きびしい寒さのなかを、二千里のはてから、別れて二十年あまりになる故郷へ、私は帰っていった 。

 もう真冬の候であった。その上、故郷へ近づくにつれて、空模様はあやしくなり、冷たい風がヒューヒュー音を立てて、船の中へまで吹きこんできた。篷の隙間から外をうかがうと、どんよりした空の下に、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。 

 この文章の下線部に着目してほしい。小説文としてはごく標準的で、何もおかしくないと思うだろうか。

 が、よく考えるとこの文は奇妙なのだ。「私は帰っていった」というのだから、「いく」行為はすでに完了しているか、過去のことでなければならない。とすれば、「私」は故郷に到着しているはずだ。

 あなたが故郷に到着した後で、誰かにそれを話すことを想像してほしい。「私は帰っていった」というだろうか。言わない。「故郷に帰ってきた」というはずだ。なぜなら、視点人物はすでに故郷にいるのだから、その視点の位置からなら、「きた」になるからだ。

 三人称で、「彼は故郷に帰っていった」ならわかる。発話者のいる場所から離れて、「彼」が出発したことを表すのである(「いく」行為の開始が完了したわけだ)。この場合、語り手は故郷へは向かっていない。

 実はこの竹内好訳は旧訳で、中学の教科書に載っている新訳のほうでは「私は帰った」に変わっている。よく考えると、「私は帰っていった」はおかしいと考えたのかもしれない(ちなみに、佐藤春夫は「私は帰って来た」と訳している。

 とはいえ、多くの方は「別れて二十年あまりになる故郷へ、私は帰っていった。」を、小説文としてはごく自然に受け入れるのではないだろうか。実に奇妙である。「小説は特殊だから」で終わらせてはならない。なぜ小説では受け入れられるのだろうか。

登場人物の「私」と語り手の「私」

 まず、この「た」には過去の意味はない。場面の導入には「た」を使用してスタートを表すのが規範的であるだけだ。そして、小説では語り手の「私」と、小説内の登場人物の「私」は分裂する。現実世界では、「私」のことを「私」は見ることができないが、小説文では「私」が「私」を外側から叙述することが可能なのだ。

 第二段落が船の中であることからもわかる通り、「私」はまだ故郷に到着してはいないから、故郷に帰っていく途中のそのさまを叙述しているわけである。同じ個所を光文社古典新訳文庫の藤井省三訳では、次のように訳している。

 僕は厳しい寒さのなか、二千里も遠く、二十年も離れていた故郷へと帰っていく。

 「帰っていった」を「帰っていく」に変えていることがわかる。今風の感じがするだろう。このような非過去形の使用は、英語やフランス語などの翻訳の影響を受けたものである。村上春樹もそうした非規範的な使い方をしており、それらの影響を受けた翻訳であろう。この例を原文で見てみよう。

 我冒了严寒,回到相隔二千余里,别了二十余年的故乡去

 「故郷に帰っていく」の「いく」を表す“去”には、完了を表す“了”が使用されていないことがわかる。原文でも、「私」が船に移動して故郷に向かっていっているその様子を描いているのだ。

“了”で行為の完了が明確になる

 では、次の例ではどうだろう。同じく魯迅の短編「薬」から取った。

 华大妈在枕头底下掏了半天,掏出一包洋钱,交给老栓,老栓接了,抖抖的装入衣袋,又在外面按了两下;便点上灯笼,吹熄灯盏,走向里屋子去了。那屋子里面,正在窸窸窣窣的响,接着便是一通咳嗽

 華大媽は、枕の下をごそごそやって、やがて銀貨の包みを取り出し、老栓に渡した。老栓は受け取って、ふるえる手でポケットに入れ、上からおさえてみた。それから提灯に火をつけ、燈心をふき消し、奥の部屋へ行った。その部屋では、何やらガサガサ音がしていたと思うと、つづいてコンコンという咳がきこえた。(竹内好訳) 

 下線を引いた“走向里屋子去了(奥の部屋へ行った。)”とその先の文章に着目してみよう。「燈心をふき消し、奥の部屋へ行った。」と語った後、視点はどこにあるだろうか。老栓とともに、奥の部屋に入っているだろうか。それとも、部屋の外側にあるままだろうか。

 次の文は「その部屋では、何やらガサガサ音がしていたと思うと、つづいてコンコンという咳がきこえた。」となっている。ということは、視点は奥の部屋に入ってはおらず、外側にあるままだ。つまり、“了”があることによって、その視点のある空間から老栓が消失し、奥の部屋に入ったことが明確になっているのだ。

 同じく「薬」から、“”の用例を見てみよう。

 老栓又吃一惊,睁眼看时,几个人从他面前过去了。一个还回头看他,样子不甚分明,但很像久饿的人见了食物一般,眼里闪出一种攫取的光

 老栓はまたもや驚き、目を見開くと、幾人かが彼の前を通り過ぎていく。そのうちの一人がさらに振り返って彼を見たが、そのようすはよくはわからないものの、長いこと飢えていた人が食べ物を見つけたかのように、目から強欲な光を発している。(同上)

 さて、この原文“几个人从他面前过去了。”で、「幾人か」は彼の前を通り過ぎただろうか、通り過ぎている途中だろうか。次の文が「そのうちの一人がさらに振り返って彼を見たが」とあり、振り返っているくらいだから、彼の前はすでに通り過ぎている。通り過ぎることが完了したことは、原文でも“去了”と“了”で表されている。してみれば、「通り過ぎていった」とした方がよいように思う。

 ところで、魯迅の「故郷」、その内容は忘れていても、コンパスおばさんこと豆腐屋小町(原文では豆腐屋西施)の楊おばさんだけは覚えているという人が多い。それだけ「コンパス」という比喩が強烈なのだろう。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


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