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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

”はbe動詞?

 漢文を学習すると、“”という字は「コレ」と読むことを学ぶ。「コレ」と読むことからもわかる通り、もともと指示詞である。しかし現代中国語を勉強し始めるとすぐに、“我是大学生”のように、“”が英語のbe動詞のように使われることを学習する。漢文から先に勉強した人は、少し面食らうのではないだろうか(少なくとも私は面食らった)。 

 だが、be動詞のようなものと考えると、よくわからないことがたくさん出てくる。強調の“”だとか、“是~的”構文だとか、be動詞に似た用法とは異なる“”の使い方も多数あるのだ。中級以上の学習者を観察しても、“”の使い方がよくわかっていないことがよくある。

 そんなあるとき、私にふと“”は「コレ」と考えればよいのだというヒラメキが下りてきた。つまり、もともと指示詞であったことを考慮すれば、“”の多様な意味の大部分がクリアーに理解できることに気がついたのである。ということで、今回から三回にわたって、「“”はコレである」という話をしていこう。

“AB”(AはBだ)の歴史

 古典漢文では、「AはBだ」を表すには、単に「A、B」と並べるか、もう少しはっきりさせたい場合には「A,」、「A,B」などの表現形式を使っていた。たとえば、高校の教科書にも載っている定番、『史記』の「鴻門の会」の場面から。

 亜父者范増也(亜父とは、范増のことである)

 「」は、「~というのは」とその前の名詞を取り立てる働きをしているが、必ず必要というわけではない。文末に「」をつけるだけでもいい。「A、B」と名詞を並べるだけで「AはBだ」を表すのは、ロシア語などにもみられる方式だが、中国語は音節数が少ないし、さすがにわかりにくかったのだろう。いつの間にか“AB”の形がとられるようになった。“”はおおむね義務的に使われるようになったのである。

 では、なぜ“”がAとBの間に挟まるようになったのだろうか。次のような用法から発展したと考えられている。

 富與貴是人之所欲也。(《論語》里仁)

(富と貴、これは人が欲するところのものである。)

 この例では、「富と貴」とまず話題を出した後、指示詞の“”で、「コレは」ともう一度取り立て、そこに“人之所欲也(人が欲するところのものである)”と説明を続けている構造になっている。つまり、「Aというのは、これはBだ」のような形式があって、そのうちに、「これは」の意味が薄れていき、AとBが両方名詞の場合には義務的に使われるようになった結果が、“AB”である。

 “AB”の“”がいつから義務的に使われるようになったのか、その年代はよくわかっていない。というのも、本連載でもたびたび言及しているように、中国語の書き言葉は超保守的なので、必ずしも話し言葉を反映していないからである。書き言葉で現れたとしても、「Aというのは、これはBだ」の意味で使っているのか、それとも現代語のように単に「AはBだ」を表しているのかは、当時の人でないから判断が難しい。

 ただ少なくとも、かなり昔から“AB”は「AはBだ」で使われているようなのである。人によっては、漢代、つまり二千年くらい前にももうそういう用法が登場していたともいう。

 そこまでは遡れなくても、例えば『世説新語』(五世紀)には、次のような文が登場している。

 謂吏曰:「我是李府君親。」(『世説新語』言語第二)

 豫章太守顧劭是雍之子。(『世説新語』雅量第六)

 前者を訓読すれば「吏に謂いて曰く:「我(われ)是(これ)李府君が親なり。」」となるだろう。いちおう漢文訓読の習慣では“”は「これ」と読むけれども、意味的には「私は李府君の親戚である」といっているだけだから、特に「これ」といった意味はなさそうだ。後者も「豫章太守顧劭はこれ雍の子なり。」と読めるが、“”に「これ」の意味はなさそうである。

 『世説新語』は、当時の話し言葉を取り入れている資料と考えられている。遅くとも五世紀には、現代語と同じような“AB”の用法はあったらしい。

要素Aに説明Bを加える

 さて、いつからかは正確にはわからないが、とにかく「AはBだ」を表すには、“AB”の形を取るようになった。この際、初級文法で習うのは、 “我是学生(私は学生だ)”、“我是日本人(私は日本人だ)”のように、AもBも名詞である。しかし学習を進めてくると、実はもっとずっと複雑であることがわかってくる。まず次を見てほしい。

 有人昨天来是小王。(昨日誰かが来たんだけど、王君だった。)
   A       B

 “有人昨天来(昨日誰かが来た)”は名詞ではなくて動詞句だ。

 英語のbe動詞は、その前後に出てくるAもBも名詞句である必要がある。一方、中国語の“”の前に出てくる要素Aは、名詞句でなくてもいいのだ。それでも、Aで述べたことに対してBで説明を加えている点は変わらない。

 なぜこうなるのだろうか。“”がもともと指示詞であったことを思い出そう。

 “富與貴是人之所欲也。”では、「富と貴」とまず挙げたうえで、「これは人が欲するところのものである」と、続けていた。「人が欲するところのものである」は直接的には“”に対して、説明を加えている。“”は指示詞なので、先行する要素が名詞だろうが、動詞句だろうが、文だろうが、だいたい何でも「それ」と指示してしまうことが可能なのだ。

 現代中国語でも構造のうちにこの痕跡が残っている。“”に先行する要素が名詞句であっても動詞句であっても、あるいは別のものであっても、いったん受け止めて判断対象に変え、それに対する説明を後ろ側に続けることができる。

 現代中国語において、”の中心的な機能は、先行する要素A(判断対象)に対して、説明Bを加えることなのだ。AとBを単につないでいるのではないのである。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


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