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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

「東京で車を売っている人です」

”を使う文で、特に学習者を悩ませるのが、“”構文である。この構文、非常によく使われるのだが、よくわからないという人が多い。私も最初に独学していた時には、大して詳しい説明もなく、困惑したのを覚えている。

 そもそも教材からして、いわゆる“”構文ではないものも“”のところに載せていたりするから、混乱する。だがこの構文についても、“”がもともと「コレ」と読む指示詞から変化したものであり、先行する要素Aを取り立てて、それに対する判断・説明(動詞句の部分)Bを後続させていると考えると、よくわかる。

 まずは、狭義の“”ではないものから見てみよう。

 这是毛泽东写的。(これは毛沢東が書いたものだ。)

 老李是在东京卖车的。(李さんは東京で車を売っている人です。)

 これらは“”が使われているが、狭義の“”構文ではない。これらの最後の“”は、その前を名詞に変える働きをしているものだ。“毛泽东写的”は、「毛沢東が書いたもの」の意味の名詞なので、“我是学生”の形の、“学生”の部分が長くなっているだけである。次の“老李是在东京卖车的”はもう少し複雑だが、“”の後に“”が省略されていると考えるとわかりやすい。主語である“老李”について、「東京で車を売っている人だ」という説明を付与しているのである。つまり、“我是大学生”と同じく“AB”の形であり、Bが説明しているのは、Aである。

”構文では「東京で売ったのです」に

 一方、いわゆる“”構文はこれとは異なる。

 你是在哪儿学的? - 我是在北京学的。(あなたはどこで学んだのですか? 私は北京で学んだのです。)

 このような例では、すでに「私」が中国語を学んだことがわかっていて、では「どこで学んだのか?」を追加で聞く際に“你是在哪儿学的?”と聞く。答える方も、すでに中国語を学んだことはわかっていて、「北京で」を追加で言うときに、“我是在北京学的。”と答える。これが“”構文であると説明されている。

 「すでに完了していることに対して補足的な説明を加える」などと言われるけれども、学習者としては「完了していることについては“”を使うのでは?」と思うところである。そこで、次のような対話で見てみよう。

 A:他已经来了。(彼はもう来た。)

 B:他是什么时候来的?(彼はいつ来たんですか?)

 A :他是昨天来的。(彼は昨日来たのです。)

 Aは「彼はもう来た」と述べているが、「彼が来た」ことは、新しい情報である。そこで“”を使って、「彼が来た」ことを伝えている。それに対してBのほうとしては、「彼が来た」こと自体はすでに古い情報になっている。こうなると、“”が使われて、“他是什么时候来的?(彼はいつ来たんですか?)”となる。このような法則を「先了后的(まずは“”、次に“”)」などと説明されることがある。

 さて、それではなぜこのようなときに“”が使われるのだろうか。

 前回、「“”が判断対象とするものは、直前の主語を飛び越えて、前提とされる状況を指し示すことができる」という趣旨のことを書いた。“你是瞧不起我吗?(おまえは俺をバカにしているのか?)”の“”は、先行する状況、つまり、「提案に対してためらう様子を示していること」を指し示しており、それに対して“瞧不起我吗?”が後続しているのであった。

 いわゆる“”構文も同様だ。“”は先行する状況を指し示している。先ほどの例、“他是什么时候来的?”は、「彼はコレはいつ来たのか?」と考えて、「コレ」は、その前の発話「彼はもう来た」を指し示していると考えると、わかりやすい。

 先ほど見た“老李是在东京卖车的。”に似た例を出そう。

 老李是在东京卖的。(李さんは東京で売ったのです。)

 今度の“在东京卖的(東京で売った)”は主語である“老李”を説明したものではない。李さんがどこかで売ったいう前提があって、それを“”で承けているのだ。

 “AB”か、“”構文か

 “”の説明がよくわからないのは、“”構文なのかそうでないのか曖昧な例があるからでもある。次の例はどうだろう。

  他是从德国来的。(彼はドイツから来た人だ/彼はドイツから来たのです)。

 一つ目の解釈は“他是从德国来的人”の略と考えて、「彼はドイツから来た人だ」と取るものである。最初に説明した、“我是大学生”と同じ“AB”の形だ。一方、「彼」なる人物が、どこからかはわからないけれども、とにかく飛行機で昨晩日本に帰ってきたことがわかっている状況だとする。そこで、“他是从哪里来的?(彼はどこから来たのですか?)”と聞かれた。その答えとしてなら、これは“”構文である。その場合、「彼がどこからか来た」という一回だけ起こった出来事を承けて、それに対する説明を行っているともとれる。

  “”は他にも多様な用法がある。さらに詳しく知りたい方は、ぜひ拙著『中国語における「流水文」の研究―「一つの文」とは何か』(東方書店、2020年)の付録論文をよんでいただきたい。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


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