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おんなのじかん

2021年1月27日 おんなのじかん

27. ひとくちにピンクと申しましても

著者: 吉川トリコ

 あるときまでピンクは私の色だった。
 父は青、母は赤、私はピンクで妹(ま)は黄。我が家の歯ブラシはその色分けと決まっていた。
 歯ブラシだけにかぎらず洋服や身のまわりのもの全般、女の子らしくやさしい色合いのものは私に、性別を感じさせない元気なかんじのものは妹(ま)に振り分けられていた。実際、色白で内向的な私にはピンクがよく似合ったし、活動的で男でも女でも通用する中性的な名前の妹(ま)には黄色がよく似合った。
 サンリオキャラクターの中ではリトルツインスターズ(キキララ)がとにかく好きで、ララ(ピンクの髪の長いほう)を自分と同一視し、キキ(ブルーのショートカットのほう)を妹(ま)だとみなしていたようなところがあった。ちなみに妹(ま)に確認したところ、「私はタキシードサムやけろけろけろっぴが好きだったのに親がかたくなにマイメロを押しつけてきた」とのこと。女性性を素直に受け入れていた私に対し、妹(ま)は女性性の強い色やキャラクターを好まなかったようだ。「自分の名前に女の子っぽいものは合わないと思っていた」という妹(ま)の言葉を聞くかぎり、名づけもある程度は関係しているのかもしれない。
 二十歳で家を出て、自分で歯ブラシを買うようになってからは、そういえば赤を選ぶことが多かった。いまではネットでお気に入りの歯ブラシをまとめ買いするので、月によって紫や水色や緑、てんでんばらばらの色を使っている。しばらくして実家に戻ったときに洗面所を覗いたら、いつのまにかピンクは妹(ゆ)の色になっていた。

 一般的にピンクは女の子の色とされているようだけれど、私の周囲にはなんの屈託もなくピンクに手を伸ばせる女の子はそんなに多くなかった。妹(ま)のように「私にはふさわしくない」と捉えているような子もいれば、ピンクという色に付加された記号的な女性性を忌避する子もいた。あまつさえ「ピンクはぶりっこの色」だとみなし、屈託なくピンクを選択する女子をバカにするような態度を見せる子までいた。
 正直なところ、私はその手の屈託には縁がなかった。なにしろ「ピンクは私の色」である。ララと自分をあたりまえのように同一視していたような女である。「ピンクなんてたくさんある色のうちの一つなのに、なんでみんなあんなに目くじらを立てているんだろう」ぐらいに思っていた(やな女だなー)。そうかといって、ファッショニスタの母がふりふりのピンクのお洋服を与えてくれるはずもなく、いつも母の用意した趣味がいいだけでなんの高揚感もない紺やデニムの服をしぶしぶ着ていた。
 私と同じ世代の女子がこぞって夢中になったピンクといえば、なんといっても一時期書店の棚をピンクに染めあげていたティーンズハート文庫だろう。優等生的なコバルト文庫は(著者がそれぞれ好きな色を選べることもあって)さまざまな色の背表紙だったのに対し、ティーンズハートはレーベル全体がピンクで統一されていた。淡いピンクの背表紙に躍るのは、恋とかラブとかキュンとかDoki☆とかハートマークなどといった「女は恋愛のことしか頭にない」とでもいわんばかりの語句ばかり。ザ☆軽薄。あそこまでいくとある種のイデオロギーすら感じずにはいられない。コバルトも人気があったけれど、当時クラスの大半は圧倒的にティーンズハート派だった。どちらも夢中で読みふけっていた私は、それだけでは飽き足らずついに「りぼん」の付録のノートにイラスト付きの小説まで書きはじめた。
 その後、ヤンキーだらけの田舎の中学に転校してからも周囲に内緒でせこせこ小説を書き続けていた私は、高校生になってから新しいピンクの概念に出会うことになる。90年代個性派ストリートファッションの代名詞ともいえる雑誌「CUTiE」の誌面を飾ったピンク――MILKやジェーンマープルやオゾンコミュニティといった個性的なDCブランドの提案するピンクは、これまで目にしてきたどんなピンクともちがっていた。かわいいだけじゃない攻めピンク。私のためのピンクだと思えるような唯一無二のピンク。
 いまでこそ大人向けのブランドでもピンクの服を扱うようになっているが、当時まだピンクは幼い女の子のための色で、ある一定の年齢を過ぎたら卒業しなければならないものだとされていた。80年代に一世を風靡したピンクハウスも、90年代に入ると一部の人が熱狂的に支持するだけの、ともすれば「ダサい」「イタい」とみなされてしまうものに変わっていた(※岡崎京子はネガティブにもポジティブにも全身ピンクハウスの女を描いている)。全身ピンクを身にまとった林家ぺー・パー子夫妻がお茶の間をにぎわせていたのもちょうどこのころで、いきすぎたピンクは禍々しさを帯びるとされていた時代に、敢えてピンクを着ることがものすごく個性的でかっこいいことのように私には思えた。当時の私にとってのピンクは、甘くかわいらしい女性性の象徴ではなく、めちゃくちゃに攻撃的な威嚇のためのどやピンクだったのだ。
 かくしてバイト代で好きな服を買えるようになった十八歳の私のもとに狂騒のピンクバカ時代が到来するのだが、その時代も長くは続かなかった。負けたのだ。世間の目に。ある年齢を過ぎたらピンクを卒業しなければならないという規範に。いまから思えばあのピンクバカ時代は、十代最後のあがきのようなものだったのだろう。
 マリー・アントワネットが少女時代に愛した色はピンクだったが、年を取ってからはブルーを好むようになったといわれている(『マリー・アントワネットの日記』の上巻をRose、下巻をBleuとしたのはそこからきている)。いったいどんな心境の変化があったのか十八世紀にタイムスリップしてトワネットちゃんに訊ねてみたいものだが、ピンクというのは古今東西、特別な意味合いを持つ色だとみて間違いなさそうだ。
 堀越英美さんの『女の子は本当にピンクが好きなのか』には、私がピンクを手放したのとちょうど同時期ぐらいに、ハローキティのベースカラーがピンクになり、シャイニーピンクのキティちゃんグッズが女子高生を中心に爆発的なヒットとなったとある。「愛されピンク」や「モテピンク」などと言われはじめたのも、00年代に入ってからだと記憶している。以降、市場には大人向けのピンクがあふれ、ピンク入れ食い状態になったというのに、私の求めるピンクはそこには存在しなかった。

 それから二十年の年月が経ったけれど、パーソナルカラー診断でスプリングの私にはやっぱりピンクがとても似合う。それも青みがかったクールなピンクよりは、オレンジみの強いほっこりピンク。威嚇のためのピンクからはどんどん遠ざかっているが、それはそれとして受け入れて、いまでは程よい距離感でピンクとおつきあいできていると思う。
 ネイルサロンへ行くと、爪の形をしたプラスチックのカラーサンプルから好きな色を選べるようになっているのだが、他の色に比べてピンクの数の多さといったら圧倒的である。ベージュっぽいピンクからほとんど赤に近いチェリーピンク、どやピンク代表のフューシャピンク、白にほんの一滴だけ赤を混ぜ込んだような淡い桜色、気心の知れた友人のようなサーモンピンク、大人っぽくてモードなモーヴピンクなど、さまざまな色みのピンクがグラデーションとなって何十色も用意されている。主張の強い赤とはちがってニュアンス命。ピンクがピンクたるゆえんである。
 ダサピンク現象なる言葉が囁かれるようになって久しいが、女たちのこのピンクに懸ける情熱やこだわり、複雑な心境や幼少期からの因縁を知った上でなおも、「女性向けだからピンクにしとけばいいっしょ」となめた態度でピンクに塗り固めたサイトやチラシや商品パッケージを作れるのか、企業の(時には行政の)お偉いさん方に訊いてみたいものである。
 「女性=ピンク」という押しつけがいやなのはもちろんだけれど、個人的にはピンクという最高にハッピーでロマンティックな色を雑に扱われることに、より強い怒りを感じる。女が100人いれば、100通りの好きなピンク嫌いなピンク許せるピンク許せないピンク惰性のピンクどうでもいいピンクがあるんだよ! ピンクならなんでもいいと思ったら大間違いだからな! ピンクなめんじゃねえよ!

 2019年のあいちトリエンナーレに出展されたモニカ・メイヤーさんの「The Clothesline」は、来場者がこれまでに受けた性差別や性被害について紙に書き記し、会場に設置された物干しロープに洗濯ばさみで留めるといった趣向の来場者参加型のアートプロジェクトだった。テーマカラーはピンクで統一されており、淡いピンクから濃いめのピンク、サーモンピンクやすみれ色のようなピンクと用意された紙の色もさまざまで、物干しロープにピンク色のエプロンが引っかけられているのも示唆的だった。
 展示された紙を一枚一枚みていくと、「この作品のテーマカラーがピンクなんておかしい」といった主張がロープにぶら下がっているのがあちこちで目についた。おそらく彼らにはこの作品自体が「ピンク=女性」という押しつけのように感じられたのだろう。言わんとしていることはわからんでもないけど……ともやもや考え込んでいると、ちょうどそこへ若い女性のグループが入ってきた。
「かわいい!」
 作品全体を彩るピンクに目を奪われた彼女たちは、ほとんど脊髄反射的に叫んで、テンション爆上がりしている様子であった。わかる、ピンクって問答無用にアガるもんな、と遠目から眺めていると、「性差別……」すぐに作品のテーマに気づいたらしいだれかが抑えた声でつぶやいた。たちまち彼女たちはさっきまでのテンションが嘘みたいにしーんと黙り込んで、ざっとなめるように展示に目を走らせて足早にその場を去っていった。
 彼女たちの胸にそれぞれどんな思いが去来していたのかなんて私には知りようもないけれど、やっぱりあの作品のテーマカラーはピンクしかありえなかったんじゃないかと思う。望む望まざるにかかわらず女性の気分をこんなふうに乱高下させる色なんて、ピンクをおいてほかにないだろう。かわいいだけじゃないピンク。女性を取り巻くシビアな状況を象徴するようなピンク。ピンクという色の持つさまざまな側面をいちどきに見せつける、すばらしいアート作品だった。
 なんの屈託もなくピンクは私の色だと言うことはもうできなくなってしまったけれど、それでも私にとってピンクが特別な色であることは疑う余地もないことだ。ピンクの持つかわいさも軽薄さも苦みもすべて含めて、私はピンクを愛している。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

吉川トリコ

よしかわ・とりこ 1977(昭和52)年生れ。2004(平成16)年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『女優の娘』などがある。

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