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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

修飾語を使うか、節を後ろに付加するか

 SVOの語順を持つ言語では、修飾語は後ろにつくのが原則である。英語ではred horseのように、単純な形容詞一つの場合には名詞よりも前に置かれるが、the letter which he wroteのように、関係代名詞を使う場合など、長い修飾語は後ろにつく。日本語のようなSOVの言語では、「彼が書いた手紙」のように、修飾語は前につく。

 ところが、中国語だけはSVOを基本語順とするにもかかわらず、修飾語が基本的に前から後ろにかかる。これは世界の言語でも極めて例外的であるらしい。

 しかし、中国語の修飾構造は「流水文」を考慮に入れないとわからない。

 「流水文」の正体は、節が並列的に並んでいくことである。複雑な概念を表す際に、中国語の書き言葉では、修飾語として前置する方法と、節を並列的に後ろに並べる方法がある。比較してみよう。まずは連体修飾語を前に置くパターンから。

 他碰到了一个会说中国话的外国人。(彼はある中国語を話せる外国人にあった。)

 我打破了一个很值钱的茶杯。(私は値の張る茶碗を壊した。)

 下線部が修飾語(連体修飾語)である。しかし、別の方式、つまり節を後ろに付加していく形でも複雑な観念を表せる。

 他碰到了一个外国人,会说中国话。(彼はある外国人にあった、中国語が話せた。

 我打破了一个茶杯,很值钱。(私は茶碗をひとつ壊した、(それは)値の張るものだった。

 一つ目は「彼はある外国人にあった」と述べて、その外国人が「中国語を話せた」という内容を後続させている。二つめは「茶碗を壊した」と述べたうえで、その茶碗の説明「値の張るものだった」が続いている。つまり、どちらも一つ目の節の目的語に出てくる名詞の説明を、次の節で行っているのだ。

連体修飾語構造を使わない例―“

 SVOの語順を持つ中国語にとって、長い修飾語が前に置かれるのは、情報構造上あまり好ましくない。実は、長い修飾語が頻繁に使用されるようになったのは20世紀になってからで、主に外国語の影響によるものである。中国語は本来的には、修飾語として前置されるのではなく、独立した節として後ろ側に並置されていく形で複雑な観念を表すのである。このため、現代語でも日本語に比べると連体修飾語構造は好まない。日本語母語話者として中国語で作文しようとすると、連体修飾語構造を使いたくなってしまうが、実際にはそうでない形を意識したいところである。

 例えば、

 于是立起一个瘦瘦的小姑娘,头发黄黄的,有些害怕地说:『子供たちの王様』

 (そこでやせ細った女の子が立ち上がった、髪の毛は黄色い、おずおずと言った)

 この例では、“一个瘦瘦的小姑娘”の部分を見ると、“一个瘦瘦的(やせ細った)”が、“小姑娘(女の子)”の前に置かれているから、これは連体修飾語だ。一方、次に出てくる“头发黄黄的(髪の毛が黄色い)”も、「女の子」の描写であるが、後ろに置かれている。日本語で考えれば「髪の毛の黄色いやせ細った女の子」なのだから、“立起一个头发黄黄的瘦瘦的小姑娘”となってもおかしくなさそうだが、そうなってはいない。修飾語を長くするのではなく、後ろに続ける形に変換している。次のような言い方も見てみよう。

 我叫刘月,就读于御茶水女子大学

  (私は劉月と申します、お茶の水女子大学で勉強しています。)

 この構造では、最初の節で「私は劉月と申します」と言い、その次に「お茶の水女子大学で勉強しています」と続けている。日本語なら「私はお茶の水女子大学学生の劉月と申します」のように、すべて連体修飾語にしてしまうだろう。

 様態補語“”を使うパターンも見てみよう。

 他咳痰,咳得不耐烦,就去死。(韓少功『爸爸爸』)

(彼は咳をした、咳をしたのが耐えられなかったので、死んだ。)

 原文の情報構造としては、まず「咳をした」と述べてから、“咳得不耐烦(咳をしたのが耐えられなかった)”と述べる。これなども、日本語なら「彼は耐えられないほど咳をした」のように、修飾語にしたくなるところである。様態補語の“”は、このように一度出てきた動詞や形容詞などをもう一度言って、それに対するさらなる情報を付加するのによく使われる。これなども節を連続させる手段の一つだと考えられる。

 このように中国語は「前から後ろを修飾する言語」というが、修飾語として埋め込まずに比較的独立した形で後ろに続けることが非常に多いのである。

”を過剰に使うゴーリキーの訳文

 さて、さきほど中国語の連体修飾語は20世紀になってから長いものが使われるようになったと述べた。特に、五四時期と呼ばれる1919年以降あたりから、急激に増加している。翻訳小説から、“”が過剰にかかる例を一つ、紹介しよう。 

ゴーリキー「木筏之上」鄭振鐸訳(『小説月報』12巻2号、1921年)

骚乱那徐徐流注于海的沉笨的水团及那幽暗的紧迫的挂在空中不动的云块的隐藏的沉思的静默。(…あのゆっくりと海に注ぐ重苦しい水、およびあの薄暗い脅迫するような空にかかって動かない隠された沈思の沈黙を騒がせたかった。)

 中国語で読んでも日本語で読んでも(原文のロシア語で読んでも)何を言っているか今一つわからないのだが、中国語訳の下線部に着目しよう。できれば音読してみてほしい。“那幽暗的紧迫的挂在空中不动的云块的隐藏的沉思的静默。”と、“”が重ねて用いられて、最後の“静默”を修飾する構造になっている。何を言っているかよくわからないが、音読すると癖になりそうなリズムである。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


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