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世界史を変えた新素材

2017年3月23日 世界史を変えた新素材

世界を縮めた物資――ゴム 後編

著者: 佐藤健太郎

ゴム、海を渡る

 このゴムという素材をヨーロッパにもたらしたのは、例によってクリストファー・コロンブスの艦隊であった。彼らの第2回航海(1493~1496年)でイスパニョーラ島(現在のハイチ及びドミニカ共和国)を訪れた際、ゴムボールによる球技に興じる住民たちを目撃している。これがヨーロッパ人とゴムの最初の遭遇であった。

コロンブスのイスパニョーラ島上陸

 その後、コロンブスに続いた航海者が何度かゴムをヨーロッパに持ち帰るが、単に新大陸の珍しい品というだけで、実用的な用途は見つからなかった。実のところ、このころのゴムは冬には固くなり、夏には溶けてベタベタになるという厄介な代物であったのだ。

 ゴムの使い道を見つけ出したのは、イギリスの自然哲学者ジョゼフ・プリーストリー(1733-1804年)だ。それまでは、鉛筆で書いた文字は湿ったパンで消していたが、ゴムの塊でこする方がよく消えることを発見したのだ。ゴムの英名である「rubber」は、「こするもの」という意味で彼が命名したものだ。

ジョゼフ・プリーストリー

 プリーストリーといえば、政治哲学から神学、物理学など幅広い範囲で功績を残した大学者として知られる。化学者としては酸素やアンモニア、炭酸水などの発見で有名であり、アメリカ化学会の最高賞であるプリーストリーメダルにもその名を残しているほどの人物だ。消しゴムの発明にまでその手が及んでいるのは驚きだが、別の見方をすれば、彼ほどの碩学が研究してさえ、消しゴム程度の用途しかこの時代には見つけられなかったともいえる。ゴムが広く用いられるようになるには、まだ大きなブレイクスルーが必要であった。

加硫法の発見

 1823年には、水や空気を通さないというゴムの特性を活かした、新たな用途が開発される。化学者チャールズ・マッキントッシュ(1766-1843年)が、ゴムでコーティングしたレインコートの製造に成功したのだ。これ以来「マッキントッシュ」あるいは「マック」は、イギリスにおいてレインコートの代名詞となる。ビートルズの名曲「ペニー・レイン」(1967年)にも、土砂降りの雨の日にもマックを着ず、子どもたちに笑われる銀行員が登場する。今やマッキントッシュといえばアップルのパソコンを思い浮かべる人が大多数だろうが、レインコートのマッキントッシュ(パソコンと異なり、Mackintoshと「k」が入る)も、伝統の製法を守って根強い人気を誇っている。

チャールズ・マッキントッシュ

 こうして人々の目に触れるようになったゴムだが、冬には固くなり、夏にはべたついて異臭を放つという欠点は相変わらずであった。この欠点克服に挑んだのが、アメリカの発明家チャールズ・グッドイヤー(1800-1860年)であった。彼は、ゴムが溶解するのは湿気のせいと考え、乾燥した粉末を混ぜればこれを克服できるというアイディアを持った。

チャールズ・グッドイヤー

 グッドイヤーは、ゴムに酸化マグネシウムや石灰などあらゆる粉末を混ぜ込む実験を重ねたが、溶解を防ぐことはできなかった。出資者が手を引いたために貧困に苦しみ、実験のために健康さえ害しながらも、彼は決して諦めなかった。借金のために何度も投獄され、貧しさのために子供を失いながらも実験を続けたというから、その執着ぶりは異常というほかない。

 グッドイヤーの凄まじい執念に対し、ついに運命の女神は微笑む。実験開始から5年目の1839年、ゴムに硫黄を加えて加熱することで、耐熱性を持たせられることを発見したのだ。グッドイヤーはさっそく特許を取得、1842年にゴム工場を立ち上げた。

 と書くと、なるほどこれが現在世界屈指のタイヤメーカーであるグッドイヤー社であり、チャールズは長年の労苦が報われて大金持ちになったのか――と思われる方が多いに違いない。だが彼は、加硫法という画期的な発明は成し遂げたものの、事業家としてはまったく成功できなかった。現在のグッドイヤー社の設立は加硫法の発明から半世紀以上も後の1898年であり、社名はチャールズ・グッドイヤーにちなんで命名されたものの、直接の資本関係などはない。

グッドイヤー社のタイヤ (Brian Cantoni / Wikipedia Commons)

 加硫法の特許はあちこちで侵害を受け、グッドイヤーは多数の裁判を闘う羽目となった。特にイギリスでは、特許をまるまる他人に奪われた。グッドイヤーが売り込みのため、製法を明かさずにサンプルを送ったところ、受け取ったゴム会社ではこれを分析して、表面にわずかに硫黄が付着していることを見つける。この企業はさっそく加硫法の特許を申請、こちらが成立してしまったのだ。結局グッドイヤーは巨額の借金を抱えたまま、自らの発明が世界を変えていくさまを見ることもできず1860年に世を去っている。

分子をつなぐ橋

 硫黄を加えて加熱するという単純な操作で、それまで温度変化に弱かったゴムは、非常に安定した物質に化けた。これは「架橋」という化学反応が起きた結果だ。

 先に、ゴムの分子は長い鎖状で、ところどころに二重結合が含まれていると述べた。硫黄はこの二重結合と反応する珍しい物質で、加熱するとここに結合し、鎖同士に橋を架けるような形で結び合わせてしまうのだ。

「架橋」の模式図(ポリイソプレンへの加硫の模式図)

 植物から採ったゴムは、長い分子の鎖同士が弱い力で引き合っているだけなので、温度が上がると分子が激しく動き回り、とろけてしまう。しかし硫黄で分子同士をつなぎ合わせてしまえば、しっかりした構造となって熱に強くなる。これが加硫法の秘密だ。

 架橋によって全体がひとつながりになることで、ゴムはちぎれにくくなり、長く引き伸ばしても元に戻りやすくなる。また、加える硫黄の量を多くすれば、橋架けも多くできて硬いゴムにすることもできる。

シャスポー銃 (Rama / Wikipedia Commons)
二十二年式村田連発銃

 この大改良により、ゴムの用途は飛躍的に広がった。1866年にフランスで開発されたシャスポー銃はそのひとつで、ゴムリングで密閉することで弾丸発射時のガス漏れを防ぎ、それまでの銃に比べて2倍もの射程距離を実現した。これは普仏戦争(1870-1871年)やパリ・コミューン鎮圧(1871年)に用いられて活躍した他、幕末の日本にも輸出され、後に陸軍の正式装備となった村田銃の原型ともなっている。加硫ゴムは、誕生するや否や歴史を動かす存在となったのだ。

ゴムが生んだ交通革命

 車輪は人類の偉大な発明のひとつと、よくいわれる。人類の発明の多くは、自然界にあるものからその原理を学んだものだが、車輪だけは完全なオリジナルだからだ。確かに、自然界には何百万種という動物がいるが、車輪で移動するものは見当たらない。強いて言えば、鞭毛と呼ばれる長い尻尾を回転させて泳ぐ細菌がいるが、これはどちらかといえばスクリューに近い。

車輪 (Neu bearbeitet von Elkawe / Wikipedia Commons)

 車輪は足で歩くよりも、ずっとエネルギー効率に優れる。これは自転車に乗ってみればすぐ実感できることだろう。なのに車輪を使う生物がいないのはなぜか。生物学者の本川達雄氏はその著書『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)で、車輪は平坦で硬い地面でないと効力を発揮しない点を指摘している。確かに車輪は凹凸に弱く、直径の4分の1の段差があると越えるのが難しくなり、2分の1以上の段差は原理的に越えられない。また、ぬかるみや砂地など摩擦が小さい場所も、車輪には向かない。

 となると自然界には、車輪が威力を十分に発揮できる場所はほとんどないことになる。舗装された道路なくして、車輪は使い物にならないのだ。19世紀の道路は、今のようなアスファルト舗装ではなく、多くが砂利道であった。木製や固形ゴム製の車輪では、わずかな凹凸を乗り越えるたびに乗り手に衝撃を与え、積み荷や車体にダメージが及ぶ。当然、スピードを出すにも限界があった。

 これを解決したのが、スコットランドの獣医ジョン・ボイド・ダンロップ(1840-1921年)であった。10歳の息子から「三輪車をもっと楽に、速く走れるようにしてほしい」と頼まれたダンロップは、路面の凹凸を吸収できる空気入りタイヤを思いつく。試しに、空気を入れたゴムのチューブを木の円板のまわりに鋲で固定したタイヤを作り、三輪車に装着したところ、結果は上々だった。

ジョン・ボイド・ダンロップ

 これが評判を呼んだため、ダンロップは空気入りタイヤの特許を取得、1889年にはダブリンで会社を設立した。これが現在まで続くダンロップタイヤ社の始まりだ。衝撃を分散し、多少の段差や小石などものともしない空気入りのタイヤは、爆発的に需要を伸ばした。それまでの固形ゴムのタイヤは、わずか10年ですっかり空気入りタイヤに取って代わられてしまったという。

 だが、じつはダンロップは空気入りタイヤの第一発明者ではない。これより40年以上遡る1845年に、スコットランド人のロバート・ウィリアム・トムスン(1822-1873年)が空気入りタイヤを開発していたのだ。だがこのころは、まだ自動車どころか自転車も発明されたばかりであり、彼の発明は高コストなだけで使いどころがなかったのだ。素晴らしいアイディアであったが、時代が味方しなかったという他はない。

ロバート・ウィリアム・トムスン

 1908年にアメリカで発売されたT型フォードは、19年間にわたって約1500万台を売るベストセラーとなり、世界にモータリゼーションの時代をもたらした。量産可能になったゴムが、これを支えたことはいうまでもない。これによってアメリカのインフラ整備が進み、物流が飛躍的に拡大し、多くの産業が生まれた。こうじや信三・京都大学名誉教授は、空気入りゴムタイヤの発明が、広大な国土を持つアメリカのスムースな物流を実現し、パクス・アメリカーナを導いたと指摘している。

 現代でも、ゴムのタイヤはあらゆる物品を運び、我が国の基幹産業である自動車を足元から支えている。その重要性に、異論を差し挟む余地はあるまい。ゴムの出現は、人、物、都市の距離を一挙に縮め、世界に交通革命をもたらしたのだ。

1910年モデルのT型フォード

 加硫ゴムという発明は、登場から百数十年で、世界の景色をすっかり変えてしまい、ゴムのなかった時代が想像できないほどになっている。もしゴムの木が古くからアジアやヨーロッパに存在していたなら、歴史はどう変わっていただろうか?

 たとえば古代中国には道士と呼ばれる者たちがおり、あらゆるものを調合して不老長寿の霊薬の創造を目指していた。こうした中から、硫黄を用いた黒色火薬が、今から1000年以上も前に作り出されている。もし彼らがゴムを手に入れていたなら、この時代に加硫法が発見された可能性は十分にあったことだろう。

輪ゴム(Bill Ebbesen / Wikipedia Commons)

 この優れた素材があれば、たとえば以前に紹介したコラーゲンを利用した弓矢などをはるかに超える飛び道具が、いくつも安々と生み出されたに違いない。数々の発明で母国シラクサを敵襲から守ったアルキメデスにゴムを与えたならば、彼はいったいどんな品物を考案しただろうか。国中に街道を巡らせたローマの民が、シルクロードを旅した騎馬隊がゴムタイヤを持っていたなら、彼らは何をなしただろうか。おそらく、史上に残る戦争の行方もインフラの形も人々の生活も、何もかもが今とは違うものになっていただろう。一本の輪ゴムを眺めながらそんな空想を広げてみるのも、時には面白いのではと思う。

 

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

佐藤健太郎

さとうけんたろう 1970年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教等を経て、現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』(新潮新書)で科学ジャーナリスト賞。2011年、化学コミュニケーション賞。著書に『炭素文明論』(新潮選書)『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社新書)『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)『国道者』(新潮社)など。

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