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世界史を変えた新素材

2017年4月25日 世界史を変えた新素材

1万年を生きた材料――陶磁器 後編

著者: 佐藤健太郎

白磁の誕生

 筆者が話を伺ったある陶芸家によれば、陶磁器の歴史とは、いってみればいかに白い器を作るかの歴史なのだという。白い器は食べ物の色合いを引き立て、彩色も鮮やかに映える。いにしえより美容家たちが白く滑らかな肌を目指したように、陶芸家たちも純白の艶やかな焼き上がりを目指したのだ。

 現代の我々は、真っ白な食器を見慣れている。その多くは、陶器ではなく磁器と呼ばれるものだ。陶器は粘土を主原料とし、800~1250℃程度の比較的低温で焼く。できた陶器は光を通さず、茶色など薄い色がついている。肉厚でひび割れやすく、叩くと鈍い音がする。厚手の湯呑みや土鍋を思い浮かべていただければよいだろう。

土鍋 (siaosiao / Wikipedia Commons)

 これに対して磁器は白く滑らかで硬く、叩くと金属的な澄んだ音がする。光を通すが、水は通さない。表面の凹凸が少ないため洗いやすく、見た目にも清潔感があるため、食器に向いている。

宋代の磁器

 陶器と何が違ってこのような仕上がりになるかといえば、原料と焼成温度が異なるためだ。石英や長石、カオリナイトなどの岩石を粉末に挽き、水で練って成形した後、何度かに分けて焼く。最後に1300℃程度の高温で焼くことで、表面の釉薬が熔融・浸透し、滑らかで艶やかな仕上がりとなる。   

石英 (Max.kit / Wikipedia Commons)
長石 (Rob Lavinsky, iRocks.com / Wikipedia Commons)
カオリナイト

 磁器が純白であるのは、色のもととなる金属イオンをほとんど含まないためだ。天然の鉱物でも発色のもとになっているのは各種の金属イオンで、たとえば同じコランダムという鉱物に、微量のクロムを含むものは赤く色づいてルビーに、鉄やチタンを含むものは青くなってサファイアとなる。陶磁器においても、釉薬や土に含まれる金属イオンが彩りを決めてしまうことが多い。

さまざまな色のコランダムの結晶 (Ra’ike / Wikipedia Commons)

 後漢時代初期(1世紀後半)には、いわゆる青磁が登場した。これは原料に微量に含まれる鉄分のため、美しい青緑色に着色している。さらに鉄分をほとんど含まないカオリナイトが発見され、純白の白磁が本格的に作られるようになったのは6世紀後半、隋の時代からであったようだ。これがいかに大発明であったか、その後の歴史を見れば明らかになる。

南宋の青磁 (ReijiYamashina / Wikipedia Commons)

海を渡った白磁

 こうして生まれた白磁は、その後の唐、五代、宋の時代を経て、大きく発展する。特に文化芸術の発展に力を入れた北宋では、「官窯」を指定して宮廷で用いる什器を製造させた。これが有名な景徳鎮で、以後世界の陶磁器文化の中心として大いに繁栄した。

景徳鎮古窯民俗博覧区 (Zhangzhugang / Wikipedia Commons)

 一方、民間で用いる磁器の製造所としては「磁州窯」が最大のもので、磁器の名はここから来ている。こちらは民間で用いるものであるため、景徳鎮より装飾性が強く、絵画的意匠が積極的に取り入れられている。潤沢な資金と健全な競争がジャンルの発展を促すことは、今も昔も変わりない。

 世界帝国である元の時代になると、盛んになった東西交流がまた新たな機運を生み出す。イスラム圏から輸入されたコバルト顔料による絵付けが行われるようになったのだ。深い青色を安定して表現できるコバルト顔料と純白の磁器の組み合わせは、多くの名品を生んだ。我々にもなじみ深い、白い皿に青で文様が描かれた食器はこうして生まれたわけだ。これらはトルコやエジプトなどイスラム圏に多量に輸出され、大いに人気を呼んでいる。

コバルト顔料の文様が描かれた元代の磁器

 中国の歴代王朝が生み出す磁器の魅力は、世界中を魅了した。海を渡ってすぐの我が国も、もちろんその例外ではなかった。日本でも焼き物は盛んに製造されていたが、これらはいずれも陶器であり、純白の磁器を焼く技術は存在しなかった。しかし安土桃山時代に入って、茶の湯が流行を見たためもあり、陶磁器の需要は大いに高まっていた。

 磁器製造技術の取り入れは、残念ながら平和な形では行なわれなかった。豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は無残な失敗に終わったが、この際に日本の大名は朝鮮の陶工を多数連れ帰ったのだ。こうして、世界の陶磁器の歴史の中でも絶頂に達しつつあった技術が、海を越えることになった。

 陶工たちは、それぞれの地で製陶に適した土を見出す。中でも肥前有田では磁器に適した陶石が発見され、現在の佐賀県南部は一挙に日本の陶磁器生産の中心地にのし上がった。中でも酒井田柿右衛門は、赤色に発色する釉薬を用いた「赤絵」と呼ばれるスタイルを確立し、現代の15代目に至るまでその技術は受け継がれている。この赤色は、釉薬のガラス質に浮かぶ酸化鉄の微粒子によるもので、粒径が100ナノメートル(10億分の100メートル)程度にならないとこの色が出ない。これはもはやナノテクノロジーの世界だ。

柿右衛門様式の有田焼 (Daderot / Wikipedia Commons)

ヨーロッパの磁器

 白く滑らかな磁器に魅せられたのは、もちろん日本人だけではない。ヨーロッパでもルネサンス以降に磁器ブームが巻き起こり、莫大な量の器が輸入された。今でも英語圏において、小文字で「china」と書くと、陶磁器を意味するほどだ(ちなみに「japan」は漆器)。1644年に明が滅亡して磁器の生産がストップすると、伊万里焼をはじめとする日本製の磁器が大量に買い付けられた。趣味の良さを誇示するため、王侯は争って東洋の器を求め、壁一面に磁器を並べた「磁器の間」を造る者さえ現れた。磁器は「白い黄金」と呼ばれるほど、貴重なものとなっていた。

 ザクセン選帝侯であったフリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王としてはアウグスト2世、1670-1733年)は、中でも深く東洋の磁器を愛好した一人であった。彼は素手で蹄鉄をへし折るほどの剛力の主であり、多数の愛人との間に360人もの子をなしたという途方もない精力家であったが、一方で芸術を愛好し、君主の座に就くや否や10万ターレル(現在の額で約10億円)を投じて磁器を買い漁ったといわれる。

フリードリヒ・アウグスト1世

 1701年、そんなアウグストのもとに転がり込んできたのが、ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーという男であった。彼はわずか19歳であったが、自分には錬金術が可能であると主張し、これを聞いたプロイセン王に追われていた。アウグストは逃げ込んできた彼を幽閉し、黄金づくりにあたらせるが、当然成果は出るはずもなかった。

ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー

 1705年、しびれを切らしたアウグストはベトガーをマイセンに移し、目標を磁器製造へと変えさせる。さまざまな実験を繰り返す中で、彼は1708年に初めて白い焼き物の製造に成功、1709年にはついに釉薬によって滑らかな艶のある磁器を作り出した。東洋の至宝であった磁器が、初めてヨーロッパで生み出された瞬間であった。ここまでに費やされた研究費は、6000万ターレルにも及んでいたという。

 アウグストはこのマイセンの地に工場を設立し、磁器の量産を開始した。これが現在まで西洋白磁の頂点に君臨し続ける、マイセン陶磁器の始まりであった。東洋の技術と西洋のセンスが融合した名品の数々は、現在も人々のあこがれであり続けている。

マイセン陶磁器

 しかし、この巨大な功績を上げたベトガーは、その後悲惨な運命をたどる。磁器製造の秘密を守るため、完成後も幽閉の身を解かれず、新たな実験を強いられたのだ。おそらくはこの境遇のため、やがて彼は精神に変調を来たす。実験に用いた鉛や水銀も、彼の身体を蝕んだことだろう。結局ベトガーは酒に溺れ、1719年にわずか37歳でこの世を去っている。

現代の陶磁器

 こうして工芸品・芸術品としての陶磁器は頂点を迎えたが、一方で身近な食器などとしても用いられ、現代でも我々の暮らしに欠かせない存在となっている。かつて命がけで作り出された白磁の皿が、今や100円ショップに大量に陳列されているのだから、ベトガーがこれを見たら目を回すことだろう。

 当初は手近な粘土を使っていた土器が、やがて粒度の揃った土を厳選して優れた陶器が作り出されるようになり、さらにカオリナイトなどの鉱物を用いる磁器が生まれた。焼き物の歴史を大掴みにいえば、原料の精製度を上げ、焼成温度をコントロールすることで、より優れた材料が作り出されてきた歴史だ。

 現代では化学合成技術により、純度100%近い材料を用いることが可能になった。粒のサイズや、焼成温度も細かくコントロールできる。これらを用いれば、はるかに優れた「焼き物」を創り出すこともできる。いわゆるファインセラミックスと呼ばれるものがそれだ。

セラミックス製のナイフ (SlonikkinolS / Wikipedia Commons)

 こうして生み出される新素材は、従来の陶磁器のイメージをはるかに超えた性能を示す。歯の詰め物や鋭利な刃物に用いられるほど強度の高いものもあるし、コンデンサや電池の電極など、電気材料として用いられるものもある。磁石の章で取り上げたフェライトなどの高性能磁石や、現在盛んに研究が進められている高温超伝導材料なども、セラミックスの一種といえる。こうしたハイテク材料は、すでに我々の身の回りにも浸透し、これらなしの生活は今や考えられない。そしてこういった先端材料でも、粉を練って焼くという基本は縄文土器の時代と全く変わっていないのは面白いことだ。

 
セラミックス製のベアリング部材
ファインセラミックスで覆われたスペースシャトルの大気圏突入時の想像図 (Astrowikizhang / Wikipedia Commons)

 原料となる元素は100種類以上もあるし、酸化数や温度などの要素も考えれば、その組み合わせは事実上無限ともいえる。我々は1万年以上を陶磁器とともに歩んできたが、その真価が明らかになるのは、実はまだこれからなのかもしれない。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

佐藤健太郎

さとうけんたろう 1970年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教等を経て、現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』(新潮新書)で科学ジャーナリスト賞。2011年、化学コミュニケーション賞。著書に『炭素文明論』(新潮選書)『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社新書)『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)『国道者』(新潮社)など。

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