Webマガジン「考える人」

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カラスの悪だくみ

年末、実家に帰省すると、母親に「何からやる?」と聞く。答えは毎年、「そやなあ、昆布巻きかなあ」である。かくして私は昆布とカンピョウを水に浸し、その横で塩鮭を切り、黙々と巻いては結ぶ。松風、二色卵、紅白なます、栗きんとん、白和えなどひたすら作り、合間に掃除をし、最後に田作りが出来上がるのは、たいがい年を越してからである。

こうして迎えた正月はコタツに入り、黒豆、ごぼう、生麩、白和え、なます、田作り、百合根のウニ和えなどつついては地酒をチビチビやる。実家は海なし県なので、地味〜な、野菜ばっかりのお節だが、こういうのがいいのだ。数えてみたら料理の数にして十数品、代表的な材料だけで数十品目にはなる。あれもこれも満遍なく食べて、実に健康的。味は濃いけど。「草食中心の雑食」という、昔の日本人の食性そのままの料理だ。


一方、動物の中には極度に偏食なものがある。代表的なのは昆虫で、少なからぬ昆虫は、幼虫時代に食べる植物(食草)が決まっている。アゲハチョウにはごく近縁な2種があるが、食べ物がお互いに違っており、ナミアゲハは柑橘類、キアゲハはセリ科しか食べない。ギフチョウになるとさらに選り好みが激しく、ヒメカンアオイやミヤコアオイなど、カンアオイ属の数種しか餌にしない。もっとも、こういった選り好みにはそれなりに意味がある。例えば特定の植物の毒に耐性を獲得し、自分だけがそれを食べられるからライバルがいない、などだ。

逆に、様々な葉を食べることで競争を和らげる、という場合もある。食草にこだわりがなければ、ライバルがいても別の植物に行けば済むからである。こちらの戦略をとっている代表例がアメリカシロヒトリというガの一種で、様々な植物を食べるため、いろんな作物の害虫でもある。

ちょっと面白いところではセダカヘビという、カタツムリばっかり食べているヘビもいる。このヘビの頭骨は特殊な進化をとげており、右顎の歯の数が左顎よりも多い。カタツムリはたいがい右巻きだが、その殻口から貝殻のカーブに沿うように下顎を突っ込み、軟体部を引っ張り出して食べるからである。

面白いことに、貝の中には少数だが左巻きの種がある。そして、セダカヘビは対右巻き専用の顎を持ってしまった結果、左巻きの貝を食べるのが苦手だ。うっかり特化してしまうと、こういう反撃を食らうこともあるわけだ。

もう一つ、ヘビで偏食を極めているのはアフリカタマゴヘビだ。このヘビはほとんど鳥の卵しか食べず、特にハタオリドリの卵を好む。そのため歯が退化してしまった。卵を丸呑みして、咽頭に発達した突起で殻を割るという、卵食い専門に進化してしまったのである。ハタオリドリが繁殖しない時期にはほぼ絶食。やせ我慢にもほどがある。

鳥類でも、ハチドリは花の蜜を専食しているように見える。だが、繁殖期にはタンパク質や脂質を補うため、昆虫も食べている。鳥が生きてゆく上で、「それしか食べない」のは難しいのだ。飛ぶために高カロリーかつ消化の良い餌が必要だし、すごい勢いで育つ雛のために栄養価の高い餌もいる。といって、イモムシ君のように、自分の回りの葉っぱをむしゃむしゃ食べていればいい、というわけにはいかない。草を消化するのは難しいし、量が嵩むので体が重くなりがちなのだ。アフリカタマゴヘビのように、狙った餌が手に入るまで何も食べない! なんてこともできない。鳥の基礎代謝量はヘビとは比べ物にならないほど高いからだ。「こんなものは、食えないよ」などとしたり顔で言い出したら、即、飢え死にである。

もっとも、餌が豊富な時は、鳥もずいぶんと雑で贅沢な食べ方をする。カラスなんてクスノキを枝ごとちぎり、足で踏んでブチブチと実を食べ、まだ実がたくさん残っていても興味を失ってポイと枝を落としたりする。ニホンザルもよくこういうことをやる。もちろん何か考えがある、というわけではあるまい。サルやカラスだからって深読みしすぎるのは、かえって判断を間違う。他の刺激に気を取られたとか、ちょっと飽きたとか、そんな程度にも見える。落とすこと自体にも、おそらくカラスにとっての意味はないだろう(もちろん、上から果実が落ちてくるのだから、地上にいる動物にとっては意味があるはずだ)。


カラスのような雑食性の鳥は、様々な餌を組み合わせて少しずつ食べている。

野生状態ならばなおのこと、一度に大量の餌が見つかることは稀だ。時にはクスノキが大豊作だとか、シカが死んでいるとか、そればかり食べることもあるだろうが、遠からず食べつくしてしまうだろう。本人だけでなく、いろいろな動物が昼夜問わず食べにくるのだから、そういつまでも残っているわけがない。

実際、エゾシカが24時間でほぼ半身にされたのを、見たことがある。食べたのは少なくともハシブトガラス、ワタリガラス、オジロワシ、オオワシ、キタキツネだ。

初夏の山林に暮らすカラスのメニューは、私の行った断片的な調査からでさえ、なかなか多彩であることがうかがえた。目視観察していると小さなユスリカやハエのようなものを食べていたり、クワの実を拾っていたりする。養鶏場から拾って来たらしい鶏卵と、ヤマドリのものらしい卵もあった。サクラの実も大好きだ。タヌキやヤマドリが死んでいるのを見つけ、大喜びで食べていたこともある。もっとも、ヤマドリは日暮れまでに食べきることができず、残りはテンかハクビシンが持って行ってしまった。バッタを食べていることもあればカナブンのような甲虫も食べる(これは糞の内容物から確認できた)。スギの実をくわえていたこともある。こうやって様々な餌を手当たり次第に利用し、なんとか食いつなぐのがカラスの流儀なのだろう。


振り返ってみれば、人間の雑食ぶりも際立っている。もともと霊長類は食性の幅が広く、ほぼ葉っぱしか食べない奴から、果実食のもの、昆虫やカニをバリバリ食べるもの、中にはチンパンジーのように、時に哺乳類を捕食するものもある。チンパンジーの肉食の頻度は地域によって違うが、タンザニアのゴンベ国立公園では年間10キログラム以上食べているという調査結果もある。1日あたりにすると数十グラムだが、ほんの200年ほど前、江戸の町民だって、そう毎日のように魚を口にしていたわけではないことを考えれば、チンパンジーはかなり「肉食」なサルだ。ついでに言えば、彼らが一番よく狙うのは、コロブスなど自分より小型のサルである。何を食べようとチンパンジーの勝手ではあるが、自分とほぼ同じ姿をしたものを引き裂いて食っているというのは、なまじ人間に似ているだけに、ビジュアル的にちょっと引く。まあ、その辺の怖さも含めて「人間に近縁」ということかもしれない。

人間は本来、非常に様々なものを食べることができるし、実際、非常に様々なものを食べていたはずだ。石斧かついだ原始人だって、マンモスの肉ばっかり食べていたはずはない。現代の狩猟採集民を見ればわかるが、肉を手に入れるのは大変なのである。効率からいえば、地面を掘ってイモを探すとか、サゴヤシの幹からデンプンを集めるとか、果実や昆虫や貝を採って回るとか、そっちの方がはるかにいい。果実やイモは逃げない。

おそらく、草原に進出したヒトの祖先は、手に入るありとあらゆるものを食って生き延びていたはずなのだ。ヒトはハンターだった、いや採集者だったという議論には、第三極として「死肉漁り」という、いささか不名誉な解釈も存在する。だが、これは決して悪い方法ではない。サバンナに行けば今も1日1体くらいはレイヨウなどの死骸に出会うという。すでに死んでいるから、追いかけたり、仕留めたりしなくてもいい。腐りかけていると解体するのも楽だ。他の動物が食いちぎってくれていれば、なおさらである。ただし、経験から言うと、野ざらしの死骸は皮がカチカチになり、ナイフを使っても切り分けるのに苦労することがある。ライオンなりハイエナなりが先に食い散らしてくれていた方が、ロクな道具を持たないご先祖様にとっては、仕事がしやすかったに違いない。


カラスも非常にいろんなものを食べるが、「これは食える」「これは食えない」という見極めはどこでつけているのだろう?

最近の研究により、鳥の嗅覚は意外に悪くないかも? ということになってきた(ただし、今わかっているのは特定の臭いに対する反応だ。多様な臭いを嗅ぎ分ける能力があるかどうかはまだ不明な部分が多い)。だが、カラスに関しては、嗅覚で餌を探しているとは思えないところがある。見た目に惹かれているのが明らかなところもある。カラスは見えている餌を真っ先につつくからである。

ところが、カラスは「お前、それが餌に見えるの?」というものを持って行く時もある。例えば石鹸だ。

カラスが幼稚園の手洗い場から石鹸を盗むという事件が発生したことがある。これを調査した東京大学(当時)の樋口広芳らは、石鹸に発信機を仕込んでカラスに持って行かせ、石鹸がどうなるか調べた。結果、石鹸は餌と同じように落ち葉の下に隠されており、表面にはクチバシで削った後がいくつも残っていたという。食べたとも言えないのだが、つついてみたのは確かである。他の観察例では、クチバシでカリカリやってはプルプルと振り払っていたという。不味いのに、「やめられない・止まらない」状態であったらしい。

同様に、ゴルフ場ではしばしば、カラスがゴルフボールを持って行く。これもやはり、落ち葉の下に隠したりしている。だが、ゴルフボールなんて絶対に食えないし、味見することさえできないはずである。なにか、カラスにとって魅力的な条件があるのだ。だが、それが何なのかは、いまだにわかっていない。

鳥の色覚は我々とは違い、三原色に加えて紫外線も見えている。よって、世界の見え方は人間とは違うはずだ。カラスの目には、石鹸やゴルフボールがとても美味そうな何かに見えているのかもしれない。たとえ食えないとわかってもつい持ってゆきたくなるくらいに。だが、残念ながら、人間には紫外線反射を含む色彩世界というものを想像することさえできない。


さて、カラスと同じく食性の幅が広いヒトである私は、おせち料理の白和えをつつき、松風をつまみ、口直しに黒豆にいくか、田作りにするかを考える。こういう選択肢を持っていると、少なくとも私にとって、生活の質が大いに向上するのは確かだ。今飲んでいる「春鹿・生原酒」が空いたら、次を「三諸杉・菩提酛づくり」にするか、「やたがらす純米」にするかという選択肢も重要だ。これもまた、「やめられない・止まらない」の部類である。

食える?

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

松原始

まつばら・はじめ 1969年奈良県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科博士課程修了。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館の特任助教。研究テーマはカラスの行動と進化。著書に『カラスの教科書』ほか。もちろん悪だくみなどしていない。心に浮かぶ由無し事を考えているだけである。ククク……

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