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リアルRPG 草原の国キルギスで勇者になった男の冒険

 さて、「セキルへの恩返し」とはつまり、セキルが幸せに暮らせる裕福な家庭にセキルを託すことに他ならない。

 成り行きではあるが、動物と冒険するというのは今やおれの基本的なスタイルになっている。そうなると当然、動物との別れをどうするかが大きな課題となる。

 今後の冒険でもこの問題については深く考察を重ねていくつもりだが、ひとまず現段階では「動物たちがおれと出会う前より幸せになれる道を示してから別れるべきだ」というのがおれの出した結論だった。

 セキルにとって何が幸せかを考え抜いた上で答えを出さなければいけない。

 クバンの家の門をくぐり、荷物や馬具をセキルから外して屋内へ運ぶ。

 「おばさん、クバンは今どこにいるの?」

 「今はちょうどビシュケクよ。車を売って、新車を買っているの。たぶん夕方には戻ってくると思うわ」

 これは、おれにとってはとても残念な知らせだった。というのは、おれはセキルをクバンに売るつもりだったからだ。

 クバンは裕福だが貯金をするような性格ではないので、今まさにほぼ全財産を投げ打って車を買っているだろう。これから交渉をしても、セキルを買うだけの余力がないかもしれない。

 ちなみに、セキルを買いたいと言っている人は他に2人いた。クバンを紹介してくれたウランおじさんと、トロク村のコイチュビットおじさんだ。提示された支払額は両者とも4万5千ソム(およそ7万円ほど)だった。

 ウランおじさんならしっかり責任を持って面倒を見てくれるだろうし、3人いる息子たちはセキルに興味津々だったから散歩もやってくれるだろう。

 一方、コイチュビットおじさんの家では家畜の餌を育てていて、畑の近くにはだだっぴろい草原が広がっている。動物の扱いに長けたアイベックもいるので、セキルは安全にのびのびと暮らせるだろう。

 しかし、総合的に考えるとクバンの家がセキルにとって最適だ。

 クバンの家には越冬用の家畜食糧を蓄えている倉庫があり、さらにクバンの父親は獣医をやっている。家の前の放牧地は広々としていて小川も流れているので、セキルにとってはこの上なく充実した環境だろう。さらに、小学生くらいの年齢の息子や娘もいるので、長く可愛がってもらえるに違いない。

 そして、クバンにはできるだけ高くセキルを買い取って欲しいところだ。なぜなら、「安くない金を払ってセキルを買い戻した」とクバンに思わせることができれば、冒険前よりもセキルを大切にしてくれるかもしれないからだ。

 

 さて、20時ごろにクバンが帰って来ると、すぐに夕食が始まった。新しい車を買ったからか、普段はいない兄弟や親たちも食事に同席していた。

 ……これはチャンスかもしれない。

 もう少しして場が落ち着いてから話を切り出せば、有利に話が進められる気がした。親兄弟がいる場なら常識外れな酷い提案はクバンもしないだろうし、おれが提示した金額を用意できない場合であっても、両親や兄弟が一時的に肩代わりするなどのアイデアが出るかもしれない。

 これまでキルギスではたくさんの馬を見てきたが、セキルは間違いなく名馬だ。セキルより大きく体力のありそうな馬はほとんど見かけなかったし、さらにセキルはきちんと指示に従うので賢い馬でもある。高値で取引されるに値する馬だ。

 当初の予定では、クバンは車の売買で疲れているから明日以降に交渉しようと考えていたが、計画変更だ。子どもたちが退室したあたりでタイミングを見計らって、おれはクバンに話しかけた。

「……それで、クバン。マキシムス(セキルの元の名前)をいくらで買い取るんだ? 3週間前にあった時は、市場価格が7万ソムだからその位で買い取るって言ってたけど、今の市場価格はいくらだ?」

 クバンは少し考えて、余裕そうな笑みを浮かべながらこう言った。

「4万ソムだな」

 かなり安い金額を提示されることは予想していたが、以前言っていた金額の半額程度というのはいくらなんでも安すぎる。

 セキルの能力を客観的にみて、どれだけ安くとも4万5千ソム以上で取引したい。

 ひとまずこれを最低目標金額にしよう。

 ……さぁ、交渉開始だ!!

 「4万ソム? 冗談だろ。なら、鞍はいくらで買い取ってくれるんだ?」

 鞍は市場で5千ソムで購入したものだった。日本円で8千円ほどなので、これも十分売りものになる。

 「この前と違って、今は山で遊牧していた馬が一斉に帰ってきたから市場価格が急落したんだ。鞍はいらないから処分してくれて構わない」

 「全部でたったの4万ソムか? 悪いけど、そんな酷い値段なら他の希望者に売ることになると思う。それに鞍があれば息子たちも安全に馬に乗れると思うけど、いらないのか?」

 「そうだな……。鞍を買い取るとしても2千ソムだ。合計4万2千ソムなら出そう」

 クバンはなかなかに強気なようだった。セキルを買いたいという人が他にいるという、おれの情報を疑っているのかもしれない。

 「そうか。なら、とりあえずこの家が出せる値段は分かったから、他の希望者を当たってみるよ」

 できる限り「一番多く金を出す奴に売る」というようなドライな雰囲気を出しつつ、おれは一旦ウランおじさんやコイチュビットおじさんに電話をしようと外へ向かった。

 ドアを閉める直前、クバンが少しだけ悲しそうな顔をしたのがちらりと見えた。おそらく、自分のものだと考えていたセキルが他人の手に渡りそうになっていることを実感してきたからだろう。車を買って貯金が無いのは間違いないので心苦しいが、セキルの為だ。

 

 おれは外で、おじさんたちに電話をかけ始めた。

 もちろん、これらはクバンに高く買い取ってもらう為の演技だ。セキルの住環境を考えて、どんなに安くともクバンに売ることは決めていたが、先述の通り高く売れた方がより大切にしてくれるだろう。一芝居打つ価値はある。とはいえ、一度でも「いらない」とクバンに言わせてしまうとそれはそれでセキルへの執着が無くなってしまうので、その辺りを考えつつ慎重に話を進めていかないといけない。

 外でおじさんたちに電話をかけて世間話をしていると、長男のアルセンが呼びに来た。

 「Go! お父さんが呼んでる!」

 おそらく交渉金額の仕切り直しをしてくれるだろうから、ここまでは順調だ。家族の誰かが、セキルを買うようにクバンを説得してくれたのかもしれない。おれはしばらく電話を続け、少し時間を空けてからクバンの元へ戻った。

 「何?」

 「Go、もうマキシムスは売ったのか?」

 「いや、他の希望者はみんな、今日は家族と相談して明日買い取り値を確定するらしい。でも大まかに金額を聞いた感じだと、流石に4万2千ソム以上にはなると思う」

 「そうか……」

 クバンはまた少し考え、それから顔を上げた。

 「……で、Go。いくら欲しいんだ?」

 さて、ここが一番大事なところだ。

 おれはここで4万5千ソムを提示する予定だったし、「高過ぎるから買わない」と言わせてはいけないが、今のクバンの弱気な雰囲気ならもう少し高値で買い取ってくれそうだった。

 「5万5千ソム(9万円ほど)だ」

 おれがそう言うと、クバンは「アーミー!」(キルギス語の感嘆詞)と言って驚いて見せ、弱ったな、という風に苦笑いしながらゆっくりと話し始めた。

 「Go……、高いな。そんな金、今うちには無いんだ」

 「でも、その位出さないと他の希望者が買うと思うな」

 「山から馬が下りてきたから、マキシムスみたいに大きな馬だって、今は動物市場にたくさんいる」

 「そんなこと言っても、市場で買う気はないんだろ? マキシムスほど大きくて強くてしかも大人しい、それが買う前から保証されている馬をたったの5万5千ソムでっていうのは、たとえ馬がたくさんいる動物市場でもいい買い物だろうし。なんたって、こいつは100kg近い荷物を背負ってキルギスの山々を1000km以上踏破した、ずば抜けて強い馬なんだからな!!」

 「……」

 クバンは押し黙った。どうやら、交渉は成功したようだ!

「……分かった。5万5千ソム出そう。ただし、今それだけの金がないのは本当だ。だから、今この場で4万5千ソムを支払って、2ヶ月後にGoの日本の銀行口座に残りの1万ソムを送金するってやり方でどうだ?」

 振込が遅れるのは問題ないが、そのやり方だとこれまでの経験上、まず間違いなく残りの1万ソムは無かったことになるだろう。

 「そうだな……。おれはしばらくはキルギスで冒険を続ける予定だから、2ヶ月後に直接金を受け取ることにするよ。あと、この取引の内容を紙に書いてサインしてくれるなら、おれは問題ない」

 「分かった。こっちもそれでいい」

 交渉成立だ!

 

 こうして、セキルは元の飼い主クバンのところで飼われることになった。

 息子たちは馬が返ってきたことではしゃぎ、率先して世話をしてくれていた。セキルは、昼間は家の前にある草地でのびのびと過ごし、夜はクバンの家の中で安全に眠ることができていた。

 ちなみに後から聞いた話では、おれが電話している間に部屋へ来た長男のアルセンが、「あの馬買ってくれないとヤダ!」とかなり駄々をこねてくれたらしい。予想よりも高値で売れたのはそれが理由のようだ。

 交渉した日の夕方にやらせてあげた乗馬体験が楽しかったのかもしれない。といっても、馬は人を選ぶため、長女のアッデリーナと2人がかりで全くセキルを動かせずにただ乗っているだけだったが……。

 そしてその数日後、セキルが良い環境の中で暮らせていることを確認したおれは、次の冒険へと旅立つ。

 今回、セキルとは1086kmの道のりを冒険した。セキルが臆病過ぎて車が来る度に暴れるというピンチに始まり、崖から落ちかけたり悪漢に襲われたり遭難しかけたりと、毎日毎日数え切れないほどたくさんのことがあった。しかし、今では全てが懐かしむべき過去の記憶だ。  

 これまで一緒にいたセキルとのお別れなので当然寂しさはあるが、2ヶ月後にまた会えるだろうから、その時を楽しみにしつつ、先を急ぐことにした。

 おれはゆっくりと息を吐いて気を引き締め、新たな冒険を始めるべく、次の目的地へ向かうタクシーに乗り込んだ。

第14回につづく

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

春間豪太郎

はるま ごうたろう 1990年生まれ。冒険家。行方不明になった友達を探しにフィリピンへ行ったことで、冒険に目覚める。自身の冒険譚を綴った5chのスレッドなどが話題となり、2018年に『-リアルRPG譚-行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』を上梓。国内外の様々な場所へ赴き、これからも動物たちと世界を冒険していく予定。

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