かなり前、バブルの残り火が燻ぶっていた頃、ある老僧と話していたら、
「いやあ、なんだな、男は定年になると、蕎麦打ちか出家がしたくなるらしいな」
いつもユーモアに満ちた口ぶりの人だったが、これには大爆笑したものである。
ある程度の年齢、50歳、60歳くらいを過ぎてから出家して僧侶になる人を、この業界では「晩年僧」と言ったりするが、これが意外と少なくない。私の修行した道場にも、5、6年に一度くらいの割合で中高年が入門してきた。
一番驚いたのは、中学の校長先生を定年退職して、いきなり上山してきた61歳である。
90近くまで頑張って住職を続けた師匠(父親)が急逝して、寺を継がなければならない立場になり、退職と同時にやってきたのだ。
得度(僧侶になる儀式)は、若い頃に済ませていたので、なんとか簡単に修行を済ますか、できればショートカットして住職になる方法が無いか、あちこちツテを探したらしいが、その様子をどこかで見ていた幼い孫が一言、
「じいちゃんは、ズルして和尚さんになるんか」
「じいちゃん」はこの一言に発奮して、乗り込んできたのである。
こういう時、道場は容赦しない。入門すれば年齢は関係ない。が、配慮はする。彼が彼なりに精一杯やっていれば、若い者に及ばぬところは、見て見ぬふりをするのである。
たとえば、朝の回廊掃除の時、修行僧は全員が一斉に長大な階段を駆け上がり、頂上から我勝ちに猛スピードで拭き降りる。
すると、還暦も越えれば、彼は若者集団に、陸上競技なら2回り半くらいの周回遅れになる。ほとんど全員が拭き終わった頃、ゼーゼー息を切らしながら、よろめくようにして頂上にたどりつき、前に倒れるように両手を伸ばして、懸命に階段を2、3段拭き始める。途端に、下からずっと見ていた古参和尚が、
「早くしろ!」
「はあい、いっ……(必死の声)」
「よーしっ! そのまま降りてこいっ!」
彼はようやく登った階段を、手すりにつかまりながら、降りてくるのである。
こういう者ばかりではない。「一度修行がしたくて」、自衛隊の陸将を退官して入門したという猛者もいた。これはすごかった。正確な年齢は聞かなかったが、60歳近くだったと思う。
まず、掃除だろうが、山仕事だろうが、体力的にまったく若者集団に引けを取らなかった。それ以上に驚いたのは、修行態度である。孫のような歳の古参修行僧に指導されたり指示されたりすると、堂内に響き渡るような大声で、
「はいっ!」
敬礼せんばかりの迫力に、古参の方が押されて、次第に言葉が丁寧になっていった。
戦時中に軍隊経験のある老僧が、
「さすが将軍だなあ」
もちろん、得度したものの、修行に行く前、あるいは修行の最中に、あえなく挫折する者もいる。健康上の理由もあるが、精神的なものも大きい。
いわゆる初期経典には、ブッダの言葉として、「晩年に出家した者」に具えることが難しい項目を列挙したものがある。
(1) 機敏であること
(2) 威儀を具えていること
(3) 多くの教えを聞くこと
(4) 教えを論ずること(説法者であること)
(5) 律(僧団の生活規範)を身に付けること
(6) よく説くこと
(7) 学んだことをしっかりと把握すること
(8) 教えられたことを恭しく巧みに行うこと
(1)は、確かに歳と共に難しくなるだろうが、先述のとおり、道場では甘くは接しないが、配慮はする。ハナから修行が無理とは思わない。
(2)は、修行僧らしい、あるいは僧侶らしい立ち居振る舞いや、佇まいを意味する。これも、まあ数年修行経験を積むうち様になってくるもので、加齢は致命的障害にならないはずだ。
(3)、(4)、(6)については、必ずしも晩年僧の弱点にはならない。要は志を以て実践と勉学の研鑽を積むことが重要なのであって、この点、箸にも棒にもかからない若い修行僧も少なくない。
ただ、(7)が主に記憶力や理解力についての言及だとすると、加齢による減退がある場合には、それを補う工夫は要るだろう。が、「把握」ができないわけではないと思う。あくまで「難しい」というだけだ。
私が思うに、問題は(5)と(8)である。なぜなら、(5)と(8)はそれまでの思考や行動のパターンを大きく切り替えなければならないからだ。要するに在家から出家へと、生活スタイルを劇的に転換する必要があるのだ。
これは、過去に多くの経験を積み重ねてきた中高年には、そう簡単なことでない。生活習慣化した過去の経験、特に成功体験の記憶が、切り替えの障害になるのである。
孫のような「先輩」の指導・指示に無条件で服従することから始まり、およそ「娑婆」では不合理としか思えない修行の数々を、屈託なく即座にできる者は、そう多くはない。
私が入門した頃には、新到和尚(新人1年目)が集まる大部屋の正面に、茶色に変色した紙が貼ってあった。いわく、
「年齢を忘れよ。過去を忘れよ。自分を忘れよ」
けだし、出家に限らず、生きていると、この種の切り替えが必要になる場面が、一度や二度はあるだろう。その時、この「忘れる」勇気が要るのだ。
「考え方を切り替えろ」と、時として人は言う。しかし、考え方を本当に変えたいなら、生き方を変えるしかない。私はそう思う。
この連載は、今回をもって区切りとさせていただきます。長らくお読み下さった読者各位に深く感謝いたします。ありがとうございました。
*本連載は今回で最終回となります。ご愛読に感謝申し上げます。2024年春ごろに新潮社より書籍化の予定です。連載一覧はこちら。
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南直哉
みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 南直哉
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みなみ・じきさい 禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『死ぬ練習』(宝島社)などがある。
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