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インドの神話世界

2019年6月26日 インドの神話世界

16 女神と「器」の神話学――トヨタマビメ、エバ、マリア

著者: 沖田瑞穂

 前回はインド=ヨーロッパ語族の三機能体系説との関連から、アーサー王物語やイラン系オセット人の「ナルト叙事詩」で重要な位置にある「杯」について、お話してきました。「聖杯」にはインド=ヨーロッパ語族の理想上の世界にとって不可欠の三つの機能である、聖性と戦闘と生産性の全ての象徴がこめられていました。
 今回は少し角度を変えて、「杯」を広い意味で「器」ととらえて、その神話としての意味を考えていくことにしましょう。

「子宮」としての「器」――『古事記』のトヨタマビメとホヲリ

 まず、日本神話にでてくる「器」の神話をみてみましょう。
 『古事記』上巻のおわりの方に、海幸彦のホデリと山幸彦のホヲリの話があります。ホヲリが兄のホデリの釣り針を海に落としてなくしてしまったので、釣り針を探しに海の宮殿に向かいます。その時の様子は、次のように語られています。

 ホヲリは海底の海の神オホワタツミの宮殿の前につくと、泉のほとりにある桂の木に登って待っていた。すると海神の娘トヨタマビメの侍女が器を持って出てきて、泉の水を汲もうとした時に、水面に映ったホヲリの姿を見た。ホヲリが侍女に水を求めたので、侍女が水を器に入れて差し出すと、ホヲリは水は飲まずに、首にかけていた玉の緒を解いて、その玉を口に含み、差し出された器に吐きいれた。すると玉は器にくっついて離れなくなったので、侍女はそれをそのままトヨタマビメに差し上げた。
 それを見たトヨタマビメは門に誰かいると思い、侍女に問いただすと、侍女はありのままを報告した。トヨタマビメは外に出てホヲリの姿を見るなり、一目ぼれして、父である海神に報告した。海神は、この方は天の神の息子だと言って中に招き入れ、丁重にもてなして娘のトヨタマビメと結婚させた。ホヲリは三年の間、海神の宮殿に滞在した。

青木繁《わだつみのいろこの宮》1907年、油彩・カンヴァス、180.0×68.3cm、石橋財団アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)蔵

 この部分には、不思議な描写が含まれています。侍女が器を差し出すと、ホヲリがそこに、口に含んだ玉を吐き出し、器と玉がくっついて離れなくなった、というのです。
 何のことを言っているのかよく分からないと思うのです。
 しかし実はここには、神話的な意味が表わされています。
 まず、器とは、すでに前回の「杯」のところでも見てきたように、その形状と役割から、普遍的に子宮を暗示しています。そして玉の方は、日本の神話において「生産性」と関わる宝物であり、それを「口に入れて吐き出した」という所作には、色濃く性的な意味が含まれています。つまり、トヨタマビメの子宮を暗示する「器」と、ホヲリの生殖力を暗示する「玉」の結合を、この部分はあらわしています。これは、この直後に行われる両者の結婚を、神話的な表現で示唆した部分だったのです。

キリスト教世界における三つの「器」

 このように日本の神話において、「器」は子宮の暗示として語られていました。では次に、キリスト教世界に話を移して、「器」と「子宮」の問題を考えていきましょう。

 まずは、最初の女にして最初に罪を犯した女、エバの物語を確認することにしましょう。

エバの物語

 『旧約聖書』の「創世記」2章から3章によると、神は土の塵から最初の人間、アダムを作りました。神は東の方にあるエデンの園にアダムを置き、あらゆる木をそこに生え出でさせ、園の中央に、命の木と善悪の知識の木を生え出でさせました。その上で、「園のすべての木から取って食べてもよいが、善悪の知識の木からは決して食べてはならない、食べると死んでしまう」と命じました。
 神はまた、アダムの助け手とするためにさまざまな動物たちを作りました。
 最後に神は、アダムを眠らせ、そのあばら骨を一本取り、そこから女を作りアダムの妻としました。アダムとその妻は二人とも裸でしたが、恥ずかしがりはしませんでした。
 神が作った野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇でした。蛇は女に言いました。
 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
 女は蛇に答えました。
 「園のすべての木の果実を食べてもよいのです。ただ、園の中央に生えている木の果実だけは食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
 蛇は女をそそのかし、木の実を食べて神のように善悪を知るものとなりなさいと言いました。女は、いかにも魅力的なその木の実を取って食べ、アダムにも食べさせました。その瞬間、二人は自分たちが裸であることに気づき、いちじくの葉で腰を覆いました。
 その様子を見た神は二人が禁を犯したことを知り、蛇と二人を罰しました。
 蛇は呪われて地を這い続けることになり、人間と未来永劫にわたって敵対する運命となりました。
 アダムは、土に還るときまで額に汗を流して食糧を得なければいけない定めを与えられました。女は、神によって妊娠の苦しみを与えられました。苦しんで子を産む、夫に支配される運命となりました。
 アダムは女をエバ(命)と名付けました。彼女がすべて命あるものの母となったからです。主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられました。
 神は、人がさらに手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者とならないよう、楽園から追放しました。
 エバはアダムとの間にカインとアベルをもうけましたが、カインはアベルを殺害し、自らは追放されてしまいました。次にエバはセツを授かり、この子が後の世代につながっていきます。

 エバは「最初の女」すなわち「最初の子宮」であり、そこから人類が生み出されました。しかし、吉田敦彦らが指摘しているように、エバは蛇にそそのかされて禁断の果実を取って食べた「罪の女」でもあって、その胎から生まれてきた人間たちは、等しくその罪を負っています。(吉田敦彦『神話のはなし』青土社、1999年、46頁。岡田温司『アダムとイヴ』中公新書、2012年、139-140頁。)
 これをあがなうことになるのが、キリストの母、マリアです。(吉田、前掲書、47-51頁。)

処女母神としてのマリア

 キリスト教におけるマリアについてみてみましょう。その最大の特徴は、「処女母神」として信仰を集めていることにあります。処女にして母、という矛盾する役割を引き受けているのです。
 聖母マリアは、処女であることが重視されています。彼女が処女でなければ、「神の息子」にはなりえなかったからです。たとえば次のような話があります。

2世紀に作られた物語『ヤコブ原福音書』
 マリアはダビデの部族の出とされる。処女マリアが一二歳になったとき、大司祭ザカリアはエルサレム神殿で天使によって、マリアに男やもめのなかから夫を選ぶように命じられる。ヨセフの杖だけから鳩が出て彼の頭の上に舞い降りたので、ヨセフがマリアを引き取ることになった。ヨセフは許嫁となったマリアを家に残して、長期の大工の仕事に出かけた。ヨセフが不在の間、マリアは家で神殿の垂れ幕を作っていたが、天使が現れて、彼女が「主の言葉によって」あるいは「主なる生ける神によって」身ごもったことを告げた。このとき、マリアは十六歳であった。アウグストゥスの発した登録の勅令に従ってベツレヘムに行く途上でマリアが産気づいたので、ヨセフはマリアを洞窟に入れ、ヘブル人の産婆を探した。産婆はマリアがイエスを産んだ後も処女のままであるのに驚き、洞窟の外で出会ったサロメにこのことを告げたが、サロメは、「もしわたしの指を入れて彼女の様子を調べてみないなら、処女が出産したなど決して信じません」といった。サロメがマリアの中に指を入れたが、その手は火で燃え尽きそうになった。すると天使が現れ、赤子を抱けば治癒されるといい、その通りにするとサロメの手は治った。(松村一男『女神の神話学』1999年、70-72頁。)

 エバは「罪の女」でしたが、マリアは処女性によってそれをあがないました。聖ヒエロニムスは、そのことをこのように表現しています。

「イヴ(エバ)によってこの世に死がはびこったとすれば、マリアは生をもたらす」。(岡田、前掲書、140頁。)(括弧内筆者)

 二人の女が生と死によって対比させられています。

そしてもう一つの「器」としての、マグダラのマリアへ

 エバは人類を生み出した「人類の器」であり、マリアは「神の子キリストの器」です。
 同じ器でも、その特徴には違いがあります。エバは最初の罪を犯した女で、その胎から生まれた人類は等しく罪を背負っています。エバの容器は「罪の容器」です。
 マリアは、その処女性によってエバの罪をあがない、聖なる神の子を宿しました。マリアの器は「贖罪の器」と言えます。また、処女とは「何も入っていない器」、つまりこれから受け入れることが可能な器、と定義できそうです。この定義は、現代の映画やアニメ、ゲームなどにおける「少女」の表象を考えて行く際に、ひとつの指標となるでしょう。

 これらキリスト教世界の三つの「器」に、もう一つの「器」の話を加えることができます。それによって、「器」が「聖杯」につながります。もう一つの「器」とは、「マグダラのマリア」です。罪の女で、悔い改めた女です。たとえばダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を読み解くことで、もう一つの容器の現代的な秘密が可視化できます。これについては、また改めて考えていくことにしましょう。

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何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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