Webマガジン「考える人」

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リアルRPG 草原の国キルギスで勇者になった男の冒険

 朝、出発して早々に、治安面で不安のある町ケミンを通過する。

 町を歩く時は、ガラスに映った自分の姿を群れだと誤認させないよう鏡やガラスを避ける必要があり、また、アカシュとサナは民家から吠える飼い犬にも怯えるのでその点も注意しないといけない。羊たちに限らず動物は一定のリズムを乱されるのを嫌うので、通行人に何か話しかけられた場合もできるだけ立ち止まらず、簡単な挨拶と会話だけにとどめるのが良い。

 そういった心がけに加え、羊たちを連れて歩くこと自体への慣れもあり、ケミンではほとんど立ち止まらずに通過することができた。

 しかし、もう日が沈もうかという時に、2000ソムで家に泊めてやるとしつこく言ってくる男に付きまとわれてかなり時間を無駄にしてしまった。男は車を運転していて、おれが歩く速度に合わせて1時間以上並走を続けた。ホテルの相場ですら数百ソムなので2000ソムというのはあまりにも高額であり、男の高圧的な喋り方や態度、どちらかというと親切ではなくカツアゲに近いものだった。

 泊めてもらわなくて結構だ、と延々と言い続けていると、男はしぶしぶといったようすで引き返して行った。

 結局、その日は滞在予定の村にいるアリという男の家に泊まらせてもらうことになった。アリは牛や馬、羊を飼っているのでアカシュたちを小屋へ案内してくれた。さらにそこでは、夜の間は番犬が見張りをするようだった。なんでも最近はかなり獰猛なオオカミが出て困っているらしい。

 その番犬は、体重60kgくらいありそうな大型の白い犬だった。低い声で威嚇するかのようにずっと唸っていて、頑丈そうな革製のマスクで口を塞がれていた。

 アリは家畜小屋の前にある金属製の杭にその犬を繋ぐと、恐る恐る犬のマスクを外す。そして外した瞬間、慌てたようにこちらへ全力で走って来た。犬は怒り狂ったようすでそれを追いかけ大声で吠えたが、杭に繋がっている為少ししか動けず、悔しそうにこちらを睨み、また低い声で唸り始めた。

……どうやら、アリと犬との信頼関係はイマイチのようだが、これだけ強そうな番犬がアカシュたちを守ってくれるなら心強い。


 そして翌朝、アリに別れを告げ、トロク村を目指して東進する。

 昼、通りがかった町でアブドゥルという男に出会い、一緒にお茶をしないかと誘われた。ゆっくりお茶ができるほど時間の余裕は無かったが、アブドゥルは「良い人」の雰囲気を持っていたので、家に少しだけお邪魔することにした。滅多に出会えないが、この雰囲気はこれまでにおれを大きく助けてくれた人々の多くが共通して持つものだ。そしてその予感は的中することになる。なんと、運よく今晩行く予定のキズクヨという村で暮らす友人を紹介してもらえる事になったのだ。アブドゥルによるとアカシュたちが安全に過ごせるような家畜小屋もあるらしい。

 これで今日の寝床は確保できたも同然だ……と思っていたが、残念ながらそううまくはいかなかった。

 アブドゥルの家を出てからしばらくして、アカシュがたまに右後ろ足を痛そうに上げ始めたからだ。

 以前ロープの締め付けがきつかった時とはまたようすが違う。実は昨日あたりからアカシュの躓く頻度が増えていて少し気にはなっていたが、ざっと見た限りでは異常がなかったので静観していた。しかし、今やアカシュはたまにではあるが右後ろ足を痛そうにビクリと上げ、前のめりに躓いたような姿勢になって前足をせかせかと動かしている。この動きは、足先の傷口か何かが地面に触れて、痛みに驚いて思わず足を上げた、といった感じだった。これは絶対に何かある。

 すぐに立ち止まってアカシュの傍に座り、足を詳しく観察する。すると、なんと右後ろ脚の蹄が少し擦り減っていた。小さいながらも蹄に炎症が起きているではないか。これは、恐れていた腐蹄症の可能性が高い。ひとまず手持ちのもので応急処置だ。

 飲み水で患部を洗って綺麗にしてから、腐蹄症の原因菌に有効な抗生物質の軟膏を塗り、包帯で保護する。

 手持ちの薬ではこれ以上の治療ができなかったので、どこか安全なところへ移動して治療に専念する必要がありそうだった。

 少なくとも、この応急処置のままアカシュを連れ歩く訳にはいかない。腐蹄症は命に係わるようなものではないが、痛みはあるので歩かせるのは可哀想だ。よし、いったん冒険を中断(セーブ)しよう。

 この前アカシュが跛行をした時と同じく、

1.皆で車に乗りトロク村へ
2.アカシュを売り別の羊を購入
3.ロバを買い荷車を作ってアカシュを運ぶ

 の三択が考えられたが、今回は迷わず1だ。

 この前はトロク村への距離がかなりあったので、車でトロク村へ行く際に羊たちが弱ってしまわないかが心配だった。車のトランクに積むとなれば羊たちは前後の足を交差して縛られ横倒しになってしまうので、長時間その状態が続くと弱ってしまうかもしれなかった。しかし、今はあの時よりもトロク村との距離が近いので、羊たちが車内で過ごす時間がかなり短くなっている。身体的、精神的負担は比較的少ないだろう。

 また、腐蹄症は感染症なので、少しでも早くアカシュを隔離しないとサナに感染してしまう恐れがある。3もダメだ。


 方針(コマンド)は決まった。その後すぐにヒッチハイクをして車に乗せてもらい、トロク村を目指す。

 トロク村に着いたらできるだけ早く治療ができるよう、手前にあるコチコルで治療用の薬品を買おうとしたが、これが意外にも上手くいかなかった。抗生物質や包帯などは簡単に手に入ったが、消毒液が無い。町で一番大きな薬局で消毒液が大量に欲しいと言うも、出てきたのは50mlの消毒用アルコールだった。店内に並んでいる物しか在庫が無いそうなので、もっと大容量の消毒液が無いか念のため探したが、見つからなかった。
 

 腐蹄症の治療には脚浴という方法が有効だ。消毒液などで満たされた浅いプールなどで脚浴させるか、もしくは消毒液を入れたコップに足を入れさせて消毒する必要があり、どちらにしても消毒液が大量に必要になる。コップを使うやり方であっても最低1Lは必要だろう。

 何か代わりになる物は無いだろうか。腐蹄症治療の脚浴ではアルコール消毒液の代わりにしばしば硫酸銅水溶液が使われることがあるが、当然薬局には無い。染物などで使うこともあるようだったが、果たしてコチコルに染物の専門店があるか分からないし、あったとして譲ってもらうには交渉する必要があるだろう。

 となると、残された手段はアルコール、つまり酒を使う方法だ。

 ここキルギスは旧ソ連に属していたので、日常的にウォッカが飲まれている。ならば……と酒屋へ行き目当ての物が無いか探したところ、3件目でようやく探し当てることができた。

 アルコール度数96のスピリタス・ウォッカだ!

 一般的な消毒用アルコールは70%前後であり、諸説あるがその濃度で最も高い消毒効果を得られるだろうとの見方が多いので、このスピリタスを少し水で薄めれば消毒液の代わりとして使うことができる。


 そして、トロク村に到着。急いでコイチュビットおじさんの家へ向かう。早くアカシュの治療をしてあげたいし、それに……久しぶりにアイツにも会える……!

 コイチュビットおじさんの家の近くへ来た時にはすっかり夜になっていたが、そんな暗い中、おじさんの家から飛び出しこちらへ突進してくる影が見えた。

 おそらく匂いだろうが、まだおじさんの家までは少し距離があるにも関わらず、そいつはおれに気付いたようだった。

 おれの足へと体当たりしてくるその犬を受け止め、羊たちの手綱を持ったままでハグをする。

 「久しぶりだな、シロ!!」

 シロは、前に見た時よりも少し太ったような気がした。チョルポンおばさんがしっかり食事を与えてくれていたのだろう。

 コイチュビット家の皆は相変わらず賑やかで、そしてこの前来た時よりもかなり裕福になっているようだった。ビシュケクで働くアイダールが仕送りをしているおかげらしく、塀で囲まれた庭にはたくさんのヤギと数匹の羊がいて、部屋には新品の冷蔵庫と手洗い場が追加されていた。

 ヤギたちは繁殖させて増やすらしい。この冒険が終わったらアカシュとサナもこの群れに加わる予定だ。羊はヤギよりも高値で取引されている上に、アカシュもサナも子を産めるメスなので重宝されるに違いない。

 水道は通っていないので手洗い場は蛇口の後ろの箱に水を溜めて使うタイプのものだったが、それでもあると無いでは大違いだ。特にチョルポンおばさんにとっては、日々の料理がかなりやり易くなったに違いない。満足げな表情でニコニコしながら冷蔵庫や手洗い場を眺めるチョルポンおばさんを見ていると、なんだか自分の事のように嬉しくなり、幸せな気分になった。


 さて、ここで、おれがこの羊との冒険で最初にトロク村を目指した理由について説明しようと思う。実は、途中でシロを仲間に加えてサリチェレク湖を目指そうとしていたからだ。

 アマンの秘密基地でシロを保護してトロク村へ行った時に、シロは意外な才能を発揮した。

 それは、アイベックが放牧されている牛を追い立てるのを手伝った時のことだった。シロは牛を見るなり素早く背後に回り込み、大声で吠えながら追い立て始めたのだ。まるで訓練された牧畜犬のように、シロの動きにはよどみが無かった。

 それを見たアイベックが興奮したようすでおれに話しかける。

 「Go! この犬やるな! 元々牧畜犬だったか?」

 「いや……。そんな話は聞いたことが無いなあ。おれも初めて見た」

 もしかするとシロは昔、牛の誘導をしていたのかもしれない。そうでなくとも、そもそもシロは家畜が特に多いナリン州の出身だ。シロの一族が代々牛を追い立てていて、シロも同様に経験があったという可能性は十分にある。

 そして、その考えを裏付けるかのように、その後もシロは牛の群れに出会うと元気よく駆け出し追い立てていた。牛だけに反応しているようで、羊やヤギにはほとんど興味を示さず追いかけもしなかった。

 シロのこの才能をもっと伸ばしてやれば、貰い手がたくさんあるかもしれない。

 おれはそう考え、トロク村からサリチェレク湖までの間はシロに羊たちの誘導をしてもらう事に決めていた。今は牛の誘導しかできないシロも、羊たちを背後から追う毎日を過ごせば羊の誘導ができるようになるかもしれない。

 そうなると牧畜犬としてのシロの価値はさらに上がり、より良い暮らしができるようになるだろう。

(写真、以上すべて©Gotaro Haruma)

 シロが羊を追い立てる練習をする為にも、早くアカシュを治療して元気になって欲しいところだ。しかし、今はもう日が沈み外は真っ暗だった。アカシュの治療では患部を少し削らないといけないので、明日の早朝の明るい時間帯に改めてやるべきだろう。今日はとりあえず患部を消毒した上で包帯を巻き、サナと隔離して安静にしていてもらうようにした。

 アカシュ、サナ、そしてシロの3匹と共に冒険をするのか、それともアカシュの治療が長引き想定外の展開(ルート)になってしまうのかは、明日以降の治療にかかっている。

 まだまだ今後の不安が尽きず油断できない状況ではあったが、トロク村へ着いたという安心感の方がはるかに大きかったのか、気が付くと寝ていたようで朝を迎えていた。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

春間豪太郎

はるま ごうたろう 1990年生まれ。冒険家。行方不明になった友達を探しにフィリピンへ行ったことで、冒険に目覚める。自身の冒険譚を綴った5chのスレッドなどが話題となり、2018年に『-リアルRPG譚-行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』を上梓。国内外の様々な場所へ赴き、これからも動物たちと世界を冒険していく予定。

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