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リアルRPG 草原の国キルギスで勇者になった男の冒険

 朝、チョルポンおばさんたちがまだ寝静まっている頃、おれはそっと毛布から抜け出して庭に繋がれたアカシュのもとへ行き、治療を始める。

 腐蹄症の治療についてはこの冒険を始める前に何度も調べていたから、一人で出来るはずだ。

 まずは蹄を水で綺麗に洗ってからストーブで滅菌したハサミを使ってアカシュの蹄を少し削る。

 患部が空気に晒されて血も少し出てきたが、順調だ。

 腐蹄症の原因菌のバクテロイデスやフソバクテリウムは偏性嫌気性菌というものに分類されていて、酸素が弱点だ。

 こうして患部を空気に触れさせることで、増殖を抑えて死滅を早めることができる。

 その後、消毒液と同じくらいの濃度まで薄めたスピリタスをコップに入れて、蹄を漬け込んで消毒をする。あとは抗生物質の軟膏を塗って、患部が土で汚れないように緩く包帯を巻けば処置は完了だ。

 今回は症状が悪化する前に治療が始められたから、うまくいけば2日か3日のうちに良くなるだろう。

 あとは経過を観察しつつ、1日でも早く完治するよう祈るばかりだ。

 アカシュは包帯を巻いてからは痛みが無いようで綺麗に歩けていたが、まだ完治はしていないので無理は禁物だ。

 シロとサナと3匹でどの程度歩けるかのテストをしてみたいが、今は安静にさせないといけないので治ってからやることにしよう。


 家へ戻ると、布団の上でコイチュビットおじさんとチョルポンおばさんが聴診器を使い血圧を測っていた。どちらかというと健康診断ではなく遊びに近い雰囲気だ。

 どうやら首都で働くアイダールからの仕送りで、聴診器で測るタイプの血圧計を買ったらしい。もしかすると、おれが最初にトロク村を訪れた時におれの聴診器で遊んだのが面白かったからかもしれない。

 挨拶をして、しばらくしてからチョルポンおばさんと一緒に布団を畳む。

 「Go、アカシュが良くなって、準備が整うまでは何日でもゆっくりしてっていいからね。ここに居れば、このチョルポンおばさんの美味しいご飯が食べれるから嬉しいでしょ?」

 チョルポンおばさんは自画自賛しつつニヤリと笑ってそう言った。実際にチョルポンおばさんが作る料理はどれも美味しいので何の異論もない。

「おばさん、ありがとう。うん、チョルポンおばさんのご飯は全部美味しいから、毎日楽しみだ」

 ……とはいえ、あまり長居するのも申し訳ないので、その間に今後の方針をしっかりと立てて、アカシュが完治したらすぐに出発できるようにしておこう。

 アカシュが数日で完治した場合はシロ、サナ、アカシュでサリチェレク湖を目指すが、問題は完治しなかった場合だ。

 もしも回復に時間がかかるようであれば冒険に付き合わせるわけにはいかないから、このままコイチュビットおじさんに繁殖用の家畜として引き取ってもらう事になる。

 ただしその場合、サナは単独では動かないので、アカシュの代わりとなる羊かヤギが必要だろう。

 早速、おれはコイチュビットおじさんに頼んで羊やヤギを数匹貸してもらい、1匹ずつサナとの適性テストをしてみることにした。アカシュにしていたのと同じように紐を繋ぎ、サナと一緒に歩かせてみる。

 しかし、一通り試してみたところ、サナと羊やヤギとのシンクロ率はかなり低いということが分かった。

 意外なことに、羊よりもヤギの方がサナと協調できていて、その内の1匹のヤギは何とかゆっくりなら進めそうな程、サナに追従していた。

 はっきりとした理由は分からないが、羊とヤギの性格の違いに起因するものではないかと思い当たった。羊に比べてヤギは好奇心が強く、崖の上に生えている草を食べに行ったり高い木に登ったりと挑戦好きな一面があるので、意外性や新しい環境への適応力という点では羊よりも優れている可能性が高い。そう考えると、本来同伴できない動物を連れて旅をするという今回の「試み」自体、安定志向の羊よりも好奇心旺盛なヤギの方が適しているのかもしれない。

 とはいえ、現状、サナとの相性についてはこの程度のシンクロ率では不十分だ。やはりアカシュには遠く及ばない。

 当然の事ながら、サナにとっては元々同じ群れにいたアカシュと歩くのが一番良いに違いない。

 万が一アカシュが数日で治らなかったとしても、できるだけ長く完治を待った方が良いだろう。

 おれはそう考えつつその後の数日アカシュの治療をしていたが、嬉しい事に当のアカシュの予後は非常に良好だった。

 足を引きずって歩くことは一切無くなり、患部も乾燥していて包帯の必要も無くなった。

 アカシュは今や健康な時と同じように歩けていた。

 そこで、おれはアカシュの歩行テストとシロの入隊テストを同時に行う事にした。

 万が一アカシュが足を痛そうにしたら即中止するという方針で、サリチェレク湖への道よりも険しいであろうデコボコの砂利道を休まずに歩いてもらうことにした。

 シロもアカシュも、実際より過酷な条件下でも難なく歩けるくらいでないと連れて行くべきではない。幸いトロク村の周りにはそういった険しいデコボコ道がたくさんあったので、テストしやすい環境が整っていた。

 さあ、出発だ。アカシュがパーティから離脱するのかどうか、シロが加入するのかどうかがこれで決まる。

 アカシュの歩き方やシロの位置を常に気にしながら、いつもより少し速めに歩く。

 このテストでは、トロク村からコチコル方面へ向かって片道6kmほどの山道を往復する予定だ。この山道なら何度も通っているし、たまにではあるが車も行き来している。アカシュやシロに問題が生じた場合でも、すぐに引き返したり助けを求めたりすることができるだろう。

 1時間以上歩き続け、折り返し地点に到着。ここで休むといつもより楽な移動になってしまうので、休まずに折り返してトロク村を目指す。帰りは上り坂が多くなるので、より厳しい道になるだろう。

 アカシュは今のところ一度も足を引きずっておらず、不安そうな表情もしていないので大丈夫そうだ。

 人懐っこいシロは羊懐っこくもあるようで、おれの近くを歩き回りつつ、アカシュやサナとも仲良くしようとしているみたいだ。羊たちの横へ何度も行き、顔を覗き込んでいる。

 サナは全く気にしていないようすだったが、アカシュはそれが癇に障ったらしく、何度か立ち止まってシロの方を向いて威嚇し、遠ざけていた。

 おれ、アカシュ、サナで野宿旅をしていた頃は基本的にアカシュが先頭を歩いていたので、新入りのシロに先頭で並ばれるのが嫌なのだろうか。

 そういえば、体の大きさもそうだが、それ以外にもアカシュからは何か、先頭を歩くに値するリーダーの貫録のようなものを感じる。アカシュが先頭を歩いてくれることでおれもサナも安心して歩けるような気がするので、やはりこの冒険にアカシュは必要な存在なのかもしれない。

(写真・動画、以上すべて©Gotaro Haruma)

 そしてその後、3時間以上歩き続けて無事にトロク村へと戻ることができた。

 いつもは羊たちを休ませる為に2時間に1回は休憩をとるようにしていたから、今日はいつもより遥かにハードだったはずだ。にもかかわらず、アカシュは足を痛がることなく歩き切り、シロは元気いっぱいでまだまだ体力が余っていそうだった。

 よし、アカシュもシロもこれなら大丈夫だ!!

 皆でサリチェレク湖目指して出発できる!

 どうやら治療は適切だったようで、蹄の状態も良く、アカシュは完治しているようだった。

 シロはウロウロしていてあまり真っ直ぐには歩けていなかったが、体力は十分過ぎるほどあるだろうし、そもそもおれに懐いているおかげであまり離れず付いて来ていたので、おれとシロを繋いでいるロープを少し短めにしておけば大丈夫だ。

 出発後は羊たちの誘導を少しずつ覚えてもらう予定なので、それができるようになってきたら誘導に専念できるように少しずつロープを長くしていくと良いかもしれない。


 出発当日、タクシーでコチコルへ向かう。

 トロク村からコチコルまでの道は、馬のセキルと一緒に2度通っているため、再度歩く必要も特にないだろうと思ったのでスキップすることにした。

 タクシーの運転手は無茶苦茶な男で、やって来るなり「時間が無い!」と喚き、おれの制止を振り切ってアカシュの首にビニール紐を巻いて無理やりタクシーまで半ば引きずるように連れて行ってしまった。当然おれは激怒したが、周りに味方はおらずシロやサナの準備を早くしないとシロたちも無理やり引きずられそうだったので、しばらく運転手と口論した後、その事は一旦忘れてシロやサナとタクシーに乗り込むことにした。おれが怒りながら運転手と話している様を、周りの人々は奇妙なものを見るかのような目で眺めていた。あの陽気なチョルポンおばさんですら、例外ではないようだった。

 やはり、キルギスの人からすれば家畜は家畜でしかないという事だろう。動物が解体されるところを見なくても美味しい食事ができる日本で育ったおれと、小さいころから父親の羊解体を手伝ったり動物たちの世話をしたりして暮らして来たキルギス人とでは、価値観に大きな違いがあって当然だ。どちらが間違っているか、というような話ではないと思うが、どちらかと言えば動物を仲間や家族のように扱うおれの考えの方が「現実」からは遠いのかもしれない。

 コチコルに到着してタクシーを降り、アカシュたちと歩き始めようとしたが、アカシュの歩き方が少しだけおかしかったので中断することにした。

 タクシーに乗る前は問題なく歩けていたのに、どうしたのだろうか……。

 先ほど乱暴に引きずられた時に足を怪我でもしてしまったのだろうか。あるいは、狭いトランクに入っていたせいで足が痺れているのだろうか。

 不安になりつつも、ひとまず30分ほど休憩してから再出発してようすを見たところ、どうやらアカシュは足が痺れていただけだったようだ。その後は何の問題も無く綺麗に歩いてくれたので、このままコチコルの西にある目的地の村へ向かうことにした。


 そして夕方になり、事件は起きた。

 アカシュもシロも順調に進んでくれたおかげで、目的地のアクウチュクという村まで残り5kmとなっていた。予定より早く進めていたので、おれは少しだけ木陰で休憩することにした。

 すぐ近くにあった、廃バスを改造して作った雑貨屋でオレンジジュースを買って来て、木陰で体を休めつつ飲み干す。キルギスではあちこちにバスや電車などの廃車両があり、雑貨屋やレストラン、個人の住居になったりしている。

 そして、さあそろそろ出発しようかと腰を上げると、おれの動きに反応したアカシュが走り出した。

 ……そう、普段は紐に繋がれていて走れないはずのアカシュが走り出した。

 紐が外れてる!!

 どうやら拘束していた紐が休憩中に外れたようで、アカシュは自由の身となったらしい。

 以前アカシュとサナが逃げてしまった時と違い、今おれがいるのはどこまでも続くような平野だった。それに、前と違ってサナと繋がっている訳でもないから走る速度も桁違いだ。

 平野とは言っても地面はかなりデコボコで人間からすれば走りにくそうだったが、アカシュにとっては気にならないらしく、今まで見たことのないほどの速さで平野を駆け抜けていた。

 走っても追いつけそうにはないが、それでも早く何とかしないとアカシュを見失ってしまう……!

 アカシュの後ろ姿は刻一刻と小さくなっていた。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

春間豪太郎

はるま ごうたろう 1990年生まれ。冒険家。行方不明になった友達を探しにフィリピンへ行ったことで、冒険に目覚める。自身の冒険譚を綴った5chのスレッドなどが話題となり、2018年に『-リアルRPG譚-行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』を上梓。国内外の様々な場所へ赴き、これからも動物たちと世界を冒険していく予定。

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