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インドの神話世界

 前回は「音楽の神話」と題して、楽器や歌の「秩序の中に無秩序を呼び込む」働きについてお話ししました。今回も、音楽の神話を考えます。

竪琴を奏でる人魚( NaDo_Krasivo / shutterstock)

 旧約聖書の『サムエル記』(第十六章十四~二三)には、琴についての次のような記述があります。

 サウルというイスラエルの王がいました。彼はヤハウェ神の命令に従わなかったため、ヤハウェから悪霊が彼の元につかわされ、彼を悩ませていました。そこに、竪琴の技にすぐれたダビデがサウルに仕え、悪霊がサウルの元にやってくる度に竪琴を奏でました。するとサウルは元気を取り戻したといいます。
(関根正雄訳『サムエル記』岩波文庫、1957年を参照)

 悪霊がやってくる、というのは現世に異界のものが訪れることとも言え、これは現世と異界の境界があいまいになった「無秩序」の状態とも言えるでしょう。ダビデの琴が悪霊を追い払うことで、その無秩序な状態が秩序ある状態へ整えられたと解釈できるのです。

 日本神話では、琴は神の託宣を請うために重要な役割を担っています。たとえば吉田敦彦によれば、琴は、オホクニヌシがスサノヲのいる根の国から逃げ帰る場面で重要な役割を果たしています。
(「オホクニヌシが根の堅州国(かたすくに)から持ち帰った琴の意味と役割」『東アジアの古代文化』100号、1999年、265-267頁)

 根の国を訪れたオホクニヌシは、スサノヲと共に密室に入り、彼の頭の(しらみ)を取るという試練を課されました。その途中で熟睡したスサノヲの髪の毛を、オホクニヌシは部屋の垂木に分けて結び付けて、建物の出口を巨大な岩で塞ぎました。そしてスサノヲの娘でオホクニヌシの妻であるスセリビメを背負い、スサノヲの宝の太刀と弓矢、そして(あめ)()琴を持って、地上に向かって逃げました。
 途中で琴が樹に触れて地面が揺れるほどの大音響を発しました。その音に驚いてスサノヲは目を覚まし、結び付けられていた髪をほどいてオホクニヌシを追いかけ、地上と根の国の境であるヨモツヒラサカまで来たところで、はるか遠くにいるオホクニヌシに向かって祝福の言葉を述べました。「そなたが持って行ったその太刀と弓矢で兄弟たちを征伐し、国土の主となって、わたしの娘スセリビメを正妻として、立派な宮殿を建てよ。こやつめ」。
 地上に帰ったオホクニヌシはスサノヲに言われたように、兄弟の八十神たちを征伐し、スセリビメを正妻として、地上世界・葦原中国(あしはらのなかつくに)の支配者となったので、スサノヲがヨモツヒラサカで発した言葉は、「オホクニヌシのために、王権の確立の道筋を的確に予言し指令すると同時に、その実現を予め保証し約束した、真にあらたかな託宣の意味」(吉田前掲論文、27頁)を持っていたことになります。

 琴によってスサノヲが目覚めたとする場面は、イギリスの昔話「ジャックと豆の木」とよく似ています。ジャックは豆のつるをつたって三度、天にある鬼の住む家に行き、一度目は黄金の入った袋を、二度目は黄金の卵を産む雌鶏を、そして三度目にはひとりでに奏でる黄金の竪琴を盗みますが、三度目に琴を持って逃げだした時、琴が「だんなさま!だんなさま!」と声をあげたので、人食い鬼がジャックに気づいて追いかけてきた、という場面です。
 琴には、神や鬼を呼ぶ力があるようです。

 楽器が異界と現世を繋ぐ役割を果たす話は、他にもあります。
 『ナルニア国物語 カスピアン王子のつのぶえ』では、主人公のきょうだいの一人、スーザンの持つ角笛の役割が次のように説明されています。

 「それは、スーザン女王の魔法の角笛で、あの黄金時代のおわりに、女王がこのナルニアから消えさられた時にあとに残したのでございました。うわさによりますと、だれが吹きならそうと、かならずふしぎな助けがくると申すことで、どのようなふしぎかは、だれもぞんじません。それには、ルーシィ女王、エドマンド王、スーザン女王、ピーター王をむかしの世からよびもどす力があって、そのかたがたがすべてを正してくださるかもしれません。ひょっとすると、アスランその方さえ、よびだすこともありましょうぞ。」
(C. S. ルイス、瀬田貞二訳『カラー版 ナルニア国物語 カスピアン王子のつのぶえ』岩波書店、2005年、84頁より引用)

 この角笛は実際に、現世にいた四人のきょうだいを、ナルニア国に引き戻す働きをしています。

 『ナルニア国物語』において、音楽はたびたび重要な役割を担っています。
 『魔術師のおい』においては、ライオンの姿をしたナルニア国の創造神アスランの歌が、世界創造の働きをしたことになっているのです。

いよいよ暗闇のなかで、何かがおころうとしていたのです。歌をうたいはじめた声がありました。とても遠くのほうで、ディゴリーには、歌声がどの方角からきこえてくるのかきめかねるくらいでした。同時に四方八方からきこえるように思える時もあれば、みんなの立っている地の底からひびいてくると思った時もあります。低音のしらべは、大地そのものの声かと思われるほど深々としています。歌のことばはありません。ふしさえもないといえるくらいです。でもそれは、いままでディゴリーがきいたどんな音ともくらべようがないほどの美しさでした。もうこれ以上たえられないと思うほどの美しさでした。
(略)
ついで、おどろくべきことが二つ、同時におこりました。一つは、あの声に、とつぜんたくさんのほかの声が加わったことです。それは数えきれないほどたくさんの声でした。(略)二つめのおどろきは、頭上の闇が、にわかに星々でもえ立つようにきらめいたことです。
(略)新しい星々があらわれたのと、新しい声が加わったのとは、まったく同時でした。もしみなさんがディゴリーのように、それをじぶんの目で見、じぶんの耳できいていれば、うたっているのは、ほかならぬその星だし、星々を出現させ、星々に歌をうたわせたのは、はじめの声、深々とした歌声の主なのだと、みなさんはうたがう余地なく心に感じたはずなのです。
(略)
東の空は、白からうす赤へ、赤から金色へ変わっていきました。あの声はますます高く、ついには大気がそのためにふるえるほどでした。そしてその声が、まだそれまでに出したことのないほど力強い、荘厳なひびきにまで高まったちょうどその時、太陽がのぼりました。
(C. S. ルイス、瀬田貞二訳『カラー版 ナルニア国物語 魔術師のおい』岩波書店、2005年、140-142頁より引用)

 この話の中には、星々がアスランの歌に合わせて歌うという表現がありますが、同じ表現はゲーテにも見られます。『ファウスト』の「天上の序曲」において、太陽と星はそれ自体が音楽を奏でていることになっています。

  太陽は、昔ながらの調べをなして、
  同胞(はらから)の星の群と歌の()を競い、
  いかずちの歩みをもって、
  その定めの旅路を全うする。
  (ゲーテ作、相良守峯訳『ファウスト』第一部、岩波文庫、1958年、23頁より引用)

 中国でも、音楽は神話的な世界の始まりに関連しています。伏羲(ふっき)という、母胎に12年間もいてやっと生まれた蛇身人頭の存在が、はじめに琴を作ったといいます。
(江文也『上代支那正楽考(じょうだいしなせいがくこう) 孔子の音楽論』平凡社東洋文庫、2008年、45-47頁参照)
 また、中国でも音楽は特別な力を持つものと考えられていて、特に孔子と音楽は強く結びついています。孔子は琴を愛用しており、次のような話があります。

 ある昼休みに、孔子が自分の部屋で琴を弾いていました。それを二人の弟子が耳にして、いつもの先生の琴の音と違っていて、「幽沈」な響きだ、と話し合いました。幽とは心に利欲があるときに発するもので、沈とは精神が貪欲のために出てくるものです。今日の先生はどうしてしまったのか。二人は孔子の部屋に入っていきました。孔子が答えて言うには、「先ほど猫が鼠を捕ろうとしているところを見たので、猫に捕らせようと、音楽で猫に応援したのだ」と。
(江、前掲書、191-192頁参照)

 この話は、神話的なものを遠ざけた孔子の話でありながら、じつは神話的な要素を秘めています。琴の音で猫を応援したというのは、すなわち、琴が不思議な力で猫に作用したということです。前回(19回)にお話しした、ギリシアのオルペウスが琴の音によって木々を動かしたり、アンピオンが琴によって石を飛来させて城壁を作ったりしたことと同じ、音楽の神話的表現と見ることができます。

 前回から二回にわたって音楽の神話を見てきました。音楽は神話や昔話などの物語の中で、人間や神々の心を動かすだけでなく、自然や動物にも訴えかける力をもち、楽器はときに人を踊らせる強制力を持ちます。琴は、旧約聖書では悪の霊を払うとされている一方で、日本神話では神を呼ぶための神聖な道具であり、あべこべの価値が与えられています。ただしどちらも異界に働きかける役割を担っています。また楽器や歌の音は異界と現世を結ぶ働きをすることもあり、創世のための聖なる力ともされています。

 現代社会は、音楽に溢れています。町を歩いても、店に入っても、多くの公共の場で音楽が流れています。それだけでなく、望めばいつでも音楽を聴くことができます。自宅にいる時はもちろん、通勤通学時にも、スマートフォンなどで音楽を楽しむことができます。あまりに音楽に満ちているため、音楽の持つ力に対して、現代人は感覚が鈍磨しているのかもしれません。
 しかし楽の音は、元来はそれ自体特別なもの、神や魔に通じる力のこもったもの、聖なるもの、神話的なものであったのです。

著者からのお知らせ

神話学研究所を設立しました
https://www.mizuhomythology.com/

神話学は、いま、大学などで講座がほとんどありません。 そこで本研究所では、神話の学びの場として、研究者同士の交流、一般のみなさんとの交流を目的に、研究会、講座、読書会などを開催するほか、定期刊行物の発行も検討しています。まだまだできたばかりの研究所ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

沖田瑞穂

おきた・みずほ 1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専門はインド神話、比較神話。主著『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『インド神話物語 マハーバーラタ』(監訳、原書房)、共編著『世界女神大事典』(原書房)。

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