考える人

シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

おんなのじかん

 七月の頭に一週間ほど東京に滞在した。
 といっても遊んでいたのは最初の一日だけで、新刊のインタビューを受けたり、神楽坂にある新潮社の宿泊施設にカンヅメになってずっとゲラをやったりしていたのだが、まんなかぐらいに東京の友人が恋人を連れて神楽坂まで会いに来てくれた。
 新刊が出たお祝いにシャンパンをごちそうになり、そのお礼ってわけでもないけれど、夫とのなれそめやなんやらを訊かれ、えー、言わないよ、恥ずかしいじゃん、とへらへらしながら大体のことはべらべら話した。齢四十もすぎると恋バナをすることなどめったにないし、いまどきはそんなプライベートのことをねほりはほり訊いてくる人もあんまりいないのだが、他人の恋の話を聞くのが大好きだという二人は追及の手を止めようとしなかった。熟練のコンビネーションで矢継ぎ早に、ねほりはほり訊いてきた。
「つきあうきっかけは?」
「二人で、公園に花火をしにいって……」
「ふむふむ、公園で花火ということは、さては夏ですね」
 こめかみを押さえながらつぶやいた恋人に、「いや、名探偵みたいに言ってるけど、それだれでもわかるやろ」と友人がつっこんで、三人で笑った。「探偵は探偵でも毛利小五郎やな」と言ってまた笑った。あっというまにシャンパンを一本空けてしまった。

 夫とは二十歳の夏からいっしょにいる。
 私が実家を出るのとほとんど同じタイミングだった。一人暮らしするために借りたアパートに彼が転がり込んできて、それからずっとおままごとみたいに暮らしていた。二人とも生活というものがどういうものだかわかっていなかった。暮らしていくのに毎月どれだけのお金がかかるのかや、税金や年金や健康保険のことや、ごみの分別や排水溝の掃除の仕方、揚げ物をしたあとの油の保存方法。そういう日々のあれこれをなおざりにし、ゲームをやったりレンタルの映画を観たり夜中にアイスを食べたり、秘密基地の延長みたいな毎日を送っていた。缶詰のトマトを潰しただけの酸っぱいスパゲティとオムライスを週に一度は作った。オムライスにはもちろんケチャップでおたがいの名前とハートマークを描いた。ぬか床は何度挑戦してもだめにしてしまった。
 だれか、好きになっていい人が、私はずっと欲しかった。
 十代のとき、いくつか恋とも呼べないようなものをした。数日で「やっぱやーめた!」ってなるような幼いごっこ遊びもあったし、粉をかけられ、こっちがのぼせあがったとたん、向こうがすーっと引いていくこともあった。二股をかけられたこともあった。この世のすべてのやり逃げ男というやり逃げ男のちんこが勃起不全になればいいのにと涙で枕を濡らす夜もあった。
 恋人というのは、どれだけでも好きになっていい存在なんだと思っていた。思うぞんぶん愛情をぶつけ、執着し、その人のことで頭をいっぱいにしても許されるんだと。恋人だからといってあんまり好きになりすぎると、重いと引かれることもあるなんて考えもしなかった。だって少女漫画には、主人公のひたむきな愛を拒絶する男の子なんて出てこない。『イタズラなKiss』の入江くんはいやがる素振りを見せつつ、最終的にはいつも琴子を受け入れてくれる。十代の読者の目から見ても、琴子は相当にうざいヒロインだったのに。
 彼と暮らしはじめた最初の二年ほど、私はほんとうに腑抜けていた。空白の二年だったと言ってもいい。ようやく愛情のはけ口を見つけ、若さとエネルギーをもてあましていた私はその行為に夢中になった。彼がそばにいないとなんにも手につかなくて、ろくに本も読まず、子どものころから書くのがくせになっていた小説も書かずに、毎日ごはんを作ってひたすら彼が帰ってくるのを待っていた。彼が帰ってきたらきたで、どちらにせよなんにも手につかず、いつもぴったりくっついてテレビを見たり、彼が毛抜きで一本一本髭を抜くのをじーっと見つめていたりした。体のどこか一部が触れていれば安心できた。
 結婚したい、結婚したい、結婚したい、と毎秒ごとに思っていた当時の自分に、あんた三十八歳になるまで結婚できないよと教えてやったら絶望で泣き叫ぶだろう。でも安心しな、相手はいまの彼ピッピだからね、と言ったら泣きやんでくれるだろうか。逆にもっと不安になるかもしれない。大丈夫だよ、二十六歳で小説家デビューすることになって、わりとそのへんのことはどうでもよくなるから、と教えてあげたら喜ぶだろうか。……おそらく信じてくれない気がする。
 うってかわっていまの私ときたら、自分がいつ結婚したかもちゃんと把握していなくて、これを書くにあたってFacebookのログをさかのぼって結婚報告のエントリーを探したりしているのだから、人間というのは変われば変わるものである。これからはFacebookではなくこのエッセイを参照するために日付も書いておこう。二〇一五年十月十九日、三十八歳の誕生日に私たちは結婚しました。
 それにしても、あのモーレツ恋愛バカ女に夫はよく耐えていたなと思う。逃げ出したくなることもあっただろうに、よく我慢して受け入れてくれたものだと思う。いまの夫と二十歳のころからつきあっていると話すとたいてい驚かれるのだが、中には「なにそれ少女漫画じゃん! 別マじゃん!」ときゃあきゃあ盛りあがる人もいた。なるほどそうか、うちの夫は入江くんだったのか。
 それでも、あのころより愛情が減ったとは思わない。エネルギーの絶対量が減り、執着が薄れ、依存先があちこちに分散されただけで、むしろあのころよりいまのほうがはるかに夫を好きだ。いまなお私は、一休さんのテーマソングかってぐらいの勢いで毎秒ごとに「すき!」と思っているし、LINEでやりとりしている最中にハートの飛びかうラブラブスタンプを送りそうになる衝動を毎回こらえている。最近はリビングで夫がテレビを見ているときは、すぐ隣の寝室で本を読んでいることが多いのだが、五分ごとに様子が気になって名前を呼んでしまう。「なに?」とめんどくさそうに、けれど律儀に夫は応えてくれる。「なんでもない」と言って私は読みかけの本に戻る(うぜえ)。そのせいか、私は本を読むのがすこぶる遅い。

 神楽坂のシャンパンバーでボトルを空けたあとは、中華料理屋に移動してワインを赤白一本ずつ空けた。さんざんねほりはほり訊かれたので、今度は私が二人のなれそめをねほりはほり訊く番だった。たしかに、他人の恋の話を聞くのはたのしい。
「この先、別れるっていう選択肢はないかな」
 二人がそう言って頷きあったのを見て、すでにしたたか酔っぱらっていたけれど、勝手に誓いの言葉を聞く証人のような気持ちになってしゃんとした。そう言い切ってしまえることが、うらやましくもあり頼もしくもあった。
 長くいっしょにいる相手のことを「空気のようだ」と表現する人がいるけれど、空気がないと死んじゃうから、そういう意味なら私にとっても夫は空気だ。だけど、「あたりまえにあるもの」という意味ならちがう。
 夫のことを、いつかいなくなる人だとどこかで私は思っている。十代のころにした恋とも呼べないようなものらの影響も少しはあるかもしれないが、おそらくはある日を境にふつりと私の人生からいなくなってしまった父親の影響だという気がする。わからない。そこに因果関係なんてないのかもしれない。
 二十代のころはそれがこわくてこわくて、だからあんなにも執着したのだろうし、毎日不安でたまらなかったんだと思う。部屋の中に彼の荷物が増えるごとに、楔が増えていくみたいでうれしかったことを覚えている。結婚したからといって不安が消えるわけではないが(私の父と母だってかつては結婚していたんだし)、わかりやすく太い楔がほしかったのだろう。
 ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』をはじめて観たのはまだ学生のころで、なんだかよくわからないけど妙に印象に残る映画だった。タンゴを踊るトニー・レオンとレスリー・チャンのキービジュアルを目にしたことのある人も多いだろう。異国の地から帰れなくなってしまった二人の男。恋人が出ていってしまうことを恐れ、彼のパスポートを隠す主人公。二回目に観たのはいつだったか思い出せないが、トニー・レオン演じる主人公の気持ちをその時には知っていた。
 終わりの予感の中で踊るタンゴはめまいがするほど甘美だ。

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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹