アドレットの車に乗り、宿泊予定のカイウィルマという名の村へ向かう。
ちなみにアドレットたちは2台の車で移動していたので、動物たちはもう1台の車の方に乗っている。
予定の村にはすぐに到着したが、降ろしてくれ、とアドレットに声をかけると断られた。
「だめだ、動物たちを乗せた車が先へ行ってしまってるから。動物も一緒じゃないとダメだろ? 気にしなくていい、できるだけ遠い所まで連れてってあげるから」
どうやら元から最寄りのこの村で降ろすつもりはなかったらしい。向こうは完全な親切心からそうしているようだが、あまり遠くまで連れて行かれるのは困る。サリチェレク湖より先はかなり治安が悪い地域なので、ゴールはサリチェレク湖で固定だ。そのため、いま車でたくさん移動してしまうとその分歩ける距離が少なくなってしまう。
「アドレット、それならもう少し先の村で降ろしてくれ。さすがにアドレットの家があるスサムルまで行くのは困る」
「えぇっ、できれば今日君をもてなしたいんだ。途中で降ろしても、どのみち僕の町まで来るんだろう?」
「そうだけど、それまでにある村にも立ち寄りたい。助けてくれるのは本当にありがたいけど、今回はこの先の村で降ろして欲しい。スサムルに着いたらアドレットの家を訪ねさせてもらうよ」
「うーん……。……じゃあもう1台の車の奴らにも先の村で待っておくように言っておくけど、気が変わったら言いなよ?」
「分かった、ありがとう」
アドレットは最後まで納得できないようすだったが、結局乗せてもらった位置から50kmほど離れた村で下車することになった。
ここからだとアドレットの町へは明後日到着するだろう。
この日はこぢんまりとした牧場を備えた家に羊たちを預かってもらい、翌朝から仕切り直すことにした。
アドレットの町までの道は舗装されておらず土の道が続いていて、小石もたくさん転がっていたので動物たちの足を心配しながら進んだ。特にシロはいつも道の外側の歩きにくい場所を歩いてもらっていたのでかなり心配だ。
シロ、アカシュ、サナがそれぞれ変な歩き方をしていないかを順番に確認しながら進まないといけない。
しかし、動物たちはおれのその心配を良い意味で裏切り、皆怪我をせずに小石だらけの道を乗り越え、予定よりも少しだけ早くアドレットのいるスサムルに到着した。
スサムルに到着するまでに立ち寄った村は、そのほとんどが閉鎖的な雰囲気を持っていて、野宿場所を探すのに少し苦労した。他の地域に比べると皆素っ気ない態度なので、協力してくれる人を探すのに時間がかかってしまう。
事前に分かっていたことではあるが、この辺りからは少しずつ治安が悪くなっていくので用心しないといけないだろう。サリチェレク湖から先はジャララバードという名の州であり、そこは何かと問題の多い地域だ。イスラム過激派や麻薬密輸グループの移動ルートとして使われている上に、2010年のキルギス騒乱と関連深く、未だに民族間の衝突の起きやすい地域でもある。
必然的に周りの地域も影響を受け治安が悪化するため、まだジャララバード州までは距離があるとはいっても警戒すべきだ。
スサムルで聞き込みをして難なくアドレットの家に辿り着き、こんにちは!と声をかける。
家の門の先には大きな家畜小屋があり、どうやらその先にアドレットの家があるようだった。
すると、背が低くずんぐりした仏頂面の男が門の向こう側からやって来ておもむろにシロを撫で、話しかけてきた。男は動物を扱いなれているようで、シロは気持ちよさそうに撫でられている。
「……いい犬だな。もし良かったら譲ってくれないか」
「えっ? ……あー、確かに飼ってくれる人を探してはいるけど、もう少し後で誰にするか決めるつもりで……」
いきなりの申し出に驚きつつ、とりあえず返答する。アドレットから事前におれのことを聞いていたのだろうか。その後聞いた話によると、男はザルカンという名で、アドレットの家に住みながら動物の世話や改築工事などをやっているらしい。
ザルカンに連れられアドレットの家の敷地へ入っていく。門の向こうには大きな家畜小屋が2つあり、片方では馬や牛、片方では羊やヤギたちが飼われていた。家畜小屋の間を抜けるとバンニャと呼ばれるサウナがあり、その更に奥にアドレットの家があった。

家の前にはメスの大型犬が繋がれている。おそらく番犬として飼われているのだろう。
「やあ、Go! よく来たね! うちには何日いる予定? 好きなだけ居ていいよ!」
何か取り込んでいたようすのアドレットが家のドアから顔を出して声をかけてきた。
「ありがとう! すぐに出発する予定だけど……、そうだな、今日と明日だけ泊まらせてもらっても良い?」
この家の人たちはシロの里親候補でもあるので、最低でも2日くらいは滞在して暮らしぶりを見ておきたい。
「もちろん! バンニャも使ってもいいから、体を綺麗にするといいよ」
こうして、おれはアドレットの家に2日間滞在した。
かなり複雑な事情があるらしく詳しくは分からなかったが、アドレットの家ではたくさんの子供たちが同居していた。コマルという名の少年が年長らしく、ザルカンと同じく動物の世話や雑務などを日々こなしているようだった。
シロについては、アドレット自身もぜひ里親になりたいと言ってくれていて、里親になった場合は定期的にシロの写真を送るとも約束してくれた。
おれの滞在中、食事の余りをシロに与えてくれ、可愛がってくれているようすも伝わって来た。
たくさんの家畜を飼っていて家にバンニャがあることからも分かるように、アドレットは裕福な暮らしをしているし、シロを幸せにしてくれる可能性は十分にあるだろう。
しかし、何となくではあったが、おれはアドレットがシロにとって最適だとは思えずにいた。
あくまで勘でしかないが、アドレットはどこか本心を隠している風に感じられた。悪い男ではないだろうし実際の言動は優しさと善意に溢れていたが、発する言葉とは違う事を考えているように見える時もあった。
ザルカンが動物好きなのはおそらく間違いないが、あくまでアドレットに雇われている立場のようだし、今後何年もあの家に常駐する保証はない。
……ううむ、シロについてはまだ保留だ。冒険を終えた時、どうしても他に候補がいなければアドレットを訪ねることにしよう。
そしてアドレットの家での滞在を終え、「シロの里親に困ったらぜひうちへ来てくれ」と言うアドレットに対し「ありがとう、考えておく」と返答し、改めてサリチェレク湖へ向けて出発。
さて、実は今回の冒険はこれからが本番となる。
出発前、この冒険は二重の意味で「不可能だ」と現地の人々から言われていた。
一つは、羊を二匹だけ連れて長距離移動すること。
これはおれが知る限り誰もやったことのない試みだ。羊は馬と違い、路上の線に沿って綺麗に歩くような器用さは持っていないし、少なくともキルギスでは人間に懐いている個体はいなかったので連れ歩くのは困難だ。
おれ自身、実際にやってみるまでは絶対にできるとは言い切れなかったが、頑丈な紐を使って羊同士とおれを繋ぎ、後ろからゆっくりと追い立てるという仕組みによってこの問題はクリアすることができた。
しかし、現地の人々が不可能だと言っていたことはもう一つあった。
それは、この時期に徒歩で雪山を越えることだ。
路面も凍結しているらしく、吹雪によって視界が悪くなることも多いらしい。
たくさんの人々が「軽装で歩いて越えるなんて無理だから止めておけ」と助言していたが、おれには勝算があったので挑むことにした。
山頂での野宿さえ避ければ、標高から考えてせいぜいマイナス5℃くらいまでしか下がらないはずだ。凍傷に関してはマイナス10℃を下回らなければ大きなリスクはない。
手持ちのテントは夏用だが、寝袋は0℃まで耐えられる仕様の温かいものだ。仮にマイナス5℃まで気温が下がったとしても、一晩くらい凌げるだろう。
雪が降る中、一歩一歩滑らないようゆっくりと歩く。
ここからは山頂まで数十キロにわたって緩やかな登り坂が続くので、だんだんと標高が上がって寒くなっていくだろう。
そして夕方、目的地の小さな集落に到着し、いつも通り羊たちの寝床を探す。民家は3軒しかない小さな集落だったが、その中で唯一家畜をたくさん飼っているタライという男の協力が得られたので、羊たち含め皆安全で温かい家に泊まらせてもらう事ができた。
ここから雪山を越えるまでには100km以上歩く必要があり、5日ほどかかる予定だ。その間、村は無くここと同じようなちょっとした集落がある程度なので、羊たちの寝床探しにはかなり苦労するかもしれない。

翌日、途中で長距離トラックの運転手などが利用する大きなカフェがあったので、腹ごしらえをすることにした。ちなみに注文したのは平べったい大きなパンとミルクティーのセットで、値段は50ソム(約80円)だった。
出発後、数時間歩いてからいつも通り道路わきの草むらで昼休憩をすることにした。……が、どうやら休憩場所が悪かったらしい。
「おいお前、何をしてるんだ?」
近くにあった廃バスから痩せた男が出て来て、声をかけてきた。
シロが身構え、唸る。普段は初対面の人間に対しても甘えるシロだったが、今回は相手の敵意を感じ取ったらしい。
おれもシロと同意見だった。声や話し方からは敵意が感じられないが、この男はおれを詐取対象のカモだと見なしている。経験上、目を見れば分かる。
相手をするのは時間の無駄だ。
「羊を連れて歩いているだけだ。何か用か?」
「いや、用は無い」
「なら放っておいてくれ。おれは休みたいんだ」
おれはそう言い男を追い払う。
ここは国道沿いなので、男もおれに手出しはできないだろう。
男はなおも話しかけてきたが、おれが無視していると諦めて廃バスへと帰って行った。
しかし、その30分後、おれが休憩を終え出発しようと腰を上げた時、男はまたやって来た。
「おい、良かったらお茶しないか?」
これ以上この男と関わる気は無かったので「もう出発するからいい」と返事しようとしたが、そのセリフが喉まで出かかったところである疑問がふつふつと湧いてきた。
この男が危険だというおれの判断は、本当に正しいのだろうか。
確かにこの男は、今までにおれに悪意を持って話しかけてきた人間の延長線上にいるように感じる。
しかし、ここまで有害そうな男に付いて行ったことは今まで一度も無い。
もしかするとおれの勘違いかもしれず、その場合自身の「相手が危険かそうでないか」という判断力に問題があるということになる。
この判断力は、今後より危険な地域に身を置くことになった時にとても重要な能力だ。精度に問題があるとまずい。即死トラップにかかる可能性が高まってしまう。
比較的安全なここキルギスで、できる限り精度を上げておくべきだ。
結論は出た。
「分かった。お茶しにお邪魔してもいいかな」
こうして、おれは男に連れられ廃バスの車内でお茶をいただくことになった。
中には男の他にもう一人、目つきが鋭くがっしりした体格の長身の男が座っていて、値踏みをするようにこちらを見てきた。
さて、「この男は危険」だというおれの判断は、果たして正しかったのだろうか……。
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春間豪太郎
はるま ごうたろう 1990年生まれ。冒険家。行方不明になった友達を探しにフィリピンへ行ったことで、冒険に目覚める。自身の冒険譚を綴った5chのスレッドなどが話題となり、2018年に『-リアルRPG譚-行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』を上梓。国内外の様々な場所へ赴き、これからも動物たちと世界を冒険していく予定。
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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。
「考える人」編集長
松村 正樹
著者プロフィール
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- 春間豪太郎
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はるま ごうたろう 1990年生まれ。冒険家。行方不明になった友達を探しにフィリピンへ行ったことで、冒険に目覚める。自身の冒険譚を綴った5chのスレッドなどが話題となり、2018年に『-リアルRPG譚-行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』を上梓。国内外の様々な場所へ赴き、これからも動物たちと世界を冒険していく予定。