Webマガジン「考える人」

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2006年8月10日

玉村豊男『種まく人―ヴィラデスト物語―』(新潮社)

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玉村豊男『種まく人―ヴィラデスト物語―』(新潮社)

「考える人」で「娘と私」を連載しているさげさかのりこさんが、ご自身のホームページで「畑の日記」という興味深い連載を続けています。まずは、さげさかさんのホームページ「紙とペン」をご覧ください。

「畑の日記」は、ご近所の農家の畑をデジタルカメラで撮影しつつ、その農家のおじさんとのやりとりや、さげさかさんの日々の感想の断片を書いたものなのですが(最近知ったので、実はまだ全部は読み通していません)、これがなんだか、なんのためのものでもない不思議な面白さがあって、このような面白さは、たぶんインターネットという空間(?)にこそ現れるもの、味わえるものなのではないかと感じます。とりたてて主張のない、生成りの表現が、さりげなくポンと置かれてある、とでも言えばいいでしょうか。

 さげさかさんが撮影したデジタル写真がまたいいのです。花びらの裏側から顔をのぞかせているアリや、おじさんの軽トラックが写っている。丁寧に使われている風情の鍬などの農具類、胡麻の花、オクラの花。ただそれだけなのに、見ている人間のなかで眠っている何かを目覚めさせる力があるのです。

 会社と自宅の往復を繰り返していると、それが仮にパソコンの小さな画面であっても、目にしみるような畑の緑とか、空の青とか、花の蜜を吸うミツバチの姿などを見ているだけで、不意打ちされたように、何ものかに突き動かされるような思いが胸の奥に湧いてきます。「こんなところで、こんなことをしている場合じゃないなあ」と自分の呟き声が頭のなかで聞こえてくる感じ。

 さげさかさんの「畑の日記」を見たり読んだりしているうちに、思い出した一冊の本がありました。それがこの『種まく人』です。エッセイスト玉村豊男さんが個人経営の農園「ヴィラデスト」をスタートした頃の、個人的な思いとその舞台裏を綴った本書も、「畑の日記」に通じるような、「人を突き動かす」何かをめぐるお話だからです。書き出しの部分は沈鬱です。一行目。「そろそろ死ぬ場所を探しはじめるのも悪くないな、と思ったのは、四十二歳の誕生日が近い夏のことだった」。

 詳しくは『種まく人』にあたっていただきたいのですが、軽井沢に暮らしていた玉村さんはその前年に大病を得て、さらに病院で受けた輸血に由来する肝炎を患い、思わしくない体調をもてあます日々が続いていました。けれども、体を動かすのも大儀であったそうした日々が、高校時代に美術部に所属していたとき以来二十五年ぶりに絵筆を握るきっかけとなり、さらに妻が通っていた農園での経験も新たな生活へ踏み出す力になって、後に農園とワイナリーとなる土地に引っ越すこととなるのです。暗い出だしから、前に向かって進む気分へと転調するあたりは、読む側の人間にもアドレナリンが分泌するような、読者を引き込む力があります。

 人類の長い歴史を考えれば、今わたしたちが送る都市生活など、ごく最近始めたばかりの営みであるに過ぎません。おそらく私たちの奥深くには、自然のなかでむきだしの陽を浴び、むきだしの風を受け、むきだしの土の匂いを嗅いでいた細胞の記憶が残っているに違いない。それらの記憶は何かのきっかけで呼び覚まされ、いても立ってもいられなくなることがあるのではないか。二人とも東京生まれ東京育ちである玉村さんご夫妻の、ドン・キホーテ的とも言える農園業、ワイナリー業への「転身」の原動力は、そんなところにも由来するのではないか、と考えたくなってきます。

 しかし「田舎暮らし」の、それも半端ではない「農業」への本格的な取り組みが、生やさしいものではないことは、本書を読み進めるうちにこちらまで腰が痛くなってくるほどひしひしと伝わってきます。しかしその腰痛の果てにやってくる感情があります。本書のおしまいのあたり、何カ所か引用してみましょう。

「畑仕事をはじめた最初の年には、抜いても抜いても生えてくる雑草と格闘しているうちに、
『いったい、俺はなんでこんなことをしているのだろう』
 と自問することがしばしばあった。
『こんな無駄なことにかかわっている時間に、もっとほかにやるべきことがあるのではないのか?』
 そう思ってイライラしたこともある。
 しかし、そんな過渡期の思いも、二年めに入るとしだいに消えていった」

「きょうも、一日が終ろうとしている。
 暗くなって、足もとも覚束なくなる頃、農具を抱えて、重い足取りでようやく畑から帰ってくる。からだは泥のように疲れているが、満ち足りた心をもって。
 どんな疲労にも、徒労というものはない。
 なにかを犠牲にしてまでやり遂げる価値のあることなどなにもあるまいが、かといって、どんなささいなことにも、それなりのやるべき価値はあるものだ。
 日がな一日雑草取りに時間を費したとしても、損もしないし、得もしない。
 雑草は生え、抜かれ、また生える。
 それは、私たちが生まれてくる前に長い長い無辺際な時間があり、私たちが死んだあとにまた無辺際な時間が永遠に続くのに似ている。
 ただ、そうして、一日を過ごす(やるべきことがあってそれをやる、終らなくてもよいができるところまでやる)ことじたいが重要であり、人生とはそうして与えられた時間を死ぬまで過ごすことなのかもしれないと、漠然とだが、しだいに私は考えるようになってきている。これも、農という営みの功徳、だろうか」

『種まく人』は三部作で、『草刈る人』、『花摘む人』と続きます。ヴィラデストは個人経営という規模で考えれば、今や長野県でも有数の観光スポットになりました。はじめの頃は「死ぬ場所」として発想された農園には、溢れるほどの人が訪れています。玉村さんも還暦を迎え、ますます元気なご様子。四十二歳だった頃の玉村さんよりも、かえって若返った気配すらあります。「農という営みの功徳」なのでしょうか。

 玉村豊男という人が何を感じ、何を考え、個人経営の農園ワイナリーなどという「酔狂なこと」を始めるに至ったのかに興味を抱かれるのであれば、この三部作でその謎は解けることでしょう。玉村さんの乗り出した仕事は、いまはやりの「起業」という言葉で表されるようなものではなく、もっと人生の根幹にかかわるものであったのではないでしょうか。

 青空とか草木とか太陽とか風、といったもの。これらのものは、私たちを突き動かす何ものかなのです。
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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長 松村 正樹


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