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2007年2月1日

丸谷才一『樹影譚』(文春文庫)

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丸谷才一『樹影譚』(文春文庫)

 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。前回のこの欄で取り上げたのは、村上春樹さんの『若い読者のための短編小説案内』(文春文庫)でした。今回は、村上さんがそのなかで取り上げていた『樹影譚』。タネを明かす、というほど大げさなものではありませんが、次号(4月発売予定)の特集「短篇小説を読もう」に、いずれも関連する本なのです。特集の編集作業のために再読するうちに、この欄でもご紹介したい気持ちになってきた、というのが舞台裏の事情です。

 本書には表題作の「樹影譚」のほかに二つ短篇小説がおさめられています。タイトルは「鈍感な青年」、そして「夢を買ひます」。川端康成文学賞受賞作の「樹影譚」については、村上春樹さんの詳細な分析がありますので、ぜひそちらをお読みいただくとして……ここでは残りの二つについて、少しだけ書いておくことにしましょう。

 少しだけ、と書いたのは、まあとにかく残りの二つの短篇も文句なく面白いですからぜひお読みください、と言って今回のご紹介をお終いにしたくなる気分もあるからです。短篇小説を紹介するのはなかなか難しい。たとえば、「三つの短篇をたばねるテーマがある」と乱暴に言ってみることにしましょうか。短篇を貫いているテーマは、「男は、かなしい生きものである」。あるいは、「男は物語を欲し、女は現実を欲する」。うーん、なんだか女性から異論が出そうです。

 テーマで語るのはやめて登場人物だけお伝えする、としたら。「鈍感な青年」に登場するのは図書館に通いつめる20代の童貞と処女のふたり。「樹影譚」は老大家といってよい小説家と故郷の老女。「夢を買ひます」は宗教学者とその愛人。共通しているのは男女、ということぐらい。どうでしょう? なんだか登場人物だけ伝えたほうが面白そうですね。

 タイトルに戻ると、唸らされるのは「鈍感な青年」です。読む前からなんとなく惹かれるものがある。そして読み始めても、最後の最後までこのタイトルが読者を引っ張るところがあるのです。それはお話の山場を過ぎた後になっても、なのですから丸谷才一という小説家のうまさには舌を巻きます。タイトルの意味するところはもちろん途中でも刻々と読者に伝わってくる。なるほど青年というものは鈍感な存在なのだ、と思いながら読み進めていると、しかし「鈍感」と言い切ってしまえない繊細さも青年には明らかに存在しているのです。心理の深いところでこのタイトルに完全には賛成できない気持ちが読者の側に残る。それが最後の最後でストンと腑に落ちるしかけが待っているのです。小説が言葉の芸術であることをあらためて認識させてくれる、鮮やかな終わり方。

「夢を買ひます」に登場する夢をめぐる話、これはおそらく「邯鄲の夢」ぐらい有名な話なのでしょうが、私は恥ずかしながら初めて知りました。ここだけちょっと引用させてもらうことにしましょう。そして、この夢の話の鮮やかさにも似た味わいが、『樹影譚』の三つの短篇にはある、と申し上げたいのです。そして、短篇小説とは、このような「夢」のようなものかもしれない、とも。

  マユミが、
 「夢を見ている人の鼻の穴から虻が飛び出す話あつたぢやない?」
  と言ふから、
 「知つてる。晝寝してる子供の鼻の穴から蜂が飛び出して……」
 「虻よ、蜂ぢやなくて」
 「お母さんがそれをパチンと叩くと……」
 「それぢやないみたい」
 「子供、しんぢやふのよね」
 「どうして死ぬの」
 「蜂になつた夢を見てたわけ。蜂がその子の魂なの」
 「ふーん」
 「だから、眠つてる人のそばで蜂を叩いてはいけません」
(丸谷才一「夢を買ひます」より)
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何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長 松村 正樹


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