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2008年6月26日

お墓

Kangaeruhito HTML Mail Magazine 292
 お墓

 都内にある菩提寺へは、年に二、三回お墓参りに行きます。お寺の山門をくぐり、石畳の境内をめぐってお墓の前までゆくたたずまいは、物ごころついたときからほとんど変わりません。いったいいつから親に連れられてお墓参りに行くようになったのか覚えていないほど、小さい頃から足を運んだ場所です。

 山門をくぐった正面にお寺の玄関があり、その右手に事務室のようなものがあります。靴を脱いであがれば廊下沿いの左手にお座敷があり、法事のときにはそのお座敷で声がかかるまで待機することになります。ひとりひとり焼香するときに焼香台のわきの小盆の上に置く、紙に包んでひねった小銭を用意したりしながら、出されたお茶をのみ、いつもより小さめの声で雑談をしていると、あの世に少しだけ近づいた感じがあって、不思議です。

 やがて住職の奥様が障子をあけて「用意がととのいましたので、お堂のほうへお越しください」と声をかけてくる。冬であればしんしんと底冷えのする、夏でも薄暗くちょっとひんやりした北向きの廊下をしずしずと歩いて、隣にあるお堂へと渡り廊下をわたってゆきます。

 お彼岸のお墓参りでは、お堂でお経をあげてもらうわけではありませんから、山門をくぐると、玄関を左手に見て、右の奥にひかえているお堂へと向かいます。そのお堂の左袖にある渡り廊下の下が、半地下の階段室のようになっていて、少し頭をかがめながら階段を数段下り、渡り廊下の下をくぐってふたたび階段をのぼると、向こう側に出ます。この渡り廊下の下をくぐるのが、小さい頃からお墓参りの強い印象になっています。向こう側に広がっているのが墓地。

 全体を見渡せる程度の広さの墓地の、ちょうど中央のあたりに家のお墓があります。そこにたどり着くまで、私は言葉少なになります。実は少し緊張しているのです。それは、小さい頃、ふたつおそろしいことを言われたから。ひとつめ──「お墓で転ぶと、地獄からひっぱられるんだよ。気をつけなさい」。私は小学校の頃、しょっちゅう転んでいて、いつも膝小僧にかさぶたをつくっていました。墓地を歩くときは、転ばないように転ばないようにと念じながら、綱渡りをしているような気分でした。

 ふたつめ──「お墓にいくまでの道と、帰りの道は、一緒じゃいけないんだよ」。墓地のなかで、同じ道をいったりきたりするのではなく、墓地を出るときは、違うルートを使って出なければならない、というのです。転んではいけない、という禁止事項ほどの恐怖は与えられなかったものの、なんとなく来た道を振り返るのすら不吉な感じがして、墓地から出て行くときも何かに追われているような感じがありました(参考までに申し上げておくと、墓地へはさきほどの渡り廊下をくぐって、というルートだけではなく、本堂の右手に、普通に行き来できる通路があるのです)。

 私の親はどちらかと言えば真面目な人たちで、自分の子どもをいたずら心で怖がらせるようなことはしないはずでした。ただ、いまだにお盆のときには迎え火、送り火もしますし(同じ町内でやっているのはうちをふくめてほんの二、三軒になってしまいました)、なにか縁起をかつぐような傾向があるのかもしれません。父母のいる実家には仏壇がありますし(東京のふつうの家の仏壇保有率はぐんぐん下がっているのではないでしょうか)、いずれにしてもどこか薄暗い理不尽な暗がりが、うちのなかには残っている、という気がします。

 過日、ある方のお墓参りをしました。関西の比較的裕福な人々が集まるエリアにある霊園のなかに、その方のお墓はありました。東京と較べて高低差のある、車でかなり登っていったところにある霊園は、周辺から見おろされるような建物もなく、広々としています。遠くに緑の生い茂る山がちな眺めが美しい。区画のあいだを舗装された歩道が縦横にめぐらされ、墓地はそこから少し見上げるような高台に並んでいます。高台の土手には芝生が植えられていて、どこもかしこも日当たりがいい。

 きもちいいなあ、まぶしいぐらい明るい墓地のなかを歩きながら、私は声を出していました。土手にはあかるい緑の葉をゆらす、ほどよい高さの木々が植えられています。お墓もぎゅうぎゅうに押し込められたように並んでいるのではなく、たっぷりとしている。こういうところになら、よろこんで入るなあ、と今度は内心でつぶやきました。聞こえる音といえば、土手の芝刈りをしている音ぐらい。車のエンジン音も聞こえないですし、拡声器を通したような声も聞こえてこない。鳥の声がします。転んではいけないどころか、許されるのなら、土手で昼寝をしたいぐらい。

 私がお墓参りをした一画は、クリスチャンのための墓所で、いわゆる日本式の墓石とは違うものが並んでいます。日本式墓石に較べると全体に低めで薄い、つやつやとしたもの。戒名ではなく、クリスチャンネームが刻まれていて、生没年も入っている。先祖代々の墓というのではなくて、個人の顔が見えてくるようなお墓です。なんとなく後ろ髪をひかれる思いで、その墓地を後にしました。気がつくと、行きと帰りに歩いた道筋は、まったく同じでした。

 しばらく前までは、お墓参りは「こちら側」にいる人間としておこなっていたはずでした。ところが最近は、「向こう側」の人間としてならどうだろう、という視点が入ってきたような気がします。年をとってきた証拠です。しかし、あの明るい墓地は縁もゆかりもない関西の墓地ですから、あそこに自分が入ることはありえない。でも妙に心に残っている。今でもときどき、日の差し具合とか、風のふきわたる感じとか、遠くの山なみのシルエットとかが、私のなかにふと甦ってくるのです。

 百年単位ぐらい昔の、かすかに血のつながりのある人でも、あの霊園のどこかに眠っていたりしないかな──そんなあやしい妄想まで浮かんできたりもしますが、そんなことでは、今日のこの肌寒い雨のなかしっとりと濡れているであろう我が家の「先祖代々の墓」からお叱りを受けてしまうかもしれません。合掌しておきましょう。……。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長 松村 正樹


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