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2010年2月18日

出版界の未来は明るい その3

Kangaeruhito HTML Mail Magazine 378
 
 出版界の未来は明るい その3

 今朝、目が覚めたら雪でした。昨晩、午前零時過ぎに会社を出た頃には、雪の気配はまったくありませんでした。なんとなく狐につままれたような気分です。雪は降ると気配でなんとなくわかり、目が覚めることも多いのですが、こんこんと眠っていたせいか、朝まで気がつきませんでした。午後になるとすっかり晴れあがって、会社のまわりにはもう雪はあとかたもありません。

 雪の降り始める前の夜の早い時間には、ひさしぶりに銀座にいました。『巡礼』(新潮社)、『橋』(文藝春秋)に続く長篇小説『リア家の人びと』(「新潮」に一挙掲載される予定です)を書き上げたばかりの橋本治さんと、天ぷらを食べていたのです。山の上ホテルで天ぷらをあげていた頃から池波正太郎さんに見込まれていた職人が独立し(といってももうずいぶん昔の話ですが)、ひらいた銀座のお店です。

 親方の下で修業した若手が、みごとな手さばきで揚げてくれる様子をカウンターにすわって眺めながら天ぷらを食べていました。ぼんやりと職人の手の動きを目で追い、耳は橋本さんの小説や映画についてのお話を聞いている。私は橋本さんの小説についてあれこれと感想をいい、今後のお仕事についての希望をお話する。天ぷらはおいしい。編集者をやっていてほんとうによかったと思う時間でした。

 さらにその二時間前には、橋本治さんの事務所にうかがって、インタビューをしていました。次号特集「はじめて読む聖書」のためのインタビューです。橋本さんが聖書の世界に入っていけなかったのはなぜか、お隣の韓国にあれだけのクリスチャンがいるのに、日本にはなぜ人口の1パーセント以下しかいないのか──今回のインタビューも、橋本さんのお話をうかがうはしから、もやもやと霞のかかっていた私の脳みそが晴れわたるような思いでした。じつにおもしろかった。

 橋本さんの原稿執筆はパソコンではなく手書きです。橋本さんのウェブとのかかわりかたについては、前号の特集「活字から、ウェブへの……。」をぜひお読みいただきたいと思います。事務所には助手の方がひとりいらっしゃり、電話のとりつぎやゲラの受け渡しなどをされています。しかし基本的な仕事のマネジメントはご自分でなさっている。長篇の仕事以外にも「考える人」をふくめ連載がいくつかあり、小林秀雄賞の選考委員もつとめられ、雑務的なこともいろいろひしめいている。私たちとしては、橋本さんに小説執筆に専念していただきたい気持ちが強いいっぽうで、「考える人」の常連執筆者としても事あるごとに登場をお願いしたり、矛盾したことをやっているところがあります。

『バカの壁』がベストセラーになる前の養老孟司さんは、ご自宅にいらっしゃれば仕事の依頼の電話にもすべてご自分で出られていました。「断るほうが何倍もエネルギーがいるから、ひきうけちゃうんだけどね」と苦笑いされていました。われわれ出版界からの仕事の依頼ばかりではなく、あらゆるところから、講演や審査員などさまざまな仕事の依頼が舞い込んでくる。引き受けてよいものなのかどうか、考え出したらきりがありません。

 それでは出版社からの依頼ならば迷うことがないかと言えば、ほんとうはそうでもないのではないか。われわれの仕事のなんとなくの流儀では、最初から原稿料をきちんと伝えるところはまだまだ少なくて、対価がいくらになるのかわからないまま、仕事の話だけが先行することも普通なのです。忙しくなるいっぽうで、対価をみてびっくり、という場合も少なくないはず。ほんとうなら断ったほうがよかった、という場合もあるでしょう。

 一方、書き手の方々にとって出版社の担当編集者は、抱えている仕事の全体をある程度把握していて、出版契約書を取りかわす際や、単行本や文庫本の部数決定の窓口となり、場合によっては外から来る講演の依頼のとりつぎや、映画化ドラマ化の交渉の窓口にもなる(私の場合は、書き手の住む借家の保証人にもなったこともあります)。担当編集者が信頼にたる人間であるかどうかが、書き手にとっては大変な関心事になってくる。つまり、編集者は海外の出版界でいえば、編集者の仕事にプラスして、エージェント(代理人)が担当するような仕事まで引き受けている、とも言えるのです。

 ですから、編集者はしばしば、書き手の利益を代理するような立場にもなって、会社員であるにもかかわらず、会社側とのタフな交渉の役割を同時に担うケースが出てくるのです。会社側の言うことも、書き手の主張も、それぞれに「なるほどたしかにそれはそうだ」と思い、しかし究極的にはそのときの力関係によって綱引きの終了するポイントが変わってくる。

 綱引きが終わったところで、綱にひかれた赤い線が会社側にぐっと寄っているか、書き手の側に寄っているか、出版社の体質や編集者の力量によって、「落としどころ」は微妙に異なっているはずです。そして、それぞれの綱引きはある意味でブラックボックスのなかで行われているともいえます。「取り引き」がどうであればフェアなのかは、明示しがたいところがありますし、書き手どうしにも、お互いの実情が見えないところがある。

 しかし、書き手の立場になれば、「だって原稿料はもちろん、印税率だって出版社サイドに決められていて、交渉の余地はないじゃないですか」ということになるでしょう。しかしそれにも理由があるような気がします。60年代から70年代ぐらいまで、出版界が右肩上がりで本がよく売れた時代は、交渉するまでもなかった。その頃の慣習がそのまま生き残ってしまったのかもしれません。

 ある老舗の新書の編集者は、大学の先生に執筆を依頼するとき、「先生、うちの新書に書いてくだされば、家が建ちます」と口説いていたという伝説があります。実際、それが必ずしも真っ赤な嘘にはならない状況があったわけです。しかし今は、依頼の時点でそのようなセリフを言ったとしたら、それは詐欺になってしまう。

 電子書籍端末が普及していくとき、これまでの書き手と出版社の関係は、大きく変貌していくはずです。編集者の仕事の本質的な部分は変わらずとも、さきほど述べた書き手の代理人的な仕事の内容は、変わらざるを得ないでしょう。電子書籍端末による出版界の構造の再編を出版社がおそれるとしたら、そのポイントになってくるはず。しかしそのこともまた、私は「明るい未来」としてとらえるべきではないか、と考えているのです。(つづく)
 
「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長 松村 正樹


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