Webマガジン「考える人」

シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

2010年9月23日

紙のリアリティ

Kangaeruhito HTML Mail Magazine 409
 
 紙のリアリティ

「考える人」は、次号の編集作業がいま最終段階を迎えています。私としては久々の現場へのカムバックで、約7年半ぶりにいわゆる「校了」という雑誌作りの大詰めに立ち会っています。雑誌の種類や会社ごとの流儀で、仕事の仕方に多少の差異はあるのですが、本質的なところに大きな違いがあるわけではありません。ですから、昔懐かしいホームグラウンドに戻ってきたような「心の高まり」を味わっていることも事実です。にもかかわらず、今回はそれ以上に新鮮な驚きを感じています。以前だと気にも留めなかったことの意味を考えたり、不思議な感覚を体験しているところです。

 まず第一は、「紙」の存在感です。これに圧倒されている、というのでしょうか。俗に「ゲラ刷り」と呼ばれる校正刷りが印刷所から出てくると、編集者はそれを見ながら、記事を構成する各種の要素が、正確に、また望ましい形で表現されているかどうかをチェックします。校閲者によるテキストの精査、誤記誤字や体裁上の不備の修正、デザインや色彩再現上の確認等々です。これらは編集者にとって「箸の上げ下ろし」に近いような日常習慣で、就職して以来ずっと繰り返している基本動作です。淡々とこなせばいいだけの話です。

 ところが、今回ばかりはちょっと勝手が違っていました。自分は紙と仕事しているのだ、ということに改めて気づかされたというか、本(雑誌)は紙に支えられた文化なのだ、という事実を噛みしめることになりました。古代エジプトのパピルスとまではいいませんが、自分が作ろうとしているものの素材は植物起源の紙なのだということを、ついつい考えてしまいました。また同じように印刷のインクや色にしても、鉱物や動植物起源の顔料から来ているのだということ。グーテンベルクが使用していた油性インクは鉛分の含有量が多かったので、いまなおテキストがまったく色褪せていないとか、どうでもいいことを思い出したりしました。要するに久々の現場でゲラ刷りを眺めているうちに、やや過剰反応気味に「モノとしての本」の存在感を実感したというところでしょうか。

 さらに言えば、ひとつひとつの記事や校正刷りは独立した単位ですが、これらはやがて綴じられて1冊の集合体にまとめられます。台割というものにしたがって、ページネーションが施され、雑誌の体裁が整えられていきます。これもごく当たり前のことのように処理しているのですが、そもそも「なぜ、こういう形をとるようになったのか」という起源を考えると、思いははるか遠くに及びます。つまり書物の歴史の上で、それまでの巻物に代わって、紙葉を重ね合わせて綴じられるという形態が生れたのは、紀元3世紀ごろ、ローマ帝国においてと言われています。いわゆるコデックス(冊子体)の誕生です。そしてほぼ同時期に、中国でも竹簡、木簡を綴じた本の形が現れました。後漢、魏晋南北朝の頃だといいます。西ヨーロッパと東アジアというふたつの地域で、なぜか同期するかのように、まったく独自に冊子の形態が現れ、書物の歴史における革命的な変化がもたらされました。そして、これがその後の基本的な姿として、長い歳月の間に徐々に進化を遂げながら、21世紀の今日まで続いてきています。つまり、いまあるような本の形態に編み上げていくという行為も、実に長い歴史的背景をもった人間の集合的な記憶に支えられている――そんなことを校了の合間にうっすらと思い浮かべました。

 何を大げさな、と笑われそうですが、これには昨今の「電子書籍」論がいつの間にか頭を占めていることが大いに関係しています。「考える人」でもちょうど1年前の秋号で「活字から、ウェブへの……。」という特集を行なっていますが、いずれその続編が必要になる時期があるかと思っています。それほど「グーテンベルクからグーグルへ」とまで言われる時代の変化は凄まじい規模と速度で展開していると思われるからです。ただ今回、紙の迫力に気圧されたのはもっと個人的な事情――私自身がこの1年半ほどウェブ・メディアの世界に関わり、ネット上での編集の仕事に携わってきたことが原因しています。言ってみれば紙もインクもゼロの世界にしばらく腰を下ろしていたからです。それは、高度情報化による物質性のない「書籍コンテンツ」の世界です。企画を立案し、記事を作成して配信するという編集の仕事自体は、出版の世界と何ら変わりません。大きく異なるのは、紙、印刷、製本といった製作過程、それと取次・書店という流通過程の二つの要素が、電子メディアの世界ではほぼ完全に捨象されている点です。

 つまり、プロバイダーがインターネット上に置いたコンテンツのデータ(情報)をユーザー(なぜか読者という呼称ではありません)が取り出し、それを液晶画面上に再現して読むというのがメディアとユーザーの関係です。そしてその一事をもって、いわゆる「電子書籍」こそ従来のコストを大幅に縮減した「未来の書籍」だという議論を展開する人も現れています。ともかく、書籍に限らず、音楽や映像などのデータ化と配信が、今日の文明の基礎をなすもののひとつになってきていることは言を俟ちません。これによって、これまでとは比較にならないほど広範囲の人たちに、ネットによるアクセスの可能性が広げられていることは明らかです。産業革命時のラッダイト運動(機械破壊運動)の例を持ち出すまでもなく、この文明の恩恵を否定する必要もなければ、そんな後戻りができるはずもありません。

 こういう大きな変化の真っ只中で、モノとしての本と「電子本」とが、どういう本質的な違いに基づきながら、お互いにバランスを取っていくのか。私たちはそこにいかなる未来の本の可能性を見出していくのか、がこれからのポイントなのでしょう。当面は、このふたつの領域を行き来しながら、すべてがデータ化されていく時代環境にあってなお、物質とテキストが融合しながら形作るこれからの本のヴィジョンを探るしかないでしょう。そんなことが、紙のリアリティを前にしながら頭をよぎりました。

 ……さて、そろそろ校了作業へと戻ります。明日が「秋分の日」の休日で締め切りが一日繰り上がり、さらに今夕、社のイベントが予定されているために、それがさらに半日繰り上がり、このメールマガジンもちょうど締め切りタイム・アップとなりました。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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考える人とはとは

何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長 松村 正樹


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