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お客さん物語

2022年2月1日 お客さん物語

6.英国パブのマドンナ

著者: 稲田俊輔

 大学2年の時に、京都の繁華街の外れにある英国式パブでアルバイトを始めました。

 当時は今と違って未成年の飲酒に対してずいぶんおおらかで、大学生ともなれば誰に咎められることもなく公然とそれが許されていました。僕はそれまで何度もお客さんとして訪れていたその憧れの店で働くことにしたのです。

 細長い店には絨毯が敷き詰められ、壁やカウンターなどそこかしこに真鍮金具の装飾が施されていました。椅子席も一部ありましたが基本的には立ち飲みで、注文はその都度カウンターで現金払い。名物料理はフィッシュ・アンド・チップス。お客さんの半分以上はイギリス人を中心とする外国人でした。

 入店したその日に、僕は先輩たちから出身高校に由来する「ラサール」というニックネームを与えられました。あまり愉快なあだ名ではありませんでしたが、当時の飲食店がどこもそうであったように、先輩の言うことは絶対です。スタッフのほとんどは僕と同学年か少し上の学生アルバイトでしたが、店歴に基づく封建的な上下関係は、この外国風の店でも厳格に守られていました。

 ドリンクはキャッシュ・オン・デリバリーでしたが、フードは小さな切り取り伝票に品名とそのオーダーを受けたスタッフの頭文字を書き込んで、それがキッチンに渡されるシステムでした。頭文字といってもカタカナです。例えば「イナダ」がお客さんからフィッシュ・アンド・チップスの注文を受けたら本来なら[F&C イ]となるわけですが、店には「イ」から始まる苗字の先輩が既にいたこともあり、僕は先輩のひとりから「イ」ではなくラサールの「ラ」と書くように促され、言われるがままそれに従いました。

 アルバイトの中で最年長のYさんは、学生ではなくフリーターでした。最年長といっても当時まだ20代でしたが、僕から見たYさんは圧倒的に大人でした。いや、当時の自分から見てというのはあまり適切ではないかもしれません。今の僕が当時の彼に会ったとしても「なんて堂々として大人びた立派な若者だろう」と思うような気がします。

 Yさんは元ラガーマンでガタイもデカく、ついでに酒好きがたたってかその年で既に腹も出ており、存在自体に迫力がありました。海外放浪で鍛えた流暢な英語のジョークで常連客たちをいつも笑わせ、店長のGさんと並ぶ店の顔でした。そしていかにもしっかり者という雰囲気のイギリス人の彼女がいました。

 入店して3日目、その日はYさんがキッチン担当でした。僕がその日受けた最初のフードオーダーの伝票をキッチンのホルダーにクリップで留め「お願いします」と声をかけると、Yさんはその伝票を見て、

 「おい」

 と僕を呼び止め、そしてこう言いました。

 「お前の名前はラサールちゃう」

 僕は最初ドキッとして、そしてとても恥ずかしくなりました。僕はクリップで留められた伝票の「ラ」の上に横棒を引き、代わりに横に「イナ」と書きました。Yさんはそんな僕の様子にちらりと目をくれると、何事もなかったように、コロモをまぶした魚を揚げ始めました。

 その日から僕は初日の言いつけを無視して伝票には「イナ」と書くことにしました。ラサールという呼び名も、当時人気のあった同名の芸人を引き合いに出して「勘弁してくださいよお」と冗談混じりでやんわり拒絶しました。名付け親にして伝票の書き方を指示した先輩とは一悶着ありそうな覚悟もしていましたが、特にそういうことも無く終わりました。伝票の「イナ」はその後「ナ」の一文字になりました。

 スタッフ間の上下関係とは全く別に、店にはゆるやかなヒエラルキーのようなものがありました。

 最上位にいるのは常連の外国人男性たち。そして彼らとも仲が良くほぼ毎日この店にたむろしている近所の商家の若旦那グループ。彼らは店の一番奥で毎日毎日飽きもせずダーツに興じていました。

 その次に来るのが、カウンター周辺からダーツ場の隣接区域にかけての場を占める、準・常連とでもいうべき最大多数の外国人男女。それから日本人の女性グループ。足繁く通う日本人女性の中の一部は店で幅を利かせている常連さんに「スカウト」され、奥でダーツに加わったりもします。

 その下が日本人だけのグループやカップル。彼らは概ね立ち飲みではなく、ダーツと反対側の奥にある「一般席」と呼ばれていたスペースの椅子席に座ります。

 店長とYさんを除く我々スタッフはいわば最下層です。もっとも常連外国人たちのほとんどは年若い我々にもフランクに接してくれて、接客業としては基本気持ちのいい場でした。ただし稀に人種差別的な扱いを感じることも無いではありませんでしたが、それよりもスタッフ間で評判が悪かったのは、若旦那グループの悪い意味で酒場の常連然とした横柄さでした。そしてそれ以上に我々の心をざわつかせたのは、奥のダーツグループの正式メンバーに「昇格」した日本人女性が、その途端なぜか我々に対して急に横柄になる不思議な現象でした。

 日本人グループ客の中でも「ネクタイを締めたおじさんたちのグループ」は、また少し別の目で見られがちでした。一部の外国人客は彼らを「レーズンバター」「ミズワリ」といった符牒で呼び、彼らが象徴する「ニッポンのサラリーマン像」みたいなものを小馬鹿にする事があったのです。

 この店で外国人客は食べ物を注文することは少なく、あってもそれはフィッシュ・アンド・チップス一辺倒でした。しかし店にはそれ以外にも、オイルサーディンやチキンバスケット、チーズクラッカーなどの、今になって思えば昭和のバー文化やビアホール文化をそのまま受け継いだような「つまみ」もあり、ネクタイのおじさんたちは律儀にそういうものも頼んで椅子席のテーブルを一杯にしていました。その中の象徴的なフードがレーズンバターだったのです。

 外国人たちにしてみれば、なんであんな腹も膨れない奇妙な食べ物に金を出すのかさっぱり理解できない、と考えていたのでしょうか。ウイスキーの水割りも同じです。あんな妙なものを飲むのは日本人のサラリーマンだけ、という認識でした。そもそも彼らはウイスキーの国から来たくせに、ウイスキーそのものを「時代遅れのダサい酒」としか捉えていないようでしたが。

 スタッフの中にはそれに附和雷同する、つまり「俺は卒業してもダサいサラリーマンなんかにはならへんで」と意気がっているような者もいましたが、僕は基本的にそれを苦々しく思っていました。自分の親世代のおじさんたちが、いつもの居酒屋とは気分を変えてたまにこういう店に来てはしゃいでいる、というのはチャーミングに見えたし、レーズンバターも個人的にとても好きな食べ物でした。何よりそこにもやっぱり、うっすらと「人種差別」の臭いが漂っていることにも気づいていたからです。店長やYさんだけでなく我々も、そして彼らが下心を持って近づく日本人の女の子たちも、ここでは言うなれば「名誉白人」に過ぎなかったのかもしれません。

 ある時、またぞろそういうサラリーマン集団を茶化すような話題で盛り上がっていたグループに、Yさんが毅然と割って入った事がありました。

 「ミズワリは立派なウイスキーカルチャーのひとつだ。レーズンバターは俺やお前らみたいなデブは食っちゃいけないが、味はおいしい。何よりウチの店の大事な客にケチをつけるのはやめてくれ。お前らのせいであの人たちが来なくなったらどうしてくれる? お前らみたいにビール1杯だけで1時間以上粘る客ばっかりだとこの店はあっという間に潰れるんだよ。」

 バツが悪そうに黙り込む彼らを最後、

 「まあここが潰れたら俺が買い取ってもう一回やるけどね。」

 とジョークで沸かせて、Yさんはキッチンに戻りました。

 この店は、隣県の繁華街にも同じ名前の系列店がありました。僕も何度かそこを訪れた事がありましたが、この店より倍以上広く、そしてずっと騒がしい店でした。

 この店を愛する常連さんたちは、そちらの店の話題になると急に苦々しげな表情になりました。あっちの店は「ミート・マーケットだ」と言うのです。つまり、ナンパ目的で集まる不良外国人と、その期待に応える日本人の女の子たち、あっちの店はその需給関係で成立しているというのが彼らの見立て。それに比べてこっちは、客筋も良く上品だ、と。

 確かにこっちの店は、語学教師や大学関係者、あるいは伝統工芸を学ぶヒッピー上がりなど「文化的」な雰囲気はあったと思います。しかしそれでも、それを「ミート・マーケット」と呼ぶかどうかはともかくとして、常連の白人男性と日本人の女の子たちの色恋沙汰はこの店でもやっぱり日常茶飯事ではありました。奥のダーツ場に女の子を誘う男たちは、決して彼女たちとダーツだけを楽しみたいわけではないことは明らかでした。

 店に来る若い女の子たちは二人連れである事が多かったのですが、一人でふらりと立ち寄る子もまた少なくなく、そんな中の一人にJ子がいました。J子は誰が見ても概ねそう認めるであろう正統派の美人でした。そして単に美人というだけでなく、ぱっちりとした眼のベビーフェイスに、長い髪にはどこか蓮っ葉な印象を与えるウェーブがかかっていて、「真っ直ぐな黒髪に切長の眼」という外国人が好むティピカルなタイプの日本人女性とはまたベクトルの異なる方向で、彼らの興味を強くそそる存在だったようです。

 一人で来る女性たちの中でJ子が少し特殊だったのは、英語がほとんど喋れないし理解もできないという事でした。なので彼女の話し相手は外国人客たちよりもっぱら我々スタッフでした。それもあってスタッフたちはほぼ全員、彼女に対してうっすらと(もしかしたらはっきりと情熱的な)好意を抱いていました。もちろん僕自身も例外ではありませんでした。

 それでもやっぱり外国人たちは彼女に群がりました。しかし彼女は話しかけられても曖昧な微笑みでなんとなくその欲望をかわすばかりで、必要以上に彼らと交わろうとはしませんでした。時にしつこい男に食い下がられると、彼女は困った表情で我々に視線を送り助けを求めました。それにいち早く気付いたスタッフは、ナイトよろしく張り切って彼女を救出に向かうのです。

 とはいってもそんな事が何回か繰り返されるうち、J子は時折はダーツに加わるようにもなり、そして最終的にマイクというヤサ男がJ子を陥落させ、1組のカップルが誕生しました。

 スタッフたちの歯軋りを他所に彼女は今度はマイクと二人で店に来て、そのまま奥の常連スペースに向かうようになりましたが、マイク自身はもともとそうしょっちゅう店に来るわけでもなかったので、相変わらず彼女は度々一人でも店に来ました。そして半ば不貞腐れたスタッフたちの中で、なんとなく僕が彼女の話し相手担当、みたいなことになりました。

 カウンター仕事をこなしながら彼女と話をするのは決して嫌ではありませんでしたが、その話の内容はそれまでとガラッと変わりました。もはや彼女はほぼマイクの話しかしないのです。

 「わたしは英語わからないしマイクも日本語できないじゃない?」

 「うん知ってる」

 「でも彼、最近はわたしといる時、無理に話しかけようとしない代わりに外じゃ誰にも見せないようなすごくリラックスした顔でひたすらのんびりしてるのよね。」

 「……。(いいのかそれで?)」

 「その顔じっと見てると、彼って子供みたいな表情でにっこり微笑むの。きっとそれって『J子といつまでも一緒にいようね』って言ってるんだと思うの!」

 「……。(どうしてそう思えるのかな?)」

 しかしその数日後、彼女は真っ赤に泣き腫らした眼で店に来ました。マイクの浮気が発覚した、と言うのです。

 「相手はマイクと同い年のイギリス人の女の人でね、わたしも前にこの店で彼女に会ったこともあったの」

 「……。(もしかしてだけどそっちが本命だったりしない?)」

 「わたしそのことを知って、彼の前で泣き喚いたのよ」

 「……。(まあ、そうなるよね)」

 「そしたら彼、黙ってわたしを抱きしめてくれて」

 「……。(ダメなパターンだ)」

 「でもわたし英語わからないしマイクも日本語できないじゃない?」

 「うん知ってる」

 「でも抱きしめられたまま彼の顔を見上げると、すっごく悲しそうな顔してるの。彼はきっとわたしを悲しませたことが自分でもすごく悲しくて、それを心から悔やんでるんだってわたしわかったの」

 「……。(どうしてそう思えるのかな?)」

 この店で度々始まる白人男性と日本人の女の子の色恋沙汰には、ある一定の共通する法則がありました。男と付き合い始めた女の子は、みるみるうちに英語が上達するのです。

 スタッフの中には「生きた英会話を学びたい」という動機で働き始めた者もいましたが、会話と言ってもそのほとんどは酒と金のやり取り、という中で彼の英語はいっかな上達せず、その横をすり抜けるように流暢な英語を話し始める彼女たちを見て彼は「やってられへんわ」と、誰にも向けようのない苛立ちを吐き出していたこともありました。

 最初は彼氏の横で愛想よくニコニコしていただけだった女の子も、1ヶ月もすれば常連の輪の中で流暢に自己主張するようになり、そうなったら程なくして別れが訪れます。そこまで含めてが「法則」の一環でした。

 J子の場合も結局そのお馴染みのストーリーが繰り返されました。気が付けばJ子は常連グループの中で女王様のように振る舞うようになっていたのです。そして頭ひとつ背の高いマイクの顔を正面からキッと睨み、「F××K」「S××T」とフォーレターワーズを連発しながら堂々と渡り合って喧嘩をしていたこともありました。物言わぬマイクの表情から勝手に都合の良い感情だけを読み取ることはもうやめたのでしょう。

 相変わらず時々は一人でも店を訪れていましたが、群がってくる男たちを時には辛辣に跳ね除け、時には上目遣いで耳元に何かを囁き、いずれにしても、もはや若造ナイトの出る幕はありませんでした。かつて彼女の愚痴聞き担当だった僕も、つつがなくその職から解任されました。

 そして法則通り、J子はマイクとあっさり別れました。

 それからいくらも経たないうちに、彼女はまたこの店で新しい恋を見つけました。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke


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