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お客さん物語

2022年2月15日 お客さん物語

7.浅草のジルベール

著者: 稲田俊輔

 東京の浅草に「神谷バー」という店があります。バーとは言うものの、それは、薄暗いハイカウンターに洋酒の瓶がずらりと並んでいて、そこに蝶ネクタイのバーテンダーさんが立っているような「バー」とは随分趣を異にしています。神谷バーの店内は、バーというより一見大衆酒場か大衆食堂のようです。広い店内には大小のテーブルが並び、混雑してくると相席も当たり前。

 メニューはカツレツやグラタンなどの古典的な「洋食」が中心ですが、同時に冷奴やおしんこといった居酒屋然とした「つまみ」も並びます。この店が「神谷バー」と改称した明治末期から大正にかけて、東京では「〇〇バー」の名を冠する大衆洋食店が大流行し、この店もその中の一軒だったそうです。その当時のスタイルを今に伝えるお店ということなのでしょう。

 バーと言いつつ、色とりどりの趣向を凝らしたカクテルのようなものはこの店にはありません。この店でほとんどの人が飲んでいるのは「電気ブラン」という明治生まれのオリジナルリキュールです。リキュールと言ってもそう甘ったるいわけではなく、アルコール度数は30度のものと40度のものの二種類。それをストレートで飲むのがこの店の流儀。もちろん喉が焼け付くような強さですから、それと交互にジョッキの生ビールを「チェイサー」として飲むのもお約束。当然、よほど酒が強くてもあっという間にベロベロです。

 にもかかわらず不思議と、この店で泥酔して大騒ぎするような行儀の悪いお客さんはめったにいません。皆どことなく上品です。下町の若旦那衆が粋に飲み食いしていたり、ご隠居さんたちが下町言葉で語らっていたり、和装の女将さん風がグイグイと大ジョッキを傾けていたり。もちろん普通のサラリーマンが本を片手に静かに飲んでいたり、若い女性が一人でノートパソコンを広げて飲みながら仕事を片付けていたり。客層は幅広いのですが、皆どこか凛とした共通の雰囲気を漂わせているように感じられるのです。

 ある日僕がその店で一杯目の電気ブランを飲み干した後、いったん席を立って手洗いの順番待ちをしていた時のことです。突然、そこに歩み寄ってきた一人の中年男に声をかけられました。

 「そのシャツ、いいね」

 その日僕はちょっと奇妙で派手な柄のお気に入りのシャツを着ていました。お気に入りを褒められるのは確かに悪い気分ではないのですが、残念なことに僕は酒場で見知らぬお客さんに話しかけられるのはあまり得意ではありません。とりあえず簡単にお礼を述べて話を切り上げようとしましたが、男は今度は一方的に自分の話を始めました。

  「今日はさ、プラネタリウムを観に行ったんだよね。でもあれだね、最近のプラネタリウムは無駄な演出が過剰でイラっとすんだよな。プラネタリウムなんてのはさ、淡々と星空だけ見せてくれたらそれでいいと思わない?」

 ああ確かにそんなものかもね、と適当に相槌を打っていると、男は更に話を続けようとします。

 「しかもさ、斜め前の席で、だっせえ男がおねえちゃんを口説いてるわけよ。だっせえ、金もってるぞアピールとかしちゃって、なんかもう気分悪……」

 幸いそこで手洗いの個室が先にひとつ空き、僕は、お先に、と今度こそ強引に話を切り上げました。手洗いから出る時、まだ男がそこで待ち構えていたら面倒だな、とちょっと心配しましたがさすがにそんなことはなく、僕はホッとして席に戻りまたゆっくりと電気ブラン(と、チェイサーの生ビール)を飲み始めました。

 ところがそんな平穏な時間は、ものの5分で終了しました。

 「あーれーえー、あんたもしかしてあれ? モノカキ?」

 背後から突然聞こえてきたその声の主はもちろんあの男でした。

 その時僕は、タブレットの電子書籍アプリで小説を読んでいました。その縦組みの活字を男は背後から覗き込んでいたのです。しかもご丁寧にテーブルの傍には発売されたばかりの文芸誌も置かれていました。客観的にどう見ても「ブンガクの人」です。更に言えば僕はついさっきまでタブレットに繋いだキーボードをものすごい勢いでカタカタ叩いていました。それは単に本業である飲食の仕事上の数字を扱う無機的な資料作成だったのですが、男はその様子も遠目で観察していたのかもしれません。男の中で僕は完全に「文芸誌を傍に置いて原稿執筆に勤しむ文筆家」という誤った推定をされてしまったようです。

 普通に生活していて偶然「文筆家」という人種に出会うことは極めて稀でしょう。しかしこの神谷バーにおいてそれが起こる確率は、世間一般の十倍程度には跳ね上がりそうな気もします。幾多の文学作品にも登場する、ここはそういう店です。

 電気ブランの酔いも手伝い、僕はちょっとした悪戯心を起こしました。タブレットをパタンと閉じて背後の彼に半身向き直り、実はそうなんだけどね、と男の推理を首肯したのです。

 続けて僕は話をなんとなく男が好みそうな方向にでっちあげてみました。自分としては確かにモノカキのつもりなんだけど10年前にちょっとした新人賞を貰ったきり結局鳴かず飛ばずでね、と。

 男の目が輝いたように見えました。

 「あんた、ショーペンハウアー、読む?」

今だけの嘘とはいえ、モノカキのプライドとして読んだことないとも言えません。僕は曖昧にうなずきました。

 「ショーペンハウアーはやべえよ。マジやべえ」

 さっきから男がちょいちょい強引に差し挟む不似合いな若者言葉に若干イライラしつつ、とりあえず黙って話の続きを聞くことにしました。

 「俺さ、10代の頃ショーペンハウアーに出会って、どハマりしたんだよね。もうね、どハマり。でさ、その時完全に魂を撃ち抜かれた言葉があって、それはね、こういうやつ」

 男がそら(・・)で引用したそれは「ナニナニはナニナニだがコレコレはコレコレである」という、いかにも「哲学者の名言」らしい構文の、つまりその部分だけ切り取られてもあんまり有り難みがよくわからない一文でした。

 相槌の打ちようすら無く黙っていると、男はそのまま続けます。

 「この言葉ってさ、まさに今のあんたを表してるとも言えるわけ。わかる? だからあんたは間違ってない。だいじょうぶ」

 うだつの上がらないモノカキの境遇とその言葉がどう関係するのかはさらにさっぱり理解できませんでしたが、少なくとも男が僕を勇気付けてくれようとしたことだけは確かなようです。なんだか少し申し訳ないような気がしなくもありませんでした。

 「あんたはだいじょうぶ。でも俺はイマイチだいじょばない(・・・・・・・)んだよなあ」

 と、今度は男の自分語りが始まりました。

 ショーペンハウアーをきっかけに若い頃は哲学に傾倒したこと、今は40代半ばを過ぎたが時折鬱を発症するので定職にはついていないこと、その代わりだいたい毎日不忍池あたりでジョギングをしていること、そのついでに度々上野の博物館でプラネタリウムを鑑賞すること、その後はそのまま浅草まで走ってきて蕎麦屋や神谷バーに立ち寄ること。

 「でさ、俺、毎日欠かさない日課があるわけ。何だと思う? ハハ、わかるわけねっか」

 いつのまにか男はじりじりと距離を詰め、ついには僕が座っている隣の椅子の背もたれに寄りかかって、真横から僕を覗きこんでいます。僕がそこに座るよう勧めるのを心待ちにしているのは明らかですが、もちろん僕はそのアピールには気付かないふりをして、その代わりに仕方なく、その日課とは何なのかと問いました。

 「ジョギングの途中とかその後とかにすれ違ったり見かけたりした人の中から『本日のMVP』を決めるわけ。毎日必ず一人決めるの」

 そのMVPは、不忍池のほとりで一心不乱に絵筆を動かす絵描きの青年だったり、大きな荷物を抱えて颯爽と交差点を渡る仕事途中の若い女性だったり、喫茶店の隣の席で熱心に独特な演劇論を説く初老の男だったりと、ずいぶんバラエティに富んでいました。

 男は40代半ば過ぎとのことでしたが、見ようによってはそれより10は若く、いや、むしろ幼く見えなくもありませんでした。逆にある瞬間には年齢以上に草臥(くたび)れても見えました。鬱のことを聞いたからというわけでもなく、どこか不安定でアンバランスな印象は最初から感じていました。

 細身のジーパンに黒い無地のTシャツというシンプルな着こなしは、やや年齢不相応ではありましたが、どことなく都会的で気取らない洗練も感じさせます。Tシャツの首周りには不思議なリング状の金具で止められたスカーフも巻かれていました。その独特なファッションは、男が過去のどこかの時代で出会った局所的な流行を長年にわたって大事に我が物にしているような気もしました。

 顔色は草臥れていましたが、くっきりとした二重瞼の下の黒目がちな瞳はリス科の小動物を思わせる愛嬌がありました。そこに半分かかる、くるくるとした巻き毛は一応小綺麗に整えられており、それがまた一層アンバランスに男を幼く見せていました。

 漫画家・竹宮惠子の『風と木の詩』という作品があります。僕は中学生の頃、少女漫画らしからぬハードなSF漫画をきっかけに彼女の存在を知り、その代表作とされているこの作品を手にしました。しかし実はこの作品にSF要素は皆無で、内容は今でいうところの「BLモノ」の走り。しかもかなりえげつない性描写が連続するものでした。脳の半分は常に性への興味で埋め尽くされているような年頃ではありましたが、さすがにBLは僕の守備範囲を大きく逸脱しており、とりあえず第一巻だけを何とも言えない気分のまま読み終えてそれっきりでした。

 それでもその登場人物の一人であるジルベール・コクトーという名の退廃的で華奢な美少年のキャラクターはあまりにも印象的で、今でもその名前と絵姿は鮮明に記憶しています。

 男はあろうことかこのジルベール・コクトーにどこか似ていました。もっとも幾分、いや随分と老朽化が進んだジルベール・コクトーではありましたが。

 もしかしたら男は、それこそショーペンハウアーに「どハマり」した当時、このジルベールばりの美少年だったのかもしれません。おしゃれで、でも社会とうまく折り合いがつけられないまま哲学にその救いを求め、徒に教養だけを深め、そして今「だいじょばない」まま人生の後半を迎えている。

 生活に困っている節はありません。この浅草のどこかに親がビルでも持っているんでしょうか。それならばいわゆる「高等遊民」です。そして高等遊民に相応しい、無為で文化的な毎日を送っています。そんな彼が日々選ぶ「MVP」の選定基準は、一見脈絡が無いようですが同時にどこか共通する要素もあるようにも思えます。

 決して経済社会の中心に居るわけではないけど、それぞれの場所で何らかの明確な役割を持って生きている人々。そこにはもしかしたら、男が本当はなりたくてなれなかったいくつもの姿が投影されているのかもしれません。

 「今日はさ、プラネタリウムで会ったのもおねえちゃん口説くしか頭に無いクソだっせえオヤジだろ? 上野からここまで走ってくる間に、惜しい感じの女の子はいたのよ。でもMVPってのとはちょっと違うかなあ、なんて思いながらここに来たわけ。でも良かったよ、今日は最後ここに来て」

 それから男は思わせぶりに一呼吸置いて、こう続けました。

 「今日のMVPはあんただよ。だってそのシャツ、夏の花火みたいだもん」

 気がつくと男は、さっきまでだらしなく寄りかかっていた椅子の背の前で上体をすっくと起こし、その両手は椅子の背の両端をがっしりと握っています。僕がいつまで経ってもそこに座ることを勧めないのに痺れを切らし、自ら勝手に椅子を引いて座るための準備を整えているのは間違いありません。

 それでもやっぱり強引にその行動には移せないナイーブさもあるようで、僕は正直そこに好ましいものを感じたのも事実です。というか僕は、なんだかんだ言って最初からこの男には好感を持っていたのです。言葉遣いは乱暴で時にわざとらしいけど、それはきっと照れ隠し。言葉の端々から、教養、なのかどうかはともかく、少なくとも教養への無垢な信頼が感じられます。働かずとも生活を送れる境遇が本当に羨ましいかどうかは別として、その生活のゆとりをギャンブルや女遊びで蕩尽するわけでもなく、とりあえず無心で身体を動かし、その後は淡々と「文化的」に過ごす日々。そしてどこか奇妙ではあるけど都会的で小綺麗な見た目。

 でもやっぱり僕は、彼と酒場で隣り合わせてあたかも友人のように時を過ごすことは、何が何でも御免被りたかったのです。

 その根本には、独りで入った酒場では基本的に独りで過ごしたい、という自分の頑固さがありました。でもそれだけではないのもまた確かでした。僕は彼の中に、どこか自分と共通する部分を感じていたのです。親が浅草にビルを持っていたら、もしかしたら僕は彼になっていたかもしれない。そして彼が僕にMVPを授与したというのもつまり、彼にとって僕は、なりたかったけどなれなかった姿のひとつなのかもしれない。自分たちは同種の人間。彼もそれを感じていたからこそ、僕がどれだけ気のない相槌に終始してもこうやって、いっかな諦めもせず食い下がっているのでしょう。

 同種の人間なら親友になってもおかしくないのかもしれません。可能性としてそれはあります。しかしこの酒場で語り合ってはいけない。そうなってしまうと、僕はおそらく今夜これから、普段満たされない彼の承認欲求を満たすための役割が与えられてしまう。僕は多分そう苦労することもなく器用にその役割を果たすことはできます。しかしその時僕はきっと彼に対する憐れみの感情を持ってしまう。それがたまらなく嫌でした。彼が本当は幸せなのか、そうでないのか、それは知る由もありません。でもきっと自分はどこかで彼を憐んでしまい、「彼のようにならなくて良かった」とすら思ってしまうかもしれません。そんなの金輪際、嫌です。

 「あんたとはちょっとゆっくり話してみたいな」

 椅子の背を握る彼の両手にいよいよ力が込められた気がしました。

 しかし僕はきっぱりとそれを制して、最後にもう一度だけ嘘をつきました。

 今日中にあと原稿用紙8枚分の小説原稿を仕上げなければいけない。久しぶりのチャンスを逃すわけにはいかないんだ、と。

 そして、これ以上話を続けるわけにはいかないということを態度で示すべく、テーブルの上に食べかけで置かれていた、とうに冷め切ったマカロニグラタンをスプーンでがばりとすくって口の中一杯に押し込みました。

 「そうか、だったら頑張らなくちゃいけないな」

 寂しそうに踵を返して立ち去る男の背中は、日々欠かさないジョギングの成果なのでしょうか、絵の中のジルベール少年さながらに引き締まってしなやかでした。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke


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