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お客さん物語

2022年4月19日 お客さん物語

11.説教したがるお客さん(1)――誰が為の説教か

著者: 稲田俊輔

 飲食店で店主や店員に「説教」ないしは「アドバイス」をしたがる人々が存在します。無論、少なくとも最近の世論において、その種の行為は批判や嘲笑の対象となって全否定されるのが常ですが、あながちそれだけで片付けてしまうのも違うのかなと思ったりはしています。

 僕自身はそういう「説教」にあたるようなことはしませんが、「指摘」は行ったことが過去に何度かありました。ラタトゥイユやポテトサラダといった作り置きの料理が腐敗し始めていたり、ローストチキンが生焼けだったり、そういう「食品安全上のリスク」が明白で、他のお客さんにもそれが提供されてしまうと大事にもなりかねない場合です。

 ラタトゥイユの時は、

 「ウチはパプリカを丸焼きして皮を剥いているから独特の匂いがするんです!」

 と、若干意味不明な釈明を受けてかなりヘコんでしまったのを覚えています。その後しばらく経ってから、

 「申し訳ありません、おっしゃる通りでした」

 と謝られてしまい、「別に謝って欲しかったわけじゃないんだよな」と思ったり、「もしかしたらこちらの気を損ねないようにそう言ってるだけでは?」と疑心暗鬼になってしまったりして、指摘なんてしない方がよかったのでは、と後悔もしました。

 ポテトサラダの時はもっとプロフェッショナルな対応でした。指摘してしばらくするとテーブル担当の方が、

 「ご指摘ありがとうございました」

 とわざわざ言いに来てくれました。謝罪ではなく「ありがとうございました」だったのは実に適切です。ところがその後がちょっと面倒でした。しばらく後に店長らしき人がまた「ご指摘ありがとうございました」と言いに来てくれました。しばらくすると料理長らしきコックコートの人物も、わざわざホールまで出て同じことを言いに来ました。さらに最後レジで会計をする時も女性マネージャーに同じことを言われました。

 お店側の対応には何の文句もつけようがなく、さすがにちゃんとした店だと改めて感心しました。しかしそれを分かった上で言えば……正直、鬱陶しかったです。これもまた疑心暗鬼ですが、クレームに発展することを未然に防ぐマニュアル的テクニックという一面を感じてしまったせいかもしれません。

 斯様に「指摘」は、する側にとっては基本的に割に合いません。少なくとも何の得もありません。それでも「指摘」の域を更に超えた「説教」をしたがる人々は確実に存在します。かつて私が雇われ店長としてある和食店を切り盛りしていた時もそんなことがありました。

 その日初めて店を訪れ、カウンターで静かに一通り飲み食いしてくれたある一人客が、最後レジで少し声を震わせながらこんなことを言い始めたのです。

 「この店はいったいどうなってるんだ?」

 お客さんは、その店のオーナーつまり僕の雇い主の古くからの知り合いだとその身を明かした上で、こんなことを言い始めました。

 料理が全部出てくるまで1時間近くかかった。

 後から来た隣の客の料理が先に全部出てきた。

 グラスが空いてもおかわりを薦めもしない。

 一人客である自分に一切声もかけず無視し続けた。

 オーナーが店に不在だからって弛んでるのではないか。

 このことはオーナーに報告させてもらう。

 反論するのは簡単でした。料理は一品を食べ切りそうなタイミングを図って一品ずつお出ししていました。お客さんへの催促となるようなお酒の追加注文は促さないのが、この店のモットーです。会話を望むお客さんばかりではないから、こちらからあえて話しかけることはしませんが、それを望む場合はそちらから話しかけてくだされば喜んで対応します。

 しかし僕はその時一切反論はしませんでした。もちろん基本的には、そういった「クレーム」には謝罪するしかないという(当時の?)常識に基づいた判断でしたし、実際、他のお客さんもいる忙しい最中に事を荒立てて時間を費やす暇もありませんでした。だから僕は、

 「そこまで気が回らず申し訳ありません。この店の評判を汚さないようこれからはもっと頑張ります」

 とだけ返して、会計を済ませるやいなや押し出すようにお見送りをしました。

 しかし、一切反論しなかった理由はまた別のところにあったとも思います。そのお客さんは普段誰かに高圧的な態度を取るタイプではないと感じたのです。こう言ったらなんですが、どちらかと言うと内向的で話下手なタイプ。その時に立板に水で繰り出した「説教」も、どこかぎこちなかった。一人静かに飲んでいたようにも見えたその滞在時間一時間強の大半で、ずっとその「説教」の文章を一生懸命組み立てていたように思えました。少なくともこの繁華街を我が物顔で飲み歩いて、行く先々で横柄な態度を取るような人種ではない。

 彼の「説教」は多分、純粋な善意であり、同時にもどかしさだったと思うのです。子供の頃から知っている近所の子がついにオーナーとして店を持った。その店に訪れてお祝いを述べつつ旧交を温めたい。そして、そんな自分は歓待もしてもらえるだろう、と期待して意を決して一人で訪れてみた。しかしそこに目的の彼は居なくて、茶髪のヘラヘラした兄ちゃん(当時の僕です)に舐めた態度を取られた。こんな奴に店を任せていたらせっかくのこの店はダメになってしまうのではないか。

 それは確かに勝手で狭量な思い込みだったのかもしれませんが、少なくともそこに悪意はないと感じたのです。

 「説教」が始まる理由はそう単純なものではありませんが、それにしてもちょっと不思議なパターンも経験したことがあります。

 先程の店とはまた別の和食店で料理長として働いていた僕は、お客さんに席まで呼びつけられました。それはまさに『美味しんぼ』の海原雄山が「女将を呼べッ‼」と激昂するあの感じでした。お客さんは50歳前後くらいと思しきカップルで、ぱっと見たところ水商売のママとそのお馴染みさんといった雰囲気。僕が席まで赴くやいなや、その男性の方から、

 「なんだこの料理は。どれもこれも食えたもんじゃないぞ」

 と、説教が始まりました。まずいまずいと言うわりには具体的な指摘があるわけでなし、「なんだこの妙な味付けは」「わけのわからん料理を出すな」「素人以下」といった、まあ言うなれば単なる罵詈雑言。極めてボキャブラリーに乏しいそれが延々と繰り返されるのです。僕としては彼の意図も汲み取れず、とりあえず「お口に合わずすみません」と形式的に謝るしかありませんでした。

 その間、女性の方は一言も喋りませんでした。相槌を打つでもなくただ隣でボーッとしているだけです。しかし男性は突如その女性を指差し意外なことを言い始めました。

 「この人はな、料理の天才で有名な料理アドバイザー(?)なんだ。この店はこの人にコンサルティングを依頼した方がいい」

 僕は思わず口をポカンと開けて女性の方を凝視してしまいましたが、女性は相変わらず黙ったままで、「料理アドバイザー」なる謎の職種の名刺か何かを出してくるような気配もありません。僕はさすがにもうまともに相手をする気を失い、適当にあしらってお引取りいただいたのですが、今思い出しても、いったいあれはなんだったんだ? と狐につままれたような気持ちになります。

 最後お口直しに、説教ではなく褒められた話のひとつくらいしておこうかと思います。

 その時僕は出勤途中でお店に向かう公園通りの並木道を歩いていました。すると向こうから道の反対側を、お店で何度か見かけたことのある女性が歩いてきます。いつもお一人で来られるお客さんで、これといって会話を交わしたことはありません。軽く会釈だけしてすれ違おうとしたら、そのお客さんは意を決したように突然きっちり直角に向きを変え、僕の方にスタスタ歩いてくるではありませんか。

 どうしていいものか分からず僕もそちらを向いて直立していると、目の前まで来た彼女は、息を吸い込み、

 「あなたの料理には色気があります。それでは」

 とだけ一息に言うと、今度はきっちり回れ右をして元来たルートをスタスタと戻って行きました。

 料理を褒められるのは嬉しいものです。むしろそのためにこの仕事をしていると言っても過言ではないかもしれません。しかしそれにしても「おいしい」でもなく「腕がいい」でもなく「色気がある」と褒められたのは初めてでした。最初は呆気に取られましたが、後からじわじわ嬉しくなりました。

 その日から僕の料理人としての目標は「色気のある料理を作ること」と、明確に言語化されました。

 今でもそうです。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke


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