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お客さん物語

2022年5月17日 お客さん物語

13.後継者とお客さん(1)――ある三代目の物語

著者: 稲田俊輔

 家の近所の喫茶店でコーヒーを飲みながら仕事をしていたら、隣のテーブルから近所のご老人3人グループの会話が聞こえてきました。

 「あの駅を出て国道の方にちょっと行ったところにあるスパゲッティ屋、最近代替わりして味が落ちたんだと」

 「本当かね」

 「ああ、〇〇さんも××さんもそう言っとった」

 「そりゃあ残念なことだね」

 僕は思わずその会話に割って入りたくなりました。どの店のことを話しているのかはすぐにわかりました。僕はその店に1、2ヶ月に一度くらいはずっと通い続けていましたし、代替わりしたことも知っていましたが、「味が落ちた」なんてことは絶対に無いと断言できたからです。

 住宅と小さなオフィスがひっそりと建ち並ぶ、この街に住み始めたのは20年ほど前です。僕が住むマンションの二軒隣にその店はありました。住宅街にある何の変哲もない店で、その割には値段はやや高めという印象もありました。しかしその価格に見合った丁寧で手間のかかった料理は一見地味ながらしみじみとおいしく、僕はその後長きにわたって通い続けることになるわけです。

 その頃お店は、「マスター」と呼ばれている50代くらいの男性と、その奥様と思しきマダムのお二人を中心に切り盛りされていました。常連客との会話から、マスターはこの店の二代目であることを知りました。厨房には昼だけもう一人男性従業員がいました。その人ももう中年と言っていい年齢でしたが、長身痩躯に背中まで伸ばした長髪、風貌がどこか故・中島らも氏に似ていました。そのこともあって、僕はこの人はきっとそれだけではとても食っていけない劇団にでも所属していて、役者を続けるために昼だけここで働いているのではないかと想像を膨らませ、勝手に心の中で「らもさん」と名付けました。

 この典型的な家族経営の店を時折手伝う若者がいました。どうもマスターの息子さんのようでした。らもさんやパートさんが休みの時にだけ店を手伝うその若者は、とにかく無愛想でした。いや、無愛想を通り越して常に不機嫌そうな態度を隠そうともしません。親に言われて渋々手伝っているんだ、ということを全身で表明しているようにも見えました。

 店でコックコートを着ている時は単に無愛想な若者という感じでしたが、外で見る普段の彼は典型的な今時の「チャラい若者」でした。なぜそんなことを知っているかというと、彼は僕と同じマンションの住人だったからです。このマンションをマスターや奥さんが出入りしているのは見たことがありませんでしたから、どうも彼はここに一人で暮らしていたようです。マンションの前に高そうな車を停めて仲間たちとそれに乗り込む姿も何度か見かけました。

 親に車や分譲マンションを買い与えられて遊び呆け、たまに店を手伝うかと思えばいかにも嫌々そう。どうにも困った若者です。

 しかし数年後、この店には大きな変化が訪れました。らもさんが突然居なくなってしまったのです。どういう事情があったのかはわかりませんが、とりあえずそこには、らもさんに代わって毎日店に入る息子さんの姿がありました。そして変化はそれだけではなかったのです。

 「いらっしゃいませ! あ、毎度どうも!」

 と、にこやかに常連客を迎える彼の姿は、以前とは全く別人でした。今更ながらさすが親子と思わせる厨房での流れるような連携プレイ。そして真剣に鍋を振る合間に客席に顔を向ける時は瞬時に笑顔を浮かべていました。よく見ると愛嬌のある顔です。

 そんな打って変わってこなれた接客ぶりが、マスターから踏襲したものではないこともまた明らかでした。なぜならマスターは常にあくまで寡黙な職人。笑顔なんて見たこともなかったからです。らもさんもそこはマスターと全く同じスタイルで、接客は完全にマダムに任せきりでした。典型的な昔スタイルの飲食店といった趣だったのです。

 「すみませんねえ、ウチの人ちっとも愛想がなくて。でも腕は確かなんですよ」

 みたいなアレです。そこにいきなり、厨房の中からもにこやかに愛嬌を振りまく若者が現れたのです。店の空気は華やぎ、活気が溢れました。

 そのこなれた接客ぶりは、明らかに今時の飲食店のそれでした。これまで、店を手伝わない日はそういうお店でアルバイトしていたのでしょうか。もしかしたら彼にはもっとやりたいことがあって、かつての不貞腐れたような態度は、「店を継げ」と言われることに対する彼なりの必死の抵抗だったのかもしれない。そんな想像をしました。しかしそうであったとしても今の彼が完全に「吹っ切れた」のは確かなようでした。

 しばらくして、新メニューが登場しました。もう何年も通ってましたがそんなことは初めてでした。これまでその店のメニューには、マスターの更に先代の創業者時代から何十年もずっと変わっていないのではとすら思わされる、クラシカルな定番だけがずっと並んでいたのです。

 新メニューは、その少し前から盛り上がりを見せていた「名古屋めしブーム」にあやかりましたという風情の、少々強引な創作料理でした。マスターがそれを考案したとはとても思えません。間違いなく息子さんの発案でしょう。僕は正直この店にそういうものを求めているわけではなかったので、結局今に至るまで注文したことは一度も無いのですが、どうやら他のお客さんからの評価は上々のようでした。そして瞬く間にお店の看板メニューのひとつとなり、ある時それが掲載されたタウン紙のカラーコピーが、店内の一角に意気揚々と貼りだされました。

 それから10年が経ち、店には更なる変化が訪れました。それまで毎日厨房に立っていたマスターが、時々しか店に現れなくなったのです。身体を悪くされたとかそういうことではないようで、人手が足らない時は相変わらず流麗な手捌きで元気に鍋を操っていました。ただしその少し前から、厨房で中心となって指揮をとるのはあきらかに息子さんの方になっていました。マスターは既に(超強力な)助っ人とでも言うべき立ち位置でした。その頃僕は、この近所の情報が全て集まると言われている美容院のマスターから、ついにあそこも正式に代替わりしたらしい、という話を聞きました。僕はなんだか、やんちゃ坊主の甥っ子を見守ってきた無責任な叔父さんにでもなった気持ちで、その就任を心中で言祝ぎました。

 約20年にわたるそんな経緯を側で見てきた僕にとって、「代替わりして味が落ちた」というご老人たちの噂話はとてもじゃないが許容し難いものだったのです。しかしそこでその話に割って入るのはさすがに憚られました。

 息子さんすなわち三代目は、かつてはともかくこの10年以上、マスターと二人三脚で店を盛り立ててきました。仕込みや調理の主導権がとっくの昔に三代目に移管されたことは傍目にも明らかでした。そもそも前マスターはまだ引退していません。助っ人と言いつつ、昨今の人手不足も相まって、結局最近はほとんどの日にお店に立っているようです。もしかしたら自身も二代目である前マスターは、かつて自分が味わった不条理な苦労を息子に負わせたくは無いがために、今も店に立ち続けているのかもしれません。

 だから味は落ちようがないですし、実際ずっと定期的に通っている僕がそんなことを感じたことなんてただの一度もありません。

 「味は全く落ちてませんよ。私はプロですが何か?」

 そう言って割り込みたかったのは山々でしたが、それもまた詮無いことです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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