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お客さん物語

2022年6月7日 お客さん物語

14.後継者とお客さん(2)――売り家と唐様で書く三代目

著者: 稲田俊輔

 「代が替わって味が落ちた」

 と噂されるのは、世間では昔から実によくあることです。

 しかし少なくとも自分がこれまで経験してきた範囲において、実際に代替わりで味が落ちたというような実例はほぼ皆無でした。

 僕がよく知っているカウンター10席だけの小さなカレー屋さんは、あまりにも個性溢れる名物ママから、息子さんが店を継ぎました。

 「自分が継いだら絶対『味が落ちた』って言われるのはわかってましたから、可能な限り長い期間、母と一緒に店に立ってから引き継ごうと思いました」

 そんな話をある時本人の口から聞きました。

「そう思ったら母は案外ずっと元気で、結局20年間この狭い店で一緒に仕事をすることになりました」

 そう言って笑い話にする彼でしたが、それは並大抵のことではありません。

 また別のあるお店は、ご主人が急逝されて奥さんが急遽後を継ぎました。案の定「味が落ちた」と語る常連さんたちに奥さんは、

 「主人がいた頃と何ひとつ変わらずやってるつもりなんですが、どこが変わったのかどうか教えてください」

 と、頭を下げて教えを請うた、という切なすぎる話も聞いたことがあります。

 それがどんな事情によるものであろうと、代替わりを嘆く気持ちはわかります。それは先代に対するリスペクト、もっと言えば神格化です。裸一貫から己の腕一本で商売を軌道に乗せたという物語は、単に日本人好みのナニワ節的な価値観にとどまらず、おそらく世界中どこでも尊い物語でしょう。

 江戸時代の川柳にこんなものがあります。

 

売り家と 唐様で書く 三代目

 

 「唐様」というのは、当時流行のお洒落な書体。初代が折角商売を築き上げたのに、跡取りたちは呑気な趣味に没頭するばかりで商売を顧みず、三代目に至っては遂にその身代を食い潰してしまった。おそらく当時の「あるある」を笑い飛ばした川柳ということでしょう。創業の苦労を知らない後継者が店を駄目にするというのは、昔から普遍的な話なのかもしれません。

 故・池波正太郎氏の名作食エッセイ『むかしの味』(新潮文庫)では、氏が愛した様々な飲食店の人々に対する手放しの敬愛が綴られています。しかしその中で唯一、東京の日本橋にある洋食店「たいめいけん」を当時継いだばかりの二代目茂出木雅章氏に対してだけは、厳しい言葉が記されています。

 

いまの[たいめいけん]は、茂出木心護の長男・雅章が当主となっているわけだが、

「お前は、いまより二倍はたらけ」

という先代の遺言をまもっているか、どうか…。

私の目には、まだまだ、そこまで行っていないように見える。

 

 この書の中であきらかに異彩を放つ一節です。

 二代目、三代目に対してあえて厳しい言葉で奮起を促す、というのは、もしかしたら「愛の鞭」なのかもしれません。今風の洒落た書体で閉店のお知らせが張り出されるような悲劇を数多目撃してきたその時代のお客さんたちの中で、いつしか定型化されたお約束の文化。

 しかしそれは、少なくとも現代において個人経営の飲食店を継ぐ人々にとっては、あまりに酷だし、また無用なのではないか。僕はそう考えています。

 現代においては多くの個人飲食店が、後継者不足からの廃業を余儀なくされています。そうやってなくなった跡地に、勢いのある今どきのチェーン店が出店するような光景も日常茶飯事。そんな中でたまさか世代を超えて店を継承する人々がいるというのは、ある種の僥倖でもあるのです。

 しかし実際には、そういう僥倖には恵まれない店の方が多い。そのことを嘆く僕に、ある人がこんな質問を投げかけてきたことがあります。

 「どうして古い店を残すべきということが前提になるんですか?」

 一瞬何を言っているのかわからなかった僕に、彼はこう続けます。

 「たいして儲かりもせず、誰も継ぎたがらないような店は淘汰されて、新陳代謝が進んだ方が良くはないですか?」

 僕は慌ててそれに返しました。

 「だってそれだと、時流に合った最適解みたいな店ばっかりになっちゃうじゃないですか!」

 潰れた個人店の跡地を埋める小綺麗なチェーン店の様子が脳裏に浮かびます。

 しかし彼は不思議そうな顔でそれに返しました。

 「それの何がいけないんですか?」

 虚を突かれた思いがしました。

 サービス業全般を見渡すと、彼の言わんとしていることは至極尤もです。次々に世の中に現れるネットサービスは、時代のニーズを的確に捉えて収益性を確保したものだけが生き残ります。それができなかったものはあっという間に消えていくし、一度支持を得たとしても、時代に取り残されたらやっぱりあっという間に消えていきます。

 しかし。ここから先はもはや理屈ではないのかもしれませんが、飲食店という「ビジネス」は、そういうものともまたやっぱり違う気はするのです。店を疎かにして身代を食い潰しながら趣味に没頭できた時代は、もしかしたら幸福な時代でもあったのかもしれません。しかし、少なくとも今はそんな呑気な時代ではないのです。

 少々大袈裟かもしれませんが、店はそのひとつひとつが文化です。苦難を承知でその文化を継承する覚悟の仕上がった、限られた人々だけがそれを引き継ぎます。そういう僥倖にめぐまれずひとつの文化が失われた時、初めてお客さんの側はその失われたものの大きさに気付くのかもしれません。

 「たいめいけん」の二代目には手厳しい言葉を投げた池波正太郎氏ですが、同じエッセイの中で、

 

[たいめいけん]の洋食には、よき時代の東京の、ゆたかな生活が温存されている。

物質のゆたかさではない。

そのころの東京に住んでいた人びとの、心のゆたかさである。

 

 と、飲食店に温存されている大切なものの存在に触れています。

 僕がここで何を言いたいかというと、我々お客さん側は「代が替わって味が落ちた」なんてことを言うのはもうやめましょう、ということです。それが有効だった時代は、とっくの昔に去りました。もちろん先代を称え続けることもまたとても尊いことです。でもだったら、こう言い続ければいいではないですか。

 「あそこの後継ぎはなかなかのもんだ。さすがあのオヤジの薫陶を受けただけのことはある」

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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