(*前回はこちら)
さて、話は優しいジャイアン君とヤンキーの話に戻ります。
二人は今更のように、本名と年齢と居住地を確認しあっています。今更それ、というのがまたいかにも胡散臭い。少なくとも旧知の間柄ではなかったことは明白です。
二人の会話から、ジャイアン君はシンイチロウ22歳、ヤンキーはリョウタ24歳であることが判明しました。
「シン君22ならだいたい俺とタメじゃん。もうさあ、敬語とかいいよ。タメ口で頼むわ」
と、あくまで気さくなリョウタに、
「はいっ! わかりましたっ!」
と全力の敬語で答える相変わらずクソ真面目なシン君。僕は、状況が状況なのも一瞬忘れて、思わず横で吹き出しそうになりました。これが本当に先輩と後輩の奇妙な友情だったらどんなに幸せだったことか……。
それをフックにまた他愛もない世間話が始まります。
「シン君、ふだんだいぶ年上に見られるんじゃね?」
「うん、そう……ですね。僕、子供が好きで幼稚園の先生になりたいんだけど……ですけど、子供たちにいつも『おじさん』って言われちゃって」
今日ここまででシン君が発した一番の長台詞でした。リョウタは、
「うっけるわー」
と手を叩いて、さも本当に楽しそうに笑いながら、またすかさず自分語りのターンに持ち込みます。
「いや俺もさ、シン君と同じでいつも年上に見られがちなのよ。この間なんてキャバで『25歳?』って言われて、ツレ全員もう馬鹿ウケ」
24歳が25歳に見られただけの話がどう「馬鹿ウケ」なのかさっぱりわかりませんが、シン君はなぜか、ハハハと屈託なく笑っています。そしてリョウタ得意の、というかそれしかない夜の街を舞台にした話は更に続き、そしてそれはまた少し剣呑な方向に進みます。
「こないだ合コンやったんだけどさ、俺以外のメンツは、税理士、医者の卵、医者の卵。その状況で一番モテたのは俺。どういうことかわかる?」
お金ですか、と即座に場を読む賢いシン君。
「まあそれだけじゃないけどだいたいそういうことだな。俺の仕事っていろいろ多岐にわたるけど、基本は不動産業の自営ってことね。まあその時の合コンではそれしか言わなかったんだけどさ」
そこから、その「不動産」とやらがいかに安定して儲かるかの話が始まります。シン君は再びひたすらうなずきモードです。
「だけどそれを俺だけがやっててもしょうがないから、今仲間を集めようとしてるってわけ。自分の部下ってわけじゃねえよ。あくまでそれぞれが独り立ちした自営業同士の仲間ってこと」
いよいよ話は核心に迫って行くのでしょうか。うなずきながら聞いているばかりのシン君に、リョウタはいかにも親身そうに問いかけます。
「やっぱ男ならさあ、いい車乗りたくね? それを自慢したくね? それが夢ってもんじゃね?」
しかし、シン君の答えはおそらくリョウタの予想を完全に裏切るものでした。
「夢、ですか……。僕の夢は……、夢、僕、実は音楽やってて本当は歌で食って行きたいんですよ。楽器はピアノしかできないんだけど」
横で聞いていた僕は涙が出そうになりました。
いいぞ! シン君! 不動産とか投資とかに惑わされず、幼稚園の先生になって子供たちに囲まれて、ピアノも弾いて歌を歌って、それが自分の幸せって気付いてるじゃないか! こんなクソヤンキーに惑わされてる場合じゃないよ。もう、とっととここはお開きにしようよ。
さすがのリョウタも何も言えなくなったのでは、と思いました。このまま座は白けてお開きになるんじゃ、なんて淡い期待を抱かせる空気も流れました。しかし恐るべきリョウタのコミュニケーション能力は、ここからしぶとく発動して行きます。
「音楽? スゲーじゃん! 歌、ってつまりボーカルってことだよな。いやー、俺もさ、カラオケすっげえ好きでよく行くんだけど、なかなか90点出なくて、頑張っても86点なわけ。やっぱあれ? シン君は90点とか出るの?」
僕は思わず飲んでいたジントニックを吹きそうになりました。リョウタは「音楽」という自分とは縁遠いキーワードに関して、とりあえずありったけのコメントをかき集めて返したのです。それはもちろん極めて滑稽でした。しかし滑稽なだけに、僕は同時にそこに恐ろしさも感じました。狙った獲物は逃さない。どんなきっかけにも食いついていく肉食獣の牙。
「いや僕はカラオケ行ったことないんで点数とかはわからないです」
と、返すシン君でしたが、リョウタは少しもめげることなく違う角度から尚も食い下がります。
「そうかー、シン君、有名になりたいんだ」
「いや、有名っていうより歌が歌えれば……」
またもや会話は噛み合いません。僕は、「いいぞシン君!」と、また少し嬉しくなります。
しかしリョウタは諦めません。もはや化け物です。シン君の否定が聞こえなかったかのように、またもや自分の土俵に引き込もうとします。
「有名になったらさあ、ガクトにサイン貰ってよ。俺音楽とか聴かないんだけどさあ、ガクトはすっげえ好き。シン君も好きなミュージシャンとかいるの?」
シン君の目が輝いたようでした。
「僕、ワンオクが好きで、この間はライブの最前列のチケットが取れて、めちゃくちゃ感動しました。そんでその時……」
ここに来て初めて、シン君の方に会話の主導権が移りました。ライブの感動、そしてワンオクの素晴らしさをひたすら語り続けます。今度はリョウタが黙ってうなずき続ける番です。この話題を振ったのは失敗だったか、と思っていそうな気もします。それでもそこは大したもんで、時折、絶妙なタイミングで「へえー!」とか「すげえな!」といった相槌を打つのです。もしかしたらここは喋りたいだけ喋らせて、気分を高揚させたところで次の作戦に移るつもりなのでは、という気もしてきます。リョウタは明らかに馬鹿だけど、そういう野性的なしたたかさを持っていることは既に明らかです。
残念ながらその辺りで珍しく店内は酔客の団体で騒がしくなり始め、幸か不幸か二人の永遠に噛み合わない会話は僕の耳までは届きにくくなってきました。僕も、いかんいかん、と、再び仕事に集中することにしました。
それでも喧騒の合間から、時折、リョウタの声が断片的に聞こえてきます。
「例えば200万投資するとして……」
「損切りってのはさ……」
「俺の先輩たちは既に桁が2つ違うから……」
「最初は俺がケツ拭いてやっからシン君は思い切って……」
ワンオクは、既に遠くになりにけり。
会話は結局生臭い方向に逆戻りしているようです。
仕事も一段落して、いつまでも気にしていてもしょうがないので、僕は帰り支度を始めました。ちょうどそのタイミングでシン君とリョウタもお開きになるようでした。二人は次回のアポイント日程を擦り合わせています。契約なり何なりの決定的なところまでは進んでいなさそうなのは少し安心でしたが、この続きが後日また続くのかと思うと暗澹たる思いもあります。
「ちょっと俺トイレ行ってくるわ」
と、リョウタが席を立ちます。次回連れてくる「もっと上の人」とのスケジュールを擦り合わせに行ったのではないか、と思いました。
少し迷いましたが、残されたシン君に思い切って話しかけました。
「お兄さんお兄さん、あの人とどういう関係かは知らないけど、ちょっと気をつけた方がいいよ。ほらその、マルチとかさ、知ってるでしょ?」
シン君はちょっとびっくりして、でも僕に対してもやっぱり礼儀正しく、真っ直ぐな目で、
「はい、わかってます。ありがとうございます!」
と、返してくれました。
本当はもう少し強い言葉で、次回のアポイントを反故にすることを勧めるつもりだったのですが、シン君の朗らかな返答を聞いて、もう何も言えなくなってしまいました。
僕は、
「気を悪くしたらごめんね、でも本当に気をつけて」
とだけ言い残して、リョウタが戻ってくる前にとそそくさと店を出ました。
正義感なんてのはやっぱりそんな程度のものです。
二人の会話を聞いていればわかります。シン君は単に優しくて真面目なだけではありません。リョウタとは対照的に賢い青年です。年齢以上なのは見ためだけではなく、精神的にも成熟して常識もあるように思えます。だから「わかってます」というのは決して嘘じゃなかったんだろうと思うのです。口ばっかりうまいヤンキーが自分のことを騙して金を吸い上げようとしている。それはわかっていたんじゃないでしょうか。
でも人間って、騙される時にも「きっと騙されてるんだろうな」と思いつつ、そうでない1パーセントの可能性に縋る生き物でもあります。
ましてシン君はリョウタというモンスターに、明らかに魅了されていました。頭が悪いとか、性根も腐っているとか、金目当てとか、そういう理性的判断はそこでは無力です。
実際僕から見ても、リョウタには異性同性関係なく人を惹きつける妖しい魅力がありました。いわゆる「人たらし」であるだけでなく、それを超えた天賦の何かです。だからこそリョウタは、かつて見たエース級ギャルのようなクレバーさは皆無であるにもかかわらず、この世界で曲がりなりにもやっていけてるのでしょう。
騙される方も悪い、と言うのは簡単であり正論でもありますが、この世界はそんな業が渦巻く恐ろしい世界でもあります。その後シン君がどうなったかは、もちろん知る由もありません。僕はあの「わかってます」という力強い言い切りに縋って、彼は断るべきことだけは断ったに違いない、と無理やり自分を安心させるしかありません。
シン君が望むように子供たちに囲まれて、プロになれるかどうかはともかくピアノを弾いて歌を歌い続けてくれていたなら、最悪、貯金がすっからかんになっていたとしても僕は平穏な気持ちでいられるのですが、それが実際どうなのかもまた知る由はありません。
【後日談】
このカフェはその後、店内に「マルチの勧誘禁止。発見次第、即刻退店していただきます」と書かれたポスターを貼り出しました。実際に、強固な姿勢でそれを排除していったようで、おかげで僕にはまた平穏な日々が訪れました。
しかしやっぱりここではないどこかで、残酷で滑稽で切ない「狩猟」は毎日のように続けられていることでしょう……。
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稲田俊輔
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 稲田俊輔
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料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke
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