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お客さん物語

2022年10月4日 お客さん物語

22.ひとり客のすゝめ(2)――おひとり様の落とし穴

著者: 稲田俊輔

*前回はこちら

 おひとり様にもおすすめ、と言われるようなお店には、大まかに2通りあります。適度に放っておいてくれる店と、逆にお店の人が積極的にコミュニケーションをとってくれる店。好みは人それぞれだと思いますが、最近の傾向としては前者が主流になりつつあるとは思います。

 正直、僕も圧倒的に前者を好みます。基本的にはなるべく放っておいてほしい。もちろん後者の「アットホームな店」の楽しさも、それはそれでわかります。「気さくなマスターや親切な常連さんたちが、初めてのお客さんにも親切に話しかけてくれます!」みたいなパターンですね。うまく波長が合えば思いもよらぬ楽しい時間を過ごせることだって無くはない。

 でも少なくとも僕は、最初からそれを望むことはありません。これは自分自身が接客業に携わっていることから来る職業病なのか、もっと根本的な気質なのかはわかりませんが、どうも過度に相手に気を遣いすぎて、自分が心底リラックスできないんです。なのでそういう店はなるべく避ける。

 外から中の様子がうかがえる店だとそれなりに判別できることがあります。カウンターに常連さんが集まり、店主を囲んで和気藹々と盛り上がっていたら、そこに入っていく度胸はありません。僕はそういう店を「カウンターが濃い店」と呼んでいます。

 某所に、味が心底気に入っている焼き鳥屋さんがあるのですが、大体いつもカウンターが濃くてなかなか入れません。さらにその店はカウンター席が5席くらいと少ないせいもあり、テーブル席の常連さんも椅子ごと半ばカウンターに向いて談笑の輪に加わっていることも多いのです。その状況でたとえカウンターが1席空いていたとしても、そこに座れる勇気のある人はいるでしょうか。いれば尊敬しますし、その方が人生を謳歌できそうで羨ましくもありますが、僕にはレベルが高すぎる。おひとり様最高難易度の店のひとつです。

 中が見えなくても、いや中が見えないからこそ「ここはカウンターが濃いに違いない」と思わされる店もあります。曇りガラスの引き戸で閉ざされた、小料理屋や昔ながらの居酒屋で多いパターンです。

 しょっちゅう前を通りながら、かれこれ数年、入れずじまいの小料理屋さんがあります。僕は、イマドキな店よりなるべく古くさい店に入りたいという願望が常にあるのですが、そこもそのひとつです。その界隈で最も昭和の匂いが色濃い店。基本的にそういう店ほどカウンターが濃い傾向があるので悩ましい。その店はご丁寧に、店先に立派な信楽焼の置物がおいてあり、そこには、

【祝〇〇周年(平成〇〇年)常連客一同より】

 というプレートが下がっています。それはもはや【会員制】と書かれているのと同じレベルに感じます。「ここは俺たちの場所なんだから勝手に入ってくるんじゃないぞ」と、釘を刺されているかのよう。そういう店は、本当に部外者が立ち入ることなくそっとしておくべき店なのかもしれません。でも、だからこそ入ってみたいという矛盾した気持ちもあります。

 その場合はむしろ、最初から店主や常連さんに気を遣いまくりながら過ごすプレイに徹して、あくまでその店が培ってきた文化を一滴も濁さない不退転の覚悟で臨みたいと思っています。

 昭和の店ばかりでなくイマドキの店でもカウンターの濃い店はあります。例えば、「フードメニューがあまり凝っていない(ポテサラ、ハムカツ、アヒージョ、みたいな)タイプのクラフトビアバー」はその傾向がある。店主はギリギリ若者とは言えない若さで、その少し下くらいの若者たちがカウンターに集っていたりします。ビアバーには限りませんが、僕は「ヤンキーの先輩の店」と分類しています。僕はうっかり入ったその手の店で、カウンターの中の店主さんから、

 「どこ中ですか?」

 と聞かれたことがあります。つまり、(この辺りの)どこの中学校の卒業生ですか? という質問です。びっくりしました。

 その時、隣の男性客二人連れと店主さんは、

 「〇〇先輩最近来ます?」

 「いや、あいつもガキが生まれてからさっぱりよ」

 みたいな会話を繰り広げていました。

 でも実はそういう店こそ、地域のコミュニティのハブになるという、バー本来の役割を果たしている重要な店であるとも言えます。その時は、失敗だったか…と後悔しつつも、「もし自分が地元を離れずこういう店に通い続ける人生を送ったらどういう風だっただろう?」と、想像しながら飲んで少し楽しくもありました。

 失敗といえばこんなこともありました。

 その店はやっぱり昭和の匂い漂う店でしたが、どちらかと言うと昼の定食がメインで、夜はそれがちょっとした居酒屋風になるタイプの店でした。これなら気楽そうです。そもそもカウンター席がなく、テーブル席もそうそう満席になる気配はありません。料理もメニュー数は少ないものの、いかにも昔ながらで、発酵具合が抜群の白菜おしんこや素朴な手作りコロッケが絶品でした。僕は、これは良い店が見つかった、とホクホクしながら広いテーブル席をひとりで使わせてもらい、ゆっくりと過ごしていました。

 ところが僕の後に2組ほどの常連さんが来たあたりから、雰囲気が変わり始めました。隣席に座った茶髪カップルのお姐さんが、

 「ここは初めて? 初めてでいきなりコロッケを選ぶなんてワカッテル!」

 などとタメ口でご陽気に話しかけてきます。それは別にいいんです。そういう、料理そのものの話題ならむしろ歓迎だったりもします。

 しかしその後がキツかった。なんといきなりカラオケ大会が始まったのです。皮切りはそのご陽気お姐さんでした。そこからまた別のお客さんにマイクが渡されます。ママにも渡されます。「マスターも早く出てきなよ」と厨房にも声がかかります。当然間もなく僕にも回ってくる流れです。こういう時は何を歌えばいいんだ。そもそも僕がカラオケで歌えるレパートリーなんて極めて限られています。おいしいコロッケももはや喉を通りません。

 姐さんカップルは僕よりだいぶ年下。でも彼女たちはどうも僕のことを自分たちより年下だと思っている。「若い人が来るなんて珍しいねー、ママ」なんて言っています。かりそめの若者を演じるとしても『春夏秋冬』はさすがに無理があるか。ママやマスター、もう1組の常連さんは僕(の実年齢)よりずっと上。だからと言って『冬のリヴィエラ』じゃやりすぎか。自信を持って歌える曲ですぐに思いついたのは「八十八ヶ所巡礼」の『攻撃的国民的音楽』だけど、さすがに空気読めない感が強すぎる。ここは安定のミスチルか? だけど歌えるくらい知ってる歌あったけ? むしろ氣志團の方が「ちょっと前まで若者だった人」的な雰囲気にも、キーマンである姐さんの趣味嗜好にも合うのでは…いやこの姐さんはむしろエグザイル系か??

 悩まないでいいことまで悩んで他人に気を遣ってしまうのは悪い癖ですが、場に溶け込んで盛り上げねば、という妙な使命感も生まれています。しかしそれにしても気が重い。一度マイクが回ってきた時に

 「いやあ、さすがにマスターより先には歌えませんよお〜、ぜひお先に!」

 と店主に強引に譲った後、着信があったふりをして、

 「池袋で飲んでるツレに呼び出されちゃって」

 と適当な嘘をついて退散しました。たぶんそれがお互いにとって良かったはずです。

 何だかおひとり様デビューを果たそうとしてる人をビビらせるような話ばかりになってしまいましたが、これらはあくまで自分の特殊な趣味嗜好や妙なチャレンジ精神が招いたことです。もっと最初から快適におひとり様を楽しむためのノウハウはいくらでもあります。それについても次回語っていきましょう。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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